磐長姫(八ヶ岳)と木花咲耶姫(富士山)
2013年 11月 08日
磐長姫といえば富士山に祀られている木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)のお姉さん。容姿が醜かったために、ニニギに結婚を断られてしまった女神様です。
民話では、むかし、富士山と八ヶ岳が高さ比べをしたところ富士山が負けてしまい、悔しさのあまり富士山が八ヶ岳のてっぺんをたたき、それがためにその高い山は八つに割れてしまった(8つに割れたので八ヶ岳といわれるようになった)とされています。ということは、磐長姫にしてみれば、妹だけがニニギに嫁ぎ、さらに山を8つに割られてしまったってことになります・・・。
でも、磐長姫が祀られている権現岳(八ヶ岳)も高い山ですから、山頂に立つと、眼下には雲海が広がり、八ヶ岳の山頂と富士山しか見えないことがあるらしい・・・。そうすると、雲の上では木花咲耶姫と磐長姫の姉妹が静かに向かい合ってる形になるんですよね~。ずっと姉妹げんかが継続中なのか、それとも時にはお喋りに花を咲かせているのか・・・・。
今年、伊勢の神々と出雲の神々の融合をはかるためのご神事がひらかれましたが、富士山と八ヶ岳の大融合(磐長姫と木花咲耶姫の本気の仲直り)もそろそろあってもいい頃。
そんなことを思いながら、泰平さんのブログを読んでいたんですが、実は1年前、あるご縁で、表には出てこない日本の神話に詳しい方にインタビューをする機会をいただいたのを思い出しました。残念ながら、インタビュー全文はお出しできないのですが、磐長姫についてのお話もありましたので、その部分のみ紹介させていただきます。
*ただし、その方(Tさん)のお話は、古事記に出てくる神話とは全く違っています。ホントかホントじゃないのかは神のみぞ知る。信じるか信じないかはおまかせします。
下記の話題の前には、私は、イザナギ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神様であるヒルコが何故不具の身体に生まれたのかを聞いています。その話のあとに磐長姫の以下のお話が続きます・・・。
Tさん)
・・・・一部、そのような意図が混入して大事な神ほど見えなくされているんです。例えば岩長姫という神様は、美人の妹の木花咲耶姫(コノハナサクヤ姫)は娶られたけど、岩長姫は醜いと書いてありますね。でも醜いというのは「見えにくい→見にくい」なんです。見えにくい奥の働きの神だったのが醜いという文字に変えられてしまった非常に気の毒な女神様なんです。
光田)
では、記述が少なければ少ないほど、実は重要な神かもしれない、というヒントになるんですね。
Tさん)
天照大御神様がこの地球を託した神がこの岩長姫なんです。日本神道の最高神である天照大御神様が太陽である高天原からこの地球を誰に託すかを見たとき、指名されたのが岩長姫だったんです。地球のトップの神様なんです。
光田)
岩長姫は神社の御祭神として祀られてあまり見ない気がするんですが・・・。
Tさん)
地球すべてが岩長姫の身体なのです。岩長姫様は大救世主の神様なんですね。縦筋で天照大御神様は法則神です。この神様だけが働いたら地球は7割のマイナスのカルマと3割のプラスのカルマで、差引したらマイナスの方が大きくなって滅亡してしまいますね。でも「ちょっと待って下さい。この子らを助けて下さい」と地球を救う側、救世主の側のトップにいる神様が岩長姫なんです。岩長姫の別名が九州の神社で伝わっており、苔むす姫といいます。つまり「君が代」は岩長姫の神託を讃える歌なんです。大事な神様がこのように封印されているんですよ。
光田)
たとえ霊的に封印されていても、時が満ちれば、ある条件が揃えばその封印が解けるというようにはなっていないんですか?
Tさん)
出さないといけないんです。岩長姫は国常立命の后なんです。でも国常立命様は雄神なので国常立命が国の主軸で立つと地球は恒久平和の土地にならないので、天照大御神様は国常立命ではなく、その后である岩長姫を主軸にし、国常立命をサポートにまわしたわけです。エリザベス女王とエジンバラ公みたいなものです。この2000年間の魚座の時代は男性原理に偏っていましたよね。でもそれをアクエリアスの時代で中和化するためには女神を主軸にする必要があるんです。
光田)
それが岩長姫なんですね。これからは瀬織津姫の時代ではないかと思っていたんですが、瀬織津姫ではないんですね。
Tさん)
瀬織津姫様は、瀬織津姫様で重要なお働きをされます、これからの時代。ただ地球の最高責任者は岩長姫様なんです。
光田)
岩長姫の妹の木花咲耶姫は浅間神社の御祭神としてあちこちに祀られていますが、岩長姫の場合、そういった神社はあまりありませんよね。
Tさん)
あることはあります。霊主体従という言葉がありますね。霊や心、魂を大事にして身体がそれに従うというのが理想なんですが、魚座の時代は体主霊従でした。金銀財宝、物質をたくさん持っているほうが偉いという価値観。この体主霊従の体の側が木花咲耶姫、霊の側が岩長姫です。でも魂や心って見えないじゃないですか。だから見えにくいんですよ。その見えにくいが醜いとなり古事記に伝わった。(引用終わり)
霊主体従の女神が磐長姫。その磐長姫が権現岳(八ヶ岳)の頂上に祀られている。実際、八ヶ岳に集まってきている人って、霊主体住の生き方を求めている人が多い気がします。そして、体主霊従の体の側が木花咲耶姫で、物質的な豊かさを求めていった時代の象徴が富士山。
これまでは、日本人の意識が物質的な豊かさ(木花咲耶姫/富士山)に集まりがちでしたが、これからは見えない世界、霊的な生き方を主軸にした生活(磐長姫/八ヶ岳)に意識が移っていく人が増えていく時なのかも。
八ヶ岳はその中心地(メッカ)になるような予感が・・・。