Lose yourself in HIM
2010年 07月 20日
せっかくなので、下記にそのQ&Aを貼り付けさせていただきます。
質問「神の内に自己を失う」意義を話されていたが、それと、『理想を設定する』は相反しないか?
「自分を捨てて生きる」のであれば目的や理想はどのように解釈すればいいのか・・・?」
兄からの返事
理想は、言い換えれば「神の前にも誇らしく報告できる志し」です。
主の御心に違うことは、理想にはなり得ません。
ですから、理想を見出すということは、それ自体が
自分にとって神の御心に叶う生き方とはどのようなことで
あるのかを見出す事になります。
主が「良し」とされる理想を見出し、そこに自分の人生を
注ぐということは、それ自体が、自分を主の内に失うことと
同じことです。理想の実現のためであれば、自分の
栄誉であるとか、自分の個人的感情といったものは
消し去ります。自己を消し去ります。
ケイシーも、「主の内に自己を失う」という言い方もすれば、
「理想の内に自分を失う」という言い方もします。
一見、別物のように思えますが、究極の理想は「主に一致すること」
ですから、Lose yourself in HimもLose yourself in Idealも
同じ心境になって行きます。でもこれを了解するには、
いくらか時間がかかるものです。私も数年かかりましたから。
ちなみに、「神の探求Ⅰ」の77頁にそのことが書いてあります。
そういう素晴らしい質問が出てくるのは嬉しいことです。
そのまま探求を続けられれば、体験として
Lose yourself in..がLose yourself in Him.と
一体であることを実感されることと思います。
ついしんで届いたメールもついでにご紹介・・・
「主の内に自分を失う」とは
主の中に自分を溶かし込んでしまう。
主と一つにしてしまうことが重要です。
そうすれば自分がいなくなる。
自分を主の内に溶かし込むと、
主が私の中に入って来られて、私が真に生きる。
そのためには、主をありありと思い描けることが必要。
主が私の人生に深く関わってくださるということが
信じられなければならない。
私は、ケイシーを保証人として、
この主の約束を信じ、そこに自分の全部を賭けることにした。
一点賭けですね。All or Nothingでね。
これはトレーニングです。
「出来る、出来ない」という問題ではなく、
「するか、しないか」ということです。
最初は怖いけれど、勇気を出して、
「主の内に自分を手放す」
「主の内に落下する」
すると自分がほどけて楽になる。
自分にこだわる必要がないことが悟得され、
いよいよ自分らしく生きられるようになる。
主の内に自分を失っているからこそ、
自由に生きられる。
自分のことを気にしていないから、
自分が真に生きたいように生きることができる。
人の誹謗中傷や悪口雑言も馬耳東風。
涼しい顔して、主の内に捨てた自分を生きる。
こうして、生きる喜び、存在の希望に満ちて生きる。
後は体験するだけです。
ケイシーの述べた霊的理想の設定については、「揺るがない自分をつくる」のDVDでも詳しく述べられています。

今日もブログに感動しました。
お兄様の誠実でやさしい言葉が、偏った私の心にそよ風のようです。
実は、神の探求は何年も前から読みかけては、読めず。読めないから売りに出し、また読んでみたくなって購入し、読めず。。。を繰返しています。何度か、古本屋さんに持っていったはずなのに、探求Ⅰだけで実家に1冊、自宅に2冊あります。。
悲しいかな瞑想以前に、ここでつまづいております(--)
テンプルさんのブログには、先を歩む方が何人もいらして拝見するだけで、自分の理想が見えてきそうです。
龍馬伝を見ながら、その時代を変える人材が確実にその時代を選んで生まれてくるものだね と思うと同時に新たな維新の立て役者の中にテンプルさんも大きく存在しているなぁと思うこの頃です。素晴らしいと心から思います。
せめて、神の探求が読めるくらいに成長出来るようがんばります~。

以前、「神の探求」のスタディグループを数名のメンバーと自宅でやっていたときには、第1課から第2課に進めたのは、なんと、半年後でした。それも見切り発車的に第2課に行ったので、実際には、自分のものとなった実感はなく。。。。「神の探求」は単なる読み物ではなく、自分の霊的成長のためのテキストブックなので、数行だけでも実生活で応用してみる、ということを試みられるといいです~。でも、これがなかなかハードルが高いんだわ。自分の人生の側面に、突如として、いろんな心理的壁が現れ始めますしね~。アメリカのグラディス/マクギャレイ博士は、90才の今もなお「神の探求」をテキストにして勉強をされていますから、これは一生もんですね~。

長い間ずっと感じ続けた違和感。
あの講習会が最後のピース。
すべてが繋がった?ように思います。
うまく文章にできません<m(__)m>
「神の探求」は、エドガー・ケイシー関連の本の中でも大学院コース!とありましたが、初心者コースからでは・・・・。
何から始めたらよいでしょうか?
アドバイスをお願いいたします。


現在、“瞑想”をとばして、“協力”から読み始めています。
読みながら『でも、あの人とは協力したくないなぁ』なんて思うのです。
本当におっしゃる通り、数行ずつだと思います。良くない思いを見つけながら良くない思いを消しながら、大学院コースを学んでみます。