浜松大学の砂子先生
2010年 02月 24日
柴田さんのメールに貼り付けてあった砂子先生の「死を科学する」という研究内容は、なにやらとても難しく、うーん、私の脳細胞では、ちとハードルが高いぞとそのままにしておりました。
とはいえ、お返事をしなければなりません。
それで、砂子先生に「一度浜松に行きますので、ゆっくりお話を伺えますか?」とメールしてみました。
昨日、砂子先生からお返事が届いてました。
すると、なーんと、なんと!驚くべきことが発覚。
砂子岳彦先生、兄の京大工学部時代の同級生でした。しかも、しかも、兄の講演で、ちょくちょく話題にのぼる人だったのです。
というのは、兄が大学院に入ったときは、成績順で33人中、33番目で滑り込んだギリちょん学生。
でも卒業するときには、その成績が1番繰り上がってました。
↑
数字は違っているかもしれません。
別に成績がよくなって繰り上がったわけではなく、優秀な学生さん1人が早めに大学院から去ったから自動的に順位があがっただけ。そして、その兄の成績順位を1つ繰り上げさせてくれた優秀な学生さん、というのが、なんと!砂子先生だったのです。
以前、浜松で兄が講演会をやったとき、偶然その講演に来ていた砂子先生。
講演会が終わると壇上まで歩み寄り「いま光田くんが話されたことは真実です。なぜなら、僕がその京大の学生なのです!」と、兄と、ん十年ぶりの劇的な再会を果たしたことがあったそうです。
砂子先生からのメールです。
ところで、光田秀君とは大学時代の同級生です。
彼とは劇的な再会を講演会でさせていただきました。
講演会で再会した光田くんは輝いておりました。
あまりの違いに見ても気づきませんでしたもの。
講演の中で大学時代の話をきいているうちに、なんだこれはということになって、よくみたら、ありゃー!ってなもんでした。
縁は異なもの、味なもの。
砂子先生は数理物理を専攻した京大でも優秀だったという大学教授。
その数理物理的に研究された「死」の定理。
私の、ほとんどが鼻水になって溶けてしまったような脳みそでは、きっと会話が幼稚園レベルになってしまいそう。ということで、若い頃、永平寺で修行をした徳江さんにお付き合いをしていただくことにしました。
学術的な会話は徳江さんにまかせ、私はとなりで幼稚園レベルのチャチャを入れることにしましょう。
こうやって、全く他人だと思っていた人が、知り合ってみると、実は不思議なご縁の繋がりがある人だった、というのは、実にワクワクしますね~。