2010年4月10日 メジュゴリエーアッシジツアー3日目
2010年 04月 11日
今日は午前中は「ご出現の丘」に。
丘というと緑豊かな草原のようなイメージを浮かべてしまいますが、ここはゴツゴツした岩肌ばかりが続く丘。
ご出現の場所まで、イエスの人生を刻んだレリーフがところどころ置かれてあり、そこで祈っている人も。
私たちは岩肌を登りやすい靴であがりましたが、クリスチャンのなかには、ゴルゴダの丘に十字架をかついでいったイエスの苦しみを思って、裸足で登る人が・・・。鋭く切り立った岩も多いので裸足で登ると、足はかなり痛いはず。ガイドのクラウディアさんが、巡礼者のなかには自分を肉体的に追い込む人が多いといっていましたが、そういえばダン・ブラウンのダビンチコードにも、自分の肉体を極限まで痛めつけて高揚感を感じていた
人物が登場していました。、
聖母マリアのご出現の場所は、マリア像がたてられ、参列者には完全な沈黙を守ることが約束させられました。小声で祈りの言葉を唱える人と子供の声、その場所を歩く人の足音以外は自然の音のみの静寂の世界。
丘の麓には青い十字架が2つ並んでたててあり、ここもやはり聖母マリアのご出現があった場所だとのこと。
丘の頂上まで登れない人たちはここで祈られるそうです。
丘の上とふもとの2箇所で私たちは思い思いに聖母マリアに祈りを捧げ、ホテルに戻りました。
聖母マリアのご出現を受けている人を幻視者というそうですが、メジュゴリエの幻視者は6人。
かつて少年少女だった人たちもいまは中年となり、結婚し子供を生み育てています。6人のうち3人はいまは海外で暮らし、3人はメジュゴリエにいますが、メジュゴリエに残っている3人はもう毎日のご出現はなく、年に1~2回の決まった日にちだけのようです。
※メルマガでは幻視者はいま2人だと書いたのですが、3人だそうです。
メジュゴリエに残っているヴィツカさんという女性が、世界中から訪れる巡礼者のスピークパーソン的な役割を担っています。以前は世界中から来た巡礼者と対話の時間を作ってくださったそうですが、彼女は6名のなかでもっとも困難な人生を送っており、肉体的にも大きな病気をしているので、いまは人前に出ることはあまりないそうです。
午後3時半から、教会でご自身の体験を語る時間をもたれていましたが、スピーチが終わったらそのままお帰りになられ、夕方のミサにもいらっしゃいませんでした。
考えてみればメジュゴリエの街も大きく変わりましたが、田舎の子供たちだった彼らの人生も、聖母マリアのご出現を受けるようになったあと大きく変わりました。
精神病扱いを受けたこともあるし、ご出現を信じない教会のトップの人たちから様々な圧力を受けたり、真実であることを証明するために肉体的精神的な検査や実験に協力したり、さらには、世界中から訪れる巡礼者から聖母マリアへの取次ぎを頼まれたりと彼らの精神的な負担は私にはとても想像できないほど。彼らが普通に結婚をして、ふつうの家庭を築いていると聞いて、なんだか少しほっとする気持ちがします。
聖母マリアは、6人の幻視者に10の預言を述べたといわれています。
10番目の預言を聖母から聞いた3名にはすでに毎日のご出現はなくなり、残り3名は9までの預言を聞いています。
6名全員が10番目の預言を聞くと、その予言の成就の日が近くなるといわれていますから、私たちは、この6人全員がいつ10番目の預言を聞き終えるかには十分留意する必要があります。
というのも預言が進むにつれてその内容は人間にとって厳しいものとなり、人々の祈りや断食では軽減できないようなものになってくる。特に10番目の預言の内容はかなり厳しいものになる。ただし、「起こることはもはや変えられない。私たちにできることは、たしかな信仰を持ち、気持ちを支えることだけだ」。
聖母マリアはそう言われているそうです。
その「時」のために、祈りなさい、断食をしなさい、と聖母マリアは勧めているそう。
私は、ロザリオの祈りについては詳しくありませんが、日本に戻ったら祈りについて学び、自分でも祈りを実践しなければと思いました。
明日はメジュゴリエ最後の1日です。
ご出現の丘にのぼる


ご出現の場所

祈る兄・・・

ここでもご出現があったそう

午後は内戦で親を亡くしたり事情があって親と離れて暮らす子供たちの施設に。突然、私たちから歌のプレゼントに呼び出された子供たちと、張り切る小林さん・・・

ふるさとを歌う即席混成合唱団のめんめん・・・

なにが起こったのか???の子供たち

幻視者ヴィツカさん(右)のスピーチ

ヴィツカさんの話を聞いている巡礼の方々

ヴィツカさんがかつて暮らした家。ここでもご出現があった

