岡本太郎さんのことば
2016年 04月 05日
そして、最近、もう1つチェックしているのは、岡本太郎さんの名言ツイッター。ツイッターで「岡本太郎」と検索すると、いくつかでてきます。リアルタイムで岡本太郎さんを知らない世代の心にもその言葉は響いているんでしょうね。私も、本棚に岡本太郎コーナーが出来るくらい、一時期、岡本太郎さんの本を読んでいた時期がありましたが、岡本さんの言葉は、文字数に制限のあるツイッター向きかも。短い1つ1つの言葉に岡本太郎さんのエネルギーが凝縮して迫ってくる感じです。
ここ最近のツイッターから拾った岡本太郎さんの言葉集。
人生について、孤独について
人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ。
人間には個人差なんてない、やると決意するかしないかだ
生きる歓びというのは、生きる強烈なつらさと背中あわせなんだ。
人間は誰も孤独のなかで、自分ひとりで重い運命を背負って生きている。
孤独感にたじろいじゃって、逃避してしまっている。ごまかしてしまっているところに虚しさがあるんで、逃げない、ごまかさないで、積極的に孤独をつらぬけば、逆に人間的にひらいて、みんなと一体になることができる。
絶望こそ孤独のなかの、人間的祭りである。私は絶望を、新しい色で塗り、切り開いて行く。絶望を彩ること、それが芸術だ。
友人、人間関係
自分を守ろうなんて思わないで、かまわないからほんとうのことをどんどんしゃべろうと決心してごらん。ウソなんて面倒くさくなってつかないようになる
自分のほんとうのことをぶちまけれ、ぶつかり合って、いい意味での闘いをする相手のことを親友というんだ。
ほんとうの調和というのは、お互いに意見をぶっつけ、フェアにぶつかりあうこと。
ほんとうの対決というのは、自分を相手にぶつけ、相手も自分にぶつかってきて、お互いがそれによって、活きることが対決なんだよ。
女性や恋愛についてもたくさん語っていらっしゃいます。
ほんとうの出会いは、約束ごとじゃない。たとえば極端なことを言えば、恋愛というものさえ越えたものなんだ。つまり自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手のなかに自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ。
恋愛の始まりというのは、誰でもよそゆきの気持ちになる。お互いによそゆきだということを、暗黙のうちに知っているよね。だから、スリルがあるんだな。それでいて、お互いに相手の隠している実体を猛烈に知りたがっている
どんなに多くの女性にチヤホヤされようと、本当に大切なことは、女性と溶け合うことができるかどうかなんだ。
どんな女でも、底の底ではあったかく優しい。許して包み込んでくれる。性悪女でも意地悪ばあさんでも、女はあったかい。
本当にすばらしい女性というのは、目ではなく、心に触れてくるものなんだ。
男は、女性の世界観から自分の中に欠落しているものを、見出すことができる。これが喜びであり、救いとなる。
どんなやり手の、凄腕というわれる男でも、惚れた女には甘くて、抜けてるってことがある。反対に、相当したたかな、がっちりした女でも、男に対してはどこか無条件で、優しい。それが異性同士のふれあいの、微妙さじゃないかな。
恋愛に意識して、相手をかばってやろうとか、いたわってやろうというのじゃなく、お互いに“一体”になろうとする気持ちが、優しさなんだ。
ためらい、投げだし、そしてまともに自分の行為に対して、悪びれない女性。そういう人こそ、いじらしく、可愛らしく、また頼もしい。
口説く必要なんかないんだ。目と目があえばいい。あとは行動あるのみさ
好きな人がいたら真っ直ぐにみつめること。
愛情だけが二人の中を結んでいる。無条件の関係だから、男も女も相手に対して、いい加減になれない。その緊張感が女を、また異性としての男を磨くのだ。
男の見る世界と女の見る世界とは彩りが違う。男だけ、女だけでは、世界観は成り立たない。存在であり得ない。双方の見方、感じ方、生命感をぶつけあい、挑みあい、渾然とからみあってはじめて本当の世界をつかむのだ。
ぼくが秘書の平野君(岡本敏子)にもっているのは絶対的な信頼だな。相手がすべてを捨てて、こっちに全身でぶつかってくると、それにやはり全身でこたえる。
岡本太郎さんが絶対的な信頼をおき、秘書でパートナーだった岡本敏子さんが書いた岡本太郎さんとの愛の日々。かなり濃いです。