ポンペイの写真
2010年 05月 01日
青の洞窟があるカプリ島が圧倒的に人気で、私も青の洞窟にはかなり心惹かれたものの、その1週間前、父の命日だったことをすっかり忘れていた親不孝娘としては、父がかつて旅をした想い出のあるポンペイに。
父が弟である武雄叔父に誘われてヨーロッパ旅行に行ったのは、私が小学校3年生頃。日本の好景気そのままに、たしか総勢200名くらいの大ツアーだったように記憶している。
その時お土産にもらったトランプはたぶんまだ持っているし、父が母に買って帰ったカメオのブローチは、いまは私の引き出しの中にある。
旅行のあと、旅に同行していたのであろうカメラマンさんがまとめたアルバムには、ほとんど父は写ってなくて、集合写真でもいつも端っこのほうに小さくいたような気がするけれど、私がいまでも覚えているのは、数枚のポンペイの写真。手をあげていたり、うずくまっているような人型の石膏写真が子ども心に強烈で、逃げる間もなく火山灰によって一瞬にして町が埋まってしまったという母の話は、思い出すたびに恐怖でありました。
父がポンペイの街並みを叔父と歩いてから約40年後。
何の因果か、アイルランドの火山噴火で旅の行程がのびて、おもわぬギフトのように娘の私もポンペイに行くことになったけど、ポンペイの町は予想以上に大きかった。
それまで何度も火山で埋もれては復興した町らしいけど、最後の噴火では、2階建ての屋根くらいまですっぽり埋もれてしまい、とても復興できる状態ではなかったので、そのまま放置。学術的な発掘が始まったのは意外にも100年ほど前のようですが、掘り起こしてみれば、これが2000年以上も前の町かと驚いてしまう。
日本の歴史にあてはめると、まだ弥生時代。
日本の人たちが土で弥生式土器を作っている頃、この地では、これほどまでに洗練された町と文化のなかで人々が暮らしていたなんて・・・・。
日本の縄文、弥生については、なんだか原始的生活をしていたように歴史家は言うけれど、それは本当なのかとポンペイの遺跡を見ながら考えてしまった。今にあてはめると、東京での暮らしと、ジャングルの奥深くで狩猟生活をしている部族くらいに違う・・・・。
向こうに見える火山が噴火した

そして人々の最後の姿だけが灰の中に残った・・・・

公衆浴場の壁


石畳が美しい街路

馬車が通った轍のあと

パン屋のかまど

何か儀式をしていた部屋か・・?

なんども書くけど、このころ日本は弥生時代。まだ歴史以前。そのギャップに驚いてしまう。
預言者を笑ったひとなのでしょうか。。
今の沖縄もこうなるのでしょうか・・・
米軍・出て行けといってるそうです。
あの、仲山知事ってのは馬鹿じゃないですかねぇ~