柴田久美子さんのお話を聞きながら思ったこと
2009年 10月 13日
柴田さんは、家族を自宅でみとってほしい、最期の日々を家族とともに過ごしてもらいたい。そして、最期の時を、どうぞ、抱きしめて見送ってあげてほしい、とさまざま活動をされていらっしゃいます。
人は亡くなるとき、魂だけになっているから、たくさんの愛を家族に与えることができる、その愛を受け取ってほしい。それが柴田さんの願いのようでした。
隠岐の島では、家族が遠く島根県の町で働きに出ていても、柴田さんの作られた「なごみの里」で手厚く看護され、自分が生まれ育ち、暮らしていた町で亡くなることができるようになりました。
私が子供の頃も、近所のお年寄りは、自宅で亡くなっていました。
あるとき、近所のお宅のそばを通ったら、いつもお布団で寝ていたお爺さんの顔の上に白い布が被さっていて、数日後は、そこは誰も寝ていない、ガランとしたお部屋になっていました。
田舎は、近所の人たちが都会よりも身近で、老人も多かったので、子供たちも、こうやって、人が年をとり、人が旅立っていくことを当たり前の、不思議だけど自然のこととして受け取ったように思います。
さて、私が柴田さんのお話を聞きながら思ったことは、
私の役割の1つとして、家族を手厚く看護しながら最期を見送れない方、そして見送ってもらえない方のための仕事があるんじゃないかと・・・。
というのは、私の廻りにも、たとえば、歩道を歩いていたら居眠り運転のトラックが飛び込んできて、お祖母さんが亡くなった、台風のとき、田んぼの水を見に行って、溝に落ちてお父さんが亡くなった、会社で仕事をしているときに、突然の心筋梗塞でお父さんが亡くなった、まだ二十歳くらいだったのに、息子さんが朝、歯を磨いていて突然死した、など、あまりにも、突然の別れを経験した知り合いがいます。
また、癌や心臓病で長く闘病中の家族をずっと病院に泊まり込みながら、あるいは自宅でずっと不眠不休で看病していたのに、ジュースを買いに行っている間、あるいは、カフェにコーヒーを飲みにいっている間に、その家族が亡くなってしまったという友人も数名います。
入院中の母親が、お見舞いにもらったリンゴをかじっていたら、そのリンゴがのどに詰まって、そのまま亡くなったという人もいました。
つまり、家族の最期を、自宅にしても病院にしても、看取ることができない方もたくさんいるわけです。
私も病院に駆けつけたときには、父はすでに冷たくなっていました。
でも、毎日を精一杯生きていて、お互いの関係にやり残しがなく、さらに、死を怖がらないこと、死は終わりじゃないってことが、本当に魂の随まで分かっていて、それを日頃から家族内で話し合うことができていれば、どこで亡くなっても、それはお互いの後悔にも、思い残しにもならないように思うのです。そして亡くなった魂も、行くべき場所が分かっていれば、死を怖がることなく、楽しみに亡くなることができるでしょう。
ちょっと目を離した隙に家族が亡くなってしまったというのも、あまりに家族や夫婦の愛情が深い場合、その家族がいると、本人も、なかなか死ねない。だから家族がいなくなった時間を見計らって亡くなる魂もいると聞いたことがあります。
昔、日本では、年をとったら、老人は、食べる量を少しずつ減らしていき、ゆっくりゆっくり自分の身体を弱らせることで、自らを作為的な自然死に導いて亡くなる文化があったそうですね。姥捨て山というのも、残酷のようですが、貧しかった時代には、自然な人の営みの1つだったのかもしれません。
私自身が、いま、何をできるっていうのは、思いつかないんですが、どこでどんな形で、家族との突然の別れがあっても、後悔や思い残しのないように、そしてどんな死に方をしても、すべて良し!みたいな人生を作りたいなと思っています。











