原爆の消えずの火
2009年 04月 02日
大泉町のことはバウさんのブログに書かれていますし、あらためて別のトピックで書きたいと思いますが、今日は、その群馬に行く道すがら聞いた、とっておきのお話をご紹介したいと思います。
広島では毎年8月6日の原爆記念日の夜に灯籠流しが行われます。
これは毎年ニュースでも放映されるので、広島に住んでいる人にとっては毎年の行事なのですが、あの川に流された灯籠、下流ではどうなっているのかしら?ってちょっと思っていました。
その回答が今日解決しました。
海まで出たものは市の係りの方々が船で待機していて回収されているそうなのですが、途中、川岸に引っ掛かったり沈みかけたりして、市の方々が回収できないものは、なーんと、カヌーイストでもあるバウさんが毎年カヌーに乗って川の流れに戻したり大事に拾われていたそうなんです(日本にカヌーを普及したのも、実はバウさん)。え~!? バウさん、そんなことまでされてたんですか~?ってまずビックリ。
そして21世紀からは世代交代。その役回りはバウさんから湯川さんにバトンタッチ。今年の8月6日も湯川さんがはるばる東京から広島に行き、元安川にカヌーを浮かべるそうです。
広島のあの行事と、同じ車に乗っているお二人が繋がるなんて~!!って、広島県人の私は心の底から驚いてしまいました。
そしてそして、あの灯籠流しで使われる火は、驚くことに、あの1945年8月6日のあの日の火なのだとか。
福岡の山本さんという方が、原爆投下で亡くなられた叔父さんを偲んで、叔父さんが経営されていた書店でくすぶっていた原爆の火を自宅に持ち帰り、夏も炭火を起こすなどして、近所の方々にも内緒にして(昔は「原爆」にあった方々というのは差別されていたこともあり)、ご家族だけで、すっとずっと大切に守ってこられたそうなのです。そのストーリーはこちらに詳しく書いてありますが、その火をぜひ灯籠流しに使おうじゃないかとバウさんが提案して、今世紀になってあの原爆の火が、8月6日には分火されて、灯籠の火として使われるようになったのです。
バウさん、やる~!
それまでも長いストーリーがあって、その長いストーリーをかいつまんで説明すると・・・
まず神戸の震災の5年後。まだバウさんが神戸元気村の代表をされている頃。
そろそろ震災後のボランティア活動も一段落した頃、バウさんはある日、ある夜、天に向かって「何か自分に新しい仕事を与えろ~」と叫んだそうなんです。
そのとき、何故か急に「ヒロシマ」という言葉が頭に浮かび、何かヒロシマに関係する仕事をするのだろうか?と、とりあえずは広島に短期でワンルームを借り、広島でバウさん自身がすべき役割を探し始めたそうなのです。
何をしたらいいのか分からずいたバウさんに、ある日、翌日、最初にかかってきた電話にその答えがある、という直感がします。
果たして、翌日、1本目の電話は谷崎テトラさんからの電話でした。
そして彼はこう言ったのです。「長野県の松本にヒロシマに落ちた原爆の火が分灯されてあるよ」って。
それだ~!ってことで、その原爆の火を全国に分灯するために、すぐさまバウさんは長野に行き、その火を提灯に入れて歩き始めました。
歩き始めて2日目。ちょうど塩狩峠にさしかかった頃、バウさんの心に、提灯の火からの声が響きます。
「帰りたい」って。
え~。せっかくこの火を全国に分けようと歩き始めたのに2日目にして「もうこの火は松本に帰りたいと思っているのか~」って最初はガッカリしたらしいんですが、3日目に峠から降りて来た下諏訪神社で、「ヒロシマ」という言葉が出て来たのです。
提灯の火は、長野に帰りたいんではなく「広島に帰りたい」ってバウさんに訴えてきたのです。
調べてみると、信じられないことに、その火は福岡から長野には分けられていたのに、それまで1度として、広島に戻ったことがなかったそう。それでバウさんはその火を「広島に帰す」と決めて、ここがバウさんのロマンチストぶりが発揮されるんですが、20世紀の最後の満月の日、12月13日に灯籠流しをしてもらい、その火を無事、広島に帰すことができました。
いまでもその火は広島の行政には受け入れられなくて、民間の行事である灯籠流しでしか使えないらしいのですが、それでも今では8月6日の日。年に1回、広島に帰ってくることができるようになったのは、バウさんの「火を広島に帰してあげたい」というシンプルかつロマンチックな想いが結集してできたことだったんですね~。
バウさんは「ボクはアホやからできたんですよ~」っておっしゃっていましたが、原爆の火を夏の暑い日もずっとずっと大事大事に残されてきた山本さん、そしてその火を全国に分けたい、広島に帰してあげたいって思って活動されたバウさん、シンプルだけど、人間っていいな~っ、愛おしいな~って思います。
私は今日までこのお話を知りませんでしたが、広島生まれの人間として、このお二人や、これに関わって下さった全ての方々に、「火を守って下さって、大切に扱って下さって、ありがとう~!」って感謝の心でいっぱいになってしまいました。
バウさんのお話には、こんなエピソードが山盛りで、群馬までの道のりはあっという間でした。
私は、ホントに世間知らずで、こんな活動を世の中で地道にして下さっている方々がたくさんいることに全く気づくことなく生きていました。
心の窓をもっと開いて、一歩外に歩き出せば、すぐそばに素敵な人はたくさんいますね!
古い記事にコメントしてすみません<(_ _)>
このブログもわたしは読んでいたはずなのに、
まったく記憶に残っていなかったのですが
昨日8日(なぜか8日なことに意味があるように思ったので)、
港区にあるこの火に祈りを捧げてきました~
ワタシも、数年後には広島にいって、灯籠ながしにも
参加してみたいです。
今年はこれまでになく、戦争を繰り返さないようにという
思いが強いです。
2010年はやはり、特別な年なのですね
いつもありがとうございます!