モーゼの子孫の墓・・・?(九州、夢の不思議旅その2)
2014年 10月 12日
紀元前、アッシリア帝国に滅ぼされたユダヤの失われた10支族は、イスラエルの地を追われた後、東へ東へと進み、中国、韓国を経由し、最終的に日本に辿り着いたのではないかと言われています。
この手のお話はネットでもいろんなページがありますので、興味のある人はそちらを探索していただくとして・・・・(例えば、天皇家と失われた10支族)
実は、先日、Nさんが案内して下さった不思議な場所の1つが、『モーゼの子孫の墓』。
九州に、神武以前の神話の神々の古墳がしっかり残っていることにも驚きですが、こちらは旧約聖書に登場するあのモーゼですよ、モーゼ!
石川県には『モーゼの墓』だと伝わる場所がありますが、こちらの古墳は、Nさんの夢によるとモーゼの子どもか孫の墓らしい。。。
夢がNさんに伝えた、その場所を突き止めるキーワードは、『日本語には聞こえない地名』。
それが何処だったか、ここで公表していいのかどうか分からないので今は伏せておきますが、確かに漢字で書かれてた地名なのに、読み方は、完全に外国語。
きっとこの地方には、ユダヤとの繋がりを感じさせる伝承が残っているに違いないと私は推測しているわけですが、その裏付けの1つになりそうなのが、九州に残るカッパ伝説。
カッパ伝説が九州発祥だなんて、実はさっきまで知らなかったんですが、なんでも熊本の八代が日本におけるカッパ発祥の地らしい・・・(こちらのブログ参照)。
上記のブログにはカッパ伝説にまつわる仮説が様々書かれていますが、Nさんのお話はちょっと違います・・・。
曰く、このあたりには、昔、伽耶(韓国)の地から大勢の人が移住してきて、その人々は何故か頭にお皿を乗せて頭頂を平らにする風習があった。伽耶の人が頭にお皿を乗せているのをみた日本の人々は、彼らを「カヤッパ、カヤッパ」とはやし立てた。そのカヤッパがいつしか、カッパという言葉にあり、想像上の生き物と共に民話が生まれた・・・・。
ん?? 伽耶の人が頭の上にお皿を乗せていた・・・? これってまるでユダヤのキッパじゃないですか。海外を歩くと、ときどき、頭に小さな帽子を乗せている男性をみかけますが、あれはキッパと呼ばれています。
伽耶の人が頭の上にキッパを乗せていた、となると、日本に大挙してやってきた伽耶の人達は、ユダヤ系だった可能性、高くないでしょうか?
このサイトには、こう書かれてあります・・・。
~以下引用~
3世紀末、都の再建築を夢見たイスラエル系の渡来人は、応神天皇をリーダーとして、新天地である東の島々に王が住まわれる都を造営するために民が決起するべきことを公言したのです。その号令と共に、各地に居住していたイスラエル系の人々は、ヘブライ語で「神の民」を意味する「ヤマト」政権の誕生を祝して、各地からこぞって貢ぎ物を持参し、今日の奈良界隈に居を構えた天皇を訪ねてきたことでしょう。無論このニュースは、大陸側でも特に朝鮮半島に在住する同胞に伝わり、中でも有力なユダ族を主体とする秦氏は、イスラエル系民族の移住を朝鮮半島から加速させる原動力となりました。応神天皇の時代に、大勢の秦氏が朝鮮半島から渡来してきたことは、日本書紀等古文書に記載されている通りです。
当時、朝鮮半島の南には新羅、百済、伽耶の3つの国がありましたが、中でも日本に渡る通過拠点となったのが、半島の最南端に突如として現れた伽耶と呼ばれる小国家群です。(以下略)
Nさんの夢の中でも、応神天皇は渡来人でした。ついでに、応神天皇が桃太郎伝説のモデルでもあるらしい・・・。
それはさておき、伽耶という言葉が、ヘブライ語の「命と希望」を意味する言葉カヤが語源であると、上記のサイトにはあります。この時代、多くの伽耶の人が日本に移り住み、そして、その伽耶の人は頭にキッパを乗せていた人々だった可能性があるとなると、伽耶の人=ユダヤ系と考えても、そう荒唐無稽な話ではないでしょう。
となると、モーゼ本人がどこで亡くなったかは別として、子孫が日本で暮らしていた可能性もゼロではない・・・。
うーむ、タイムトラベルして訪れたい場所と時代が次々生まれる・・・。
Nさんは、夢で何度も指示を受け、この大きな木の前で、数回にわたり、浄化の祈りを捧げたそうです。普通は1~2回でOKが出るところ、何度も何度もここに行かされたんだとか。そして最後に必要だったのは『あわのうた』
ちなみに、この木はこんもりと小さな丘のように土盛りしてあるところに植わっています。古墳なんだと思われます。 モーゼの子孫の墓が九州にあるってことは、モーゼのDNA、もしかしたら日本人の中にしっかと受け継がれているかもしれませんねぇ・・・。
*疑問が1つ。ユダヤ人としてのアイデンティティを子孫に伝えるためにユダヤ教とその風習をずっと伝え続けてきたのがユダヤ系の人であるなら、日本でユダヤ教徒が残らなかったのはなぜなんでしょう?日本の宗教の中に融合して形を変えてしまったから・・・?