神社を護るということ
2008年 11月 03日
もうすぐ両親が住んでいた家を売却するので、その前の最終確認のため・・・。
自宅にあった山のような本は町の公民館にすでに寄付。また父の仕事関係の書類や、毎年税務署の人に褒めらるほどキチンと書いていた帳簿類や家計簿は、母が再入院する前に帰って全部焼却処分したので、事務所のロッカーの中は空っぽ。
ただ両親や私たちが子どもの頃に着ていた洋服はタンスの中に入ったまま。そして家具や食器類もそのまんま。
でも、もうこれは東京に持ってくるわけにはいかないので、全部そのまま置いてきた。
母が、父と二人で長年築いてきた仕事の歴史や保管してきた仕事の書類、家計簿をどんな気持ちで全部焼いてたのか、それを思うと、切なくなりますが、それも人生。人は老い、そして代は次々とうつりかわっていくんですものね。
まだ本棚には、公民館の人が引き取らなかった30年~40年以上前の中国やソビエトの写真集や満蒙開拓青少年義勇軍やベトナム戦争などの本が残っていたので、それは友人が欲しいっていうので、差し上げた。
世界の美術館の写真集なんかも、まだ残っていたけど、これは、あまりに場所をとるので、誰も引き取り手が現れず・・・・・。キレイな全集だったんだけど、東京の家に置く場所はない!
さて、実家の整理のあとは、長年の懸案だった我が町の宇佐神社さがし。
宇佐とは、不思議なご縁があって、大分の宇佐八幡には時々お参りに行っているのに、私の産土神社だと判明した、生まれ故郷の宇佐神社は、在処わからず、ずっと行けないまま。
というのも、
何年か前、自分の産土神社を見つけるという山田雅晴さんのセミナーに参加したときのこと。
私は全く信心のない父親のもとで生まれ育ったおかげで、お宮参りも七五三もなく、子どもの頃は、家にも仏壇も神棚もなく、初詣さえほとんど行ったことがなかった人間なので、どこが産土神社かは全く知らず、また、気にもせず育っておりましたが、それでも、子どもの頃、庭のようにしてよく遊んでいた2つの神社が近くにあったので、きっとそこが産土神社だろうと・・・。
ところが、なんと、そのときには存在さえ知らなかった「宇佐神社」がそうだと言われ、ビックリ。
地図には載っているけど、それがどこにあるか、誰も知らない。
父をむりやり説得して、1度、探してみたものの、全く場所が分からず。そして、気にはなりつつ、そのまま10年近くの月日がが経ち・・・・。
でも、もう家を売ってしまうことだし、もう町に行くことは滅多になくなることから、ここでご挨拶しておかないと、もう一生、その神社に行くことはできないだろうと覚悟を決めて、今回は、友人を巻き込んでの神社探し・・・。
大変でした。
該当の住所付近に八幡宮が2カ所あったので、ここかな?って思ってみたものの近所の人に聞くと、それは別の神社。 宇佐神社は、もっと奥だからもっと山の奥に入って、そこで人を見つけたら、またその人に聞きなさい、と言われること数度。
人に道を聞くたびに「もっと山奥」と言われ、細い町道を車を走り山道を走っても、行けども行けども神社はない。そのうち、だんだん道を聞ける人もいなくなり、「どこだ~」って途方に暮れていたら、ようやく「あそこの杉林の奥が宇佐神社だよ」と教えてくれる人に出逢い、なんとか到達。
都会とちがい、目印になるような「角のたばこ屋」も「お店」もなく、畑のなかにポツリポツリと民家があるだけの道の間をくぐって行ったので、もう1回行こうとしても、もう2度と行けそうにないような場所に、その神社はありました。
なぜか車では行けないようになっている門扉をくぐり山道を歩くこと数分・・・・。
ようやく到着した宇佐神社は、こんな神社。
広い敷地に小さいけど、手入れの行き届いた拝殿と本殿・・・・。
そしてその前にあるのは、おそらく神楽殿。広島は神楽の盛んな場所で、うちの町にある神社には小さいけど必ず神楽を奉納する神楽殿があるのです。
由来諸には、
祭神は品陀和気命 (※和気清麻呂のことかと思ったら応神天皇の別名だそう)
相殿に、経津主神(ふつぬしのかみ)
伊邪奈美命
猿田彦命
とありました。今の神社は、宝永元年1704年に再建されたもので、由緒はかなり古いもののよう。宇佐神社神儀舞が神事として町の無形文化財に指定されているそう。
今回の神社探しで、これまでお参りしたことの無かった神社も行きましたが、道を走っていて、こんもりとした森が見つかると、その森は必ず神社あり。
鳥居をくぐって長くて急な石段を登っていくと、そこにはやはり神楽殿、拝殿、本殿が。
人はいないものの、どこもキレイに掃き清められ、近所の人たちに大事に護られている様子が手に取るように感じられる。
街角、街角と至るところにあるコンビニエンスストアより、日本は神社の数のほうが多い。そしてどの神社も、そこの住民に大切に護られている。
日本人は宗教も信仰心ものない国民だというけど、こうやって神社がずっと町の人たちに護られているっていうのはスゴイことだよって、以前、ある人に言われたことがありましたが、我が町の神社も、どこも無人の小さな神社だったけど、キレイに手入れされていて、なんだか、とっても嬉しくなってしまいました。