毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

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偽の弟子は本物の教師には出会えない
昨日のOSHOの本の続き・・・。

偽の教師に出会ったとしたら、それはあなたに偽の教師がふさわしかったということだ。だからこそ偽の教師に出会うのだ。偽の弟子は本物の教師には出会えない。あなたこそが教師や導師を創り出すのだ。小物の教師も偉大な教師もあなたしだいだ。あなたは自分にふさわしい人間に出会う。偽りの人間に出会ったとしたら、それはあなたゆえだ。その責任はあなたのほうにある。偽りの人間のほうにはない。導師もあなたのマインドの一部だ。夢の世界の一部だ。そして目覚めていない人間には、自分を邪魔してくれる人、手助けしてくれる人が必要だ。もしその人が技法を与えてくれたら、それは導師だ。もしその人が教条や原理や主義を教えてくれるだけだったら、それはただの教師だ。でもあなたは現段階では、そんな人を必要としているのかもしれない。


自分が誰かを知るには、いまの自分が親しくしている人、交わっている人を見ればいい。誰かとトラブルが起きたなら、三次元的な事象では自分は何も悪いことはしておらず、完全に相手に非があるように思えても、その元を作ったのは実は自分。

この地球では、ありとあらゆる思考や思想、行動、宗教感を持つ人たちが同時に生きている。でも、交わらない人とは絶対に交われない。交差したなら、交差する必然があったから。

いい人、素晴らしい人としか出会わない、つき合わないなんてナンセンス。そんな人生は学びもない。自分の行く手を阻む人がいるからサッカーは面白い。

人は様々な顔を持っている。自分も誰かには聖人の顔で出会い、ある人には極悪人の顔で出会っているのかもしれない。だから100%嫌な人、極悪人なんていない。

自分が嫌いな人、自分を嫌いな人こそ、大切な教師になる。相手の何が自分の心の中のザワザワを呼び起こすのか、自分の何が相手の心にザワザワを呼び起こしてしまうのか。偽りの教師に会ったのなら、自分の何がその偽りの教師を引き寄せたのか。

そこに「私」がいるかぎり、「私」にふさわしい人、「私」を成長させてくれる人に会い続けるんだな、きっと。


by hiroshimapop | 2015-03-29 08:35 | おススメBOOKS | Comments(0)
私とは誰か?の問いが消えたとき、私が誰か分かる
「『私がいると、私を邪魔する』 ハッとさせられる素晴らしい言葉でした」 と、黙示録講座に感想を書いてくれたのは、私の友人でもある徳江さん。

先日この感想を読み返してから、あらためて『私』について考えています。

ケイシーがリーディングでよく勧めたアファメーションの1つに『私の意志ではなく、あなたの御心が、私の内に、私を通して行われますように・・・』というのがありますが、私の意志・・・の前に、その『私』すらいなくなるわけですよね。

それはどのような感覚や状態なのかしら? と思いを巡らしながら、OSHOの『愛の円環』を読んでいたら、こんなことが書かれていました。

ウスペンスキーがグルジェフのもとで学んでいたときのことだが、自己想起というものを垣間見るために、3ヶ月間、大きな努力、非常な努力を払った。3ヶ月間ずっとウスペンスキーは隔離された家に住み、ただひとつのこと、自己想起を行った。30人で始めたのだが、1週目の終わりまでには27人が逃げ出した。残ったのは3人だけだった。参加者は1日じゅう想起しようと努めた。ほかには何もせず、ただひたすら「私は在る」を想起していた。27人は発狂してしまうと思った。ほとんど狂いそうになったので逃げだしてしまった。そして2度と戻って来なかった。2度とグルジェフに会うことはなかった。

(中略)

でも3人は頑張った。その3人のひとりが、P・D・ウスペンスキーだった。1ヶ月経って初めて単純な存在の一瞥、「私は在る」の一瞥が現れるようになった。1ヶ月経つと、その「私」でさえ落ちた。そして「在ること」の一瞥、ただの存在の一瞥が現れるようになった。それは「私」が在るということでさえない。なぜなら「私」もまた、ひとつのレッテルだからだ。純粋な存在とは、「我」でも「汝」でもない。それはただ在る。

そして3ヶ月経つころには、「在ること」の感覚さえ溶解していた。なぜなら「在る」という感覚でさえ、依然ひとつの言葉だからだ。この言葉さえ溶解した。そのときあなたは在る。そのとき「自分が何か」がわかる。その地点がやってくるまでは「私は誰か」と尋ねることはできない。たとえ「私は誰か」と尋ね続けたところで、たとえ「私は誰か、私は誰か」と絶えず尋ねたところで、マインドの与える答えは、全て偽りであり、見当違いだ。ひたすら「私は誰か、私は誰か、私は誰か」と尋ね続けると、あるとき、その問いかけができなくなる。あらゆる答えは崩れ去り、その問いかけ自体も崩れ去って消え失せる。「私は誰か」という問いかけすらも消え失せたとき、自分は誰かがわかる。


ここに書かれているのは、1分もあれば読み流せてしまう文章ですが、書かれている内容は深淵です。「私」や「在ること」が溶解し、問いかけさえ消えたとき、私が誰かが分かる・・・。

いまの私には想像しようとしても想像できない感覚です。感覚と書いていますが、それが「感覚」なのかさえ、分からない。私も、在ることも、問いかけも全てが消え去ったあと、自分の何がどう変わっていくのか・・・? それは、言葉では説明できない世界なのかもしれません。


今さらではありますが、前世の因果か、これまでインドの香りのするものから距離を置いていたんですが、この歳になって、ようやくOSHOを読み始めています。周りにはタントラを教えているタオイストも多いので、本当に「ようやく」って感じです。これからしばらくOSHO読み進めてみます・・・。



by hiroshimapop | 2015-03-28 10:23 | おススメBOOKS | Comments(0)
ケイシー流『ヨハネの黙示録』ギュッと濃縮1DAY講座 
ケイシーリーディングに基づくヨハネの黙示録解説講座、またやります!
2015年5月31日(日)です!

テンプルで過去3回開催し、DVDも制作し、もう黙示録講座は開催しないつもりでいたのに、ヨハネの黙示録講座アゲインです。

というのも、私自身がこの数年、ヨハネが様々な象徴を使って伝えようとしていた黙示録の真のメッセージやエッセンスを学んでいたことによって、精神的に助けられたことが何度もあったからなのです。

例えば・・・

ある時、何冊も本を出されている有名なビジネスコンサルタントを紹介されたことがあります。

友人が、その方のやり方で仕事をするようになったら会社の業績ががあがったということで紹介して下さったのですが、私はその方にお会いした瞬間、なにかとても強い違和感を感じ、その方の仕事があることの上に築かれている気がしました。

それは単なる直感でもあったのですが、同時に黙示録13章のドラゴンを思い出してもいました。私が感じた違和感は、黙示録に書かれているドラゴンが象徴してくれているように思ったのです。

私はその方と関わることを避け、かなり距離を置くようにしました。

ちなみに1年後、そのコンサルタントを師事していた友人は、その方との深刻な人間関係や仕事上のトラブルに巻き込まれ、そこから抜け出すまでの数か月間、精神的に厳しい時期を通過することになりました。

黙示録13章はこんな章です(普通に読むと意味不明です)。



黙示録の中で表されている世界は、はっきりいって意味不明です。地球最後の日々が書かれた恐ろしい世紀末の書として取り扱われることが多いですよね。キリスト教でも、ヨハネの黙示録は無視されることもあります。

ところが、ケイシーリーディングに基づいて黙示録を読み始めると、とたんにこの書は意味不明の恐ろしい世紀末の書ではなく、私たちの人生に起こってくる魂の成長の書に変換されていくのです。

黙示録第9章についてはこちら
偶像崇拝についてはこちら


血湧き肉躍る冒険感と、ワクワクとした魂の高揚さえ感じます。

一人でも多くの方に、この面白さを体験していただきたいと思います。

これまでは2日間にわたり旧約聖書の創世記と黙示録の1章1章を読みこんでいきましたが、すでに詳細な解説はDVDにしていますので、次回は、重要な章、大切なエッセンスを取り出し、コンパクトに、黙示録のいいとこどり濃縮講座です。

黙示録のガイドラインを知りたい方、2日連続での参加が難しい方、過去の黙示録講座に参加された方の復習などなど、ぜひこの機会にヨハネが伝えたかった黙示録の世界を知って下さい。

講座に参加できない方は、黙示録講座のDVDを是非!


前回の黙示録講座に参加された方の声(一部抜粋)

「なんと言いますか、「魂を揺さぶる」というか、私には「魂が喜ぶ」敬愛する光田兄の講座でした。初めてそのような解釈を聴いた第1回目は本当に衝撃的だったのですが、あまりのことに頭がついでいけず、いっぱいいっぱいの状態だったように、あらためて今振り返って思います。なので今回はもう少し深く理解できた感じがします。自分の中に落とし込めた感じ、浸透した感じとでも申しましょうか・・(笑)。今回は最高最善のタイミングだったように私は思いました」 N様

「1日目に、黙示録を理解するには解剖生理学を紐解くと・・と聴いたときに、黙示録が怖いものから一気に身近で興味深いものに変わり嬉しくなりました。家に帰って、解剖生理学の本を見ながら読んでみると、なるほどと思いました。 そしてものすごくスッキリしました。1年前に勉強した解剖学が役立ちました。霊的に生きることの大切さを今回はあらためて認識させられ、そろそろしっかり決めないと行けない時期に来ていることを自覚しました。ありがとうございます」 K様

「『私がいると、私を邪魔する』 ハッとさせられる素晴らしい言葉でした」 T様

「聖書について初めて勉強しました。黙示録が恐ろしい書でないことを知りホッとしています。スピリチュアルな興味から色々な本を読むようになりましたが、黙示録は医学にも通じることが分かり、ますます勉強を深めたくなりました。頭の中がパンパンですが、久しぶりの座学でもあり、面白かったで す」  N様

「全く意味不明だった象徴の意味するところが段々とひもとけてきて、まるでジグゾーパズルのピースが完成された1つの絵に近づいていっているような感覚にいます。このセミナーで学んだことをこれからの人生に役立てていきたいと思うと同時に、自分の霊的な生き方を明確にして自分自身の人生を大 いに満喫したいと思います」  Pixy様

「前回も目からウロコが何枚も剥がれた講座でしたが、今回は、やはり神は、私のことを何処でもいつでも絶対に目を離すことなく、しっかと見てお られるのだなと実感できる講座でした。この1年、正直、ケイシーからも神からも離れたような日々で今回の講座もキャンセルを考えたこともありまし た。でも何故かやっぱり来ることにしました。今回の講座で『霊的成長の努力を止めてしまったら、いかに今まで頑張っていようと、成長が止まるばかりでなく、今の段階までの魂レベルに戻ることは大変な努力がいるよ』と言われ、自分自身の体感としてヒシヒシ感じていたことをまざまざと見せられ、耳元で『やっと分かったか』と言われた気がしました。

ハタからみたら神棚を据え、神社に参拝し、何ら今までと変わらなく見えることと思います が、自分は自分をごまかせない。自分の内なる神の目は全てお見通しなのです。そのことがお腹の底から理解できた講座でした」 M様

「と~っても、おもしろかったです。 こんなおもしろいものを知らずに一生を過ごすのは、本当に損をしていると思いました。 知ることができて良かったです。 黙示録はすごい内容なのはもちろんですが、人生のひな形として全ての人が使えることがとってもすごい」 Y・H様

「本当にわくわくする、驚くべきものでした。聞く前は、もっと詩的なものを漠然と創造していたのですが、あんなに具体的で筋道立ったものとは思ってもみませんでした。人が目指すべき道を具体的に指し示し、まるでスピリチュアリズムのコンパクト教科書ですね」 R・Y様

「目からウロコの内容というか、いったい、どうしたらこのような解釈になるんだ!と、とても衝撃的かつ斬新な内容でした。私にとってはとてもとても大切なお話でした。霊的目標をめざし、それに向け、自分なりに精一杯エネルギーを注いでいきたいと思います」 のりぴー様



日 時:2015年5月31日(日)10:00~16:30 (開場9:30)
講 師:光田秀さん(日本エドガー・ケイシーセンター会長)
会 場:東京 田町(詳細はお申込みの方にお知らせします)         
定 員:100名
参加費:7,800円


★お申込みはこちら


★旧約聖書&黙示録 第1章~22章までの全解説DVD(約10時間)はこちらから
3枚組(資料つき)です。
by hiroshimapop | 2015-03-26 07:50 | テンプル最新情報 | Comments(0)
瀧原宮(伊勢)への旅
今年の春分の日は、大きな節目であり特別な日になりますよ、と天下泰平ブログの滝沢泰平さんから言われ(ブログ参照)、その春分の日をどこで過ごそうかとずっと考えていたんですが、前日20日の夜、名古屋で人に会うことが急に決まったこともあり、ずっと前から行きたいなーと思いながら果たせていなかった伊勢の瀧原宮にお詣りに行くことにしました。

松阪駅から熊野古道行きのバスに乗れば、約1時間で瀧原宮に。神社のすぐ近くにバスが留まるので、時間はかかりますがとても便利なのです・・・。

神社好きの友人たちが口をそろえて、瀧原宮はいいよ~と言っていましたが、まさに、あそこは聖地ですね。エネルギー感知ににぶい私でも、御神域に入った感がたっぷりありました(途中に小さな太鼓橋があったんですが、あの橋を渡ったところから、さらに神域感が深まった気がします)。

参拝者もまばらで、一人、二人と静かにご参拝される方々ばかり。一人旅にはぴったり。私は、瀧原宮に行くならミッションがあります、と急にご使命を受け、極秘ミッションも遂行。

往復のバスの時間の関係で私の滞在時間はほんの1時間でしたが、もっといたいところでした。友達と行くのもいいでしょうが、何も喋らず、ただじっとしているだけでも良さそうですよ。


結局、私の春分の日はこんな感じでした。

早朝、例のいなくんと待ち合せて一緒に熱田神宮にお詣り
名古屋から近鉄で松阪駅に。バスの時間まで少し余裕があったので、近くの八雲神社にお詣り
熊野古道行きのバスに揺られ瀧原宮に
復路はバスで松阪駅→名古屋

夕方、魂の友人知人たちといなくんのライブハウスに集合して、不思議な夜アゲイン・・・。夜9時すぎ、宮古島で御神事を済ませた泰平さんも合流して、さらに深い夜に・・・。



神社の近くに大きな「道の駅」があって人の多さに驚きましたが、ここまで来る方はまばら。一気に御神域に入ります。
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                      長い参道がまたいいのです~
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                      本殿の後ろは深い緑
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by hiroshimapop | 2015-03-25 15:20 | 日本の聖地巡り | Comments(0)
伝道の書 第3章
弘前での赤塚さんの講演会で、赤塚さんが時々紐解いている、という聖書の伝道の書が紹介されていました。素晴らしかったので、こちらでもご紹介させていただきます(読みやすくするために、ところどころ、行間を空けています)。

伝道の書(第3章)
天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。

愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
働く者は労苦して何の益を得よう。

私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。
また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。

私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。

今あることは、すでにあったこと。これからあることも、すでにあったこと。神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。

さらに私は日の下で、さばきの場に不正があり、正義の場に不正があるのを見た。
私は心の中で言った。「神は正しい人も悪者もさばく。そこでは、すべての営みと、すべてのわざには、時があるからだ。」

私は心の中で人の子らについて言った。「神は彼らを試み、彼らが獣にすぎないことを、彼らが気づくようにされたのだ。」

人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。これも死ねば、あれも死ぬ。両方とも同じ息を持っている。人は何も獣にまさっていない。すべてはむなしいからだ。
みな同じ所に行く。すべてのものはちりから出て、すべてのものはちりに帰る。
だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。

私は見た。人は、自分の仕事を楽しむよりほかに、何も良いことがないことを。それが人の受ける分であるからだ。だれが、これから後に起こることを人に見せてくれるだろう。


ちなみに英語では、こうです。
Ecclesiastes
To every thing there is a season, and a time to every purpose under the heaven:

A time to be born, and a time to die; a time to plant, and a time to pluck up that which is planted;

A time to kill, and a time to heal; a time to break down, and a time to build up;
続きはこちら

by hiroshimapop | 2015-03-17 08:10 | 日記 | Comments(0)
キリストの墓(青森、新郷村)探訪
青森に行ったら、何故か訪れている新郷村(旧戸来村)のキリストの墓。青森に行った回数-1回分訪れているので(1回は、リンゴの木村さんの畑を訪ねるパックツアーだったので、こちらには寄れず)、ここに来たのはこれで4回目か5回目。丘の上に十字架が2つ立っているだけの場所なんですけどね。

今回は、赤塚高仁さんの講演会参加のために青森入りしていた天下泰平ブログの滝沢泰平さん、イスラエル旅行に一緒に行った友人と3人で訪ねてきました。

Wikiによるとキリストの墓の由来はこうです。
1935年(昭和10年)8月初に、鳥谷幡山が1934年(昭和9年)10月に見つけた大石神のピラミッド確認のため青森県戸来(へらい)村(現在は三戸郡新郷村大字戸来。)を鳥谷とともに訪ねていた新宗教団体の教祖、竹内巨麿(たけうちきよまろ)は、2間~3間の長方形の盛り土をみると立ち止まり、それが古文献を一人で調べた結果により、そこに統来訪神と書いた目標と前の野月の二ツ塚に「十来塚」と書くよう村長に話したという。

この後竹内巨麿は竹内文書に、「イスキリス・クリスマス。福の神。八戸太郎天空神。五色人へ遣わし文」にはじまる記述や「イスキリス・クリスマス」の遺言があるとし、イスキリス・クリスマスはゴルゴダの丘で処刑されず、弟のイスキリを身代わりにして日本に渡来して死に、その墓が「十来塚」であるとする。このイスキリス・クリスマスがイエス・キリストであり「十来塚」が「イエス・キリストの墓」であるという。ただし、竹内文書は多くの研究者から偽書と断定されている。

この後「古代史書研究会」が来村、戸来村の村名は、ヘブライに由来するとした。 アメリカ在住の川守田英二が現地の伝承歌であるナニャドヤラがヤハゥエをたたえるヘブライ語の歌であるという書簡を戸来村に送った。

また日本において「桔梗紋」と言われるこの村の旧家に伝わる家紋は五角の形であり、ユダヤのシンボル六芒星である「ダビデの星」と酷似しているとしイスラエルの失われた十氏族やイエスとの関わりを指摘する説もある。 現在でも戸来小学校の校章はダビデの星と同じ形の籠目である。また、戸来村では子供の額に健康祈願などの意味合いを込めて墨で黒い十字を書く風習があったという。


この土地で、昔から『ここにはイスラエルでイエスと呼ばれた賢人が移り住み、亡くなったという言い伝えがあり、そのように護られてきた』ということではなく、竹内巨麿が自己調査した結果、彼によって、この土盛りがイエスキリストの墓であると断定されたことと、この2000年間、ここで不思議な癒しや現象が起こった、ということもなさそうなので、私自身はここがイエス・キリストの墓だとは100%思っていないのですが、地域に残る不思議な伝承が事実であれば、この土地に、かつてユダヤの風習を持つ人達が移り住んだのではないかなと思っています。

ちなみに一緒に行った泰平さんは、ここは女性的なエネルギーを感じる、マグダラのマリアにも通じるようなエネルギーではないかなと言われていました。もしかしたらイエスの家族(ケイシーによれば、聖母マリアは、イエスがある程度成長をしたのち、通常の夫婦生活を持ち、3人の子どもを授かったそうです)やその周辺の方々の子孫が、日本に渡ってきたユダヤの民の一群に混ざっていた、もしくは、その方々に引率されて来たことも考えられるかもしれません。


*イエスの妹弟に関するケイシーのリーディング
(問)イエスが生まれてからどれくらい後に、マリアとヨセフは結婚している普通の夫婦としての生活を始め、ヤコブと呼ばれる子供をもうけたのでしょうか。
(答)10年だ。 それによって、ヤコブ、娘(ルツ)、ユダを順にもうけた。5749-8



そして、例のいなくんによれば、ですが・・・
この丘の上に埋葬されている人(右側)、なんと、私の過去生の一人であり、友人の1人が、日本にわたったあとで結婚した前世の元妻・・・(信じなくていいですよ。私も、おとぎ話の1つとして聞き流しているので・・・)。

ホンマか?って感じですが、時々人を集めてツアーを組んでどこかに行くのが好き、一所に止まることができず、居を次々移してしまう、そして、過去生催眠をしたときのビジョンからすれば、大勢の人を引き連れ、移動の人生を送った過去生がどうやらあるらしいことを考えると、海外から日本に渡来してきた渡来人の人生の1つや2つ、私にあってもおかしくないかなと思ってはいます。そのうちの一人がここに埋葬されたのかどうかは別として・・・。

                   丘の上には十字架が2つ・・・
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       こんなにはっきり断言していいのかしら?と心配になってしまう案内板
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               イエスのようだと評判の泰平さん
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by hiroshimapop | 2015-03-16 14:03 | 日本の聖地巡り | Comments(1)
クンダリーニ覚醒と黙示録解読
衝撃のデビュー作『コンセント』以来、新刊本が出るたびに読み続けてきた田口ランディさんの著作も、ランディさんの多作ぶりに、さすがに途中から追っついていかなくなり(Amazonの著作リストを見てびっくり!)、ここ数年は気になるものだけをピックアップしていましたが、山田バウさんの葬儀のときの偶然の出会いを機に、まだ読んでいなかった本を、1冊2冊と手に取り始めています。

で、最近読んだランディさんの仏教にまつわる対談集『仏教のコスモロジーを探して』が、かなり面白い!

対談相手となった方々、トランスパーソナル心理学の大家、吉福伸逸氏以外は誰も知らず読み始めましたが、どの対談もさすがにランディさんが「この人と」と選ばれただけあって、私には何がなんだか状態が続きながらも、ひたすら「へ~」「へ~」と仏教探索が続いています。

皆さんが繰り出す言葉の数々、目と頭では追うことができても、腹に落ちるほどの体験も思索もないので、残念ながら、この本を読んでも相変わらず私は仏教については何も語れず・・・ではありますが、仏教書はとっつきにくくても、対談なので、軽く読み流しながらも、なかなかハードに心に突き刺さったりしています。

合計7名の方との対談。どれも興味深い内容ですが、「おー、ここはケイシーリーディングで読み解く黙示録と同じ感じ!」と思った部分をご紹介。

瞑想によってクンダリーニエネルギーが上がってくる、というその部分について語られています。語っているのは、現在、平塚のお寺で住職をされている久保田尭隆氏。


久保田: 瞑想をやりはじめたら、たしかに妙なことがいっぱい起きるんですよ。たぶん一般の人が私の真似をしても、そんなにすぐ妙な体験はできなかったと思うけど、さすがにある程度のレベルにいってたんでしょう。

(中略)

久保田:瞑想していると、ぽわーんと玉が出てきたりする。それが三原色というのか知りませんが、赤と黄色と青でしたか、それに移り変わっていくんですよ。(中略) 時計みたいに回って、だんだん色が変わっていくんですよ。「あ、出てきた出てきた」なんてやっていって、楽しくもあったんです。そんな玉の色を見て喜んでいたレベルでしたけど、オウムの教えの中で最も大切だとされるのがクンダリーニというエネルギーでしたからね。人間の中に眠っているクンダリーニエネルギーを覚醒することがオウム真理教の第一段階の修行だってあって、まさかそんなものがあるとは知らないけど、やっていたんですよ。そしたらやっぱりお尻が熱くなって、すごい熱が体中に。

田口:尾てい骨からエネルギーが解放されてしまったんですね。

久保田:そうです。あれはやった人にしかわからないですよ。

田口:お尻が焦げるっていいますもんね。火傷するとか。

久保田:すごいです。「なんとなく暖かくなった」じゃないですよ。とにかく「ものすごい」と考えて下さい。それがものすごい勢いで脊髄に上がっていくんですよ。

田口:ぐるぐる、とぐろを巻くようにして。

久保田:そう、すーっと上がりはしないんです。苦しいぐらいね。中には死ぬ人もいるっていう話ですよ。

田口:はい、心臓発作で亡くなったりとかもあります。

久保田:頭から尾てい骨の間に節(自分の感覚です)があるんですよ。何とかチャクラって名前がついているけど、特急が駅に停まるみたいにね、停まる。そこが節なんですよ。すっと行く節とそこから上に行かない節があるんです。だいたい喉にあるチャクラは10人のうち9人がいちばんの難関です。ここから上に上がらないんですよ。そうなると、体中にものすごい熱が発散するんですよ。そういう話、あんまり法華経とか仏教に関係ないけどね。

私が実際に体験して思ったのは、結局、オウム真理教というのはある意味ではまったくの空言ではなく、これを現実に体験した人がもう「これは真理だ」って思ってしまうのもわからなくはないな、ということです。ただ本(『目からウロコの法華経講話』第4巻)にも書いたように、私はやっぱりどこか醒めているところがあるから、ああいうものを体験しても、麻原彰晃的な発想にいかなかったんです。「これは絶対に宗教の世界じゃない。これは肉体の生理現象だ」と思った。それが私の分かれ目でした。

(中略)

久保田:本当に、妙なものを見てしまう。見るってことができるんですよね。不思議なもんですよ、目をつむっていても見えるんだから、驚きますよ、あの経験は。目をつむってて映像が見えたりすると、これはもう一般の人にはショックだし、「本物だ」ってなることはやむを得ない。何かの役に立てばと思い、そういうこともちょっと本には書いております。それに、私は三界云々とかヨーガとかいう不思議現象は宗教の世界ではなくて、むしろ医学者とか科学者とか、とくに脳や神経を研究する人に追求してほしいという思いがある。それも書きました。

必ず、今から何百年かたつと黙っていてもはしかにかかるように、クンダリーニというのが身体の中で動きだす経験をする子どもたちがポツポツ、出てくるはず。そのときのためにも、今のうちにきちんとした形で、科学者の方が、オウムなどとはまったく別の視点で、「これは人間が進化していこうとしている現象である」とかね、検証してほしい。人間がいちばん進化しているのは、脳と神経ですからね。

じゃあ人間が進化して脳と神経がどう形にいくのか、それはわからないから誰も語らないでしょう。だからいいチャンスだと思うんですよ。クンダリーニとか、ものが見えるとか、あれはどう考えたって神経と脳の巻き起こす現象ですよ。

~引用おわり。下線は私がつけています~

ここの部分がなぜ、ケイシー流の黙示録解読に近いかというと、ケイシーは、ヨハネの黙示録は解剖図を横に置きながら読み解くと理解できる、と言っているんですよね。最初の7つの教会は7つのチャクラに対応しているのはすぐにイメージできるでしょうから、なおさら、少なくともケイシーを学び、ケイシーを通して霊的探求をしていこうとしている人は、黙示録を意味不明の謎の預言書にしておくのはとてももったいない。

ちゃんと読み解いていけば、ヨハネの黙示録は、霊的な道を歩み始めた人の心と身体と魂に次々と起こる変化や葛藤が書かれている、いわば霊的な指南書、霊的ガイドブックになっていくんです。

偶像崇拝について
黙示録第9章

ケイシーが解読したようなことが果たして自分の内に身体に起きるのか否か、医学や心理学の専門家が実際に体験、検証しながら書き残しておいてほしい。キリスト教の教典や宗教書として扱うのではなく、人の身体に現実に起こりうる医学的、心理学現象として。そうすれば、それは次の世代の新しい黙示録になり得るかもしれない。実際、久保田さんが言われているように、これから先、霊的に進化した子ども達の心と身体には普通に起こることかもしれないんですから・・・。

もちろん、その中にはクンダリーニの覚醒もあるでしょうし・・・。


私達、人間の心と身体と魂に隠されている秘密のスイッチはまだまだありそう。そして、単に、寝て起きてゴハン食べて仕事してテレビみて・・・の生活では、そんなスイッチを自分が持っていることさえ気づかず、何も知らず一生を終えてしまう。すでに知って生まれてきている子ども達もたくさん出現し始めていますけど、私は、かなり頑張らないと、そのスイッチのありかすら分かりそうもない。

まずはまた黙示録に戻ってリ・スタートかな。

エドガー・ケイシー流黙示録講座のDVDはこちらから





by hiroshimapop | 2015-03-11 12:36 | おススメBOOKS | Comments(0)
バウさんの仕事のすすめ方
1月に亡くなられた山田バウさんの右腕として、最後まで一緒にプロジェクトを推進されていた吉澤武彦さんのメルマガに、バウさんの仕事の取り組みのいったんをが紹介されていました。私自身の覚え書きをかねて、下記に貼り付けさせていただきます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【日本カーシェリング協会メールニュースvol.16】2015年3月8日
             ◆バウさん◆
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
前回の発信で、新年のご挨拶をさせていただいた際、私の師であるバウさん(元・神戸元気村代表 山田和尚氏)の言葉で結びました。

発信した2日後の1月5日、バウさんは亡くなりました。

バウさんは、私にカーシェアリングを提案してくださった方です。
その提案がなければ、今のこの活動はありません。

今回は、番外編として、私達の活動に関わるバウさんのエピソードを少しご紹介したいと思います。


**   **    **    **

震災からちょうど一カ月がたった2011年4月上旬頃。
福島県に入り、様々なプロジェクトに取り組んでいた私に一本の電話がかかってきました。

「おぉ、タケちゃん、ちょっと提案したいことがあるから、福島の帰りに東京に寄ってくれへんか?」


数日後、東京タワーの1Fでバウさんから次のような話を受けました。

「今、避難所にいらっしゃる方々がやがて仮設住宅に移る。そして行政の主導で自治会が形成されて、自治会長が選出される。支援団体はその自治会長にいろんな支援を提案していくことになるんだけど、そこでカーシェアリングを提案する準備を今からしていったらどうや?」

そして、

「個人が所有するってことをそういう所から文化ごと変えていくような、そういう取組をやっていくということなんだわ。」

更に

「あっ、そうそう。昨日、Googleで検索しても、 『日本カーシェアリング協会』ってのをどっこも使って
 なかったから、それ、プロジェクト名にどうや?」

最後に

「タケちゃん、どう思う?」

**   **    **    **

そうやって、日本カーシェアリング協会の活動は始まりました。

それから2,3週間経ってから、カーシェアリングの取り組みについてバウさんと話す機会がありました。

**   **    **    **

「カーシェアリングの状況はどうや?」

その当時、私は企業回りをしながら車集めをやっていた頃だったのですが、一件もよい反応を得ることができず、私は呼びかける対象を企業ではなく個人に変える作戦を伝えました。

それを聞いて、少しため息のようなものをついて、一呼吸した後

「何件くらい周った?」

「20件位です。」

「そうか・・・、で、お前は今まで何か1つでもやり抜いたことがあるか?」

その一言で、話は終わりました。

オゾン層保護活動の際、3年間で約1300の自治体を一人で周ってフロンガス回収システムの基礎を築き上げていったバウさんのその言葉の重みは、今でも忘れられません。

バウさんの『やり抜く』ということがどういうことか、以下のブログを読んでいただけると私の感じた言葉の重みを理解していただけると思います。この文章を読む度に私なんて、本当にあまちゃんだと、今でも思えてしょうがありません。

【バウの道中記:108つの祈り・前、108つの祈り・後】
http://www.peace2001.org/2006/main/bow/20080929_bow_01.html
http://www.peace2001.org/2006/main/bow/20081005_bow_01.html


結局その後、更に企業回りを続け、50件位周った頃に最初に届ける1台目の車を確保することができたのでした。

話が終わった後、バウさんは私に不思議な一言をおっしゃっいました。

「タケちゃんは、もしかしたら車に縁があるかもしれんなぁ。」

その当時は、まだ車をまともに運転もできず、車集めも上手くいかずこの状態をどっからどう見たら縁があるように見えるのだろうと不思議に思いました。

しかし、本当の縁というのは、上手くいかないこと、失敗し続けることにこそあるものだという、人生の奥深さをバウさんは言っていたのではと今は思います。

**   **    **    **

最後に、1つ曲を紹介します。

「東日本大震災でもたくさんの音が生まれて色々聞いてきたけど、 これが一番やとワシは思う。ちょっと聞いてみてくれへんか。」

1年半位前、ドトールコーヒーでお茶してた時、そうやって聞かせてくれた曲です。

震災からまる4年を迎えようとしている被災地を想いながらぜひ聞いてみてください。
夏の歌なのですが、3.11にこそ静かに花火を上げてこの曲を聴いた方がいいと思うと言ってました。

「生き続けることは、時々難しいよなぁ~。」

って笑いながら語ってくれたのを、昨日のことのように思い出しながら。。。


【Light Up Nippon 空に花、大地に花 】


あぁ 忘れられない思い出や
悲しみや別れがあったとして
でも 上を向いて時間をかけて
笑おうとすることを
誰が無意味だと
それが無理だと決めつけた?

踏まれても咲く花がここにあるのに
空を見上げよう 皆で
今年も夜空に夏の花、咲いた
君の笑顔を照らすのは
決して諦めなかった誰かの勇気

そう 生きることは
生き続けることは時々、難しい
でも 上を向いて
涙を拭いて立ち上がっていくことを
誰が無意味だと
それが無理だと決めつけた?

踏まれても咲く花がたくさんあるのに
忘れられないと嘆くより
忘れない強さを誇りに笑おう
君の笑顔を照らすのは
大丈夫、大丈夫って歌う 花火の音色
想いは繋がってく 小さな蕾が
悲しみの果てに ほら、開いていくよ

ねぇ君に笑っていて欲しい
花のように 強く強く
空を見上げ 流れ落ちる
涙よ届けと 夏の花、咲かそう
君の笑顔を照らすのは
決して諦めなかった誰かの勇気
忘れられないと嘆くより
忘れない強さを誇りに笑おう
君の笑顔を照らすのは
大丈夫、大丈夫って歌う 
あの夏の花火の
この夏の花火の
見上げてるみんなの
繋がった想い


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 ◆編集後記
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バウさんから預かった最後のプロジェクトとして
バウさんの49日にあたる2月22日に小さな本を出版しました。

最後にバウさんが伝えたかったこと、
カーシェアリングや被災地の取り組みとは毛色は違いますが、サンプルだけでも、もしよかったら読んでみてください。

バウの道中記
~『チベットの死者の書』49日間の物語~

価格:300円(送料別)
送料とサンプル:http://openjapan.net/more/bowbook
お申込み:otoiawase@openjapan.net
※お名前、フリガナ、ご住所、電話番号、e-mailアドレス、購入数、
 何でお知りになったかをご記載の上ご連絡下さい。

経緯についてはコチラ
by hiroshimapop | 2015-03-10 15:58 | 日記 | Comments(0)
我が家の親善大使、福ちゃん
ときどき我が家で開催している怪しい食事会。夜が更ける(というより空が明るくなる頃)まで、お喋りが止まりません・・・。

こんなとき、我が家の猫たちの出かたは、それぞれ。
部屋に入ったまま出てこない、幻の猫になるのがニコさん。我が家の社交担当、親善大使として、愛想のない主人の代わりに、ゲストのハートをつかんでしまうのが福ちゃん。

超甘えん坊のニコさんの姿に圧倒されるのか、ニコさんの甘えぶりを、遠くからしら~とした表情でハスに構えて見ている感のある福来も、どういうわけか、人のそばが好き。そして、初対面であろうと全然構わず抱っこされます。ゴロゴロくねくねするのも、居眠りするのも、常に人のそば(ついでに、人の身体の上で寝るのが大好き)。

                人が集まればそこに必ず福ちゃんも参加
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                 こんな方の肩の上でもお構いなく・・・
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             こちらはニコさん、明け方4時すぎ。ようやく登場・・・
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                こちらは普段のニコさん。私のお腹の上です     
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by hiroshimapop | 2015-03-07 10:02 | 今日のニコさん | Comments(0)
キャベツの不思議
3月、青森で開催される赤津さんの講演会に行きます。

青森といえば、リンゴの木村秋則さん。
木村さんは、子供の頃から龍を見たり、UFOに乗ったり、宇宙人に遭遇したりと不思議体験はこと欠かない方ですが、ケイシーもお好きのようで、何年か前、青森で開催された兄のケイシー講座に申し込んでくださっていたそうなのです(ただ直前に、親戚に御不孝があったとのことで参加はいただけませんでした・・・)。

そんなこんなで、木村さんが登場する雑誌や本を読んでます。

木村さんの顔が表紙となった2013年10月号の雑誌『道』178号、、木村さんのお話ではなく、キャベツのお話ですが、興味深い記事があったので、覚書を兼ねてメモしておきます。

62ページより(元の引用は、雑誌『ニュートン2013年10月号』)
『身近な植物であるキャベツやリママメは、意外なことに、虫に対するきわめてたくみな防御システムを持っている。虫に食べられると、自身を食べている虫の種類に応じて、その虫の天敵を招くにおいを放つのだ。

キャベツを食べる虫にコナガの幼虫とモンシロチョウの幼虫(アオムシ)がいる。キャベツはコナガに食べられた場合と、アオムシに食べられた場合とで、ことなるにおいを食べられた葉から放つ。コナガに食べられた場合にキャベツが放つにおいは、コナガの天敵のハチであるコナガコマユバチを誘引する。一方、アオムシに食べられた場合にキャベツが放つにおいは、アオムシの天敵であるアオムシコマユバチを誘引するのである。

(中略)

キャベツが自分を食べている虫の種類を知る仕組みは未解明だ。

・・・天敵をよびよせるという『誘導間接防御』が行われることが、1990年代前半のころより明らかになってきました。植物の静的なイメージはくつがえされつつあるのです』



2013年1月の科学ニュース
では、あの小さなフンコロガシが銀河の星々の光を頼りに移動していることが発表されています。
脳は小さく、視力は弱いフンコロガシが、天の川の星々の光を頼りにまっすぐ進み、ふんを奪い合うライバルのいる場所に円を描いて戻らないように移動していることが分かった。

 フンコロガシは人工の光よりも、太陽、月、銀河の光を好むようだ。天体ははるかかなたにあるためフンコロガシにとっては動いていないように見え、固定された基準点になる。

 アザラシや一部の鳥や人間が星を道しるべにすることは知られているが、天の川を手掛かりにすることが報告されたのはフンコロガシが初めて。



獣医の森井先生のブログにも、寄生虫の驚くべき生態が紹介されていました。

カマキリの体内に寄生したハリガネムシという虫は、ある種の生理活性物質を使ってカマキリの脳を操り、自分が生殖のために水の中にいることが必要となると、「カマキリが水を見ると、衝動的に飛び込んで自殺したくなるよう」操作するのです…。


人間は、自分たちが地球に生きる生物の最上位にいると思ってますが、何も道具を持たず、丸裸になったとき、地球で一番脆弱な生き物は人間かもしれません・・・。




by hiroshimapop | 2015-03-01 00:30 | 世界は不思議に満ちている | Comments(0)