サイコマンテウム
2014年 03月 11日
この本はムーディ博士の自伝であり現時点での博士の臨死体験に関する集大成といったところ。私は博士の本は邦訳されたものは全部読んでいますが、まさか、世界的に有名な精神科医がプライベートでは多くの問題を抱えており、その問題を抱えながらも、対象者一人一人の死にまつわる体験を聞き、時間をかけて寄り添い、本を書き、そして講演活動をしていたとは夢にも思いませんでした。
長く父親との確執があったこと、自殺未遂を犯したこと、甲状腺機能低下症で長く苦しんでいたこと、金銭的な困窮状態に陥っていたことなどが、赤裸々にこの本で語られています。
400ページ以上の本なので、詳しくは実際に本を読んでいただくとして、今回ご紹介したいのは、博士が再現した『サイコマンテウム(サイコマンテム)』(死者に会うための鏡の部屋)について。
なぜなら、ムーディ博士のところではないですが、私もアメリカでこのサイコマンテウムを体験したことがあるので。
サイコマンテウムの構造はとてもシンプル。薄暗くセッティングした部屋に鏡と椅子が置いてあるだけ。古くギリシャ時代からこういった部屋は存在していたそうですが、死者の魂と交流したいと思う人は、この部屋に入り、鏡をじっと見つめ、死者に思いをはせれば、亡き魂が鏡を通じて会いに来てくれるのだそうです。
ただ、その部屋に入る前の前段階がとても重要で、ムーディ博士は自然豊かな田舎にこの部屋を作り、朝から夕方まで被験者と共に過ごし、そしてようやく夕暮れの時間になって被験者はサイコマンテウムの部屋に入ることを許されています。
私がサンフランシスコ郊外にあったトランスパーソナル専門の学校でこのサイコマンテウムに入ったときは、直前まで普通に過ごし、簡単にこの部屋での過ごし方を聞いただけで、しかも作られていたのはビルの一室。死者の魂に会うための特別な演出も事前の心の準備もなく、何より、鏡の前で過ごしている時にも隣の部屋や廊下から人々の話し声や活動音が聞こえているという環境。
1時間ほどその暗い部屋に置かれた鏡の前に座っていましたが、残念ながら亡き家族に会うことは叶いませんでした。1回だけ、電気がチラチラしたような感じはありましたが(電気はついていない暗い部屋だったのに)、あの時、誰とも会えなかったのは無理もなかったとこの本を読んで、ようやく理解するに至りました。
あのビルの一室にあったものと、ムーディ博士が設えたサイコマンテウムとでは、そもそも環境が全く違ってましたから。
また、ムーディ博士は被験者が故人に会えるための演出にかなりの時間を割いています。被験者と一緒に田舎の風景の中を歩き、一緒にランチを食べ、亡き家族や会いたいと願う故人や持参したもらった形見の品について語ってもらい、あるいは横になって音楽を聴いてもらい、亡き人が訪れやすい夕暮れという時間が来るのを一緒に待つんですから・・・。なんと1日がかり!
その時間あってのサイコマンテウムだったんですね。
そういう演出がしっかりなされていたためか、博士とともにこのサイコマンタウムを体験した被験者の多くが、亡き人と再会したり、語り合ったり抱きあったり、あるいは自分が鏡の中に入って彼方の世界に行く、という驚くべき体験をしています(最初実験をした10名のうち5名が亡き魂との再会を果たした)。
博士はこう書いています。
亡き愛する者を見、その人に会って話ができることは、恐怖の体験ではない。むしろ、それは愛する者が今安らかで、幸福な状態に共にいるという感覚を与えてくれる。希望を与えるプラスの体験なのだ。
亡き愛する人と出会った体験は、死への恐怖を打ち消すうえで重要な一要素となっている。私は「生者と死者の中間領域」での出会いを演出できたという喜びにふるえた。そこでの出会いは人生を変えてしまうほどの力がある。
亡き人に会うのは意外に簡単なことだと博士は書いています。死と生の垣根がこんな簡単な施工で越えられるんですから。ということは「鏡」は使いようによっては黄泉の世界との入口になりやすい、というわけでもありますね。
部屋に鏡があちこちに置いてある人はご用心あれ。夜中にその鏡から霊が抜け出しているかもよ。
同じくムーディ博士の本、この本も面白い。