私の内観体験ー1
2011年 08月 28日
忘れないうちに内観体験を。
畳半畳ほどのスペースで過ごしたのは7日間。しかも考え続けるテーマは父と母。
私に振り分けられた日程は、父1日半で残りはずっと母。(母3日間で父1日半。そしてまた母の内観を最初から。最初の予定では父は2日間だったので、父は母の半分しかないんですか?父はそれほどの存在なんですか?などと指導してくださった柴田先生に疑問を呈したのにさらに半日短縮!可哀想な父・・・)
終わってみれば7日間の内観はあっという間。
1日中瞑想をしようとすると、湧き上がる雑念の嵐に自己嫌悪に陥るところですが、今回はずっと頭で考えていいお題目があるので、瞑想よりも時間のたつのは早い気がしました。今年の2月、10日間の瞑想合宿に参加して、朝4時半から夜8時半頃まで、ずっと瞑想三昧だったあの日々を思えば、7日間の半畳引きこもり生活も大変ではなかったです。
では、なぜ今回、内観に参加したかというと・・・。
まず内観について初めて聞いたのは遠い遠い昔。たぶん20年くらい前。そのときの率直な感想は「私には無理。ありえない。絶対ヤダ!」
次に知ったのは神渡良平先生の本を通じて。神渡先生はご自身が受けられた内観のことを何度かご著書で紹介されていて、素晴らしい体験をした、と書かれていました。あらためてネットで内観について調べたものの、やはり1週間もの間、衝立で仕切られた部屋の隅っこに座り、親から受けた恩について考え続け、さらにそれを毎時間、報告するなんて、私には無理!って思いました。
その時は両親とも生きていましたし、だいいち、私は両親のどちらともよい親子関係を築いているので必要ないなと。
そして3回目は2年ほど前。北海道からわざわざ島根県の柴田久美子先生の内観を受けにいった知り合いと横浜で会うチャンスが。
彼女はちょうど内観を受けた帰ってきたばかりのところ。それが、まるで宙を歩くがごとくフワフワしている。内科医でもあるのに、とても医師の発言とは思えないほど「アッチにいっちゃってる」発言も飛び出し、内観を受けると、こんなにも世の中や人を見る目が変わるものかと強く印象づけられました。そして何度も彼女に「内観をぜひ1度受けなさい。人生観変わるから。それも柴田久美子先生から受けなさい」と念押しをされ・・・。
でも、このときもまだ「え~内観~? あの部屋の隅っこで親の恩をふり返って報告するものでしょう~?それも島根まで~?」とかなり抵抗感があり、内心「絶対ありえん」と思っておりました。
そしてこの夏。
米子に拠点を移したなごみの里から1通の封書が届きました。中には内観開催のお知らせが。
あ、これが彼女が言っていた柴田先生の内観のお知らせなのね、と目を通したとき、あれほど自分の中にあった強い抵抗感が全くないのに気がつきました。
「受けてみようかな」
なんだか急にその気になり、スケジュールを確認すると、いくつかすでに予定は入っていたもののどれも調整可能。それらを動かせば1週間まるまる米子まで出かけられそう。
ここでまたネットで内観なるものを調べたらきっとまた私の理性が働いて「やっぱり嫌だ」って思い出すかもしれないので、今回はまるで何も調べず申し込みをしたあとはひたすら仕事に没頭。飛行機の到着時刻の関係で前泊するホテルを取った以外は内観のことはすっかり頭の中から忘れるようにしてました。
そして内観当日。
柴田先生に「普通内観をすると3日目、5日目にはハンカチではタオルじゃないと間に合わないくらい涙が出てきます。それは内観を受けられた皆さんに普通に起こることなんで、とにかく涙がでたら我慢しないこと。泣きたいときにはしっかり泣いてください」とお話しが。
「そんなに泣くの期待されてたら困るなぁ、私、泣かないかもしれないのに~」なんてそのときは思ってましたが、3日目、5日目を待たず、初日、すでに私の目からは止めどもない涙が・・・。それも内観が始まってほんの10分もしないうちに。脱水するかと思いました。あまりの涙の量に。
(長くなりそうなので、明日につづく)
後ろの右隅にある、あの衝立の中で7日間を過ごしてました。