アンソニー・ロビンス2日目終了!
2011年 12月 11日
朝9時15分集合でしたから、1時間のランチブレーク(なんと!ランチタイムが始まったのは夜の9時!)をはさんで約16時間、ぶっ通しでアンソニーの話を聞いて、踊って、シャウトして、ワークして・・・。こんなに踊ってるのは人生初めてかもしれない・・・・。
エネルギーをUPさせたあとに人の話を聞いたほうがいい、ということで、1日何回ジャンプすることか。テンプルのセミナーでも、そのうち休憩時間はみんなでダンスするかも~!
さて、アンソニーのワークのことはちょっと脇に置いておいて・・・、
アメリカに来て日本人と海外の人はこれが違うなぁと思うことが1つ。
それはホテルの廊下やエレベーターで、見ず知らずの人とすれ違ったり乗り合わせたときの反応。
こっちの人はすれ違うとき、比較的ちゃんと目をみてる。「ハイ!」っていう時もあるし、無言で笑顔のときもあるけど、知らないフリで無言ですれ違うっていうのはあまりない気がする。特に今回、同じ目的で集まっているので、廊下では必ず笑顔になる。
でも日本だと、人とすれ違うときどうしたらいいかちょっと対応に困る。
特に知っている人、あるいはちょっとだけ知っている人と道ですれ違うとき、気がつかないフリをしたほうがいいのか、ずいぶん前から顔をみてアイコンタクトをしたほうがいいか悩むことも。
世田谷の奥沢にいるとき、近所に有名なケーキ屋さんがあって、テンプルでは手みやげやスタッフの誕生日のときなど、よくそのケーキ屋さんに買いに走ってました。だからそこのオーナーさんとはお店で何度も顔を合わせて顔見知りのハズなのに、そのオーナーさん、道ですれ違っても完全無視。最初「おはようございます」とか「こんにちは」と挨拶していたんだけど、挨拶しても顔を見てもらえないので、そのうち私も知らないフリをして、お互い全く目と目をみないまま通り過ぎてました。
顔見知りでもこうなんですから、知らない人とはまるでお互いが透明人間。
それは近所だけではなく、どこででも、人は多いけど、親しい人以外は全ての人が透明人間になってみたい。
日本でウツの人が増えるのも、ほんのちょっとした心のふれあい(人とすれ違ったときの笑顔とか、ちょっとした挨拶とか)が少ないからかなぁ・・・なんて、アメリカに来てあらためて思ったりしてました。
アメリカがよくて日本が悪いってことではないんだけど、たとえば、トイレや駅の切符売り場で並ぶとき、いつのまにか、各ボックスの前ではなくて入り口で行列するようになったり、エスカレーターでは急いでいる人のために1列に乗って、必ず右側(大阪は左側)の列を開けるようになったというふうに、公の場での不特定多数の人の風習が変わっていったように、近所の道や狭い場所で誰かとすれ違うとき、お互い笑顔ですれ違うようにしたら、ずいぶん人と人との緊張感も少なくなって、人間関係がもっとソフトになってくるじゃないかなぁ・・・。
田舎だと、みんながもっとお節介でお喋りだから、知らない人同士で会話がスタートすることもあるけど、都会は、いつのまにか私も透明人間になってしまうんですよねぇ。
・・・とここまで書いたら時計の針が真夜中の2時半を廻ってしまってました。
お風呂に入って洗濯して寝ます!
てんつくマンさんのfacebookには、日々の学びが更新される模様・・・。アンソニーのお話はこちらをご確認下さいませ。
今日のブログにでてたお店のオーナーさん、お店の人なのにそんな無愛想って、ちょっと考えにくいですよ。もしかすると、すごい近眼なのでは??(確かめようもないが)。私は近眼で知ってる人でもわからないことがあります。近所のここらへんならこの人がいるかも、という勘で遠くの人にはあいさつすることも・・。
人口の多い都会と田舎では、ちがうような感じもするのですが、どちらにしても透明人間はいややなあ
今日、市場に買い物に行った際、しらないご婦人が冷蔵庫の前で「ないな~、ないな~」となにか探してる様子。
わたしは、つい「え、なにが?」と小さな声で言ってしまったんですが、そのご婦人には、しっかり聞こえていて「いえね、麹が冷蔵庫にあるってレジの人に言われて探してるんやけど、探してもないんよ。もう売れたんかも」と。一緒にもう一度みても、麹はなくて。
レジの人にそのことを伝えると、ちがうとこから出してこられてました。
袖すりあうも多少の縁(使い方間違ってるかな?)が、どこにでも小さな花を咲かせるといいですね^^