身を清め、衣服を清くし、手を清くして尊い御用を行う
2015年 12月 20日
もちろん、賢所など三社がある神域は固く扉が閉ざされていましたが、ちょうど11月の新嘗祭直後でしたので、新嘗祭に集まられた方々が過ごされたという区域の清掃があり、普段、お会いすることは絶対にないであろう方々が過ごされた場所に、時差はあったものの、同じ空間に立たせていただけた、というのはとても感慨深いものがありました。
新嘗祭…天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に進め、また自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する。宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる(Wikiより)
そんなこともあり、この特別な神域では、どのような方がどのように過ごされているのかしら?と、自宅に帰ってネットでチェックしていたら、戦前から57年間、人生のほとんどを内掌典(宮中祭祀を司る方々)として宮中賢所で過ごした、という女性のインタビュー本『宮中賢所物語』がありました。
いやー、いろんな意味でこれは特別な本でした。おそらく、ですが、宮中賢所は、人がいる場所として清浄中の清浄の場所であり、その空間の聖域さは、俗にまみれている私たちには全く想像できない類の清浄さだと思います。使われている言葉も特別でしたし…。
特に驚いた「浄め」のあたりを少しご紹介させていただきます。
「次(つぎ)」と「清(きよ)」
賢所の生活におきまして、もっとも重要かつ基本的なのは「次清(つぎきよ)」についてのしきたりでございます。
賢所は最高に尊く、最高に清い神様でおいであそばします。お護り申し上げますために、内掌典(ないしょうてん)は常に身を清め、衣服を清くして居住まいを正し、手を清くして御用を申し上げます。
清浄でないことを賢所では「次」と申します。身体の下半身に手が触れました時や、足袋など履き物を扱います時、財布(お金)に触れました時、外から受け取る郵便物や書類、宅配便などを受け取ました時など、このような場合は手が「次」になります。「次」になりました時は、必ず手を清まし(洗い)て清めます。
これに対して清浄なことを「清」とし、清いものと清くないものを「次」、「清」と区別して、重ねて「次清」と申します。どんなに細かなことでも厳格に自分で区別することが、最も基本の大切な心構えでございます。
着物を着替える時など、気をつけていても、ついつい「次のもの(腰巻)」などを触ってしまいます。「次」を触った手で他のものに触れてしまうと、清と次が混同してしまいますので、触ったら間をおかず、すぐに手を清まします。(中略)
普段から常に手を清く保ちながらも、御殿に上がります時には、さらに清く致します。「次清」は候所(*普段すごすところ)と御殿では、また別でございます。
御殿の中に進みます前に、まずはお手水のお流しにて右手で柄杓を持ち、左手に柄杓の水をかけてから、側のおしろもの(塩)をいただいて、両手をすり合わせて手を清め、水で口をすすぎ清めます。あらためて両手を清まし、その後、必ず側の清い麻の手拭で拭います。お清めの布でございます。
このように清めた手で、清い御用をさせていただきます。清めました手は決して自分の衣服には触らないようにします。御用で使います御品々なども、最初は水でお清め致します。御殿の御用はすべて「お清い御用」でございます。
御内陣の御前のもっとも尊い御用をさせていただき、また御前のおしつらえの御品を手に戴きます時、それは「お清い」以上に、畏れ多くもったいのうございますので、そのような御品を「もったいない御品」、そして触れさせていただきました手を「もったいない手」と申します。
御用がすみましたら、必ずお手水のお流しで手を清まし、口をすすいで、「もったいな気」をお流し致します。これを「次める」と申します。常態に戻ることを申します。(中略)
候所での生活にも、自らの自覚で規律を重んじ、ごまかしを決して致しません。御殿をお護り申し上げますために、常に清々しい心にて、身を清め、手を清め、御用を申し上げます。
普段すごしているところでも清めの様々な作法があり、御殿にあがるときにはさらに重ねての浄めがあるわけですが、女性には生理があります。生理中のときの清めについてはこのような感じだそうです。
「まけ」(女性の生理)は最も穢れにて、御用はご遠慮申し上げます。
まけの1週間は、着物やお化粧品は、まけ専用に用意したものを使います。(中略) まけてから7日目の夕食後に常態(中清)に戻る準備を致します。
まけ用に使いましたお化粧品などを片づけ、鏡台を布で拭い清め、常用のお化粧品を出して整え、まけの時使用のお茶椀とお膳をおしろもの(塩)で清め、清いお箸、お箸箱をお膳に載せておきます。(中略)
8日目、起床後すぐに、まずは潔斎。身体をお清め致し、口、顔を清まし清めます。もし潔斎の前に過って口をすすいだり水を飲んだりすると、その日は清くなれませず、自分の不調法をお詫び申し上げて、1日延期になります。(後略)
もちろん、トイレに行くとき、着物を着るとき、寝るときにはそれぞれ清めの作法と段階があり、皇居から外の世界(つまり私たちが暮らす世界)に外出する際、戻ったときには、またそれ相応の作法と清めの段階があります。身内が亡くなったときの喪についても厳しい作法がありました。
自分がどのような場所におり、何に仕えているのか自覚していないと、この清めの作法は、平成の世までも続いてないのではないでしょうか。「清」と「次」をはっきり区別する。中清、大清があるように、次にも次の段階があり・・・。
伊勢神宮の清めの作法や段階は分かりませんが、これほどまでに清めの意識をもった神職の方々が日々奉仕されている宮中三殿が日本の中枢にあり、過去から現在、そして未来へと祈り続けられている、というのも、また、凄いものだなぁと思います。
戦後、皇居内の職員の職域や所属が大きく変わり、インタビューを受けられた高田さんがされていたような仕事ぶりや暮らしぶりとは今はすでに変わっているようですが、話されている言葉の雰囲気も含め、興味深い本でした。そして、自分の清め具合、聖と俗、清と次の混同ときたら!と愕然としてしまいますよ。