2011の初夢
2011年 01月 08日
夢の全体像は、こんな感じです。
夢の中で私は眠っています。
ところが、食卓の椅子をひく音を耳にして「誰か家の中に人がいる!」と飛び起きます。当然ですが家の中には誰もいません。ホッとすると同時に私は考えます。誰も椅子なんてひいてないのに私は確かにその音を聞いた。あの音はどこから出たのか?その音を聞いたのは肉体の耳なのか、それとも肉体を通さず聞いた音なのかと。
上記の夢から覚めた私は、夢の中の私が悩んだと同じことで悩みます。
「あの夢の中で私は確かに音を聞いた。あの音は、この肉体の耳を通して聞いた音なのか?それとも夢の中だけで聞いた、現実には起こらなかった音なのか?」
ところが、以上全てが私の夢。
肉体を持った私は、そんな夢の中で聞いた音の出所に悩む夢から、ようやく目を覚まします。
3次元世界に生きている私は、夢から醒めて、自分の夢の中と同じことで悩みました。
「あれれ? 今、私が起きたってことは、さっき目覚めたのは、夢の中の私だったんだ。ということは、夢の中で私は夢をみていて、あの椅子の音は、その夢の中の聞いた音だったんだ。では、あの音は誰が聞いた音なんだ???」
分かりますでしょうか? まるで映画インセプション。マトリョーシカというか入れ子状態の夢。
私は3回同じことで悩んでいます。夢の夢のなかで1回。夢の中で1回。最終的に夢から醒めた私が1回。
私には、この夢解釈はできませんでした。
今日の夢講座では、自分が意味を知りたい夢を絵にすると共に、別にもう1枚、曼陀羅絵を描きました。曼陀羅絵は自由に好きに描きます。
私は、群青色のクレヨンで楕円をグルグル描いているうちに、イルカが描きたくなり、太陽と海と2頭のイルカが水しぶきをあげてジャンプし、その横に虹がかかっている絵を曼陀羅にしました。
過去何度か曼陀羅絵は描いたことがありますが、いつも抽象的な花をモチーフにしたような絵ばかり描いてきたので、動物を描いたのはこれが初めて。もしかしたら、去年の11月にハワイに行ったことが影響しているのかもしれません。
夢講座では、参加者全員がお互いの夢を見ながら、その夢から何を感じるか、どう解釈をしていくかを意見を言い合いながら進行します。今回は、実際に参加者が見た夢と、今日描いた曼陀羅絵がどうリンクしているのかもあわせて解釈していきました。
私は、自分の初夢だけを絵にしたときには、やはり、さっぱり意味は分かりませんでした。
でも、曼陀羅絵を並べて見ているうちに、「あ、こういうことかも!」とピンとくるものがわき上がってきました。
つまり、家の中に一人引きこもらず、もっと人生を楽しみなさい。
私はいつも自分の頭の中だけでグルグル考えてしまう。同じことを堂々巡りして考えたあげく、内にこもって自己完結してしまう。でも、そうじゃなくて、イルカのようにもっと自由に人生を楽しみなさい。仲間と交信しあいながら広い海を泳いでいるイルカのように、もっと仲間とのネットワークを大事にして人生に広がりを持たせなさい。
私はエニアグラムでタイプ3。タイプ3は絵に太陽を描きたがります。今回の曼陀羅絵も、ど真ん中にまだ太陽が・・・。なので「仕事」はまだしっかり私の人生の中心にあるんですが、タイプ9の人が描きたがるイルカが出てきたということは、人生に仕事以外のバランスを入れ、もっと楽しもうという「兆し」が出てきたようにも思います。
夢講座では、ほかの参加者の夢と自分の夢に不思議なリンクが生じて、人の夢と合わせてようやく自分の夢のメッセージがはっきりと浮かび上がることもあります。
今日、私が他の方が見た夢の解釈を聞きながら「あ、これは私へのメッセージでもあるな」と思ったのは「義務感で行っていたことをやめる。本当に自分が好きなこと、やりたいと思うことだけをする」ということ。
断捨離は、自分が好きだと思うものに囲まれて暮らす生活空間づくりでしたが、1日24時間という時間も、イルカや小さな子どものように「何でも遊びにして楽しんでしまう心」を取り戻し、「好きなこと」「「夢中になれること」に囲まれて過ごせるのが理想です。
そのためには、まず「大人のつきあい」「否応なく、惰性でしていたこと」を断捨ることを決心。
そう思うだけで、なんだか楽しくなってきました!