「光」の田んぼ
2010年 01月 01日
初日の出も、厚い雲のなかから、時折、白く顔を出す程度でした。海から昇る太陽を見るのは明日に期待です。
さて、2010年の幕開け、新しい1年のスタート初日。
たった1日なのに、年が改まると心に一区切りついて、新しいことが始まる予感がするのは不思議です。
屋久島はソフトバンクの携帯が繋がりにくいらしく、ペルーの砂漠の中からでさえメールの送受信ができたのに、ここではずっと「圏外」のまま。だから携帯も鳴らず、静かなものです・・・。
屋久島には、日本エドガー・ケイシーセンターから届いた「年末の祈り」を手帳に挟んできました。
12月31日、日本時間の午後9時に行う「ワールド・ヒーリング・メディテーション」のための祈りの言葉です。
ところが、夕べは、矢沢永吉さんが紅白に出るっていうので、何年かぶりに紅白を見ていたら、すっかり午後9時の祈りをすっぽかしてしまい、世界中のケイシーメンバーが行う祈りには参加できず・・・。
あらためて今朝、その祈りの言葉を読み直していました。
もとは、「天使に出会うための10章」たま出版刊 より抜粋された祈りの言葉で英語で書かれています。
聖書の言葉が元になっていますから、とてもキリスト教的な祈りの言葉ではあるのですが、この祈りの言葉には、「光」という単語がたくさんでてくるんですよね。
たとえば、こういう言葉があります。
神は「光り」あれと言われた。すると光があった。
私は光と一つです。私は光に満たされています。
私は光の照らされています。
私は世界の光です。
確固たる目的を持って、私は光を放ちます。
etc....
私の苗字は「光田」。
あぁ、光の田んぼ、光を育てる土地なんだわ、とあらためて、自分の名前の意味に畏れおののき、うゎ~、大変な名前のもとに生まれてきてしまった。ちょっと怖い。
日本エドガー・ケイシーセンターを設立したのは1993年ですが、そのときの設立メンバーの名前は
吉田、吉田、光田、光田、福田、安田、附田、石塚
みごとに田んぼばかり。
石塚さんが「僕だけ田がない」ってぼやいたので「いえいえ、石塚さんはペテロ。石の塚が必要なのよ」って言っていたのを思い出します。
兄は、田という漢字は口の中に十字架がある。だから神の言葉を語る使命が「田」という名前にはあるんだって言っていましたが、うーん、これはなかなか難しい・・・。
大輔くんは、大輔くんで、いつも「三井、三菱、光田」。これからは光田財閥の時代なんだ!って言っています。
だったら天国で通用する財閥にしないとね。