九州神社巡りの旅
2011年 04月 24日
幣立神社ー宇佐八幡ー高千穂神社ー青島神社を中心に、さらにいくつかの神社を巡って日本復興を祈願する旅。
ことの起こりは、3月はじめの山田バウさん、徳江さん、美内すずえ先生とのランチ会食から。
あまりに美内先生の神社の話が面白かったので、いちど美内先生と一緒に神社を巡る旅をしたいねぇと徳江さんと盛り上がったのが発端。超ご多忙の美内先生のスケジュールだけを抑えておいてもらい、場所はどこにしようと考えているうちに、なーんと、その日程中、美内先生ご夫妻が青島神社での結婚式に招待され、必然的に目的地は高千穂、青島あたりに決定、今回の旅となったのでした・・・。
ブログを書いたり仕事をしようと、パソコンは持っていったものの、朝から晩までずっと九州の山のなかを車でひた走る4日間。宿に戻れば、毎晩夜中の2時、3時まで話しが盛り上がり・・・で、パソコンに向かう時間は全く無し。向かっても思考能力ゼロだったし。
この4日間、あまりに濃い時間を過ごして帰ってきたので、私の記憶は濃厚ポタージュスープのよう。どんな具材が入ったのか文章にするには、しばし時間がかかりそうな感じです・・・。
今回の旅でラッキーだったのが、ドライバーとして同行下さったのが宮司の資格を持っている方だったこと。
特定の神社で神官をしているわけではないものの、いくつかの神社で祝詞をあげてくださり、その祝詞の素晴らしいこと、パワフルなこと。
私が唯一している贅沢は、神社でお神楽をあげていただくことなんですが、これまでいくつかの神社であげていただいた祝詞より遙かに力を感じました。
聞けばご自宅で毎朝、白い衣装に身をまとい特別な祝詞をあげていらっしゃるとのこと。祝詞の言葉が生きているんですね。
普段は、冗談連発の「おもろいおじさん」なのに、拝殿に向かったとたんの威厳と迫力。本気で魂の修行をされている方の神髄をみた気がします。
神社巡りの様子は、今回の旅をご一緒した阿部さんが逐一ブログにアップされているので、そっちに譲るとして、今日あった印象的な出来事をご紹介。
今日は午後一番で羽田に飛ぶので、廻ったのは青島神社と江田神社の2つだけ。
青島神社は昔から神域とされ、また以前は新婚旅行のメッカ。今日、美内先生が列席された結婚式もその青島神社で執り行われました。
とても素晴らしい神社で、多くの参拝者でにぎわっていましたが、残念だったのが、アチコチで見られる「神社の商売っ気」。本殿前に並ぶおみくじ、お守りの出店の数にまずは驚き、元宮の裏にできた「天の平瓮投げ」という占い場に唖然。
というのも、この元宮は古代から祭祀の場として使われてきた青島神社でも神域中の神域なのだそう。ところが、その裏手には、参拝者が自分の願いが叶うかどうかを200円で占える「占い場所」に。
神の依代となった御幣に向けて素焼きの皿を投げることで吉凶を占うというものなんですが、これって、よーく考えると、依代に降り立った神々に向け、皿をなげつけているようなもの。
4日間にわたって神の前にひれ伏すように祈り続けてきた私たちの目には、神に向かってモノを投げつけるなんてあってはならない光景。しかも、これを設置した張本人が「神社」という事実に、何がなんだか理解不能。
200円で買った素焼きを神に投げつけて占う内容なんて、たかだか知れてます。反対に真剣に吉凶を占いたい人は、神様にモノはなげつけないでしょう・・・。ところがここでは、まず賽銭箱にお金を投げ、さらに元宮で神の依代に皿をなげつけ・・・。
ちょっとしたことかもしれませんが、この聖なるものへの扱いの低さというものが、日本人の無意識に「お金さえ出せば何でもできる」「自然や神々をどう扱おうとその土地の持ち主の勝手」といったような思考に結びついていってしまうのではないでしょうかね。
反対に、そのあとで参拝させていただいた江田神社は、ただただ掃き清められた場があるだけ。「おみくじも何もない古い神社」。でもその場に立ったときの清々しさは、立派な社殿を持つ青島神社の比ではない。
2つの対極にあるような神社のあり方。これって、今の日本を暗示しているような。