『愛のエネルギー家事』
2019年 12月 09日
「片づけなくちゃ!」という焦りで心がいっぱいになったり、「片づけなさい!」という家族への命令を繰り返す人は「できなかったこと」にのみ着目していることが多いものです。できなかったことは、この際どうでもいいことです。できなかったことは人生における幸せになんの関係もありません。
(中略)
幼い子どもたちは「ほら!おかあさん!散らかっているよ!早く片づけなさい!」とは言いません。親から刷り込まれなければ「散らかっている」という概念さえ持ちません。子どもはみんな、大人よりも慈愛に満ちて寛容な「愛の存在」です。お母さんとお父さんに、家事をしてもらうために生まれてきてはいません。ただただ、無条件に自分の存在を楽しんでほしいと思っています。
(中略)
もしお母さんやお父さんも、愛の表現者として存在していたら、その家庭では「早く食べなさい」「片づけなさい」という言葉がだれからも出ることがなくなっていきます。無秩序に散らかるという意味ではなく、言う必要のない人格に家族が成長し、変容していくのです。
その理由としては、エネルギー値の高い大人と子どもになるからです。エネルギー値の高い人間は、自然と美しいもののエネルギーに共鳴する生活・思想・生き方になっていきます。自分の周囲を自分にとって心地よい状態にするよう、他人から言われなくても自分でどんどん整えていってくれます。
(中略)
愛の表現者って何?どうやれば愛の表現者になれるの? そう思われた方、大丈夫です。意味がわからなくてもいいのです。ただ胸に聞いてみてください。
「もし私が愛の存在だったら、いま何をする?」と。
以前、母が祖父の家に行ったときのこと。祖父はもう90歳を超え、心臓も悪いので寝たり起きたりの静かな暮らしでした。(中略)
母が久しぶりに帰省してみると、祖父の家の洋式トイレの便座に真新しいさらしがていねいに巻かれていました。それを見たとき、あまりのことに驚き、母は涙がこぼれて止まらなかったといいます。
娘が来るのに、新しいカバーを買うことはできなかった。でもおしりが冷たくないようにと、家にあった新品のさらしを巻き続けた祖父。寒い冬に暖房のないトイレで、便器に顔を近づけ、長いあいだしゃがんだまま、さらしを少しずつずらしながらぐるぐる巻いていたのかと思うと、泣けてしかたがないと母は話してくれました。
そのシミひとつない真っ白なさらしには、90歳を超えた父親の手から娘への愛のエネルギーと光が強烈に残っていたのです。トイレという場所に、家事(神事)の神々しさが顕れた真実のエピソードでした。
「愛のエネルギー家事」、知らなかった本です。
素晴らしい内容をご紹介いただき、ありがとうございます。
読んでいるうちに涙があふれてきて、第2章のさらしを巻いた父の愛に、涙は止まらなくなりました。
最近、あわただしい日々で疲れていました。
今日は久しぶりにブログ拝読に参りましたが、今日ここに来てよかったです。
光田さん、ありがとうございました。
本、購入して読んでみます。