かなりアホです。大阪に行ってきました。
2011年 03月 13日
昨日告知した豊中市民会館での「今、僕たちにできること」の集会に行ってきました。
夕べ、出演者の1人でもあった山田バウさんと電話で話しをしているさいちゅうに「私も行こう」と決めました。
阪神大震災のあと、7年間も神戸に踏みとどまって、震災後に発生した様々な問題や、人々のケアに奔走された張本人の話をじっくり聞きたいと思ったから。
でも今朝、起きてみて、現実に大阪に行くか行かないか、しばし逡巡しました。
行くべきか行かざるべきか・・・。
こんな時期ですから、様々なイベントや講演会が中止になっているなか、主催者でも講演者でもない、いち参加者である私が、わざわざ新幹線代を使って大阪まで行く意味あるのかな、バウさんのお話だったら電話でも聞けるんだし・・・というのが1つ。これからの1週間はかなり仕事が詰まっていて、残業続きになることが予想されるので、多少なりとも身体を休めておきたい、というのが1つ。そしてなにより、東海地域を通るので、もし東海地域に地震が起こったら、当分帰られなくなる可能性もある、誰が考えても今はどこにも行かないほうがいい、というのが最大に躊躇してしまった理由でした。
天秤ばかりで量ったら、行く理由より、行かないほうがいい理由のほうが大きく重い。
でも、ここで行ってしまうのが私なんだな~。大阪にいて動けなくなったら、広島までなんとか行ければ、しばらく滞在するのはなんとかなりそうだし・・・。
自分でもアホかと思いつつ、支度をして新横浜駅に行きました。
でも、そうはいっても支度をしながらさらに悩みました。
当分帰れなくなる可能性を考え、着替えを持って行ったほうがいいか、猫たちの世話のために誰が来てもいいように部屋を片づけておいたほうがいいか、連絡ツールとしてパソコンを持参したほうがいいか・・・。
でもこちらも、結局は猫のゴハンを少し多めに入れたほかは、あえて使ったコップを洗わないまま流しに残し、1冊本を持っただけで、何も持たず手ぶらで行くことにしました。
帰れないことを前提に支度をしたら、それが現実になりそうで・・・・。
横浜に何がなんでも帰らなくっちゃ、という気持ちを残して出かけたのが、私のささやかなおまじないです。
大阪は、新幹線を降りてすぐに分かりました。東京や横浜でこの2日間感じてきた緊迫感、逼迫感はまるでない。空も青く澄み渡り、街はいつも通りの日常風景。のどかな空気感。
でも、それはそうだと思います。NYの9.11のとき、私はたまたまバージニア・ビーチにいたんですが、ツインタワーが崩落した同じ頃、NYから離れたところでは、普段通りの日常が続いていました。テレビさえ見なければ、なーんも変わらぬ、平安な世界が広がっているわけですから。
豊中の集会は、大ホールが一番後ろまで埋まるほどの大盛況。
急遽決まったイベントなのに、よくここまで人が集まったと思います。夕べ、このブログを見て知ったと、旅の仲間が2人参加してくださってました。東京のビジネス系のセミナーで知り合った大阪の男性ともバッタリ会場で会い、彼が言うには「知っている人が数名いた」。いつも動いている人は、やはりこういう時もフットワーク軽いんですね。
山田バウさんから、地震の備えとして伺ったものは
1)スーツケースの中に1週間分の食料を入れておき、1週間、家に篭もってどこにも出かけなくても生きていけるようにしておく。
2)キレイな水が飲めなくなったときのことを考え、災害グッズとして売られているサバイバル用の水浄化ストローやコップ(汚い水を濾過できるもの)を用意しておく
3)ラジオ、単3電池6本セット、ペンライトは買っておく(これは災害に遭った初期段階で役立つ3点セット)
災害に遭われた方々へ送るものとして今大事なものは
上記(3)のラジオ、単3電池6本セット、ペンライトの3点セット。
これは東北の皆さんに真っ先に届けたい、ということで、バウさんやてんつくさんが、皆さんからのこの3点セットのご寄付の呼びかけを開始。大阪と関東でいったん集め、東北の方々にお届けできるよう準備中だそうです。配送先が分かったら、またお知らせします。
赤ちゃんのための粉ミルク、ほ乳びん、カセットコンロ、カセット式のガスも役に立つものの1つだということでした。
菅原真樹さんの今日のブログに書いてあった緊急用装備もとても参考になります。
最後に山田バウさんからのメッセージは
「動け」「口だけで何もしない批評家にはなるな」「何事も学びである」ということ。
「自分ができること、自分が気がついたことを人に頼まず自分でやりなさい」
そうおっしゃっていました。
さて、じゃあ、私にまず何ができるか。
上記の3点セットは、まず私がすぐにできることとして、50セット分くらい注文しました。
あとは、少しずつ考えてみます。