Fukushima から16km (その2)
2013年 04月 25日
福島駅で友人にピックアップしてもらい。車を走らせること約2時間。途中、飯舘村も通過しました。
飯舘村は確か全村避難になっているんですよね。山間の道を通ったんですが、出逢う車や人は、除染作業の方ばかり(といっても、特に重装備ということもなく、作業着に帽子という軽装でした)。途中、掲示されていた放射能の数値は1.25(車の中の私たちのカウンターは、0.94)。例年だったら春のポカポカ陽気のもと、農作業に勤しむ人の姿があるんでしょうが、そんな人の姿はなく、目の前に広がっているのは、ひたすら静かで美しい里山の景色。
目には見えないけど、数字だけがここがどういう場所かを示している。まるでSF映画のワンシーンの中に迷い込んでしまった気分でした。
南相馬に入ったあたりで、私は自分の腕や手の甲がチリチリチクチクするのを感じました。いくつもの極細の針先で触られているといった感じでしょうか(貧血で倒れる直前、全身がチリチリする体感を持った経験があれば、あの体感にも似ています。ただし貧血前は全身に感じますが、このときは腕や手の甲だけだった気がします)。
実は私が車内でチリチリを感じていたあたりは、避難地区ではありませんでした。車外に目をやれば、普段どおりの人々の暮らしがあり、店は営業し、車が行き交い人も歩いていました。途中何カ所か「売り地」の看板があったので、「ここに引っ越してきたいと考える人はそういないじゃないの?」と聞いたところ、意外にも避難した人が戻ってきつつあるとかで、空き家やアパートを探すのが大変なんだとか。
元に住んでいたところにはまだ戻れなくても、できるだけ自宅の近くに・・・という思いなのでしょうか。
そのチリチリ感を何故そこで感じたのかは分かりません。福島市内とそのエリアとは数値的にはそれほど変わらなかったのと、飯舘村を通過した時には特に感じませんでしたから。同乗の友人たちは何も感じなかったようです。
11時頃に小高地区の同慶寺さんに到着。ホントは朝9時~11時まで実施されているお寺の掃除に参加する予定だったのに、到着したときにはすでに掃除は終わり、檀家の皆さん、お茶を飲みながらすっかり寛いでいらっしゃいました。
こういうとき、出ますね。必ず甘いものが・・・。遠方からご参加の皆さん、手土産はやはりお菓子。石巻の友人たちも地元のお菓子をおみやげに持参してました。
私も日本人の習慣として、手みやげは迷いました。が、放射能で被災している人に甘いものや加工品は出来るだけ口にしてほしくないという思いもあり、何も持参しませんでした。もう少し早めに行くことを決めていれば、無農薬野菜とか別のものも準備できたんですが、それはちょっと残念でした。
横浜では、砂糖や小麦製品を食べない食生活を続けているものの、旅先で「どうぞ、どうぞ」と何度も勧められると、やはり断れませんね。せっかくどなたかが持ってきて皆さん召し上がっているのに、突然あらわれた私がその雰囲気に水を差すようなことは出来ず、美味しくいただきました。大きなどら焼き。
ただ、避難されている方々が日常的に何を召し上がっているのか、調味料や生活用品はどんなものを選ばれているのかは仕事柄、やはり気になりました。
この日の夕方、あるお宅にお邪魔させていただいたんですが、お茶と一緒に大きな大福を出して下さいました。しばらく手をつけないでいたんですが、よく考えたら、私たちが食べないと、ここの方々が一両日うちに食べてしまいます。それだったら、甘い大福も私のお腹に入れた方がマシです。ですから、こちらもしっかり頂きました!
・・・普段全く甘いものを食べないのに、1日のうちにどらやきと大福(しかもどちらも大きい!)を食べたのはかなりのインパクトでした。直後から熱が出て、いつもだったら数時間で下がるのに、翌日の夜まで下がりませんでしたから。
テンプルでも何度か開催した血液観察会で、砂糖漬けでベタベタになっている血液を何度も見ています(というより、そうじゃない人のほうが珍しいほど、今の血液は砂糖や脂漬けです・・・)。砂糖や動物性の脂だけでなく、普通に生活しているだけで、食事や皮膚、呼吸を通じて様々な化学物質が体内に入ってしまいます。
血液観察をしてくださっている阿部さんは「今は健康オタクでいるくらいがちょうどいい」と何度か言われていましたが、特に東日本で暮らす人々は環境からも精神的にもダメージを受けやすくなっているので、せめて自分でコントロール可能な部分だけでも気をつけて、身体がダメージを受け取れる緩衝部分、余白の部分をできるだけ大きくしておく努力をされたほうがいいのでは・・・?またそういう情報が必要なのでは?と感じました。
→甘いモノ好きの人の赤血球はこんな感じ
訪ねていく人たちも、手みやげを持参するなら、賞味期限が2ヶ月も3ヶ月もあるような駅で1000円位で売っているお菓子を選ぶんじゃなくて、食べた方が元気になるようなものを選ばれたらどうでしょう? 食べ物はやはり粗末にはできませんから、頂いたものは「もったいない」と、誰かが食べてしまいます。でも、私はあの時にお会いした住職さんや仮設で暮らす皆さんの血液が砂糖漬けになってしまうのは本当に心配です。
夜、福島駅に送ってもらう前、私たちは夕食のためにファミレスに入りました。友人たちが真っ先にしたことは手洗いとうがい。原発から20㎞未満の避難地区に行ったことを私はすっかり忘れていましたが、友人たち曰く、あそこに行くと、毎回喉がいがらっぽくなったり舌先が痛くなると。今回は私が持参したミネラルサプリメントを事前に2倍の量飲んでもらったので、有り難いことにその体感は感じず済んだそうです。放射能の数値が明らかに高い場所に行くんですから、それなりの手当は必須ですね。
*なぜミネラルの摂取が大切か、どんなミネラルが必要かは元素記号表の縦列をじっくり眺めて見て下さい。たとえばセシウムに構成が良くにているカリウムを十分な量摂取しておくと、身体にカリウムは十分足りているので、セシウムは吸収されにくくなります(カリウムが足りない状態だと、身体はカリウムの代わりにセシウムを吸収してしまう)。
自宅に戻って私がまずしたことは、着ていたものを全部洗濯機に放り込んで洗ったこと。お風呂に入ったこと。
自宅に戻ったのが真夜中の1時半すぎだったので(うっかり東海道線の中で爆睡して戸塚まで行ってしまい、タクシーで自宅で帰るハメに・・・)、洗腸はしないかわりにスイマグを飲んで寝ました。
翌朝からリンゴペクチンのサプリメントと、解毒を高めるハーブ飲料、ミネラルサプリメントを数日間多めに飲み、洗腸は2日続けて行いました。翌朝喉のイガイガ感があったので、出社前にうがいをしようとイソジンを買って会社に行ったんですが、サプリを飲んだら楽になったので、結局イソジンは未開封。
水曜日に整体に行ったので、筋肉反射でチェックしたもらったところ、出たキーワードは活性酸素。体内で活性酸素が大量に発生し、疲れやすくなっていると。そういえば放射能の影響の1つが活性酸素でした。
いま日本では様々なことが、経済を優先して決められています。避難地区からほんの5分ほど車で走ったあたりでコンビニを見つけたときには心底驚きました。人が住んではいけないとされた、ほんのすぐ横にはいつもの日常があるんですから・・・。テレビで見る限りチェルノブイリはもっと厳格に避難地区が指定され、人が住めない地域ももっと広域で健康チェックもされていたように思ったんですが、日本のこの緊張感の無さ、ゆるゆる感は何なんでしょう?
たった1日、しかも日帰りで行っただけで、東北のことを書くなんて、本当におこがましいこと。ここに書いたのは私個人の体感と感想なので、これだけで何かを判断したり、そうなんだと思いこまないよう、よろしくお願いします。
訪れた日はポカポカとよい天気。近くにはこんな堂々とした桜の木がありました。
春まっさかり
お寺は檀家さんのおかげですみずみまで掃き清められていました
人間、生きていれば様々な他の生き物を殺すことになる(虫を踏んだり、魚や肉を食べたりも含め)。その全ての命を供養するためのものだそう。
当日お会いした小高地区の住職さんとオープンジャパンのお二人