身体の不思議(野口晴哉先生の本から)
2013年 09月 14日
三枝龍生先生が、かつて野口整体を学んでいる人達は、野口先生がされていることを理解したくてケイシーを勉強した、とおっしゃっていましたが、まさに、ですね。知ればしるほど野口先生の偉大さと、人間の肉体が持っている潜在的な力と神秘に圧倒されます。
不思議満載の野口晴哉先生自身が不思議だと思われていたエピソードがこれ。
『野生の哲学』永沢哲著 205頁より
私が今でも不思議だと思うのは、安岡章太郎さんがむち打ちになったのです。彼はカリエスのあとがあって、仰向けに寝られなかったのです。それがタクシーに乗ると追突される。東京だけでなくて、名古屋に行ってもやられ、大坂へ行ってもやられ、アメリカでもやられました。みんなタクシーなのです。しかし1回やられるごとに背中の盛り上がりが低くなって、1昨年からはすっかり背中が伸びて、伸びたらもう追突されないのです。追突されたのも不思議だし、追突されなくなったのも不思議です。それに快復の要求があって、それを治そうとして追突されそうな車を選んで乗ったのだろうとか・・・。(以下略)
(以下著者の解説)これは、私たちの常識を強烈に逆撫でするような言葉だ。この作家はカリエスのあとがあって、あおむけになることができなかった。そのため、背中のゆがみが修正されるまで、7回もタクシーで追突事故に遭い続けなければならなかった。彼が自分で運転していたわけではない。だが彼にとっては追突事故に遭うことが必要だった。その結果、彼が乗ったタクシーは7回も連続して追突事故を起こしつづけたのである・・・。(中略)
これは晴哉が言うとおり、なんとも不思議な論理だ。彼は病気を例にとって、こんなふうに言っている。扁桃腺にバイ菌がつくと「自然に」扁桃腺は腫れ、高い熱が出る。そのはたらきを押さえることなく、鈍らせることなく、生体に内臓されている「自然のリズム」に沿って生きていけばいい。(中略)
ところが野口晴哉の考えによれば、「自然のリズム」はそれだけではない。自分の「外」のもののようにあらわれてくるもの、たとえば「事故」も同じなのである。(中略) 「外部」の出来事もまた「裡なる自然の波」のリズミカルな律動に沿ってあらわれてくるのであって、「内」と「外」を2つに切り離すことはできない。・・・以下略
乗ったタクシーが7回連続で追突事故を起こす確率って、どれくらいなのでしょう? というより、背中の盛り上がりを治すため、安岡さんが乗った車は事故が必要なくなるまで100%事故を起こす運命にあったわけですね。考えても考えても、不思議です・・・。
次は、その野口先生の最後の直弟子、天谷保子さんが書かれた『ありのままがいちばん。』
天谷さんは子供の頃から左足が動かず、他にも様々な不調や痛みとともに生きてきたそうなのですが、野口先生に整体を受けるようになって10年後、こう言われたそうです。「あなたはずいぶん小さいときに、自分が貫こうと思ったことを強引にやめさせられた経験があるはずです」と。
実際、親に確認したところ、幼い頃、左足が動かなくなる直前、そのようなことがあったらしいのです。
人は一心にやろうと思っていたことを強引に遮断されたときに、ショック状態に陥り、からだがかたまってしまいます。そうなると、からだの動きは滞り、いろんな不具合を起こしてしまうのです。
からだの不調とはそうした積み上げられたがれきの重なりのようなものです。がんなどの深刻な病気も突然かかるわけでなく、小さな疲れや偏りの積み重ねでなってしまうもの。整体とは、そうした重なりを1つひとつ上から取り除いていく作業です。
子供に限らず、意欲を持ってやり遂げようとしたことを中断させられたことが、身体に大きな障害として残ってしまうなんて・・・。このような心と身体の繋がりがもっと分かっていれば、もっと違った対処も出来たでしょうに・・・。それにしても、天谷さんの幼い頃の出来事を見抜いた野口先生もやはり凄い方です。

本から得たものですが、野口整体の知識があったお蔭で
キネシオロジーの概念がとても受け入れ易い自分がいます。