中学校の同窓会でした・・・
2012年 07月 16日
今日は朝から夕方にかけ、県北であった中学校の同窓会に出席。夕方また広島市内に戻り、今度は帰広するたびに毎回集合している旧友たちとの夕食。
なんだか怒濤の1週間でありました~。
さて今日の同窓会。
私が生まれ育ったのは広島の県北。同級生も比較的地元に残っている人たちが多く、自分が育った家でそのまま暮らし、あるいは親のそばに住み・・・。子育てをし、親を看取り、自分の子供に孫が生まれ、家では、畑や田んぼで作物を育て・・・と、その話を聞いていると、みんな、いのちの循環の中で生きているんだなぁとしみじみ・・・・。
ここには人の暮らしの営み、人間がこの地球に出現してから延々に繰り返してきたヒトとしての営みがあるなぁと。
もちろん私も横浜で「生活」はしていますが、いのちの循環という視点からすると、野菜や果物は全てスーパーや通販で取り寄せているし、年取った両親の介護をするっていうことをしないまま親は亡くなり、子供もなく・・・。毎日仕事に追われ、コンクリートの建物の中で1日を過ごし、虹をみたり大空や夜空を見上げることもなく、あっという間に1日、1年が過ぎていく・・・。
極端にいうと、地球や自然から分断され、自分の中の神性に触れる瞬間を感じることもなく、単に慌ただしいだけで、だんだん感情がフラットになっていき、まるでロボットみたいになっているような・・・。
25年くらいまえ、海外に滞在中、たまたま日本語の貸本屋を見つけ、石牟礼道子さんの「苦海浄土」と林真理子さんの「南青山物語」を借りて、同時に読んだことが。
「苦海浄土」は水俣病で苦しむ、世間からみると貧しい暮らしをされてる漁師さんたちが登場し、「南青山物語」は題名のとおり、東京でもおしゃれでカッコイイ南青山に出没する、ファッショナブルな生活のいったんが書かれていたエッセイ。
でもこの2冊を同時に読むと、南青山で繰り広げられる最先端なおしゃれな暮らしが薄っぺらく、中身のないものに思え、反対に、水俣の貧しい漁村で、しかも水俣病の壮絶な苦しみの中で生きる方々の暮らしが、なんと神々しく感じられたことか。
野暮ったかったり、泥臭かったり・・・。
田舎の濃くてうわさ話好きの人間関係を疎ましく思う人も多いですが、中学、高校を卒業して、いまもなお強いボンドで結びついて、お互いを支え合っている同級生たちに会うと、なんだかちょっと羨ましかった同窓会でした・・・。