瞑想・祈り・断食
2011年 03月 12日
そこには「昨日の午後、なんだか胸騒ぎがして、地震があっても大丈夫なように、オイルを1本1本ラッピングしたところでした」と書かれていました。
幸い、富山県は、ほとんど揺れなかったようですが、地震があったのは、その数時間後。虫の知らせというものなんでしょうね。
きっと、ほかにも、なにか予兆のようなものを感じられた方も多かったのではないでしょうか?
そういえば、思い返せば・・・と、思い当たることはありませんか?
私自身は、昨日の朝、精神的にひどい憂鬱を感じ、早朝5時半くらいから目が覚めていたにもかかわらず、起き上がることができませんでした。
金曜日はメルマガの配信日で、他にも会社でやることは満載。なんとか、気持ちをもり立てようとするものの、大きな不安感と憂鬱感が波のように押し寄せて、ようやく起き上がれたのが朝の9時すぎ。
何であんなに憂鬱だったんだろうと、昨日、自分でも不思議だったんですが、今朝のこのFAXを読んで、もしかしたら、昨日は地震が起こるずっと前から、いつもとは違う、不穏な空気感というのが漂っていて、それに影響されていたのかもしれません。
そういえば数日前、友人が「ヤスの備忘録」というブログを立ち上げている高島康司さんのセミナーに参加して、講演内容をメールでおしえてくれていました。
高島さんは、コールマン・インデックスという方法で世界動向の分析などをされていらっしゃいます。
彼女のメールにはこうありました。
「過去、世界に大きな出来事が起きたタイミングと、コールマン・インデックスによる予言の日付、そしてマヤ暦の流れはかなり一致している。この分析も精度が高いのではないか。
そしてマヤ暦でいう第9サイクルにこの3月9日から入り、第一の昼の3月9日~26日、なかでも、とくに転換点となる3月11日深夜に、何か世界に大きな動きがみられそうだ」
3月11日に何か大きな出来事が起こるのは、おそらく中東であろう、という予測だったのですが、まさか、我が日本に起こってくるとは!
私たちの魂は、この地球変動の時代を経験するために、わざわざ選んでこの時代に生まれてきた、と言われています。
何が起こっても、そこで自分ができる最善の選択をしていく。
それしかないように思います。
2月に参加した瞑想合宿では、良きことも悪きことも「すべては起こっては消えていく」「唯一変わらないことは、変化すること、無常でないこと」だと何度も説かれていました。そして、その変化に自分を見失うことなく客観的でいること、自分を保つことが大切になってくると。
昨年の4月に訪れたメジュゴリエでは、御出現の聖母マリアが「これからは信仰なしには支えられないほどの時代がやってくる」と預言されています。そして、その「時」のために祈り、断食をしなさい、と。
*旅先から書いたブログはこちら
霊的な意味ではなく、現実的なことを考えても、日頃から断食や小食に慣れておけば、食べ物を奪い合うこともなくなり、少しの食物も人に分け与えられる自分でいられるかもしれません。また、最後にできることは祈ることしかない、という事態も起こってくるかもしれません。
瞑想、祈り、断食
これらがこれからの時代でも自分を見失うことなく生きることができる重要な鍵になってくるように思います。
今朝、ツイッターにも書いたんですが、
普段は、明日も、今日と同じいつもの日常が続いていくと思い、明日の計画、1ヶ月後の計画を立てていますが、明日の計画ができる日や何気ない日常の、なんと幸せなことか。
でも、私たちの魂は何もしないためにこの世に生まれたのではなく、様々な経験をし、その経験の中から、自分の魂を磨くために生まれてきました。
これから、いよいよ、変容の時代のスタートが切られたのかもしれません。
*イギリスBBCNEWSで放映された地震の様子
*同じくBBCのニュース映像
アメリカのAREで正午に行われる、災害に遭われた方々への祈りの言葉
"Our Father our God! In thy love, in thy mercy, be Thou nigh unto us as we approach Thy throne seeking help and aid from the cares of every soul in this world!"
Edgar Cayce Reading 281-40




