ぼくのイニシエーション体験

『ぼくのイニシエーション体験』という本。もう何年も前に購入したままずっと本棚に積ん読してましたが、先週、なぜか急に本棚のこの本が気になり、それも、不思議のいなくんが読むといい気がして、彼に手渡す前にと、ダッシュで読了。

こんな本です。
『西アフリカの村から4歳の時にフランス宣教師に連れ去られ、西洋人としての教育を受けた著者が、部族社会の成人儀式(イニシエーション)での霊的世界体験を中心に、先祖の知恵を獲得するまでを語る』


著者が育ったアフリカのダガラの村。
人々は目に見える現実世界とは別の世界があることを当然のように受け入れており、図鑑や生物学の本に載っているような動植物以外の全く違う精霊や霊、妖怪たちが気がつけばすぐそばに生きていて、それらが自分たちの人生の節目節目に関わってくる・・・。そんな世界観のなかで暮らしています(「います」と書きましたが、これは「いました」と書いたほうが正確かもしれません。ダカラの村では、かつて行われていた超常的な儀式は時代とともに出来る人がいなくなり、人々の暮らしも感覚も、西洋化して変わってきたそうですから・・・)

そのダカラの村の生活について著者はこう書き記しています。
ダガラの人々の間では、超自然現象といった言葉がない。それに類する一番近い意味の言葉は「イェルボングラ」(原注:人間の知識が食べることのできないもの)になる。この言葉は、生命や絶対的な力というものは、すべてのものをカテゴリーに当てはめようとする知恵を、超越したところにあると示唆している。

西洋文化では、一般に精神世界と物質世界の間には明白な境界線が引かれ、区別されている。しかしダガラでは、両者に明白な境界線はなく、超自然現象というのは日常生活の一部になっている。部族では、あらゆるものに精霊が宿り、日々の暮らしの中でも何かの形で霊たちと関わって人々は暮らしている。部族のものにとっては、日常生活は、高次元で霊たちと交流する儀式や祈祷から、一時的に休みをとっているだけの時間だと解釈される。精霊と交信するというのは、興奮状態が続き、ひどく疲労するため、休息が必要なのだ。


最近私は友人と、私たちがいかに自分たちの感覚を「閉じている」か。自分たちがこの物質社会の中で、表面的に何ごともないように振る舞いながら生きていけるよう、あるいは自分自身を何かから護るために、ずっと目覚めさせないよう「閉じた感覚」があることを話していました。宇宙や自然の法則を感じる感覚、異界のモノたちと交流する能力もその1つかもしれません。

「誰1人として同じ中心をもたない。たとえ家族でも、先祖でもみな、自分だけの中心がある、それは1人1人が円そのものであり、円がなければ中心はありえないからじゃ。また中心がなければ円もない」

「中心が見つかれば、すべてのものが東西南北を象徴する4つの部分に分かれる。日が沈む西にあたる部分『水』は霊魂や肉体に安らぎをもたらし、それぞれの内面と外側の隔たりを埋める働きを象徴する。それは日の沈む方向には生命の源、水の神様がおられ、わしらののどを潤してくれるからな。逆に日の昇る方向には『火』の神様がおられる。火の神様は人々にやる気を起こさせ、あらゆる感情を生むエネルギーになる。これがなければ人は何ものをも愛したり、恨んだりすることができなくなる。『火』は大いなる力であり、人の内面にも外面にも向けられる。外にむければ人と人とがつながり合え、この世の使命を遂行していく原動力ともなろう。これが内に向けられると、霊的な力を引きだしてくれ、1人1人が互いに求め合い、家族や共同体としてまとまりをもとうとする。・・・・」



アフリカの子どもたちを西洋化するために、また、キリスト教の世界観を押しつけるためにダカラの子ども達は組織的に誘拐され、強制的に寄宿舎に送り込まれます。15年ほど経った頃、その学校をから脱走し、かつて自分が暮らしてきた村に戻ってきた著者は、長老の命令により、先祖が持っていた智慧や感覚を自分の中に取り戻すだめ、1ヶ月近いイニシエーションを受けることになります。

昔、ドキュメンタリーで、蔓に足を結んで高い塔から飛び降りる(バンジージャンプの元となった)、性器を錆びたナイフで傷つける、といったことを成人儀式にしている部族の映像を見たことがあります。が、著者が経験した成人儀式はそれらとは一線を画します。完全に個人的な内的世界への旅であり、向こう側の世界に繋がっている扉を開けるために儀式のようでした。

どの儀式も、言葉で説明しきれないものを言葉という限定された枠内で説明しなければならず、おそらく私達には想像もできないことがイニシエーション中に起こっていたのだと思います。

著者が、森にあった1本の木を何時間も見続けることによって、その木の中に木以外のものを見いだす、という課題の描写はとても美しかったので、その部分をご紹介させていただきます(村の青年は、1ヶ月もの間に、いくつもの危険な儀式を経験しますが、この儀式は、いわば現実界と異界の間の「あわい」に入り込む感じなのかなーと思います)。

著者は、イェラという木の前で、緑色の女性と出会い、その圧倒的な愛の感覚に感動します・・・。

僕はこんなにも底知れない愛を感じたことはかつてなかった。この世に誕生して以来、彼女を探し続け、やっと出逢えたという喜びで胸が一杯になっていた。ずっと以前にも彼女に会っているはずで、それがいつ、どこで、どんな出会いだったか憶えていないが、妙な懐かしさがこみあげてきた。人をこんなにも愛おしく思えるなんて、僕には初めての経験だった。それは恋人同士のロマンチックな愛でも、親子の情愛でもない。すべてを超越した愛だった。長い間離れていた分の、その空白を埋めんとし走り寄り、互いを求めて強く抱擁しあった。

僕の体中の細胞という細胞が一個の意識体となり、彼女が自分の内にあるという実感を味わっていた。細胞たちは僕が彼女と結ばれるのを長く待ち望んでいたのだった。それは互いの1つ1つの細胞にも必要なことで、もし2人の細胞同士が結びつかなければ生きていけないかのように互いに求めあい、出会うべくして出会ったという感じだった。2人の細胞は宇宙のかなたまで流され、互いに絡み合いながら無数の螺旋となって戻ってきた。それはまるで時間を溯り、異次元空間を前進しているような感覚だった。


私達は、脳や精神や心を介して世の中を見ていますが、それらを介すことなく、全く違う体感覚を目覚めさせることではじめて繋がれる世界や触れあえる何かがあるのではないか・・・? そんな世界を知ることなく生きている私達のほうが、実は損をして「遅れている」のではないか・・・?

そんなことを思いながら読んでいました。
同じ地球に生きているなら、「あわい」や「異界」も旅しながら地球滞在を楽しみたいです。


追伸:ひたすら美しい世界の少数民族の写真。彼らを「遅れている」と、どうして云えるのでしょう?


by hiroshimapop | 2015-04-21 08:50 | おススメBOOKS | Comments(0)

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