毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

テンプルのひまし油は霊に届く・・・
本業の傍ら、見えない世界にアプローチしながら、廻りの方の相談にのったり、ヒーリングをされているお客さまから、こんなお電話をいただきました。

「テンプルさんのひまし油って他のひまし油と何が違うんですか? 知り合いにひまし油湿布を勧めるとき、試しに安いひまし油でもいいかなと、プラスチックボトルに入っているひまし油や、有機と書かれている遮光瓶に入っているひまし油を試してみたんですが、テンプルさんのひまし油とは、エネルギーレベルが全然違うんです。

プラスチックボトル入りのひまし油も、6番目のチャクラまで届きますし、遮光ボトル入りのものは自分のチャクラの6.8くらいまで届く体感があります。だから、ひまし油はどんなひまし油でもスゴイです。

でもテンプルさんのは、自分が体感している中では一番高く、7番目のチャクラの上20cmくらいまでエネルギーが到達します。日の出直後の太陽が一番強い時の波動です。

霊的な課題を抱えている人や、カルマまで癒したい方には、おそらく、テンプルさんのひまし油を使えば、身体の癒しだけではなく霊まで癒されていくと思います。反対にいうと、そのひまし油じゃないと霊まで到達できないかも。

自分は、聖書の上にテンプルさんのひまし油を乗せて瞑想をしてます。聖書だけ、ひまし油だけじゃなくて、この2つが組み合わされると、強いエネルギーが螺旋になって拡がって、グレゴリオ聖歌のような音楽が天界から聞こえてきます。

仕事がハードで毎日クタクタになってますが、ひまし油湿布で元気を取り戻してます」
おー!なんと嬉しいご報告!
ありがとうございます。

テンプルのひまし油がどういったものかについては、輸入して下さっているシナジーカンパニーの若松さんからこんなご報告をいただいています。

有機栽培の植物は、農薬や化学肥料を使って育てられたものに比べ安全で高品質なことが多いのは事実です。しかし、植物が、人間が用いる「植物原材料」になるまでには、それだけでは充分ではないのです。そこに適切な加工が施されていなくては・・・。

この点を含んで考えても、私たちのひまし油は大変稀有で、高品質なものだといえます。その端的なこだわりが「熱をかけないこと」。

流通しているひまし油は、大きく二つの加工で過度の加熱がされています。一つは実を蒸して柔らかくする熱。もう一つは搾るときの機械による熱です。ひまの実は固く、時間をかけないとオイルを搾ることができません。多くの会社は効率を求め、まず、種子を蒸して少しでも柔らかくします。そして、機械で大きな圧力をかけて、一気に搾り出すのです。

反対に私たちのひまし油は、実は、決して蒸したりしません。機械での圧搾も、植物成分が損なわれる温度以上にならぬよう「コールドプレス」(冷温圧搾)をします。
皆さんにお届けしているひまし油は、オーガニックの原料からさらに植物の力をそのまま引き出すため、時間と手間がかけられているのです。(若松様)

知り合いから、ひまし油で全身のオイルマッサージしたあと瞑想すると、スゴイ深いよーと聞いたことがありますが、聖書の上にボトルを置いて瞑想・・。

初めて聞きました!

私もグレゴリオ聖歌みたいな天界の音楽ききたーい!


それにしても、皆さんのご感想、体験談、凄すぎます。

# by hiroshimapop | 2016-11-09 08:17 | テンプルの商品のご紹介 | Comments(0)
比婆山御陵(広島県庄原市)
マーク祭りが一段落ついた木曜日の夜10時すぎ、車で東京を出発し、一路、広島へ。

途中、車の中で仮眠しつつ、第一の目的地である広島県府中市の常福寺さんに到着したのは、翌日夕方4時。

翌朝からは、尾道(艮神社)を皮切りに庄原市(比婆山御陵)→三原市(御調八幡宮)→甲弩神社(岡山県笠岡市)→総社神社→最上稲荷→三重県伊賀市→大峰山(奈良県)→東京と怒濤の4日間を過ごし、夕べ自宅に戻ったのは真夜中0時過ぎ。

ホント、よく動きました。

今回は、当初の目的地ではなく、その時、その場で思いついて、ついでに寄った神社や場所で意外な収穫があり、為されるがまま、流れるがままに動いた旅でした。

車で広島に行くなんて、人生初でしたが、高速代金、ガソリン代を友人たちと割り勘にしたら、ビックリするくらいの格安旅行となり、肉体的にハードにはなりますが、フットワーク軽く動けるのでこれからハマりそうです。


今回訪れた中から、2ヶ所をご紹介。

まずは比婆山御陵。

比婆山御陵の案内にはこう書かれています。
古事記には「かれその神避りし伊邪那美の神は、出雲の国と伯伎の国の堺、比婆の山に葬りき」と記されており、比婆山は国生みの神伊邪那美命の御陵のある山として、古来より信仰を集めています。麓には比婆山神社(比和町)、熊野神社(西城町)があります。
山頂のブナ純林の中に開けた円丘の中央には、樹齢千年を超える七本のイチイの老木に囲まれ、伊邪那美命の陵墓とされる苔むした巨石が横たわっています。また、御陵以外にも古事記にまつわる巨石や地名が数多く残っています。

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頂上のこのいわくらを守るように7本のイチイの木が植えられています。樹齢1000年ということですから、後から意図を持ってイチイの木を植えられたのでしょうが、「7本」という数字がなにやら意味深です。

ご案内下さった方は「ここは、イザナミの御陵となっているけど、さらに古い、宇宙的な存在に関連する場所なのでは?」ということでした。

この岩以外にも大きな岩がゴロゴロあり、巨石、イワクラ好きには興味がつきない場所だと思います。


今回の旅は、大峰山で修験道の修行をした行者でもある友人も一緒でしたが、彼が寄りたいとリクエストしてきたのが尾道市の艮神社。ここは巨木とイワクラが有名な神社のようで、私たちが滞在したほんの30分の間にも、途切れることなく参拝者がいらしてました。

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玄武かと思ったら、亀の甲羅をつけた虎のようでもあり・・。この酸っぱい顔は何故に?
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おまけ…
到着した時には、もう日が暮れてしまっていたのは三原市の御調八幡宮。こちらは和気広虫に関係のある神社だということで、去年も参拝に行かせていただきましたが、今回は、真っ暗闇で何も見えず…

でも、行者メンバーたちは「立っているだけでエネルギーに満たされた。すごくエネルギーの強い神社だった」と感動してました。

上記の3ヶ所は、広島の東側、岡山に近い備後エリアです。スピ旅行したくなったら是非!

# by hiroshimapop | 2016-11-08 17:54 | 日本の聖地巡り | Comments(0)
エネルギーを堰き止めているもの
今日もまた、コンテンポラリー風水の話題です。


昨日ご紹介した、私の友人のエピソード。本人が詳しく「体験談」として書いてくれていましたので、今日はそれをご紹介します。私の記憶違いもあったので、それも修正しつつ、以下が本人の体験です。

セミナー初日にマークに直接話しましたが、私、プロポーズされました!!

マークの個人コンサルティングも受け、基本的に我が家はマークのアドバイスにのっとり家創りをしていました。

おかげ様で我が家を訪れる方は皆さま口をそろえて「気持ちの良い空間」と言って下さいます。人の大勢集まる家ではありますが、気にしていながら何年も手をつけてなかったのがクローゼット、洋服の整理でした。

洋服だけではなくモノにはそれを手に入れたときの思い出やまつわる記憶があるものです。それを一掃したく(なんせ、2度も結婚と離婚をしているので)、あの時に着ていた服とか、最初のダンナに買ってもらったものとか、思い出も含めてクローゼットには重たいエネルギーがあったようです。

2つのクローゼット、4つのタンス、4つのプラスチック衣裳ケースが、なんと、1つのクローゼットの中に半分だけ、そして1つずつのタンスと衣裳ケースにしました。家の中の風、空気、エネルギーが瞬間に変わりました。

その日から1週間経たずして友人に紹介された男性が、出会って3日後にプロポーズしてくれました!
そんな奇跡を起こす、モノが持つエネルギーに圧倒されました。

財・福・愛と縁のパワーはばっちり整えていたので、流れを堰き止めていたエネルギーを変えるだけで幸せが砕流の如くなだれ込んできました。感謝、感謝です!


おー。そうだったんですねー。前の夫のものをクローゼットから出して処分したら、1週間後、新しい男性が現れプロポーズ!だなんて、分かりやすい! 

宇宙は空白を嫌う。空白ができると、それを埋めるように情報やモノが流れ込んでくる、とよく言われますが、まさに、そんな感じです!


寝室のクローゼットやベッドの下に、昔の恋人からもらった手紙やギフト、写真、まだ保管しているという人もいました。それだと、無意識に気持ちが過去に向かい「昔はよかった、自分にもこんな時があった。それに引き換え今は・・・・」と現在と未来に意識が行きにくくなります。

またスピ系の方は、天使グッズを家中に置いている方もいらっしゃいますが、幼い天使の絵が周りにありすぎるのも(特に寝室に)、成熟したメンタリティには向きません。

愛や縁のエリアを整えたのに、何も起こらないと思われている方は、新しい出逢いを阻むエネルギーが家の中にないかどうか、あるいは、自分の無意識レベルに自立したくない気持ちがないかどうか(たとえば、両親といっしょに住んでいる人は、やはり両親の元にいるほうが楽だとか、毎日、母親の料理をアテにしているとか・・・)しばし見つめ直してみて下さいませー。
# by hiroshimapop | 2016-10-25 16:33 | マークの風水講座 | Comments(0)
『愛と縁』祭りでした、今回のマークの風水講座
2日間の風水講座、両日とも100名を超える方にご参加いただき、大盛況のうち終了することができました。

九州、広島、大阪・・・とご遠方からのご参加あり、今回で受講は5回め、6回めと、再受講のご参加あり。毎回マークの風水講座を楽しみに待って下さる方も多く、ありがたい限りです。

今回から、基礎編はDVDの自宅学習とご参加のハードルが高くなった分、講義スタートから寝室は・・・、トイレは・・・、玄関は・・・と、すぐに役立つ情報満載。皆さん、最初から最後まで熱心にノートを取られていました。

後ろから見ている限り…ですが、講座中、寝てる方は一人もいなかったような。

そして今回、マークもかなり驚いていたんですが、過去に風水講座に参加された方、過去マークの個人コンサルを受けられた方からの、その後の報告が相次ぎ、それも、「愛と縁」充実のご報告が続出。マークが風水ハズバンドだとネーミングしてましたが、講座に風水コンサル後結婚されたご主人と参加して下さった方もいらして、風水による恋愛運アップ効果、皆さん、十分に実感してお帰りになられたのではないでしょうか?


2日間で5人くらいの「恋愛運アップ報告」を聴いたかと思いますが、うち一人は私の長年の友人でした。

本人に了解をいただきましたので少しご紹介すると・・・。

最近60代に突入したばかりのXさん。離婚したあと、男性とのお付き合いは全くなかったそうなのですが、マークのコンサルを受けたあと、自宅のクローゼットの約8割の洋服を断捨離。3つあるクローゼットのうち2つが空になり、全ての洋服をかけても1つのクローゼットの半分におさまる程度に減った頃。。。
ほどなく、思いもかけない出逢いがあり、あれよあれよと婚約することに。

「まさか60歳すぎて自分にこんなことが起こるとは予想もしていなかったのよー」という本人さえ想像だにしなかった状況のようですが、いやー、めでたい!

もちろん、まだまだ美しい熟女さんでしたから、これまで男性とのご縁が遠のいていたことが不思議なくらいですが、クローゼットの洋服を片づける段階で、自分の好きなこと、好きなもの、自分がどう生きたいのかが明確になっていき、その新しい彼女の意識に引き寄せられるように、相応しい伴侶が宇宙から派遣されてきたのかもしれないですね。

恋愛運をあげるためのアドバイスはいくつもありますが、まずはバグアマップで家の中の愛と縁のエリアをチェック。そのエリアが何であろうと(トイレであろうとベランダであろうと)、まずは不用品を片づけ、心地よい空間づくりを心掛けて下さい。そして家の中に、女性一人、男性一人が描かれている絵や写真は撤去。「2つ」「ペア」がテーマの絵や写真を飾ったり、小物を置きます。そしてベッドで寝ている方は、安いビジネスホテルのように片側にベッドをくっつけるのではなく、可能であればシティホテルのようにヘッドボードを壁につけ、両側から人がベッドに入れるような位置にベッドをしつらえます。そして枕やクッションもペアで。つまり一人で寝るにしても、あたかも二人で寝るベッドのようにしておくのです。

恋愛運を高めたいからと、家じゅうにハートのものを置いたり、恋人をイメージする写真を貼りまくる必要はなく、どこか1、2か所、さりげなく整えるだけで十分です。

実際、以前、コンサルのあと結婚された女性が行ったアクションは、クローゼットに小さなペアの置きものを1つ置いただけだったそうですが、クローゼット(自分の潜在意識を司るところですねー)を開けるたびに、カップルをイメージする小さな置きものが目に入り、それが自分を結婚に導いたようだとおっしゃっていました。

まずは、愛と縁のエリアを意識して活性化させておく。そして、あとは天の采配を待ちつつ、ご自身の人生を生き生きと生きていれば出逢いは加速していくと思いますよー。

マーク来日中にコンサルを受けたい方は、あと3枠あります。ご遠方の方は図面と写真でコンサルも可能ですので、この機会をぜひお見逃しなく!




ちなみに、恋愛運をあげたい、恋人がほしい方のための風水アドバイスは、いま制作中のDVDのテーマなので、しばしお待ちを!


カレンさんのこの本はロングセラーのバグアマップによるお片付け本です。読んだことがない方は是非どうぞ。



# by hiroshimapop | 2016-10-24 17:36 | マークの風水講座 | Comments(0)
願いもとめる祈り
先ほど、メルマガ616号で、『神の探求(下巻)』の2日間集中講座の告知を配信しました。朝から夕方までひたすら、びっちり『神の探求』を学ぶ2日間。

ケイシーリーディングを通じて自らの霊性を高めたいと望まれている方のための講座です。魂の震える2日間になると思いますよ。
12月17日(土)、18日(日)の2日間、万事お繰り合わせて、ぜひお申込下さいませー(申込フォームはこちらから)。


さて、そのメルマガを書くために、私はこの1週間、『神の探求』と共に、祈りについて書かれた本『何を、どう祈ればいいか』も読んでいました。その本を読みながら、私は祈っているようで、全然祈っていなかった、自分は何が欲しいのか知っているようで知っていなかったことに思い至りました。


祈りにはいくつもの形がありますが、以下は願い求める祈りについて書かれた箇所です。
イエスも繰り返しそれを強調された。つまり根気強く祈ることである。何かを祈り求めるなら、1度だけでは足りないと言われた。繰り返し、たえまなく、うむことなく祈る。父が聞き届けて下さるまで祈るのである。イエスが挙げられた根気強く祈る人の例を読むことにしよう。

「あなたがたのうちのだれかに友だちがいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを3つ貸して下さい。旅行中の友だちが私のところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです』 すると、その人は家のなかから答えるにちがいない。『めんどうをかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちは私のそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません』 しかし、言っておく。その人は、友だちだからということでは起きて何かを与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きてきて必要なものを何でも与えるであろう。そこで私は言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる」(ルカ11・5~11)

いいえとの答えを受け入れない姿が描かれている。恥も外聞もなく、根気強く求める心がある。イエスはこの人のように祈れと強い口調で命じられた。

要するにイエスはこう言われたのである。「たとえ神があなたの祈りに耳を貸そうとされないかのように思えても、くじけてはいけない。あきらめず、かつずうずうしく求めなさい。根気強く祈りなさい。扉をたたき続けなさい。神を押して押して、押しまくりなさい」

ルカ18章の例を見よう。「イエスは気を落とさずにたえず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。『ある町に神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところがその町に一人のやもめがいて裁判官のところに来ては、相手を裁いて私を守って下さいと言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめはうるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやってきて、私をさんざんな目にあわすに違いない』

それから主は言われた。『この不正の裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあるだろうか』(ルカ18・1~7)

(中略)

私たちが祈り求めることを自分のものにできないのは、しばらくは祈るが、まだ手に入れてないのに、祈りに飽いてしまうからだ。イエスがお与えになった教訓をしかと受けとめねばならない。彼は言われる。「このうるさくてかなわない未亡人、その根気強さで裁判官をうんざりさせた未亡人になりなさい」

(中略)

神に少ししか願わないなら、少しだけしかかなえられない。少しだけ神を必要としているから、神はその程度にこたえられる。この少ししか求めないとは、何を意味しているか。私は、充足した、安全な、よく守られた、凡庸な生活を送っていることを、はからずも告白しているのである。自分の身に危険が迫るような生き方はしていない。これでは福音を宣教する者にイエスが求められる生き方からは、はるかに遠い。

少ししか祈らない人は、福音が促す挑戦的な生き方、危険をわが身に引き受ける生き方へ少ししか歩み寄らない。生活のなかで少ししか挑戦しない人は、少ししか祈らない。


神は私のことは何でもご存じだから、わざわざそれを神に知らせることはない、という人がいます。神に祈る言葉は世界平和や感謝だけにすべきである、と云われることもあります。でも、自分の願いを神に伝えられない、ということは、つまりは、自分が何をしたいのか、どういう願いを持っているのか、実は曖昧ではっきりしていない、知らないのかもしれません。祈る言葉は世界平和や感謝だけにすべきなら、いったい私達は、一人ひとりが幸せを求める気持ち、願う気持ちをどこに向けたらいいのでしょうか。

流れ星が流れている間に3回願いごとを言うと叶えられる、というのは、そんなとっさの時にすぐに3回重ねて言えるほど願いが具体的ではっきりしているとも云えます。そこまでクリアであれば、その願いが叶う日は近いでしょうね。

自分は何をしたいのか、どちらに向かって行きたいのか、何が欲しいのか、まずは明らかにする。そして神が根負けするほどしつこく願い祈る。そしてそれが叶ったかのように生きる。

ケイシーのリーディングにこのような一節があります。
『すべての祈りは聞き届けられる。神に、その答え方を指示してはならない。 望んでいることを神に知らせよ。そして、それらは叶えられた思って生きよ。 なぜなら、主はこのように言われた。 「汝らが私の名において信じて求めるものは、天の父が汝に与えて下さるだろう」と』 4028-1


幼子のように・・・というフレーズが聖書にはありますが、確かに幼子はしつこいです! デパートで地団駄踏んでる子供、時々見かけます。私には5歳離れた妹がいますが、妹は小さい頃(10代の頃も確かそうだったような)、欲しいものがあると手をかえ、品をかえ、両親が呆れ、根負けするまでしつこく訴え続けてました。

私は幼少の頃から諦めが早く、幼子のしつこさを持つことすら人生の早い段階で諦めてしまってました。確かに、考えてみれば、私は人生において少ししか挑戦していないですね。

祈りについて書かれた本ですが、書かれていることは刺激的です。





# by hiroshimapop | 2016-10-21 18:56 | おススメBOOKS | Comments(0)
You Are So Beautiful
ずいぶん前に買って本棚に入れたままにしていた本にフト目が行くってことがあると思います。今朝、私が手に取った本もそんな感じで、「この本、いつからあったんだろう?」とパラリと開いたら、マイケルさんがよくセッションの時にかけている曲のことが書かれていました。

その部分をちょっと書き出してみます。
瞑想のクラスで教えていたときのことを思い出します。その瞑想で、私は受講生たちを聖なる母と聖なる父に出会うよう導き、それから聖なる母と聖なる父に手をとってもらって自分へのメッセージを受け取るように云いました。私も聖なる母と聖なる父の手をとりました。すると声が聞こえたのです。「アモラ、あなたは決して落ちこぼれではありません。私たちがあなたに失望したことは一度たりともありません」。その瞬間涙がこみ上げました。

(中略)

その日、彼らは別のことも伝えてくれました。
「あなた自身が美しい光の存在だということを思い出すとき、いつでも私たちの愛が感じられるでしょう。私たちにはあなたの美しい愛と光に輝いた本質しかみえません。私たちはあなたを永遠に愛しています。ですから、どうかあなたの真の自己を見ることを学んで下さい。そうすれば、つねに私たちの愛がそこにあるでしょう」

そして彼らは You Are So Beautiful という曲を私のために歌ってくれました。たくさんの音楽が高次の世界から作詞家や作曲家たちにチャネリングされて誕生しましたが、この歌もそのひとつだということです。それ以来、ハイアーセルフがときどき私にこの曲を歌ってくれるようになりました。するとそのたび、自分がほんとうは誰だったのかを思い出すのです。


ハイアーセルフの歌声は残念ながら私の耳には聞こえてこないので、さて、自分で歌うことにしますか。





# by hiroshimapop | 2016-10-12 22:22 | 世界は不思議に満ちている | Comments(0)
万歩計がこんなに進化してました
今年1月、メルマガで結局3回シリーズで書くことになったのが「座らない」ということ。
第1回目は、書籍「座らない」の内容を抜粋しながら、動くことの重要性をご紹介しました。


~以下、今年1月22日のメルマガより一部転記~
「座り続ける」ことが健康にとって最大の敵である、ということについて、著者はこう書いています(短く書き直しています)。

『運動するだけでは十分ではありません。スポーツジムで週3回汗を流してもやはり十分ではありません。健康維持の秘訣は、1日中ずっと活動的でいることです。

平均すると、私たちは1日9.3時間も座っています。眠っている時間よりも座っている時間のほうが長いのです。人間の体はこのような環境に適応するように創られていません。たとえ食事に気をつけて1日30分運動するのを日課にしても、毎日9時間以上の座位に伴う悪影響を相殺できません。

1日7時間以上運動する人のうち、1日の大半を座って過ごす「座位グループ」とそうでない「活動グループ」に分けて比べてみましょう。すると座位グループの死亡リスクは活動グループと比べ50%以上高くなります。

1日6時間以上座ると、早死にするリスクが大きく高まります。どんなに運動しても、健康的に食べ、禁煙しても、過剰に座る習慣を改めない限りは健康問題を誘発します。

車の運転、テレビ、会議の参加、パソコン・・・座らなければならない状況はいくらでもあります。

人々は座るたびに健康を害しているのです。座った途端、まず足の筋肉の電気的活動がストップします。消費カロリーは1キロカロリーへと低下し、脂肪燃焼を促す酵素の生産は90%減少します。

2時間座ると、善玉コレステロールが20%減ります。立ち仕事の人と比べて、心血管疾患の発生リスクは2倍になります』

ではどうすれば?と思いますよね。

著者は、まず1日の過ごし方を検証し、余分に動く隙間と瞬間を作り出すよう勧めています。

手の届く範囲に必要なものを配置し、全く動かなくても快適に過ごせるようにしているなら、あえて何かを遠くに置く。そうすれば、それを取りに行くために、立ち上がって歩くことになります。

その他のアイディアとして、こんなことも上げられています。
*時々立ち上がってストレッチする
*出来る限り体を動かす
*会社の内線は使わず、同僚の部屋まで歩いていく
*動きながらテレビを見る
*座らず立っておく
*エレベーターの代わりに階段を使う
*仕事の合間に休憩時間をつくり、歩く

~転記終わり~

私は基本ネコ人間ですから、時間があればゴロゴロしたいー。

なので、絶対的な運動量は足りてないのは十分自覚してます。1日の運動量を把握するのに、アップルウオッチはいいよー。動いてないと「立ち上がるよう」アップルウオッチから指示がでるよーと薦められたんですが、使いこなす自信がなく、どうしたもんかと思っていたら、先日、こんなものをAmazonで見つけました。

万歩計の進化版(?)。

いろんなグレードのものがあるようですが、とりあえず私は廉価版を購入。目が醒めてから寝るまでの間ずっと腕にはめてます。スマートフォンにアプリを入れ、ときどきアプリを立ち上げれば、同期してその日の運動量が分かります。

判明したのは、運動不足だと思っていた日も、1日6000歩くらいは歩いていたこと。そしてこれをはめているだけで、エスカレーターじゃなくて、階段を使うモチベーションが上がること!(なんと単純なことか!)私は現在歩数計算にしか使ってませんが、グレードの高いバージョンは、もっといろいろなデータが出るようです。
 *海外パッケージ用は日本語の説明書がついてないので、要注意です(ただ、だいた予測はつくのと、アプリを立ち上げれば日本語アプリと連動するので大丈夫かと思います)。

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# by hiroshimapop | 2016-10-05 17:33 | こんなものを買いました | Comments(0)
舩井フォーラム2016 にGO!
今日配信したメルマガでもご紹介しましたが、10月15日(土)、16日(日)、舩井フォーラム2016が横浜のパシフィコ横浜で開催されます。

去年の横浜フォーラムは、テンプル主催でマークの風水講座を大阪で開催していたので、参加できなかったのですが(1年前のあの日、色々あったので、あれからもう1年、というのは個人的に感慨深いです)、今年は早めにチケットをゲットして楽しみにしております。

個人的に楽しみにしているのは
15日の大ホール:10:00-10:20 中山博さんの「あわうた」←(リンク先は中山さんのサイトではありませんが)
オープニングを飾るのが、主催者の挨拶ではなく「あわうた」というのが、いいですねー。
実は、友人たちと九州の神社巡りツアーをしたときにご参加して下さったのが中山博さん。各地で「あわうた」を聴かせていただきました。中山さんの「あわうた」はちょっと不思議な「あわ歌」で、神様との交信との時間でもあるんですよねー。
当日フォーラムに参加される方は、朝イチから是非どうぞ。

15日の午後、小ホールでは、14:10-15:00という短い時間ではありますが、兄(光田秀)が、ケイシーリーディングに基づく祈りについての講演を行います。ケイシーのリーディングはとても美しい! 魂に響くリーディングをぜひご堪能下さい。

16日は、参加したい講座がバッティングして、どこに行こうかまだ迷い中。


・・・そして、15日の夜の交流会・懇親会&赤塚さんたちのMCサクセションライブは、ある意味強引に誘われての参加ですが、楽しみにしてますよー。

ライブ前の交流会には、フォーラムに登壇される講師陣も参加されるようで(全員ではないそうですが)、お目当ての方がいらしたら、できるだけ近くでそのオーラを感じるため、すりすり近くに寄りたいものです。
現時点では青木勇一郎さんはご参加になるそうですよ。

青木さんのプロフィールを読むと『20 代より、心理カウンセリングや催眠療法や気など の一流の専門家に師事し、専門的な知識と技術を身につける。それと同時に徳の高い経営者たちと交流、成功の秘訣について聴く。20年以上の潜在意識と波動の研究より、驚きの脳力開発に成功。超能力者にしかできないと思われていたオーラを読む能力やアカシックレコードを読む能力や前世を読む能力を短期間で習得する方法を発見し、教育することに成功。フランス、オーストリア、イギリス、アメリカなどから一時帰国をして参加する受 講生もいる。受講生の中には、国立大学の心理学教授や医師などもリピーターとして参加し、好評を得ている』・・・と、とっても興味深い内容が・・・!
これは期待十分です!

19:20~の、赤塚さん、舩井さん、出路さんたちが組むMCサクセションのAKDライブ、たぶん、異次元空間が出現すると思いますー!

メルマガにも同じことを書きましたが、前回のステージでは、前日その赤塚さんたちの歌を聴いたという男性が、ホントに顔がスッキリして、あれ?と思っていたら、前夜のステージが素晴らしかったと。赤塚さんの歌と一緒になってシャウトしていたら、色んな悩みが抜けて昇華したと言われてました。いい年のオジサンたちが、本気で練習して本気で歌っていますからね。それに、赤塚さん、出路さん、唄、うまいんだな、これが。


・・・そして、今回のフォーラムは、「封印を解く」ということがテーマになっているようです。
「封印を解くこと」に関しては、こちらのページに説明がされています。ここでは国や世界にかけられた封印について語られていますが、ここ数年、過去生、前世で自分の魂にかけられてしまっている封印や呪いを、解き始めている方々、きっと多いのではないでしょうか?
次の次元にシフトするため、過去生からの呪縛を解いて、自由な魂になるタイミングが地球規模で来ているのかもしれませんねー。

舩井フォーラムの詳細、申込はこちら

15日夜の交流会・懇親会&赤塚さんたちのMCサクセションライブのチケット(6000円也)は、私も預かっています。
必要な方はお知らせ下さい。15日当日、会場渡しでも大丈夫です。

  16日に登壇されるセツさん(サイキックの方)は、なんと、テンプルのお客さまの1人でした!

# by hiroshimapop | 2016-10-01 19:05 | セミナー・舞台情報 | Comments(0)
偽ケイシー
何年か前に、エドガー・ケイシーをチャネリングした、という本が送られてきたことがあります。
ケイシーだけではなく、たしか数名の有名人がチャネリングされていたようですが、ともかくも、ケイシーをチャネリングした、というページを開いてみました。

が、冒頭から絶句。
数行読んで「なんだこれ?」とそのままゴミ箱に。

ケイシーが日本語を話したなら、こういう日本語は絶対に話さない、という軽口とタメ口が続き、まるで渋谷をウロウロしているのが似合いそうな10代の男の子の口調でありました。

私はもともと本好き、活字好きなので、本をゴミ箱に捨てることは、人生のなかで(記憶にある限り)2回しかないんですが、内容が内容だけに粗大ゴミにも古本屋にも出せず(他の人が読むと嫌なので・・・)、かといって、本棚に入れておきたくもなく、申し訳ないですが、そのまま処分・・・。

きっと、その霊能者も本を編集者も、ケイシーがどのような人だったか全くご存じなかったのでしょう。ケイシーが生前、いかに高潔で謙虚な人だったか・・・。知っていたら、本には出来ないと思いますし、それ以前に、自分の口を通して語った霊が誰なのか、どんなたぐいの霊なのか、疑いを持ったでしょうねぇ。


あの本は読んだ瞬間、こりゃ偽物だわって分かりましたが、もし、雑誌や本でケイシーをチャネリングした、とか、ケイシーからメッセージを受け取った、というものがあった場合、おそらく99.9%は偽物だと思ってもらって正解です。

ケイシーは、自分が亡くなったあと、自分の名前を語ってメッセージを伝えようとする霊が現れるであろうことは予測していました。そのためケイシーは、その霊が偽物か本物かを見分ける印を家族に伝えています。

ですから、その印が語る言葉になければ、そのメッセージは偽ケイシーからもたらされた可能性が高い。

さらに、そのメッセージをもたらした、あるいはチャネリングしたのが霊能者と名乗る人であるなら、その人が語る他のメッセージも、どこに繋がってもたらされているのか、そのソースを疑ったほうがいいかもしれません。

じっと見てると、その霊のお尻にシッポが見え隠れしているかもしれません。

# by hiroshimapop | 2016-09-27 16:37 | 世界は不思議に満ちている | Comments(1)
『サンカの民と被差別の世界』
引きつづき、五木寛之さんの本、読み続けております・・・。

地元広島について書かれた『サンカの民と被差別の世界』。先日読んだ「隠れ念仏、隠し念仏」もそうでしたが、こちらも歴史の教科書には絶対登場しない日本の姿が書かれています。

ちなみに「隠れ念仏・・・」の本で私は、隠れキリシタンのように念仏を唱えることを禁じられた人達がいたことをはじめて知りました。彼らは夜秘かに集まり何百年も隠れて念仏を唱え続けてきたんだそうです。そして、隠れキリシタンがそうであったように、政府の弾圧は厳しく、見つかると拷問と処刑が待っていた・・・。

命をかけて念仏を唱え続けてきた人がいた。しかも何百年も。興味を持った方はぜひ「隠れ念仏・・・」の本を読んで下さい。


さて、この『サンカの民と被差別の世界』では、長く日本で雑賤民と扱われてきた、山の民、海の民、放浪の民、芸人たちがクローズアップされています。

かつて天皇は村人を国の宝「オオミタカラ」と呼んでいた、と私たちは学びましたが、「オオミタカラ」とは主に町民、農民をさし、「オオミタカラ」の範疇から外れていた人達がいました。「士農工商、エタ、ヒニン」という制度化されてきた身分があったことも学校で学んで知っていますが、実にこの区分に漁民や山の民は入っておらず、身分制度からも「オオミタカラ」からもはみだした人達、それが山の民(サンカ)であり、漁民だったんですね。


漁民について書くと、小さな船の上で生活をしていた人が多く、陸上で定住していなかったことが理由の1つ、漁業は仏教の「不殺生戒」を犯すものと見なされていたことが賤民扱いとなった理由のようです。だったら、日本神話にでてくる海幸彦はどうなんだ、それを買って食べる人はどうなんだ、とちょっと突っ込みを入れたくなりますが、戸籍のようなものも、瀬戸内海に点在する多くの島では漁民のものはなかったそう。

瀬戸内海もそうですが、海に囲まれている日本は魚をとることを生業としていた人達が大勢いたわけですから、賤民として扱われてきた人達がどれほど多くいたか。そして差別される人たちを制度として作らなければならないほど、日本の農民も苦しい生活を強いられてきたということでしょうか。


ここでは、漁民ではなく、私たちに馴染みのある芸人について書かれていた部分から少し抜き書き。ここも興味深かった部分です。
今回の広島への旅で、私は日本という国の歴史というものがいかに重層的であるか、ということをあらためて感じることになった。

たとえば、良民の外に位置づけられていた「化外の民」にしても、そこには非常に細かく、複雑でデリケートな違いがある。(中略) 卑賤視したり、差別するということも、もうひとつ別の面がある。その背景には情念としての畏敬の念があり、ひょっとすると憧憬さえあったかもしれないとも感じる。「聖」と「俗」が、「聖」と「穢」が、「聖」と「賤」が重なりあう。そういう領域が存在することを、私たちは見落としがちだ。

役者という存在が、かつては「河原乞食」と呼ばれて卑賤視されていたことは知られている。ドサ回りの芝居興行で村々を回って歩く役者たちを、村人たちは村の中には入れず、境界線周辺に泊めたりした。それでいて、道を歩いている彼らの後を、一緒にぞろぞろついていったりする。彼らの芝居の興行が村にやってくるのを、心待ちにもしている。

また、春駒をはじめ、万歳(まんざい)や大黒舞などの新春の言祝ぎの芸能は、ほとんど被差別民が担っていた。万歳はその典型的なもので、賤民の人びとだけが許されて、神や仏の代理人として家々を回ったのである。彼らが10分くらいかけて語る万歳の祝詞は、新春3日間で一番大事な祝詞の言葉だった。その祝詞の言葉はとてもむずかしいが、文字が読めないにもかかわらず、彼らはその言葉をすべて暗記していたという。それらは父祖から代々、口伝えによって受け継がれてきたものだった。

日本は言葉というものを大事にする言霊の国である。祝福の言葉を淀みなく述べる遊芸民たちは、それだけである種の畏敬の念を抱かせたにちがいない。それは芸であると同時に、ある意味では超人的な力だといってもいい。

一面では差別をされて村のなかでも交際を絶たれている賤民たちが、一番おめでたいときに神や仏に変わるという構図がここにはある。

(中略)

沖浦氏によれば、遊女はもともと神に仕える女性であり、呪術的なシャーマニズムから来ている存在だったという。仏教や神道が成立する以前の日本は呪術的なアニミズムの社会だった。呪術的なアニミズムの場合、ケガレ観念はあるが、そのケガレは両義性を持っているというのだ。

つまり、大地や大自然は人間にすばらしいものを与えてくれる。雷は恐ろしいけれども偉大な力でもある。悪いと同時にものすごいという感覚だ。その残像のうち、片方の畏敬の念が徐々に薄らいできて、卑賤視だけが強くなってくる。それが両極に現れたのが近世の歴史ではないか、と私は思う。

(中略)

あらゆる芸というものは最初は神事であり、聖なるものだったといっていい。相撲にしても田楽にしても、神に捧げるものであり、神を呼び込むためのものだった。それが神や仏にかかわる「聖」の部分が失われて、「俗」のほうへ、ビジネスへと変化していく。その過程で、それに携わる人びとも畏敬の念を持たれなくなってきた。


「俗」でありながら同時に「聖」であり、卑賤視されつつ同時に尊敬もされる。人間の複雑な情緒がここにあります。

私たちが教わらなかった、知らなかった日本の深層へ・・・。まだまだ五木寛之さんの本の旅は続きます。。。。


# by hiroshimapop | 2016-09-22 07:46 | おススメBOOKS | Comments(0)