奈良、明日香村巡り
2014年 06月 27日
翌朝向かったのは明日香村。
先日お会いした山田バウさんから受けたバウさん最後のプロジェクトは、明日香村をもっと多くの日本人に知ってもらいたい、ということ。なので、急遽、バウさんの愛弟子でもある吉澤武彦さんと雨の明日香村へ行ってきました・・・。
*吉澤さんは、3.11のあと石巻に移り住み、日本カーシェアリング協会を立ち上げ、石巻の人たちの生活を支えるお仕事をしています。
まず向かったのは益田の磐船。いつ、何のために作られたのか全く不明。学校の裏山にあるんですが、これがなんとも山に対して中途半端な位置にあります。宗教的な儀式を行うものだったのなら、もっと山頂に配置しそうなものです。
松本清張はこの磐船はゾロアスターの火の儀式に使ったものではないかと推測し、小説にしました。私は縄文、弥生の流れとは全く違った優れた文明がかつて日本にあり、その巨石をアンテナのように使い、世界中の人が交信していた説をとりたいです・・・。
カメの甲羅みたいじゃないですか?岩を平らにするために切れ込みが入れた、という説もありますが
一方の壁面は『これから彫るところ』のようにも見えます
追記:その後、つらつら思うに、「この磐船は亀を模したもので、亀の甲羅の中に水を入れて儀式を行った説」をたてます。明日香村には亀と亀の中に水を流す遺跡がほかにもありますよね。亀の背中に水を入れて儀式をしたのであろうと推測します。玄武は亀と蛇との組み合わせ。ということで、亀と蛇+水+巫女の組み合わせで龍が立つとか、何かが起こったのでは・・?
こちらはお馴染みの石舞台。蘇我馬子の古墳の土盛りが盗掘によって取り去られ、中の岩だけが残った、という説が有力のようです・・・。
これが墓墳の内部ならば、かなりの財宝が納められていたのではないでしょうか?
大化の改新(中大兄皇子が蘇我入鹿を暗殺した)が起きたところ
駆け足で廻った明日香村ですが、小山の上にある公園に登ってみれば、歴史や古文に疎い私でさえ、記憶にある山々や地名がずらり。そして明日香村は、石でできた建造物が至るところに。 その姿はなんともユニークでウイットがありました。
明日香村は飛鳥時代の中心地。白村江の戦いや壬申の乱、額田王や草壁皇子などなど、ちょっと記憶をたどればポロポロと教科書で習った人の名前や事件の名前が出てきます。そんな歴史を追って歩くもよし、万葉集の和歌を追って歩くもよし、あるいは点在する天皇陵を訪ね歩くもよし・・・。小さな町ですが、テーマによっていろんな歩き方ができる場所です。
お時間があるときは是非明日香路へ。
私は遅くに横浜を出たので、奈良泊にしましたが、もう少し早くでれば、飛鳥や橿原神宮前で宿泊もできます。
★吉澤さんとコラボで、秋に明日香村の不思議企画を実施するかもしれません。決まったら、またご報告させていただきます。
明日香を勉強するスタート地点として、里中満智子さんの『天上の虹』を読み始めました。
・・・しかし当時の政治の中枢にいた人はいったい何人を妻を持ったのか、わけわからん状態です。兄の娘を姉妹で娶る、兄弟で妻をゆずる、各地の権力者の娘を娶るで、上下関係、人間関係が錯綜&混乱ちゅう。。。さらに身内での暗殺もあり・・・・。歌人の額田王も最初は弟の妻だったのを、後年、兄の中大兄皇子の妻になったのでした。