クンダリーニ覚醒と黙示録解読
2015年 03月 11日
で、最近読んだランディさんの仏教にまつわる対談集『仏教のコスモロジーを探して』が、かなり面白い!
対談相手となった方々、トランスパーソナル心理学の大家、吉福伸逸氏以外は誰も知らず読み始めましたが、どの対談もさすがにランディさんが「この人と」と選ばれただけあって、私には何がなんだか状態が続きながらも、ひたすら「へ~」「へ~」と仏教探索が続いています。
皆さんが繰り出す言葉の数々、目と頭では追うことができても、腹に落ちるほどの体験も思索もないので、残念ながら、この本を読んでも相変わらず私は仏教については何も語れず・・・ではありますが、仏教書はとっつきにくくても、対談なので、軽く読み流しながらも、なかなかハードに心に突き刺さったりしています。
合計7名の方との対談。どれも興味深い内容ですが、「おー、ここはケイシーリーディングで読み解く黙示録と同じ感じ!」と思った部分をご紹介。
瞑想によってクンダリーニエネルギーが上がってくる、というその部分について語られています。語っているのは、現在、平塚のお寺で住職をされている久保田尭隆氏。
久保田: 瞑想をやりはじめたら、たしかに妙なことがいっぱい起きるんですよ。たぶん一般の人が私の真似をしても、そんなにすぐ妙な体験はできなかったと思うけど、さすがにある程度のレベルにいってたんでしょう。
(中略)
久保田:瞑想していると、ぽわーんと玉が出てきたりする。それが三原色というのか知りませんが、赤と黄色と青でしたか、それに移り変わっていくんですよ。(中略) 時計みたいに回って、だんだん色が変わっていくんですよ。「あ、出てきた出てきた」なんてやっていって、楽しくもあったんです。そんな玉の色を見て喜んでいたレベルでしたけど、オウムの教えの中で最も大切だとされるのがクンダリーニというエネルギーでしたからね。人間の中に眠っているクンダリーニエネルギーを覚醒することがオウム真理教の第一段階の修行だってあって、まさかそんなものがあるとは知らないけど、やっていたんですよ。そしたらやっぱりお尻が熱くなって、すごい熱が体中に。
田口:尾てい骨からエネルギーが解放されてしまったんですね。
久保田:そうです。あれはやった人にしかわからないですよ。
田口:お尻が焦げるっていいますもんね。火傷するとか。
久保田:すごいです。「なんとなく暖かくなった」じゃないですよ。とにかく「ものすごい」と考えて下さい。それがものすごい勢いで脊髄に上がっていくんですよ。
田口:ぐるぐる、とぐろを巻くようにして。
久保田:そう、すーっと上がりはしないんです。苦しいぐらいね。中には死ぬ人もいるっていう話ですよ。
田口:はい、心臓発作で亡くなったりとかもあります。
久保田:頭から尾てい骨の間に節(自分の感覚です)があるんですよ。何とかチャクラって名前がついているけど、特急が駅に停まるみたいにね、停まる。そこが節なんですよ。すっと行く節とそこから上に行かない節があるんです。だいたい喉にあるチャクラは10人のうち9人がいちばんの難関です。ここから上に上がらないんですよ。そうなると、体中にものすごい熱が発散するんですよ。そういう話、あんまり法華経とか仏教に関係ないけどね。
私が実際に体験して思ったのは、結局、オウム真理教というのはある意味ではまったくの空言ではなく、これを現実に体験した人がもう「これは真理だ」って思ってしまうのもわからなくはないな、ということです。ただ本(『目からウロコの法華経講話』第4巻)にも書いたように、私はやっぱりどこか醒めているところがあるから、ああいうものを体験しても、麻原彰晃的な発想にいかなかったんです。「これは絶対に宗教の世界じゃない。これは肉体の生理現象だ」と思った。それが私の分かれ目でした。
(中略)
久保田:本当に、妙なものを見てしまう。見るってことができるんですよね。不思議なもんですよ、目をつむっていても見えるんだから、驚きますよ、あの経験は。目をつむってて映像が見えたりすると、これはもう一般の人にはショックだし、「本物だ」ってなることはやむを得ない。何かの役に立てばと思い、そういうこともちょっと本には書いております。それに、私は三界云々とかヨーガとかいう不思議現象は宗教の世界ではなくて、むしろ医学者とか科学者とか、とくに脳や神経を研究する人に追求してほしいという思いがある。それも書きました。
必ず、今から何百年かたつと黙っていてもはしかにかかるように、クンダリーニというのが身体の中で動きだす経験をする子どもたちがポツポツ、出てくるはず。そのときのためにも、今のうちにきちんとした形で、科学者の方が、オウムなどとはまったく別の視点で、「これは人間が進化していこうとしている現象である」とかね、検証してほしい。人間がいちばん進化しているのは、脳と神経ですからね。
じゃあ人間が進化して脳と神経がどう形にいくのか、それはわからないから誰も語らないでしょう。だからいいチャンスだと思うんですよ。クンダリーニとか、ものが見えるとか、あれはどう考えたって神経と脳の巻き起こす現象ですよ。
~引用おわり。下線は私がつけています~
ここの部分がなぜ、ケイシー流の黙示録解読に近いかというと、ケイシーは、ヨハネの黙示録は解剖図を横に置きながら読み解くと理解できる、と言っているんですよね。最初の7つの教会は7つのチャクラに対応しているのはすぐにイメージできるでしょうから、なおさら、少なくともケイシーを学び、ケイシーを通して霊的探求をしていこうとしている人は、黙示録を意味不明の謎の預言書にしておくのはとてももったいない。
ちゃんと読み解いていけば、ヨハネの黙示録は、霊的な道を歩み始めた人の心と身体と魂に次々と起こる変化や葛藤が書かれている、いわば霊的な指南書、霊的ガイドブックになっていくんです。
*偶像崇拝について
*黙示録第9章
ケイシーが解読したようなことが果たして自分の内に身体に起きるのか否か、医学や心理学の専門家が実際に体験、検証しながら書き残しておいてほしい。キリスト教の教典や宗教書として扱うのではなく、人の身体に現実に起こりうる医学的、心理学現象として。そうすれば、それは次の世代の新しい黙示録になり得るかもしれない。実際、久保田さんが言われているように、これから先、霊的に進化した子ども達の心と身体には普通に起こることかもしれないんですから・・・。
もちろん、その中にはクンダリーニの覚醒もあるでしょうし・・・。
私達、人間の心と身体と魂に隠されている秘密のスイッチはまだまだありそう。そして、単に、寝て起きてゴハン食べて仕事してテレビみて・・・の生活では、そんなスイッチを自分が持っていることさえ気づかず、何も知らず一生を終えてしまう。すでに知って生まれてきている子ども達もたくさん出現し始めていますけど、私は、かなり頑張らないと、そのスイッチのありかすら分かりそうもない。
まずはまた黙示録に戻ってリ・スタートかな。
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