Fukushima から16km (その1)
2013年 04月 23日
北関東に行くのさえ、かなり迷ようくせに、初めて行った福島が危険区域。横浜で、のほほんと暮らしている私が1日だけ危険区域に入ったからといって、その体験を書いていいものかどうかかなり迷いました。今もどこまで書いていいか迷っています。
南相馬でお会いした皆さん、豊かな自然に抱かれ、淡々と脈々と生きていらしたのに、あのような形で故郷を追われてしまった。それなのに、誰に恨みをいうわけでもなく、狭い仮設で家に戻れる日を心待ちにして日々を生きていらっしゃる・・・。その方々を傷つけてしまうことは避けたいのです・・・。
先週、緊張して福島駅を下りたのに、駅前は、なんとものんびりとした雰囲気に包まれてました。マスクをしていたのは私ともう一人の男性だけ。制服を着た高校生が自転車で学校への道を急いでいました。若い女性も携帯電話で話しながら通り過ぎていきました。
でも、そののどかな雰囲気とは裏腹に、福島駅を出てすぐに計った線量は低いとはいえないものでした。急に決まった福島行きでしたが、前日、当日とミネラルを多めに飲み、できるだけ体内に放射性物質を吸収しないよう準備をしていきました。自宅に戻ったら今度は排泄に努めました。
たった1日の滞在のために私は出来る手当はしていきましたが、原発にそう遠くない地域で今も暮らされている方々が、どこまでご自分の身体を守る情報とすべをお持ちなのか、ちょっと心配です。
先週末千葉に行きましたが、地元産の椎茸とタケノコが売店で売られていました。同じ頃、千葉のタケノコからセシウムが検出されたというニュースがあったんですが・・・。
まだ、どう書こうか迷っています。なので先週のことはあらためて書くことにして、その代わり小高地区でお会いした住職さんが福井の方に書かれたメッセージを貼り付けさせていただきます。
当日の福島市内の線量

少し山の中に入ったときの線量

メッセージ 福井県にある原発を止めよう
福島県南相馬市から丸岡町へ避難
小高山 同慶寺 住職 田中徳雲
みなさま、ありがとうございます。
震災後の2年間でおそらく100回以上、福島=福井を往復してきました。
戻ってくるたび思います、平和な日常が残っている福井は幸せです。
福島では心を鎮めるために深呼吸しても、それすら安心してできない現実があります。大地で食べ物を作っても安心して食べられないのです。
テレビや新聞だけが情報源となっている方は、復興も進んでいると思っているかも知れませんが、実際は「やっているふり」のような地に足がついていない感じがしますし、放射線量ではなく20㎞、30㎞、それ以外という距離による線引きのため、地元ではわだかまりが生まれ、人の心が荒んできています。嘘だと思うなら福島に来てみてください。一週間も住んでみれば、よく分かります。
問題は複雑です。例えば①被曝による健康への影響と、②避難による社会生活上の影響ないしこれによる様々な弊害という、両立し得ない価値の二者択一の中で、当事者はどう行動するべきかという問題があります。そして、この①②のどちらかを選択させられるという事態そのものをどう評価するべきかという問題も前提にあるでしょう。さらに、どちらか一方を選ぶと他方の影響を受けることになる以上、その影響(被害)を補填する手当がなければ行動できないという問題もあります。そもそも、選択を迫られるにしては、判断の前提になる情報が不十分だということもあります。
私が母子を福井に避難させてきたのは子供たちを放射能被曝から守りたかった、ただそれだけです。しかし、それもとっくに限界でした。「放射能の前に、避難のストレスで病気になってしまう」と妻を泣かせてしまいました。
今日の放射線防護の基準とは、核・原子力開発のために被曝を強制する側が、それを強制させられる側に、被曝がやむを得ないもので、我慢して受忍すべきものとして思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準であり、原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政的手段であります。国際原子力機関(IAEA)や、国際放射線防護委員会(ICRP)も、各産業保護のために立ち上げられた組織であり、第三者的または公平な学術機関というわけではありません。現段階では、世界保健機構(WHO)でさえもIAEAの統制の下にあります。
原発の問題にかかわるすべてのみなさん、本当のことが知りたければ、福島に足を運んでください。百聞は一見にしかず。地元の人の話を聞いて、自分の目で見て、自分で考えて、そして行動してください。国会だって福島でやるべきです。たまに来てちょっと視察したぐらいで何が分かりますか?24時間、四十六時中住むというのは、そう簡単にはいかないのです。
長期に及ぶ避難は、避難する方も、残る方も、共に大変です。自分を正当化していくと対立が生まれてしまいます。ですが子供たちの未来のために本当に大事なことは、立場の違いや、考え方の違いを乗り越えて、許し合い、認め合い一枚岩になることだと思います。人として、親として、いかに生きるか?いかに在るべきか?だと思うのです。それが今、問われていると思っています。
お陰様でとてもよくしていただきましたが、この春、私達は福島に戻ります。妻の実家のいわき市へ。私はいわき市からお寺のある南相馬市に通います。
かけがえのない「今」を家族みんなで暮らすために。
(毎日、最も近くで原発から2㎞の所を通って。車の中でも30μsv/hです。)
思い起こせば十数年前、福島、宮城県沖で20年以内にM(マグニチュード)8以上の地震が起きる可能性は98%と言われていました。
地震は必ず起きると言われてきたのです。
そして私は、いのちを蝕む原子力発電に対し「人間が作ったものに絶対安全なんていうことはない」と東電に抗議してきました。
にもかかわらずこの有様です…。
原発事故は私たちの生活を根底から強制的に変えました。
福井でも必ず地震は起きます。
福島から学びましょう。
お役に立てるのであれば、何処へでも何度でも足を運びます。
これからも力を合わせましょう。
私たちは一つです。
感謝 合掌

今なお、福島で人が住んでる(特に子供!が)
ということが信じられません。
何をおいても、子供を、命を守ってほしい。
そう願っています。

メディアは、きれいごとしか流しません。
原発に対する危機感を持っている人は、あまりいないようにも感じます。
みつださんが福島に足を運び、見て感じた事を是非伺いたいです。