天国は、ほんとうにある
2014年 05月 26日
ということで、昨日読み終えたお勧め本を1冊ご紹介。実話です。
『天国は、ほんとうにある―天国へ旅して帰ってきた小さな男の子の驚くべき物語
〜虫垂炎の手術で生死の境をさまよった4歳のコルトンは、奇跡の退院のあと、両親に驚くべきことを話し出した。手術中に天国へ行き、神、イエス、天使、虹の馬、そしてサタンに会ったこと。牧師をしている父は、戸惑いながらも、一心にコルトンの話に耳を傾けるうち、その天国の描写が、聖書のそれとあまりにも一致していることに気がつく。幼い少年の口から紡ぎだされる天国の話に、大人たちは学び、やがて、癒されていく〜。
息子コルトンが穿孔虫垂炎で生死をさまよい緊急手術を受けているとき、父親は小さな部屋で神に祈り、同時に何故幼い息子がこのような目に遭わなければならないのかと神に怒りをぶつけていました。それは本人しか知らないことだったのですが、コルトンはあるときこんなことを両親に言います。
「ぼくがイエスと一緒にいたときさ、パパは祈ってて、ママは電話をしてたでしょ」「ぼく、体から出てね、下をみたらね、先生がぼくの体をみてたの。ママとパパもいたよ。パパは、ひとりぼっちでちっちゃい部屋にいて、祈ってた。ママはね、ちがう部屋でね、祈ってね、電話してた」
その後、彼は手術のさいちゅう、自分は天国でイエスやヨハネと会っていたと家族に話し始めます。本にはコルトンが語った興味深いイエスやヨハネの出会いや天国の様子がいくつも書かれています。
ここのところ私はメルマガやブログで祈りについて書いていることもあり、祈りについてコルトンが述べたあたりの部分をご紹介・・・。
「パパ、ぼくがさぁ、病院で、起きて、パパってさけんだの、おぼえてる?」(中略)
「あのね、ぼくがさけんだのはね、イエスが、ぼくを、連れてきたからだよ。イエスはね、パパの祈りにこたえてるから、ぼくは、もどらないとだめって言ったの。でね、ぼく、パパってさけんだんだよ」
急に、自分の膝が震えるのを感じる。フラッシュバックする。ひとりぼっちの祈り。神への激高。小さな待合室の中の、密かな、そして絶望的な、私の、祈り。(中略)
それで、イエスは、私の祈りに応えた? 直接、私の祈りに? 神に向かってわめき散らし、神を非難し、神の知恵と誠実さを失った私に? なぜ、神があんな祈りに応えたんだろう? なんだって、その慈悲に値したんだろう?
牧師でもある父トッドは、自分の祈りが聞き届けられ、イエスによって息子が助かったと聞き、うろたえます。彼が怒りを爆発させようとも罵倒しようとも、イエスは息子を腕に抱き、そして生死の境から甦らせてくれたのです。
私が学んできたことは、いったいなんだったのだろう? 私は同僚の牧師たちにそう話した。神は、神とほんとうに繋がることは可能だと、思い出させてくれたのだ。私は学んだ。祈りを天国に届けるためには、いわゆる教会的な、神聖に響く祈りなんて、ほんとうはいらないのだと。「みなさんも、神に、自分の気持ちを伝えようとするでしょう」と私。「でも、神はもうそれを知っているのです」
なによりも大切なのは、聞かれていると悟ったことだ。私たちは、全員、聞かれている。
両親は息子コルトンにイエスの容姿を聞きだそうとします。古今東西の画家が描いたイエスの絵を見せますが、コルトンはそのたびに「ここが違う、あそこが違う」とダメだしを続けます。ついにコルトンが「合っている」と言った絵が出てきました。アキアナという少女が描いたイエスがそれです。

イスラエルでガイドをしている榊原さんは、常々イエスは体格がいいハズだ。決してひ弱な身体ではないと言っていましたが、この絵をみると、確かにそうです。厚い胸と胸元からは胸毛も見えています・・・。そして多くの絵に描かれているよりも髪が短くカットされています。コルトンとアキアナによると、イエスはとにかく美しい目をされているそうです。
アキアナのインタビュー
そしてこの驚くべきストーリーは映画にもなり、現在アメリカで上映中。日本での上映も楽しみ。
『天国は、本当にある』