フィンドホーン:25年前の冒険旅行
2013年 01月 26日
ということは、フィンドホーンはちょうど私と同い年。
私が彼の地を訪ねたのは1988年6月初め(誕生日前)でしたから、25才のときだったんですね。
あらためて思い返してみると、フィンドホーンへの旅ははじめての冒険旅行でした。
なんせ、フィンドホーンがどこにあるのか、住所も電話番号も知らないまま、その場所を目指したわけですから。
1988年の6月、私はロンドンを一人で旅してました。
ところが、その年のロンドンの6月はコートが必要なくらい肌寒く、おまけに、何度も迷子になる、顔中に吹き出物が出る、まともな会話は出来ない等々で、ロンドンという街から早々に逃げ出したくなり、そうだ、フィンドホーンまで行ってみよう!と、スコットランドに向かう列車に乗ったのでした。
フィンドホーンについて知ったのは、その前年、兄が翻訳した本から。その中に、北スコットランドに自然霊(精霊と言ったほうがいいかもしれない)に導かれてできた不思議な共同体があると書かれてあり、『自然霊の導きででできあがった共同体ってどんなところだろう?』と、印象深くその部分が記憶に残っていたんですね。
本棚にその本があったので、フィンドホーンが紹介されていた部分を抜き書きすると・・・
アクエリアン・ヴィジョン(ジョージ・トレベリアン卿1984年原著、1987年12月邦訳出版)
モーレイ湾を臨む北スコットランドのへんぴな田舎であるフィンドホーンにおいて、人間と見えない世界との協力という驚くべき実験が行われた。そこのニューエイジ共同体では、生命のあらゆる諸相が霊とその理想に仕えるために捧げられた。1962年、今でこそ高台で植物の生い茂るセンターとなっているが、そのセンターの創設者でありまた管理者であるピーター・キャディはハリエニシダと僅かな松しか育たない不毛で風の吹きすさぶ砂丘に移ってきた。彼と共に移ってきたのは高い霊的感覚を持つ彼の妻と、高く発達した霊聴能力を持つ一人の友人であった。
彼らの受けた”導き”によると、彼らは野菜を栽培するようにといわれた。このことは植物を育てるということにおよそ適していない土壌と、庭いじりの経験のない3人にとってムチャな企てであった。当惑しながらも、彼らはディヴァに心を向け、援助を請うた。その請願に対してドロシーはほとんど瞬間的とも言える速さでテレパシーによるはっきりとしたメッセージを受けた。与えられたアドバイスに従い、彼らは企てを進めた。3年後には、大きく鮮やかな色をした花の繁茂する庭園が生まれ、野菜は信じられないほど大きく成長し、大きく広い葉を生い茂らせた木や低木が育つようになった。
(中略)
フィンドホーンの体験が意味するところは甚大である。フィンドホーンの共同体へ向けてのディヴァからのメッセージのひとつに「ひとつの菜園が世界を救う」というものがある。自然霊の統一された意識の場は、人間のグループが彼ら自然霊と接触し、自然霊と協力しようとしていることをすぐに知った。反応はすぐに現れた。そしてフィンドホーンはそのような自然霊の協力があれば砂漠ですら花に溢れた園に変え、汚れた地球を浄化できることを示した。(以下略)
分かっていたのは、フィンドホーンという地名と、モーレイ湾の2つのキーワード。
ロンドンで地図を買って見てみると、モーレイ湾はインバネスの近く。だったら、まずはインバネスへ、ということで、ロンドンから1日かけて列車でインバネスに。その夜は『地球の歩き方』に出ていたB&B泊。宿の女主人にフィンドホーンのことを尋ねると「少し前にフィンドホーンを訪れたという旅行者がパンフレットを置いて帰ったから連絡先が分かるわ」ということで『ジャパニーズガールが一人そちらに行きたいと言っているんだけど』とオフィスに電話してもらい、翌日タクシーで無事現地へ。
ありがたいことに、たまたま同じ日程でNYから50代くらいの女性が1人でフィンドホーンを訪れており、彼女が何かと私の世話をやいてくれたおかげで、穏やかで静かな、そして充実した3日間を過ごしてロンドンに戻ったのでした。
残念ながら高校卒業後の写真をごっそり紛失してしまったので、旅行中の写真は1枚も無いんですが、当時のフィンドホーンはまだまだ小さなコミュニティ。食堂近くに円形のホールが建設中でした。買い物も、ささやかなお土産コーナーが受付の横にあった程度。特別なイベントがある時ではなかったこともあり、人も少なく、とても静かな場所だった記憶があります。長期滞在のためにキャンピングカー暮らしをしている方々もいました。
私が知っていた情報の全ては、上記に抜き書きした部分だけ。日本に帰ってもフィンドホーンの情報が入ってくることもなく、語り合う友もなく、しばらくするとすっかり忘却の彼方へ。
でも、その間に日本におけるフィンドホーンの知名度はグッとあがりました。これはもう寺山心一翁先生のご尽力ですね。フィンドホーンの本が翻訳されたり、日本語つきのツアーが組まれたり・・・。今では長期に滞在したり住んでしまった日本人もいらっしゃるとか(日本人は、訪れる人の多さで現在第3位になっているそうです)。
※フィンドホーンがどういう処なのかは、創立者アイリーンさんの自伝『フィンドホーンの花』をぜひお読み下さい。
昨日紹介された最新の写真や動画をみると、たくさんの家が建ち並んですっかり街ができあがり、世界中から人々が訪れる一大スピリチュアルコミュニティになっていました。もはや”へんぴな田舎”ではないです。下記にご紹介した動画で、アイリーンさんがフィンドホーンは、いずれ光の都市へ、とお話されてますが、まさに、光の都市になりつつあります。
大勢の人が暮らす都市という機能を持ちながらも同時に自然霊とともにある・・・。いいですね~。
私の友人も何年か前に体験プログラムに参加していました。フィンドホーンの木々は生々しい、自然の中に入ると、見えないけど確かに自然霊たちがいて、私たちの様子を見ているのを感じた、みたいなことを言っていました。
でも、日本もかつてはそんな国だったのかも。
山や川、自然全てに神を見るだけではなく、針供養とか人形供養とか、モノですら使い終われば、命宿るものとして供養してきた日本人ですから、全ての中に神をみるDNAを皆受け継いでいるはず。そんな思いで暮らしていけば、自宅が小さなフィンドホーンになっていくんじゃないかなぁ・・・。
コンクリートと電気製品に囲まれ、便利を追い求め、消費を美とする生活をしていると、なかなかそういう実感は湧きませんが。
下記は50周年記念を祝って日本の方が作られた動画。アイリーンさんのお話が心を打ちます。