毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

蛇の倉七尾山
蛇の倉のお正月は、おせち料理も美味しいし、空気は清らかで霊気に溢れおススメー!と、蛇の倉で行をし、先達もやっている友人に勧められて、年末年始を蛇の倉で過ごすことにしたものの、なんと、大みそかにまさかの大風邪。これも魂のお清めと云われつつ、3食たらふく食べて太って帰るはずが、奈良の山の中での寝正月とあいなってしまいました。

ここは行者さんたちが共同生活をしながら修行をする場でもあり、住んでいる人=行者さんという公式がほぼ当たっている場所です。現在は毎朝3時に起きて、洞窟で行をあげているという若い男性が一人…。彼はすでに600日間、早朝のその行を行っているそうですが、皆さん、3年、5年と期間を決めて、黙々と自分の行をされている姿にはホントに頭が下がります。

ほかの皆さんは朝5時起床でまずは宿舎で朝の拝神と先祖供養。そして本殿に移動して朝6時から拝神と先祖供養が行われています。私も滞在中はずっと朝5時起き。朝の拝神と先祖供養だけは参加させていただいています。

今回は元旦から3日連続で祈願の大護摩が焚かれ、私は元旦と2日の2日間参列させていただきました。テンプルのお客様からお預かりした合計370本の護摩木もありましたし…(毎年、どのような護摩が焚かれるかはその年、その年で違うそうです。今回、正月に3日連続で大護摩が焚かれるのは異例中の異例のことだったらしいです)。

護摩が焚かれた会場はこの陽明門のちょうど裏手。火が点火される前にすでにその場は結界が張られ、印が切られていますので、写真撮影は不可。なので護摩の写真はありません…。でも護摩を先導された先生いわく、ちゃんと不動明王様がご出現になられたそうで、護摩木に書かれたの願い事は無事、火と煙ともに神様に上がっていきました(その願いが受けられるかはまた別の課題ではありますが。。。)。


2016年は熊本に地震があった関係で、地脈で繋がっているここ蛇の倉の奥の院も2016年は開けられることがありませんでした。今年は奥の院が開かれるかどうかはまだ未定のようですが、奥の院が開かれても開かれなくても、この霊気に触れるだけでもこのあたりに来られる価値はありです。なんせ東京からは真夜中に車を飛ばして9時間かかるところですから、おいそれといける場所ではありませんし、観光地でもないので(天川神社は比較的近いですが)、行楽地に行くのとは全く違った意識で来ないと「何も行くところもすることもない」ということになってしまいますが、奈良に車で行くご縁があれば是非。場全体が「神域」ですから、しばらく本殿に座っているだけでも十分魂の浄化になると思います…。



本殿の陽明門
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根本道場!
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山深いところゆえ、初日の出スポットは遥か遠く、ようや元旦の太陽が顔を見せたのはお昼近くでありました…
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# by hiroshimapop | 2017-01-15 23:11 | 日本の聖地巡り | Comments(1)
日本の神社
年末の奈良の旅のつづき・・・

平城京あたりをぐるりと散歩している途中にあった佐紀神社。小さな神社ながらも、近所の方々に大切にされている気持ちのいい神社さんでした。

私は日本の神様の関係性がいまいち、覚えられなくて、ご祭神を読んでもピンとこないことが多いんですが、こちらのご祭神は、天児屋根命、経津主命、六御県命。天児屋根命は、天照大神が天岩戸にお隠れになったとき祝詞を述べた神様ですから、その神様がどのような経緯でこちらに祭られるようになったのか、ちょっと興味あります。


こちらの風習なのでしょうか、鳥居のはるか低く正月飾りがしつらえてあり、また土饅頭と云うべきか、本殿まで続く参道に、小さな土盛りがしてありました。

人が必ず神社に入る前に頭を下げるよう正月飾りを下げ、そして、すぐに本殿に行くのではなく、ゆっくり地面を踏みしめながら本殿までを歩けるように土盛りがしてある、と推測したのですが、いかがでしょうか?

日本からだんだん正月らしさが消えつつあり、うちの近所でも、玄関に松飾りやしめ縄を飾っているお宅は本当に少数。

大手のチェーン店は元旦から開店したりしてほんとに残念。あの清らかで静寂な日本のお正月の雰囲気を私たちに返してほしいと、毎年思います・・・。

私が子供のころは、正月は車にもしめ縄が飾ってあり、どこにいってもお正月らしさを感じられました。こうやって神社にお正月ならではの飾りがしてあると(私は通りかかりの旅行者でしたが)、なんだか気持が引き締まって良いですねー。


                    佐紀神社(平城京のすぐ近くにある神社さんです)
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                      土盛りが本殿まで続いています
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旅のメンバーが、なんだか最近、広虫(和気清麻呂の姉で、日本で最初に孤児院を作った女性。女性天皇だった孝謙天皇に仕えた)が気になるということで、孝謙天皇(称徳天皇)が眠る高野陵にも参拝。私は数か所だけですが、日本各地の天皇陵に参拝しています。こうやって歴代の天皇陵が、(鹿児島には神武天皇以前の神代の時代の御陵までも)、きちんと整備されている日本という国も不思議な国です。

佐紀神社のご祭神天児屋根命もそうですが、神話を言葉としてあえて子孫に伝えようとしないのに、ここかしこ、アチコチに形として残っているんですから、意識すれば、日本中で神話に行き当たります。


                   高野陵((たかののみささぎ)、前方後円墳
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                 第48代称徳天皇(第46代孝謙天皇が重祚)の御陵です
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# by hiroshimapop | 2017-01-13 14:22 | 日本の聖地巡り | Comments(0)
唐招提寺と平城京跡
年末年始は、かねてから予定していた奈良の修験の山、蛇の倉へ。

いつもは夜中近くに車で東京を出発。明け方、天理の石上神宮に自分たちの払いも兼ねてお参りして、それから蛇の倉に向かっているんですが、今回は平城京跡に寄りたいという希望があり、その前に唐招提寺に。

唐招提寺に来たのは初めてでしたが、なんとも空気の清らかな場所。すべてが美しく整えられており、志高く日本にいらした鑑真和尚の崇高な魂がそのまま息づいている感じでした。

                        奈良時代に建てられた金堂
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                     これはいつの世に作られた土塀でしょう?   
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    中に入ることは出来ませんでしたが、とてもエネルギーの高い場所でした
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                           苔も美しい
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                         苔と光のコントラスト
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                   雨雲もないのに、突然の小雨がふりしきり…
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そして夕暮れ迫る平城京跡へ。
以前、NHKの特集で、1300年前、東北から九州大宰府に整備、張り巡らされた巾15メートルほどの高速道路についての番組を見たことがあります。曲がることなく、とにかくどこまでもまっすぐ続くその道の終着点は平城京。平城京から地方に、そして地方から平城京に人や情報を速やかにいきわたらせるため、その道は整備されていたと記憶しています。当時の日本国民が450万人しかいなかったのに、少なく見積もって、のべ3000万人は動員されたはずだと云われていましたが、その道路を作ったのは果たして誰なのか?天智・天武天皇あたりではないかというのが有力だそうですが、それほどの大きな権力をあの二人が果たしてもっていのか? 謎の多い高速道路ではあります。

・・・そして、あの道がこの場所を拠点にしていたのかーと、ちょっと感慨深かい。夢でもいいので、タイムトラベルできたらと思うのは、こういうときですねー。

                          平城京あと
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                1300年前の夕暮れもこんな景色だったのでしょうか?
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# by hiroshimapop | 2017-01-12 17:52 | 日本の聖地巡り | Comments(0)
今年の冬至は富士山でスタート
毎年、秋くらいになると、今年の冬至はどこで日の出を見ようかしらとなんとなーく思いつつ過ごしています。2年前の冬至の日は、サンプラザ中野くんや友人たちと、「ミニ三種の神器巡り」と称して、明け方皇居で集合。そのまま車で名古屋の熱田神宮にお参りに行ったことも。さすがに伊勢までは廻る時間がなかったので、2/3種の神器巡りになってしまいましたが、イベント考えるの好きなんで、けっこう暦で遊んでます。

で、今年は富士山が見たい!ということで、前日の夜から山中湖に。

前の週の週間天気予報だと、この日はあいにく雨模様の予報。でもまぁ富士山のふもとにいるだけでもいいかなーとそのまま計画続行。

雨か曇天も覚悟して行ったら、これがなんと雲ひとつない晴天の朝。前日、厚い雲に覆われていた富士山の頂上も美しく晴れ渡ってました!

あな嬉し!

これぞ、The 日本の風景!ですね。

        赤富士とまでは行きませんでしたが、うっすら色づいて美しい!
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                    山中湖にあがる太陽
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             裾野の町は毎日富士山三昧ですねー。いいなぁー
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# by hiroshimapop | 2016-12-27 21:11 | 日記 | Comments(0)
糸井重里さんの『抱きしめられたい。』
糸井重里さん主宰のほぼ日刊イトイ新聞に糸井さんが毎日綴られているエッセイをまとめた最新刊。

さすが、糸井さん。珠玉の言葉がたくさん。どのページをひらいても、胸にぐっとくる一言があります。

糸井さんの親友で2015年夏に亡くなられた岩田さん(任天堂代表取締役)のことを書かれたエッセイはどれも涙なくしてよめないです。その一文を読むだけでもこの本は買う価値ありです。

以下に紹介するのは、いつだったかフェイスブックで紹介したら「いいね」がたくさんついたもの
「やりたい」ことを思いつくだけでも幸せだ。
それを、苦労しようが失敗しようが始められるのは、
ものすごく恵まれたチャンスだと思う。
「やりたくない」ことや、
「やらなきゃならない」ことをやっていても
ちゃんと時間は過ぎていく。
そればかりやっていて一生が終わることだってあるだろう。

「やりたい」と思えるようなことを、
「やりたくない」ことや、
「やらなきゃならない」ことだらけの荒野のまん中に、
しぶとい雑草のように植えつけてやるんだ。

そいつが広がっていくうちに、鳥もくるだろう、
どうぶつも飼えるようになるし、
屋根のある家も建てられるかもしれない。
水を溜めたり、さらに作物を育てたりしていくうちに、
なにより素敵なことに、人だって集まってくるんだ。
笑顔やら、たのしい話やらをみやげにしてね。

しつこく言うよ、同じことを。
「やりたい」ことを思いつくだけでも幸せなんだ。
それを、じぶんたちの手で始められるのは、
ものすごく恵まれたチャンスだよ。


この1冊を持って、旅に出るのもいいと思う。どこか知らない風景のなかでぼんやりしながら読みたい気がします。


# by hiroshimapop | 2016-12-26 14:40 | おススメBOOKS | Comments(0)
イエスの最期
クリスマスの今日。メルマガでは、イエスの誕生についてケイシーが何を述べているかを書きました。

誕生があれば死がある、ということで、このブログではイエスの磔について。

イエスが磔になった姿は多くの画家がテーマにしています。教会に行くと磔のイエス像が掲げられています。

私はいつもその苦痛に歪んだイエスの顔が気になっていました。

磔になったイエス、肉体的には苦痛に満ち、私たちには惨めな最期としか思えないそのいっとき、霊的には歓びに満ちていたのではないか?磔になりながらも、恍惚と歓喜に満ちた表情を浮かべることもあったのではないか?ずっとそう思ってきました。

その私の疑問に応えてくれるような記述をサンダー・シング(スンダル・シング)の本に見つけました。

サンダー・シングは1889年インドに生まれた聖者。15歳までにヒンドゥー、仏教、イスラム教を学びますが魂の渇きは満たされず、死をかけて祈った彼の前に肉体をもったイエス・キリストが顕れます。イエスとの出会いから一転、それまで嫌っていたキリスト教徒となり、豊かな生活を捨て、16歳から聖書と毛布だけを持ち、キリストの伝道へと歩き始めます。伝道の地はインドだけでなくチベットやネパール、日本や中国、シンガポールも含まれており、そしてもちろんヨーロッパやアメリカでも伝道は行っています。

彼の人生は苦難の連続でありながらも、同時に神の臨在を常に感じる人生でした。祈りについても彼は多くの言葉を残しています。シングの言葉はいずれ、あらためて紹介したいと思いますが、今日のテーマ、イエスは痛みの中にあっても霊的には歓びに満ちていたのではないか?

そのヒントになるような一文が『イエス・キリスト 封印の聖書』に書かれていました。

一部引用します。

伝道におもむいた地で、サンダー・シングは何度も激しい拷問をうけました。
まずネパールで受けた拷問の際、彼の身に起こったことをシングはこう述べています。
「わたしが宣教をやめようとしないのを見て、彼らはわたしを逮捕し、投獄した。着物を剥ぎ、手足を木の台にはめ込み、その上でたくさんのヒルを近くに置いていった。外からは、彼らの罵声する声が聞こえてきた。2,3時間の間、わたしは大変に苦しんだが、それから主の聖なる臨在によって、牢屋は天国に変わった。歓びに満たされて賛美の歌をあげていると、多くの人が戸口に集まりだし、そこでわたしはキリストの教えを説いた。それから、また解放された。吸血ヒルに多量の血を吸われたため、次の日は歩く度に目まいを覚えた。主の御名のために苦しむ名誉を与えてくださる神に栄えあれ!」


チベットではさらに激しい拷問を受けます。これは完全に死を意味する拷問でした。
サンダー・シング自身も、チベットで同様な拷問の刑に処された。それは1度投げ込まれたら2度と生きて出てはこれない深井戸の刑である。地下12メートルの井戸に投げ込まれ、骨折して横たわった彼の周囲は、悪臭の立ちこめる死肉の山だった。彼は3日目に超自然的な介入によって奇蹟の救出を受けた。その間のことを彼はこう述べる。

「体の苦しみは大変なものだったが、霊において、わたしは幸せだった。わたしは神に祈り、神の歓びがわたしのハートに流れ込み、満たして下さったために、自分のおかれた忌まわしき環境を忘れてしまっていた。無上の平和がわたしの心を満たした。それは、言葉に表せないほど甘美なものであった。祈りを通して、キリストの平和の恵みを、この3日間ほど強く感じたことはない。

深井戸は、主の平和によって天界の門と化した。漆黒の闇の中、腐肉と骸骨と悪臭の中で、主の平和に浴することがいかにして可能であろうか。このような歓喜、このような平和は、この世の何ものからも来ないのである。神のみがそれを与えることがおできになるのだ。(中略) この地獄のような場所で、溢るるほどの歓喜はどこからくるのであろうか。わたしは、このときほどはっきりと、イエスが生きておられることを感じたことはない。主が、わたしの心を平和と歓喜で満たして下さったのである」


臨死体験をした方の話として、肉体的には苦痛に歪んだ表情で痛みに七転八倒していたはずの時間、彼の魂は苦痛どころか、素晴らしい光の中にいた、という体験を聞いたことがあります。

普通の人でも肉体の死を迎えている時にそのような至福の体験をしており、さらに、イエスの福音を伝えるサンダー・シングにこれほどの平和と歓喜が訪れていたなら、磔となった神の子であるイエスに神の恩寵が訪れないはずがない・・・。

教会の神父さんや牧師さんの中には、惨めに生まれ、惨めに死んでいったとイエスの生涯を語る方もいらっしゃるようですが・・・。


サンダー・シング(スンダル・シング)の本は、どれもいま絶版のようなので中古でしか見つからないと思いますが、入手できたら是非!写真をみると、ものすごいエキゾチックでハンサムな方です!

# by hiroshimapop | 2016-12-24 17:32 | 世界は不思議に満ちている | Comments(2)
リーディング378-44の「主の祈り」
2日にわたって開催した『神の探求(下巻)』講座。21年かけて翻訳した内容のエッセンスを(上巻)2日、(下巻)2日で聞き続けるのは、講師にも参加者も忍耐を必要としましたが、魂の高揚する時間となりました。
『神の探求』は1行、1行が美しいです!

さて、下巻第4課「欲求」に、ケイシーがリーディング中に述べた「主の祈り」が紹介されていました。聖書に書かれている「主の祈り」とは少し違います。

不思議に思って調べてみると、この「主の祈り」は自殺をほのめかす手紙を残して失踪した57歳の男性の妻の要請によってとられたリーディング中で述べられていたものでした。


378-44の冒頭、ケイシーは「彼は生きている」と述べたあとで、不思議なコメントをつけ加えています。
It is among things green, and yet it is the city of those that are called dead.

直訳すると「緑の中にいる。死と呼ばれる街にいる」ということでしょうか。

そして
「物質的なことで、あなたの目を見えなくしないように。それらはあなたの経験の中で躓きの石となるからである。あなたに祈りを教えられた主の名において、造り主に賛美を捧げなさい」という言葉のあとでケイシーが伝えたのが、次の「主の祈り」です。

この378番のリーディング、なんと18~50番までにつけられた引用が「行方不明者」となっています。時期も1934年の4月19日から6月11日までの短い間に集中的に取られています。

この失踪した男性のために、ケイシーは日をおいていくつかリーディングをとっています。どれも聖書を引用する霊的な内容なのが多く、失踪した男性を探すというよりは家族が祈る、正しく生きる、など霊的なアドバイスが続き、いわゆる私たちが想像する行方不明者を捜すサイキック情報とは一線を画いたものとなっています。依頼した家族にとっては、非常に難易度の高いリーディングだったのではないでしょうか?


378-44で述べられたこの「主の祈り」、聖書に書かれているものより、私には読みやすく、またしっくりきます。

天にまします我らの父よ
願わくば御名の崇められんことを
御国(みくに)の来たらんことを
御意(みこころ)の天のごとく
地にも行われんことを
我らに罪せし者
罪を為しつつある者を
我らのゆるしたるごとく
我らの罪を忘れ給え
悩みと苦しみと誘惑の時にあって
我らの導き手となり給え
汝の御名のために
我らを義の道に導き給え
リーディング 378-44


ちなみに、この男性、1960年まで長生きをしたことが妻からケイシー財団あてに送られた手紙に書かれていました。どのような経緯だったのか、ケイシーと妻との往復書簡がいくつか残されていますので、時間のあるときにでも、じっくり読んでみたいと思っています・・・。





# by hiroshimapop | 2016-12-20 12:47 | エドガー・ケイシーリーディング | Comments(0)
『あなたの体は9割が細菌』
メルマガでも2回にわたってご紹介したこの本、どのページも面白いー。
メルマガで紹介したのは、太りやすくなる腸内微生物や抗生物質との関係でしたが、ここでは出産時に赤ちゃんが母親から受け取る微生物について書かれた部分をご紹介。

子が必要な微生物を母が抜かりなく渡すその自然の仕組みは感動ものです。

~229ページから~
コアラの子どもは生後6ヶ月になると母親の腹袋から顔を出すようになる。そして母乳だけに頼る食生活からユーカリの葉を食べる食生活への移行が始まる。(中略) ただし、生まれたばかりのコアラの腸にはユーカリの葉を分解する微生物がいない。その腸に微生物の苗を植えるのは母親の仕事だ。そのときが来ると、母コアラは「パップ」という糞便に似た離乳食を出す。消化しやすく分解されたユーカリの葉と腸内細菌の混合であるパップは、生まれたばかりのコアラの腸に微生物を届けると同時に、その微生物が群生するのに必要な微生物の餌を与える。

母が子にマイクロバイオータ(微生物)を授けることはほ乳類以外の動物もやっている。母ゴキブリは自分のマイクロバイオータを「菌細胞」という特別な細胞に保存しておき、産卵直前に菌細胞の中身を体内で放出する。(中略) 一方、カメムシはコアラと似ていて、産卵後の卵の表面に微生物入りの糞を塗りつけておく。卵から孵ったカメムシはすぐさま母の糞を食べる。別の種であるマルカメムシは微生物なしで卵から孵ったあと、卵のそばに母が置いていった、微生物のつまったカプセルの中身を吸う。このカプセルが不在だと、マルカメムシはカプセルを求めて付近を歩きまわる。(中略)

細胞の数だけで言うなら、(人間の)赤ん坊はこの世に生まれて最初の数時間で「大半がヒト」の状態から「大半が微生物」の状態に切り替わる。子宮内部の羊水につかっているとき、胎児は外界の微生物からも母親の微生物からも守られている。だが、破水と同時に微生物の入植がはじまる。赤ん坊は産道を通るとき、微生物のシャワーを浴びる。ほぼ無菌状態だった赤ん坊を、膣の微生物が覆っていく。

産道から顔を出すとき、赤ん坊は膣の微生物とはまた別のタイプの微生物を受けとる。そう、誕生直後に母親の糞便を摂取するのはコアラだけではないのだ。子宮収縮ホルモンの作用と降りてくる胎児の圧力を受けて、陣痛中や出産時にほとんどの女性は排便をする。赤ん坊は顔を母親のお尻の側に向けて頭から先に出てくる。そして母親がつぎの陣痛に備えて体を休めているあいだ、赤ん坊の頭と口はうってつけの位置に出てくる。あなたは本能的に顔をしかめるかもしれないが、これは幸先のいいスタートだ。母から子への最初の贈り物、糞便と膣の微生物が無事に届けられることになるのだから。 (中略)

微生物とその遺伝子ー母のゲノムとうまく調和して働いていた遺伝子--を受け取った赤ん坊は、希望に満ちた人生のスタートを切る。


出産で力むとき、排便をしないよう浣腸をしたり、排便をしてしまうことを恥ずかしく思う女性が多いと思いますが(例えばこのサイト)、それは赤ちゃんにとって必要な微生物を渡す自然の摂理だということを知っていれば(あるいは産院がそう教えてくれていれば)、不要な羞恥心を感じなくて済みますよねぇ。


そして、赤ちゃんが母親の膣から受け取る微生物はいわゆる乳酸菌。以前は膣に乳酸菌がいるのは、乳酸菌が膣を感染症から守っているからだと信じられていたのですが、膣に乳酸菌が存在している本当の役割は、赤ちゃんが生まれたあと、すぐにミルクが消化できるよう、産道を通る赤ちゃんに乳酸菌を渡すため。

普段は、それほど必要とされない乳酸菌が女性の膣内にずっと存在し続けているというのは、地球に生きる生き物にとって、種を次の世代に次ぐことが何よりも優先されているということなのでしょうか。そして、赤ちゃんが健やかに成長するための必要な体内微生物を抜かりなく受け渡す仕組みが母体にも赤ちゃんにも備わっている、というのは本当に美しく、素晴らしい!

乳酸菌は膣にずっといるから膣のための細菌だと思いがちだが、赤ん坊のための細菌であり、出産のときが来るまでそこで待機しているのだ。現代の先進国でこそ女性の出産回数は減ってしまったが、本来なら膣の乳酸菌の出番はもっと多かった。膣は出発ゲートとして、赤ん坊を最適な状態で人生航路に送りだせるよう進化してきたのだろう。


母乳についても興味深い研究がなされています。

不思議なことに、出産方式によって母乳に含まれる微生物が変わる。陣痛がはじまる前に計画的な帝王切開で出産した女性の初乳に含まれる微生物は、経膣出産した女性のそれとかなり違う。その違いは少なくとも6ヶ月は続く。しかし陣痛が来たあと緊急の帝王切開を受けた女性では、経膣出産した女性と初乳の微生物が似ている。(中略) おそらく陣痛中に強力なホルモンがたくさん出て、微生物を腸から乳房に移動させているのだろう。計画的な帝王切開は赤ん坊にとって二重の不利益となる。産道で必要な微生物を得られないうえに、母乳による追加の微生物も得られない。


体内微生物を主体に考えると、出産に対する考え方や姿勢も変わってきます。これ以外にも、妊婦さんが抗生物質を使うこと、麻酔を打って出産することなど、さまざまな課題も出てきます。産婦人科の先生や助産婦さんにもぜひ読んでいただきたい1冊です。


# by hiroshimapop | 2016-12-15 08:03 | おススメBOOKS | Comments(2)
7.8hzで生きる人増量祭り
先週末に開催した入江富美子さんの『へそ道』。私は毎回入江さんの話しを聴く度に、ふーちゃん(入江さん)に「前回よりさらに内容がバージョンアップしてましたねー」と言い続けてますが、今回のへそ道は、バージョンアップ、という表現より「次元上昇が起こっていた」と云いたいくらい、講座の内容に深みが増してました。

今回のテンプルのへそ道、週末開催にも関わらず、参加者が予想より少なく(再受講も含め36名)、その理由がいまいちよく分からなかったんですが、講座終了後、ある参加者さんが「みんな魂レベルでは何が起こるか分かっているから、今回のへそ道は、本当に自分を変えるというコミットメントが出来ている人しか参加できなかったんですよー」慰めて下さいました。

私の力不足で、ご参加がいまいちだった今回の『へそ道』ではありましたが、『へそ道』の追っかけでもあるイクシーさんから「テンプルの主催する『へそ道』の参加者さんは、すでに魂の受け入れ準備が出来ている人が多いから、みなさん、伝えている本質をすぐに理解下さるし、その場のエネルギーが抜群にいい。さすがテンプルさん!今回もすごかったよー」とご感想を頂戴し、ちょっとホッとしました。

私も何度もへそ道に参加したり主催していますが、今回の会場に生まれたあの濃いエネルギーはいったい何が起こっていたんだろうと感じるほど、深い深い『へそ道』でしたー。講師が内側にもっているさらなる知識や経験を引き出すのは、実は参加者サイドの熱意やエネルギーでもあります。ご参加の皆さんも、ふーちゃんと一緒に次元上昇してましたねー。


さて
ふーちゃんが最近『へそ道』でよく話す脳波のエピソードが、昨日書いた「祈り」にも通じるので、今日のブログはそのエピソードのご紹介。

これは、以前、メルマガやブログで紹介したこともあるエピソードなので(へそを意識して生きると毎日が瞑想脳波状態らしい)記憶のある方もいらっしゃるかもしれません。この時私は「へそに繋がっているときの脳波は、深い瞑想を30分くらいした時の脳波に近くなっている」と書いていますが、脳波をはかると、この時の状態は、ちょうど7.8hz なのだそうです。

この7.8hzがどういう脳波かは、工学博士の志賀博士のブログから引用させていただきますが・・・
これまでに多くのケースでの脳波を測ってきましたが、仕事や勉強、運動や技能的なことなど意識が集中して力を発揮するには10Hzを中心とするミッドα波が有効だと考えています。

ところが、寝てはいないけど意識が低下して何も考えていないときには7.8Hzを中心としたスローα波が優勢になり、問題解決のヒラメキとか、神や天の声が聴こえる感じになる人が多いようです。いずれも主観の世界なので検証は難しいけれど、最近そのような体験をする人との出会いが多いのです。引き寄せの法則なのでしょうか?

神とか天の声は科学的に説明できませんが、地球を取り巻く電離層(バンアレン帯)は7.8Hzのプラズマ振動していることが宇宙衛星を打ち上げたときに観察されました。この電磁振動帯は情報のクラウドとみれば、アカシックレコードと見なすことができそうです。

脳波が7.8Hzになったとき、タオの世界観のように天地のエネルギーを取り込み、TVのチャンネルを合わせれば画像や音声が受信できるように、アカシックレコードの情報がキャッチできる!そこには未来の情報も存在している・・・。

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通常眠っているときや深い瞑想時に出てくる7.8hzが、へそを極めてくると(つまり「へそ」を通じて宇宙の大元に繋がるよう練習すれば)、意識が目覚めているときにも出てくるようになる・・・。

そして、ここが大事なのですが、かつて地球はこの7.8hzの周波数で護られていたのに、世界中の人たちが物質主義的な生き方をするようになったために、地球は闘争体制になりやすくなり、それがため、不安や不快さを解消するときに発する周波数12hzに取り囲まれるようになってしまっているのではないか・・・と推測している方が多いのだそうです。

だから、7.8hzの周波数を持つ『へそ道』熟練者が増える必要があるし、その方々が7.8hzをキープしつつ発信し続けなければならない。

脳波測定のときには、ふーちゃんがへそに繋がると、その場に一緒にいる、まだ「へそ道」を始めたばかりの生徒さんも、ふーちゃんの脳波7.8hzに同調していたことが測定で分かっています。つまり『へそ道』熟練者が増えれば増えるほど、その場は、ひらめきや癒しのエネルギーに満ちた処になりやすいってことになります。


そして、修験道の場でも、いまの地球は人間の祈りが足りていないので、神の力が落ちている。そのため地球を守護するエネルギーが落ちて、地球を取り巻くエネルギーがマイナスに傾いてしまっている。1人1人のレベルでも、祈りが足りないゆえに自分を護るバリアが薄くなり、マイナスのエネルギーをまともに受けてしまう人が増えている、と云われているそうです。

そのため、必要なのは日々の祈りで自分の念力を強化すること。同時に自分だけではなく、利他の心をもって祈りを大きくまわすことが必要だと。

表現こそ違えど、人の祈りによって支えられている地球を取り巻く守護のエネルギーは、周波数でいうと7.8hz、地球を覆ってしまったマイナスのエネルギーというのは、不安や闘争が中心の12hz以下なのかも。

もしかしたら、現代に生きる私たちは、人間や生物がかつて経験したことのないほどの危うい地球のエネルギー場の中で生きているのかもしれません。そうであるなら、なおさら、自分と地球の2つのエネルギーバリアを強化するための何かを意識して行っていく必要があります。自分の魂と地球のエネルギーを強化するために、祈ったり、へそを通じて宇宙の大元と繋がったり、あるいはほかの手段で自分ができることをしていくことは、現代に生きる私たち人間の役目なのかもしれません。

気づいた人ひとり一人が始めていく・・・。


以前、テンプルで開催したふーちゃんの講演会のタイトルを「宇宙に感謝の量を増やす人増量祭り」というワケの分からんタイトルにしたことがありますが、脳波でたとえるなら「7.8hzで生きる人増量祭り」と言い換えてもいいかもしれませんね。

「7.8hzで生きる」1人になりたい方は、ぜひ『へそ道』のスケジュールをチェック。日本だけでなく、いま、ふーちゃんは世界各地でやってますよ。

次回テンプル主催の『へそ道』は、いつの開催になるか分かりませんが、次回は、万事お繰り合わせのうえ、早めにスケジュールを押さえておいて下さいませー。
# by hiroshimapop | 2016-12-14 07:24 | 世界は不思議に満ちている | Comments(0)
神ごとはエクスタシー
昨日に引き続いて、神様系の話題。
最近、行者でもある山口弘美先生とお会いすることが多いので、弘美先生から聞いたお話です・・・

ちなみに、11月30日の夜に開催した弘美先生のお話会の内容は、テープ起こしして若干読みやすく構成しなおしたあと、テンプルのインタビューコーナーでご紹介予定です。先日アップした木村聖子さんのお話しも不思議話が満載だったので、不思議系が2回続くことになりそうです・・・。


さて、修験道の行者って、いったい何をしている人なんだろう?と疑問を持たれる方も多いと思います。修験の山は日本各地にあり、その山、その山で個性もあり、修行の方法や考え方も違うと思いますし、私が聞いた話によれば・・・ということなので、これがただ1つの正解、ということではなく、こういう考え方や姿勢もあるんだなというふうに受け取っていただければありがたいです・・・


さて
私が弘美先生に伺ったなかで印象に残ったお話しは、

行者は祈りの人である、ということ。それも自分のために祈るのではなく、人のために祈り、その祈りを人のために使える人である、ということ。

どういうことかというと、例えば、重い病気の方がいらしたとき「その人のために般若心経を1万巻あげるので、その1万巻の祈りを、その人の癒しに使ってほしい」と神様にお願いすることがあるんだとか。

また日々祈ることで、その祈りを自分の内側に溜め、何かあったとき、そのためた祈りの力を法力に変えることができる。

私たちのように素人も、お経にしろ、何かの真言にしろ、なんとなく唱えるのではなく、方向性を持つとよい。私は弘美先生からお話しを伺って、般若心経や真言を唱えるときには「これから唱える般若心経(真言)を万物万象の育みとなりますよう(日本の平安のために、**地震で亡くなられた方の鎮魂のために、先祖供養のために・・・など)お使い下さい」といった言葉を言ってから唱えるようにしています。漠然とした祈りより、使い道や方向をはっきりさせると、自分の力にもなり、かつ、何かのためにその祈りが使ってもらえる(かもしれない)、というのは安心感も生まれ、いいですよ。

ともかくも日頃から祈りを自分にためておくことが大事、だそうです。

また、日本人には馴染みのある般若心経は、短くても、1文字、1文字に力があるので、うろ覚えで順番を間違えようとも、途中で止めようとも、言葉を発した分だけ力になっていくお経なので、普通の人が唱えるお経としては、般若心経はオススメ、ということでした。

ケイシーを学んでいる人やクリスチャンであれば「主の祈り」が良いですよねー。

神様に近い山で修行をすることで、もちろん修行は早く進みます。でも、神様と決めたことをコツコツ家で実行する。例えば、般若心経を1日100巻あげると決めて神様と約束したなら、1日100巻唱える。100巻は無理でも10巻なら出来ると「10巻あげる」と決めたなら、その10巻を続ける・・・。ともかくも神様と約束したことは続ける。それが力となっていくので、家にいようとどこにいようと修行はできる、と云われていました。


行者は印を組んだり、法力を使える人でもあるわけですが、同時に、神と感応できる身体を持っている人でもあるそうです。

修験の修行は、つまり「神と感応できる身体づくり」でもあるわけですが、そういう身体になると、例えば神社仏閣に行くと、神様のエネルギーを感じ、そのエネルギーが身体を通り抜けることがある。そして行が進むと、その体内のパイプがだんだん太くなっていくのも感じるそうです。そういうときは得も言われぬ、エクスタシーとも表現したいような体感があるそうで、そのエネルギーでさらに心身の浄化が進んでいきます。

例えば、弘美先生と一緒にご神事をしているTさんは、奄美の加計呂真島の高千穂神社復興のために、加計呂真島に住み、1年間、毎日、高千穂神社に通って祈り続けた人なのですが、「たまには休みたいとか、サボりたいとか思わなかったですか?」という私の怠慢な質問に「毎日通っていると、ときに神様からご褒美のようなエネルギーが降り注いでくる。あれを知ったら、とても休もうという気持ちにはならないですよー。あの感覚はまさにエクスタシーですからねー」と云われてました。

瞑想を長くやっていたケイシー財団の知り合いも同じようなことを云ってましたし、ソマティックのマイケルさんもリトリートの食事の際、その食卓に大きな愛のエネルギーが降り注いでいたのを感じて、一人、感謝と感動の涙を流されていたことがあります(一緒にいた私たちには感じなかったんですが・・・)。

神職につく際、女人禁制、男子禁制が固く律せられているところもありますが、もしかしたら、そういう立場の方は、人間の異性(時に同性)との接触で得られる快感以上のものが感じられているのかもしれませんねー。こればっかりは経験してないので、全く想像もできませんが、神様との交流以上に素晴らしい感覚はないでしょうから、あとは実践(行)あるのみ、ですかねー。
# by hiroshimapop | 2016-12-13 11:38 | 世界は不思議に満ちている | Comments(0)