イスラエル報告2 (イエスとマリアの関係生)
2015年 05月 16日
やはり3大宗教を生んだ土地。紛争の中心地ですが、聖地の中心地でもありました。
さて、
イスラエルの旅先で聴いた赤塚さんとバラさんの聖書講義を聴きながら、「やっぱりそうだよなー」と独りごちてたのが、前回に引き続き、聖書の『カナの結婚式』のこの場面。
3日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、イエスの母がそこにいた。 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。 ぶどう酒が切れたので、母はイエスに、「ぶどう酒がなくりました」と言った。 イエスは母に言われた、「婦人よ、それがわたしとあなたに何の関わりがあるのですか。わたしの時はまだ来ていません」。 母は召使いたちに言った、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」
イエスが母マリアに「婦人よ」と言った、その呼びかけ。古いユダヤでは母親をこのように呼ぶ風習があったのかどうか分かりませんが、一般的に読むと、息子が母親を「婦人よ」というのはかなり違和感があります。母マリアがそれに対し、召し使いに「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言っているのも唐突です。
しかし、イエスが救世主になるべく生まれ、そのため幼少からいわば英才教育を受け、母マリアもイエスを自分の息子としてではなく、救世主となるべき人物として接していたなら、この会話は全く違和感がありません。マリアがイエスに対し、尊敬と畏敬の念を持って接していたことも想像にかたくありません。
実際、エドガー・ケイシーによれば、ですが、イエスもマリアも、そのように生まれ育ったと述べています。それについては何度かメルマガで紹介したことがありますが、該当部分をメルマガ340号から抜粋すると・・・
心なクリスチャンの方でも、イエスの処女降誕はおとぎ話であり、イエスは普通の子供として生まれ育ち、教育も受けられず、そして、伝道を始めるまでは、ユダヤの単なる大工だった、と言われる方がいらっしゃいます。
ですが、ケイシーはそうは述べていません。
それどころか、イエス・キリストをこの世に迎え入れるために、人間サイドは何百年もの間、自らの肉体と精神と魂とを浄め、救世主を受け入れる準備をしたとケイシーは述べています。
ユダヤの原始キリスト教のグループ、エッセネ派のメンバーは、何百年もの間、いつの日にか自分たちのグループから「イエス・キリスト」となるべき人物が生まれることを信じ、それに値する聖なる場を作るために、一生を尽くして自分の肉体の浄化と霊的向上を目指していました。
そのためにイエスを誕生させることができる経路(母胎)になれるほどの清らさを持った女性を、まず育てようとします。
ケイシーリーディングによれば、後に聖母マリアと呼ばれるようになった女性が、その母親の候補となったのはまだ4才のとき。そして他の少女とともに特別な養育を受け、さらにイエスの母なるべく選ばれたときには、まだ12~13才だったそうです。
※ちなみにイエスご自身も、救世主となるべく、幼少の頃から専門の養育係がつき、霊的な学びのために、遠く、ペルシャ、エジプト、インドに留学して最高の教育を受けたとケイシーは述べています。
ですから聖母マリアもイエスも、エッセネ派の人たちに守られ、幼少の頃から自分の役割を認識しつつ、大切に大切に育てられた人だったのです。
普通の子供として育ったイエスが30歳になったとき、突然、神の啓示を受け伝道を始めた、というストーリーよりは、人間サイドが何世代にもわたって神の子を受け入れる準備をし、ようやくその場が地球に整えられ彼は生まれた、という方が私は美しく好きです。
神の側と人間の側が力をあわせイエスを地球に送り出した・・・。イエスの魂も、それまで何度も地球に転生することによって地球上で肉体を持って生きる価値や意味、人間の弱さ、強さを経験してきた。その結実としてのイエスが2000年前、イスラエルに誕生してきた。
その恩恵を2000年経っても私達はまだ受け続けている・・・。
このカナの結婚式の情景については、ケイシーが詳しく述べている1つ。とても美しい情景で、その時の様子が目に浮かびそうなくらい詳細のものなので、いつかメルマガで紹介できたらなと思っています。
ちなみに、最後の晩餐の情景はこちら
ケイシー流の聖書解釈に興味を持った方は音声だけですが、創世記から黙示録まで全33回の聖書講座のパッケージがあります。
間近では、今月31日の黙示録講座はオススメです。過去3回開催して、なお聴きたい黙示録講座ですから。。。