私のヴィパッサナー瞑想体験
2011年 02月 22日
ただ、以前、四国のお遍路を10番くらいまで歩いたあと、しばらく「**まで20km」「**まで10km」という交通標識をみると「この距離だったら楽に歩けるぞ」という、歩くことへのちょっとした自信というか余裕が生まれたときのような感じがあります。つまり、1時間、瞑想をすることへのハードルが低くなったような。
ただ、ヴィパッサナー瞑想で日々の実践を促されている1日2時間の瞑想というのは、かなり腰がひけてます。1時間と2時間の心理的な差はかなり大きいです・・・。
さて、10日間のヴィパッサナー瞑想。
初めての人が参加しても大丈夫なように、入門編からだんだん難易度が高くなる、といったような感じで指導がなされました。瞑想の指導はすべて、ゴエンカ氏の英語による指導と通訳の音声テープです。
ですから、どこで受けても、いつ受けても、指導内容に変わりはありません。
最初の1日目は、意識を呼吸していることに向けます。瞑想なので、呼吸していることに「集中する」のではなく、呼吸している鼻の穴あたりに意識を向け、ただその呼吸の状態を観察する、といった感じになります。
2日目、3日目は、その意識をおく場所が少し拡大しますが、やはり意識は鼻のあたりにあります。
4日目の午後、ようやくヴィパッサナー瞑想を習います。それまで3日間は鼻のあたりだけに向けていた意識を身体に広げ、身体全体に起こる感覚を客観的に、冷静に観察し続ける、気づくということをずっと行います。最初は身体の各部位、頭皮、顔、あご、首といったパーツに分けて観察するのですが、最後になると、身体全体を1つのユニットして体感覚の流れを感じていきます。
この瞑想法のユニークなところは、瞑想中、マントラやアファメーションを唱えることはせず、呼吸数を数えたりもしないこと。ビジョンもイメージも浮かべず、意識のなかで、白い光も七色の光にも包み込まれず、森の小道も歩かず南の小島にもいかず、宇宙のゴミ箱に心配ごとも入れず、行うのは、ただたんたんと、体感覚に意識を向けるのみ。
ヴィパッサナー瞑想を始めるとき、参加者は、他で習った瞑想法と一緒に行わないということを約束するんですが、私には、何もイメージしない、何も唱えない、というのが、実にとっても難しかったです。
雑念が起こると、つい頭の上にバターを置いて、白隠禅師の「軟酥の法」をやってしまったり、白い光をイメージしてしまったり・・・。呼吸を数える、何か真言やアファメーションを唱え続ける、あるいはその言葉に意識を向ける瞑想がいかにたやすいものだったか。
特に合宿の終盤になって、意識を身体のパーツから全体に向け始める頃になると、私には一気に瞑想の難易度があがったように感じました。つい、身体のパーツの名前を思い浮かべながら、意識上で指先確認をしてしまうんですよね。
アチコチに飛んでいってしまう意識を何かに集中させるほうが、遙かにやりやすいです。
たんたんと何も思い浮かべず、感想も持たず、観察だけ行う・・・。私にはとっても難しく感じました。
これから、日々の瞑想の中で少しずつ自分で獲得していく必要がありそうです・・・。
*瞑想法についてはこちらを参照してください。
また長時間、座り続けることになるので、はじめの3日間は、足腰、膝の痛みとのバトルもありました。
私が痛みなく座っていられるのは、30分だけ。身体に痛みを感じはじめ、ゴソゴソそわそわし始めると、だいたいスタートから30分が経過したあたり。痛みなく瞑想ができるのは朝の30分、昼食休憩後の30分、夕方の休憩後の30分の合計1時間半のみ。残りの10時間半は、ひたすら痛い!どう足を動かしても、体勢を変えても痛い。
2日に1回くらいの割合で、瞑想の進歩状況のチェックが指導者からあるんですが、最初の頃、あまりに身体が痛いので「つい痛みに集中してしまいます」 とお話すると「痛みは無視して、呼吸に意識を向けて下さい」とのお返事。でも、痛みは容赦なく私の意識を捕らえて離さない。
止めどもない頭の中のお喋りと身体の痛み。
最初の3日間は、1日12時間の瞑想時間のなかで、実際に「瞑想」ができたのは2時間くらいでしょうか。
それが10日間座り続けているうちに、少しずつ頭の中のお喋りが少なくなり、痛みも軽くなっていき・・・。
10日間がコースの1つのユニットになっている、10日間とにかく座り続ける、というのは瞑想を学ぶために必要不可欠な要素なのだと実感しました。
ゴエンカ氏は、少なくとも1年に1度は、この10日間の瞑想合宿に参加するようにと言われています。
この瞑想は心の浄化のために行っていきます。
次回の瞑想合宿に参加するときまでには、もう少し、ヴィパッサナー瞑想そのものの体感が進んでいるといいのですが・・・・。

この瞑想をしていくと、頭の中のおしゃべりはちゃんとだんだんと少なくなるんですね。面白いです。

巷に色々ある瞑想法とは違って、至ってシンプルな瞑想法ですが、究極的に無駄のない安全な瞑想法だと思います。
一人でも多くの人に体験して欲しいですね。純粋な瞑想を。
お金と引き換えにしない実のある時間を持てるのは、ある種の贅沢ともいえます。
高額なセミナーに時間を費やすよりずっとためになります。
私も、そういえるようになるのに時間はかかりましたが、「生きる技」という意味が分かると人生が変わっていきます。
是非時間を作って続けてみてください。。