毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

妹のブログ
私はmixiをしないので、直接は読んだことがないんだけど、妹が、お姉ちゃんと友達のことを書いたからと、自分のブログの内容をメールで送ってきてくれた。

自分ではすっかり忘れている過去の出来事が、誰かの記憶のなかにはしっかり刻まれていて、いつのまにか話しのネタになっている、というのは不思議な感じだ。

妹は、ちょっとシニカルだけど面白い正直な文章を書くので(親ばかならぬ姉ばか)、プロになるか否かは別として、小説を書いてみたら?と私はいつも妹に言っております・・・。

運動神経ゼロの我が家の3人兄妹は、そろいもそろって「書くこと、読むこと」が好きらしい・・・。

(※は私のコメント)

去年だったか、早稲田にある『予言カフェ』に行った。
神様から預かった言葉を伝えてくれる喫茶店。

私が行った時は3時間待ちだった。
神様の言葉は一気に言われるので、皆テープになどに録音してもらう。
お店にはテープレコーダーが用意されていて、テープも販売されている。

沢山の言葉を言われたが、一つの言葉が私の胸に深くしみ込んだ。

「主はあなたの前に、『文章を書く力』の扉を用意していると言っています。」

「この言葉に出会うために呼ばれたんだ」と思いましたよ。わたしゃ。
ずうずうしい、勝手な思い込みかも知れないけれど、純粋に嬉しかったのだ。

私には5つ歳上の姉がいる。
地元の広島に帰ると、姉は必ず学生時代からの友だちと集まっているようだ。
不思議なことに、見事に皆さま独身。
「薹が立つ」と言うと綺麗だが、太くて逞しい薹を持つ女たちの集いに見える。
皆揃って独身ってことは、何かお互い引き寄せ合うアンテナがついているのかも。
しかも、皆さまそれぞれの分野で活躍されているらしい。
そういうところも共通しているから不思議だ。

類は友を呼ぶ。蛇の道は蛇。
後者は違うか。

姉は地元広島の大学に進んだが、東京の某大学も受けていた。
東京の某大学の試験は全くもって、さっぱり出来なかったらしい。
合格発表さえ見なかった。
受験した事実さえ、なかったことにしたいほど、歯が立たなかったとか。
確かに、受験勉強をしていた姿が全くない。
受験目前のお正月は、東京からイトコが遊びに来て、一緒に百人一首に興じていたのを覚えている。

5歳下の私は「大学受験って勉強しなくてもいいんだ」と思ったものだ。

学生生活を謳歌している姉に「何で某大学にしなかったの?」と、週刊誌の大学合格者一覧で姉の名前を見た人に聞かれたらしい。(※本当は新聞)
昔は本人の意思に拘わらず、実名が掲載されていたのだ。
何かと「個人情報保護法」が君臨うる今では考えられないことだ。
どうやら、姉は合格していたらしい。

「勿体ない!なんで通知ぐらい見なかったの?」と聞くと
「だって、全然出来なかったんだもん。でもいいの。こっちの大学に行ってなかったら(※今の)友だち達と出会えなかったし」そんな趣旨のことを言っていた。

その友だちの一人に、作家の平安寿子さんがいらっしゃる。
随分昔、「その友達は何やっているの?」と姉に聞くと「作家を目指して勉強中」とさらりと言われてびっくりした。
平安寿子さんは、広島でも指折りの進学校且つお嬢様学校として有名な中高一貫校のご出身だ。
東京で言う、雙葉、女子学院、桜蔭だろうか。

「そんな進学校から大学に行かないで作家志望だなんて!」と心底驚いた。
それからは、いつ聞いても姉の返事は「彼女は作家の勉強中」だったので、人ごとながら
気になる存在だった。

平安寿子さんも三人姉妹の末っ子。
長姉さんとは8歳、次姉さんは5歳違い。
一番上は兄だが私も末っ子で、兄とは9歳、姉とは5歳違いで似ている。
きっと私と同じようにスポイルされて育ったに違いない。
だからずっと『夢見る夢子さん』のままなんだと勝手に思いこんでいた。

ある日、姉が「平安寿子さんの本が出版されたよ」と、読み終わった本を貸してくれた。
それが『素晴らしい一日』
それからはまるで20数年間の宿便が解消したかのように、次々と本が出版された。
46歳での作家デビュー。
私は平安寿子さんのイチ読者でイチファンになった。

最新刊の『神様のすること』には姉が登場する。
「魂の救済」「解脱」を模索する(※これはちょっと表現として違うと思うが・・・・)エドガーケイシーに傾倒する変わった友だちと言うのが姉だ。
まさにその通りなので笑ってしまった。
本を読んで(まだ3/4だが)分かったのは、平安寿子さんは決してスポイルされて育った人ではなかった。
私のように甘ちゃんではなかったのだ。
感受性が鋭い、とても頭の良い女性だった。

小説を書きながら親を介護し、喪主まで務めあげた。 
姉に似ていると思った。

東京の病院に入院した母を看護するため、病院の目の前にあるマンションに引っ越し、仕事をしながら看護をしてくれた。
広島に一人残った父の様子を見に月に一度は帰省して、掃除やら銀行に行ったりと雑多なこともこなしてくれた。

やっぱり類は友を呼ぶんだな。

母と父に出来ることは十二分にしたから、見送った姉は晴れやかだ。
ほっと安心しているとも言える。
だから「この度はご愁傷様で...」と言われると却って困ると言っていた。

しかし私ときたら、未だに夕暮れになると母を想うし、朝は寝ぼけて「お母さ~ん。今、何時~?」と叫ぶ自分の声に驚き、部屋を見廻して暫く放心する。
『あっ、私は結婚してたんだっけ?』とまぬけなことを思ったりもする。
やり残した事が多いと罪悪感があるのかな。
でももう、あちらに行ってしまったのだ。
出来るのは、宇宙のどこかで見ている母を心配させないように生きていくことかしら。
父はどうでもいい。きっと宇宙で母と違う集合体に入り、きょろきょろと母を探していると思う。

『神様のすること』の中で、とても印象に残っている文章がある。
それは、平安寿子さんが高校時代の友だちに聞いた

「神様はこの世に生命を送りだすとき、必ず、付き添い天使をつけてくれる」

何でも、付き添い天使は無力で、ただそばにいるだけで、何も助けてくれないらしい。
ただ、悲しい時は共に泣いて、嬉しい時には共に笑ってくれる。

先日読んだ、無農薬、無肥料でりんごを栽培することに成功した木村秋則さんの本『すべては宇宙の采配』を思い出した。
インフルエンザにかかった木村さんは、シャボン玉に乗ってあの世に行くという不思議な臨死体験をされる。そのとき、自分以外にも2つのシャボン玉にそれぞれ女性が乗っていたそうなのです。

そして、1年以上経ち、横浜で「無農薬りんごの講演会」が開催され、話し終わった木村さんに電話がかかってきます。
「どうしてもこれから会いたい」と言われた木村さんは、電話をかけて来た女性に会ってびっくり。
「あの日大きなシャボン玉に乗って木村さんと三人で上に昇りましたね」と言われるのです。
もう一人はあの世で待っていて、自分は木村さんの「あの世への案内人」だと言ったそうなのです。
臨死体験の話しは、妻しか知らないはずだと木村さんはびっくりします。
私には、その女性が付き添い天使だと思えるのです。
木村さんは霊とかUFOなどに興味はない、農業を営む普通のおじさんなのですが、不思議な体験をたくさんされています。
最初に読んだ時は、奇想天外だとぶっ飛びました。
でも今は信じます。
付き添い天使も信じます。
今、こうしてパソコンに向かっていても、そばにいると思っています。

もし神様が私に、『文章を書く力』の扉を用意しているのなら、扉を開けようではないですか。
それが、趣味の範囲のささやかなものだとしても、私はその言葉をずっと待っていたのですから。



そうそう。大学受験直前のお正月に、東京からイトコが泊まりに来たのを思い出した。

母に「大学受験直前の大事な時期に遊びにくるのを許すなんて!」と文句を言ったら、受験勉強をしたことがない人間が、いまさら受験生ぶるなと怒られた。

たしかに。たしかに。

高校時代の私がいかに勉強をしなかったかは、家族に絶好のネタを提供したらしく、長く家族の語りぐさになっていた。母が病気をして、こちらの病院に通院するために一緒に住むようになってから、よく母から「高校時代、いかに私が勉強しなかったか伝説」を聞かされた。

母から聞かされて、今でも覚えているのは、高校3年の2月(つまり私立大学の受験3週間前)に、急に机に向かい受験勉強を始めたと思ったら、なんと、私が英語の単語帳を作っていた、という話。

私が高校3年のとき、母は、急に司法書士だの宅建だのの受験勉強をしはじめ、家事が終わった夜9時すぎから11時ころまで、一人、ダイニングテーブルで六法全書を片手に勉強していた。

その母の姿を見ながら「お休みなさい」と先に寝て、母より1時間もあとに起きていた高校3年生のわたし。
受験直前、急に気持ちが焦りだしことははっきり覚えている。今さら焦っても遅いくらいの時期だったんだけど・・・・。

まさか30年前の自分の姿が、こんな形でよみがえるとは。。。
by hiroshimapop | 2010-03-22 23:24 | 日記 | Comments(0)