懐かしい高円寺南
2013年 09月 20日
高円寺駅に降りるのは、いったい何年ぶりでしょう?
高円寺のマンションの一室で、テンプルを始めたのは、1996年の6月。それまでの数年間、ケイシーセンターと、少々の通販の仕事をしながら、横浜でのんきに暮らしていたら、一緒に住んでいた兄が急に結婚することになり、ある意味、自分の意志というより、止むにやまれず独立することになったのでした。
当時のことを、ケイシーセンターの会報に私はこう書いています。
・・・その後、不安定だったセンターの活動が軌道に乗りはじめ、センターからのお給料はほとんど無くても、兄のうちに居候して生活の不安もないし、まぁ、このまま楽に生きていくのも悪くない、と思い始めた頃、突然兄が結婚することになりました。私は突如として、経済的に独立せざるを得なくなってしまったわけです。センターの仕事を誰かに引き継いで広島に戻るか、東京で仕事を探すか、何か自分で仕事をするか。当時、両親は私が広島に戻ることを期待したでしょうが、私のほうは、突然「ケイシー療法を広めるオフィスを持つ」ことをヒラメイテしまい、それからバタバタとオフィス兼住居を借り、オフィスの名称もテンプル・ビューティフルに決め、あっという間に自営業者になってしまいました。
「誰かケイシー療法のお店を日本で開いてくれないかなぁ」と思いながら、自分がその誰かになればいいんだと、ようやく気がついたわけです・・・・。
このビルの家賃24万円もするので、通常、家賃の支払い能力があるかどうか、この人は信頼できるか、など事前に不動産会社では審査をします。ところが私はその直前まで、世間の方々がいただくような給料で仕事をしておらず、当然、貯金もゼロ。年金も健康保険も税金も払ってない。しかも不動産会社から提出するように言われた必要書類には「納税証明書」などというものもある。
困った、納税してないから、当然証明書なんて無い!って思っていたところ、たまたまその時、兄の結婚式とケイシーセンターのツアーでハワイとバージニアビーチに行く予定が。
納税証明書の提出もしてなかったの、不動産会社に「しらばく海外に行きます」・・・と連絡を入れたことがよかったのか、帰国したら入居がOKになってました。『海外に仕事に行くくらいだからちゃんとしている人でしょう』と、いいふうに誤解されたのかも・・・? ともかくも、そんな感じで、新居も無事決まり、テンプルはスタートできたのでした。
そうそう、この物件に決めたのは、不動産探しをしているときに夢をみたから。案内されたら、夢にみたと同じ間取りの物件だったので、お金もないのに、ここだなと即決。テンプルを始めてしばらくは、夢に出てきたと同じような部屋の使い方もしていたので、あれは、ある意味予言的な夢でした(でも夢のお告げはあっても、毎月の家賃の支払いはとっても大変!)。
このビルの8Fでテンプルは始まりました

当然、テンプルを始めた当初は、通販の注文もなく、注文が無いから段ボールもあまり必要なく、近所で見つけた梱包材料屋さんに行っては、段ボールを10枚単位くらいで購入していました。そのうち、自分では運べなくなって配達に来てもらうようになり、奥沢に引っ越したあとは、テンプル仕様の社名入りの段ボールを作ってもらうようになり・・・と、このお店のおばちゃんたちには、テンプルの成長をそのまま見ていただいていました。
私より一回りも年上のおばちゃんたちですが、ホントに働き者。お店に直接買いに行っているときも、電話で段ボールを注文するときにも、ちょっとしたお喋りを楽しみにしていたんですが・・・。
諸行無常。でも、やっぱり、このお店の閉店はちょっと寂しいです。
17年前と変わらず働き者のお二人。お世話になりました。

テンプルをスタートした頃のエピソードはこちらから