『心の深みへ』子どもの自殺を考える
2015年 06月 15日
河合先生の対談本は購入できるものはほぼ全て読んでると思いますが、この『心の深みへ』は、その中でも珠玉の1冊になりました。どの章も河合先生のやさしさが溢れています(もちろん柳田邦夫先生のやさしさも)。
河合隼雄先生は、素晴らしく頭の良い方ですが、その頭の良さを、人を包み込んだり、受け入れたり、目の前にいる人の心にあわせることに使っていらっしゃる。もちろんユーモアを発揮することにも。
私は河合隼雄先生のいちファンではあったものの、個人セッションを受けたり、お話させていただきたいとかつて1度も思ったことはなかったんですが、下記の文章を読んで、初めて「あ-、私のお話を一度きいていただきたかったなぁ」と思いました。きっとそうかそうかと頷いて下さったと思います。
以下は第1章で、明恵について語っているところ。明恵は13歳のとき、1度自殺を図っています。その時の明恵の言葉は「13歳にしてわれ老いたり」。そして、子どもの自殺について河合先生はお話を続けられています・・・。
最近の12、3歳で自殺をする子には、おそらくそういう子もいると思うんです。そういうことは、親もほとんど理解できないでしょう。そこで、みんなが単純に理由を考えたがる。そういうのはよくないと思うんです。現代人というのは、何にでも原因がないと気がすまないところがある。だから、その原因について、たとえば「宿題を忘れたから」とかなんとか書いているけど、あれはほんとうにナンセンスだと思います。
ひところ子どもの自殺が多発した時期があって、新聞にもさかんに報道されましたが、そこに単純に原因が書かれていることに腹が立ち、文句をつけたことがあるんです。そうしたところ、京都新聞が14歳の子の自殺について、その前にどんなことがあったかをすごく丹念に調査した。でも結局のところ、普通に人が考えるような意味での原因が分からなかった。そのことをはっきりと記事にした。それ以後、京都新聞ではあまり自殺の原因を書かなくなったんです。
単純に書かれると、書かれたほうはすごく迷惑をする。たとえば、宿題を忘れたことを先生が叱ったのが原因で自殺をしたなんて書かれたら、その先生はたまらんでしょう。そんなことではなかなか死なないものですよ。
子どもの自殺が起こったとき、テレビや新聞で、児童心理学の専門家やコメンテーターが、親に叱られたから、宿題が出来なかったから、などと簡単な理由でその子の自殺を語ったり、子どもは自殺を考えないなどとコメントしているのを聴くことがありますが、そのたび私は「ホントに、この人達は分かってない!」と思ってました。それは私が子どもの時にもあったし、それ以降もずっと相変わらず、社会は何か分かりやすい理由を作ってその子の死をお終いにさせてしまいます。
表向きはたとえそうでも、その裏には全く別の、そして時には本人もよく分からない言語化できない何か心の葛藤があったはずなのに・・・。
私自身のことをお話すれば・・・
私が母親とは違う人間であり、さらに私という人間が世界にたった一人しかいないことに気がついたのは、まだ保育園に上がる前のある夏の日のこと。その時、私がどこにいて、一緒に誰がいたか、その景色は今でもはっきり憶えています。その時私は「自分の人生は、たった1人で生きなければならない」言い換えれば「自分の人生を生きることが出来るのは私しかいない」ことを知りました。
その時、私は母を呼び、祖母を呼び、近くの家族の名前を1人1人呼んで、家族が自分のそばにいることを確認しました。でも、人が周りに何人いても、私はたった1人しかいない。なんという孤独だ。
さらに曾祖母の年齢を聴いて「あと80年生きなくてはいけないなんて、人生長すぎ-」と呆然としたのも、まだ4歳のとき。小学校の頃には、痛くなく苦しむことなく自殺する方法などを1人無想したりしてました(こんなときに「夢想」という言葉はふさわしくないかもしれませんが・・・)。
そんな私が生きていられたのは、宇宙の大きさに比べたら、人間の人生は短いと知ったから。そして魂の学びが残れば、死んでもすぐにやり直しさせられることがなんとなく分かったから。これが聖書のように1人の人生が800歳だの900歳だの長寿が当たり前だったら、もうとっくに、子どもの頃に死んでいたかも。
もちろん、幼い脳で考える幼い思考では、私の心に生まれた孤独感を説明できるハズもなく、またそれが何かも分からず、でも、この地球に生きるために自分に与えられた時間と空間があまりに大きすぎることに途方にくれ、うんざりもしていました。
自殺をした子ども達が全員同じだったことは100%ありませんし、中には本当に些細なことで死んでしまった子どももいるかもしれない。でも、子どもが自分の死を考えないってことは絶対にない。実際、白いカラスがここにいるんですから・・・。
この本、各章ごとに、共感したりなるほどと思うところがあり、各章ごとに語れそうですが、それはまたいずれ・・・。