私の内観体験ー2
2011年 08月 29日
内観では、自分が生まれたときから今まで(あるいは親の亡くなったときまで)の内観を数年ずつに区切り、その間、母親、父親別々に「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑や心配をかけたこと」を思い出していきます。
私は両親とすでに亡くなっていますので、それぞれの親が亡くなったときまでを内観していきました。
スタートは0~3才までの自分と母のこと。0~3才なんて記憶がスタートする以前。私の涙が出始めたのは、衝立の中に入って座ってまだ間もない時。ほとんど何も記憶をたどることさえ出来ていないうちに、何故か落ちる涙。頭の隅っこでは思ってました。「なんで涙が出てくるんだろう?」 でも出るものは仕方がない。涙が出るにまかせ、衝立の中でずっと泣いてました。
ちょうど、内観前日は母の七回忌の命日。タイミングよく(柴田先生からは、お母さんに呼ばれたのね、と言われてしまいましたが)、そんな時期に内観をしたので、もしかしたら、心の中に溜まっていた母への想いが一気にあふれ出てしまったのかもしれません。
ともかくも、私は1日目、3日目、5日目、6日目、7日目と何度も涙と鼻水でティッシュの山を作りました。
7日間で母の人生、父の人生、そしてその中にいる自分を小さい頃から順に思い出しつつ過ごしたわけですが、内観を通じて、両親をもう1回見送ったかのような思いが一番強く残りました。
私は18歳から家を出て母と一緒に暮らした時間は短かったんですが、母の最期の2年半はずっと一緒に過ごしていました。母が入院していない通院期間は私の狭いマンションで母娘の二人暮らし。その間、叔母や叔父たちもよく遊びに来たりして、まるで女子大生の下宿所のような日々。母が余命宣告をされたガン患者だったことを除けば、母娘の濃密な時間を過ごすことができました。
そんな2年半は私にとっては珠玉の時間、宝物。
私だけではなく、ガンが発見されて亡くなるまでの期間、それまでできなかった親孝行を兄妹3人それぞれがすることができ、母の最期を見送ったときは、みんな悔いもなかったと思います。
そして今回の内観。
いろんな年代のいろんな場面の母の姿を思い出し、時には対話し、どの人にとっても母親というのは特別な存在で偉大だと思いますが、私もあらためて母の偉大さを実感。そして心の中で送った母の最期。
変な言い方ですが、親を見送るという役目を無事終えて「スッキリ!」とした爽快感さえ感じたほどです。
父は・・・?
こういうとき、父について同じことが言えないのが、まぁ、私の父でもあるんですが、単純でワガママで短気な人でしたが、正直で一所懸命な父だったと思います。
死んだら消滅すると思っていた自分がちっとも消滅しないので、アレレ?と思っているんではないでしょうか。今回、父も母と一緒にもう一度、見送ったので、いい加減、諦めて魂の世界に行ってくれていればいいなと思います。
私が内観に感じていた一番の抵抗感というのは、1時間半ごとに報告をするというものでした。が、話したからといってそれを評価されたり、アドバイスされたりするわけでもなく、ただ淡々と話し、柴田先生もただ淡々と聞く、という感じでした。「話すことは手放す」ことなんだそうで、私が何を手放したのかは今は分かりませんが、あのアッサリ感は意外な感じでした。
内観を知って受けるまでに、実に私は20年もかかってしまいましたが、私にとっては今が一番最適だったかも。もちろん両親ともが生きているうちに受けて、感謝の言葉を直接言えたらなお良かったんでしょうが、亡くなっているからこそできた対話もあった気がします。
今回内観のご指導をいただいた米子のなごみの里の柴田さんは、死に逝く方々を抱きしめて見送る、という活動を長くされていらっしゃいます。ご本人も10数回、内観を受けられたそうですが、内観をすることによって、相手の気持ちにすぐになることができる、たとえ相手が寝たきりで会話ができなくても、昏睡状態でも相手の気持ちにすぐに同調したり推し量れるようになるとおっしゃっていました。
内観体験は、本当にパーソナルなものなので、きっと受けられた人100人いたら、100人とも違った体験をされると思います。この夏、急に思い立って受けた内観ですが、自分の人生のふり返りやリセットにもなった気がします。
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