毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

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瞑想合宿その後
10日間の瞑想合宿に参加した前後の自分を、ビフォー・アフターで感じてみたとき、これは明らかに違うなと思ったことが1つ。

それは、動物に対する愛おしさ。以前より倍増した感じ。

なんだか分からないけど、今週、散歩中のよそん家の犬に話しかけたくて仕方がない。うちの近所には野良猫がいないので、もっぱら会うのは犬なんだけど、その犬たちに自然にスリスリと近寄ってしまう・・・。

なぜだ? 自分でもよくわからん。


肉体的には背骨の歪みが生じてました。
どうやら10日間、かなり変な姿勢で座り続けていたのが影響してたようで、昨日、整体に行ったら「どしたの?背骨がなんだか変な感じで歪んでるし、腰の高さも変わってるよ」と言われてしまいました。

長時間、ちゃんとした姿勢で座り続けられなくて、右にゴソゴソ、左にゴソゴソ身体を動かしていましたからね。

そうそう、瞑想中思ったんですが、瞑想をし続けていると、そのうち何時間座りつづける、何時間でも座りたくなるそうなんです。そうはいっても肉体は肉体。そけい部や膝を長時間、折り曲げていると、下半身の血流が悪くなって、後年、足が弱ってしまわないでしょうか?

今回も1日12時間は座ったまま+睡眠時間で、歩く時間は極端に少ないですよね。瞑想のしすぎで足腰が弱くなってしまった、ということはないですかね。今生で足が弱く生まれたのは、前世で長時間の瞑想修行をしていたから・・・ということもありえるなぁと、瞑想中の妄想の中で考えたりしてました。


おすすめの本が1冊。
ヴィパッサナーとは書いてないけど、ヴィパッサナー瞑想がベースになっている、いい瞑想の本を友達に教えてもらいました。慢性的な病や痛みを抱えている患者さんに瞑想を使って非常に効果をあげている方が書かれています。

マインドフルネスストレス低減法


そのほか、ご連絡いただいた瞑想会や、ヴィパッサナー瞑想の体験サイト

ブッダの瞑想法
リーラスペース
by hiroshimapop | 2011-02-26 11:11 | 日記 | Comments(2)
渋谷円山町
東京に住むようになって、法律の専門学校に通いながら、しばらくはバイトとか派遣で生活費を稼いでいました。そのうち学校も行かなくなったので、フルタイムの仕事についたんですが、その職場というのが司法書士事務所。渋谷の円山町、道玄坂をテクテクと246まで登り切ったあたりに今もあります。

余談ですが、1997年に円山町で起こった東電OL殺人事件は、まさに近所。
後年、「東電OL殺人事件」を読んだとき、殺された彼女が売春をするために立っていた場所、立ち寄っていたコンビニは、私も昼間、何度も行き来していたところだと知りました。もしかしたら、私は彼女とすれ違っていたかもしれない・・・。そんな思い出もあり、円山町、神泉あたりは忘れられない場所になりました。

※東電OL殺人事件は是非読んでみてください。アマゾンのレビューは芳しくありませんが、読後何年たっても記憶に残るほどインパクトのある本です。


さて、今日はふらりとその司法書士事務所に寄ってみました。
所長のほか、私が仕事をしていた当時の同僚がまだ3人も残っていて、しかも一人とは同い年で仲が良かったということもあり、昔のクラスメートに会ってる感じです。20年経っても、いまだ自分を迎えてくれる人がいる場所がある、気軽に寄れる職場がある、というのは有り難いことだと思います。美青年だった3人もいまはすっかりオジサンになっているのが、なんだかなぁ・・・ではありますが。

司法書士事務所は、主に不動産や会社の登記申請を扱う会社ですから、不動産売買がなければ仕事が発生しない。リーマンショック以降、個人の不動産売買の数が減ったとかで、いまは状況が以前よりは苦しくなったと言っていました。それでも大所帯の事務所を維持しているんですから、凄いことです。


この司法書士事務所で働いている2年の間に、私は初めてのAREツアーに参加し、その後仲間と日本エドガー・ケイシーセンターを立ち上げ・・・と、センターの黎明期をここで働きながら送っていました。ですから、センターのいろんな思い出がこの職場とリンクしています。

いつもセンターの通帳を記帳しに行っていた銀行や郵便局は、この事務所の近くでしたし、仲間に電話するために走って行って行ってた公衆電話もすぐそばにありました。

お昼のお弁当を食べ終わったあたりで、おもむろにリンゴやミカンを出されて困ったのも、この職場での思い出です。


司法書士事務所で仕事をしたあと、私はあっちにフラフラ、こっちにフラフラ。テンプルを立ち上げたあとも、内容は違いますが、やはりあっちにフラフラ、こっちにフラフラ、旅がらす生活。住まいはいくつも変わり、オフィスの住所も変わりました。

そんな間も、彼らは堅実にコツコツとこの事務所で20年間働き続けていたんですよね~。
私には出来ないことなので、えらいなぁ~、凄いなぁと感心することしきり。

今日は月末間近で超忙しい日だったそうなので、今度は、もっと時間がありそうなときを狙っていくことにします。ついでに、司法書士事務所に何か頼みたいことがでたときには、渋谷の戸田事務所をよろしく!です。
by hiroshimapop | 2011-02-25 23:58 | 日記 | Comments(0)
私のヴィパッサナー瞑想体験
会う人みんなに、瞑想どうだった~?変わった~?と聞かれるのですが、何か変化が起こったという実感はまるでなし。

ただ、以前、四国のお遍路を10番くらいまで歩いたあと、しばらく「**まで20km」「**まで10km」という交通標識をみると「この距離だったら楽に歩けるぞ」という、歩くことへのちょっとした自信というか余裕が生まれたときのような感じがあります。つまり、1時間、瞑想をすることへのハードルが低くなったような。

ただ、ヴィパッサナー瞑想で日々の実践を促されている1日2時間の瞑想というのは、かなり腰がひけてます。1時間と2時間の心理的な差はかなり大きいです・・・。


さて、10日間のヴィパッサナー瞑想。
初めての人が参加しても大丈夫なように、入門編からだんだん難易度が高くなる、といったような感じで指導がなされました。瞑想の指導はすべて、ゴエンカ氏の英語による指導と通訳の音声テープです。
ですから、どこで受けても、いつ受けても、指導内容に変わりはありません。

最初の1日目は、意識を呼吸していることに向けます。瞑想なので、呼吸していることに「集中する」のではなく、呼吸している鼻の穴あたりに意識を向け、ただその呼吸の状態を観察する、といった感じになります。

2日目、3日目は、その意識をおく場所が少し拡大しますが、やはり意識は鼻のあたりにあります。
4日目の午後、ようやくヴィパッサナー瞑想を習います。それまで3日間は鼻のあたりだけに向けていた意識を身体に広げ、身体全体に起こる感覚を客観的に、冷静に観察し続ける、気づくということをずっと行います。最初は身体の各部位、頭皮、顔、あご、首といったパーツに分けて観察するのですが、最後になると、身体全体を1つのユニットして体感覚の流れを感じていきます。


この瞑想法のユニークなところは、瞑想中、マントラやアファメーションを唱えることはせず、呼吸数を数えたりもしないこと。ビジョンもイメージも浮かべず、意識のなかで、白い光も七色の光にも包み込まれず、森の小道も歩かず南の小島にもいかず、宇宙のゴミ箱に心配ごとも入れず、行うのは、ただたんたんと、体感覚に意識を向けるのみ。

ヴィパッサナー瞑想を始めるとき、参加者は、他で習った瞑想法と一緒に行わないということを約束するんですが、私には、何もイメージしない、何も唱えない、というのが、実にとっても難しかったです。

雑念が起こると、つい頭の上にバターを置いて、白隠禅師の「軟酥の法」をやってしまったり、白い光をイメージしてしまったり・・・。呼吸を数える、何か真言やアファメーションを唱え続ける、あるいはその言葉に意識を向ける瞑想がいかにたやすいものだったか。

特に合宿の終盤になって、意識を身体のパーツから全体に向け始める頃になると、私には一気に瞑想の難易度があがったように感じました。つい、身体のパーツの名前を思い浮かべながら、意識上で指先確認をしてしまうんですよね。

アチコチに飛んでいってしまう意識を何かに集中させるほうが、遙かにやりやすいです。
たんたんと何も思い浮かべず、感想も持たず、観察だけ行う・・・。私にはとっても難しく感じました。

これから、日々の瞑想の中で少しずつ自分で獲得していく必要がありそうです・・・。

*瞑想法についてはこちらを参照してください。


また長時間、座り続けることになるので、はじめの3日間は、足腰、膝の痛みとのバトルもありました。
私が痛みなく座っていられるのは、30分だけ。身体に痛みを感じはじめ、ゴソゴソそわそわし始めると、だいたいスタートから30分が経過したあたり。痛みなく瞑想ができるのは朝の30分、昼食休憩後の30分、夕方の休憩後の30分の合計1時間半のみ。残りの10時間半は、ひたすら痛い!どう足を動かしても、体勢を変えても痛い。

2日に1回くらいの割合で、瞑想の進歩状況のチェックが指導者からあるんですが、最初の頃、あまりに身体が痛いので「つい痛みに集中してしまいます」 とお話すると「痛みは無視して、呼吸に意識を向けて下さい」とのお返事。でも、痛みは容赦なく私の意識を捕らえて離さない。

止めどもない頭の中のお喋りと身体の痛み。
最初の3日間は、1日12時間の瞑想時間のなかで、実際に「瞑想」ができたのは2時間くらいでしょうか。

それが10日間座り続けているうちに、少しずつ頭の中のお喋りが少なくなり、痛みも軽くなっていき・・・。

10日間がコースの1つのユニットになっている、10日間とにかく座り続ける、というのは瞑想を学ぶために必要不可欠な要素なのだと実感しました。

ゴエンカ氏は、少なくとも1年に1度は、この10日間の瞑想合宿に参加するようにと言われています。
この瞑想は心の浄化のために行っていきます。

次回の瞑想合宿に参加するときまでには、もう少し、ヴィパッサナー瞑想そのものの体感が進んでいるといいのですが・・・・。
by hiroshimapop | 2011-02-22 12:00 | 日記 | Comments(2)
ケイシー流の食事こそ、真の菜食だ!
10日間の瞑想合宿体験のつづきです・・・。今日は食事編。

私はふだん、旅に行くときには、海外であっても国内であっても、ピュアシナジーとヴァイタシナジーのどちらか、あるいはその両方を持参するようにしています。旅先では、緑の野菜を食べられるチャンスが少なく、食事のコントロールも難しくなりますから。また念のためと整腸剤や百毒下しの便秘薬も持参しています。

でも今回は、食事はずっと「菜食」だし、こういうサプリ系は不要だなと持参しなかったのですが・・・。

行って初日から後悔しました。こういった、いつものセットを持参してこなかったことを。

なぜなら、食堂に用意されていたのは、毎回、ご飯やパンといった穀物食。「菜」とカテゴライズされるものは、実はほとんどありませんでした(特に地上で育つ野菜は)。


・・・ただ、ここで誤解をしていただきたくないのは、ヴィパッサナーの施設は完全100%寄付で成り立っており、食費も無料提供なら、食事を作って下さる方々も完全なる奉仕の精神。参加費が安くなるから奉仕する、といったレベルの奉仕ではなく、心からの奉仕の精神で、参加者のために早朝から食事の支度をして下さっています。

瞑想の合間にいただいた毎回の食事は楽しみでしたし、ありがたく、そして美味しくいただいていました。特に私は肉が食べられないので、「中に肉があるや否や」と心配しながら食べることもなく、心から食事は楽しむことができました。

ですから以下に書くことは、私の普段の食生活とは違ったということであって、決して文句を書いているわけではないことを、まずはご理解ください。


で、食事の話に戻りますが、日本の菜食というのは、菜食というより「穀物食」もしくは「米・麦・大豆食」と呼んだほうが正しい、ということを、参加するまで実にすっかり忘れていました。呼び方のとおり「菜の食」だと楽しみにしていました。

ところが、そうなんですよね。日本の菜食の主人公はあくまで「ご飯」。ご飯が中心にあっての食事です。

実は私は、穀物-炭水化物の量が多い食事だと、とたんに便秘をしてしまいます。
今回は、玄米食や全粒入りのパンが出ていたんですが、それでもダメでした。


どれくらい「穀物」の割合が多かったかというと、

ある日の朝食は、「玄米」「白米」「パン」(それを食べるための、梅干しやゴマ、バターやジャム、オリーブオイルなどは自由にとることができます)と「果物」
その日の昼食は「玄米」「白米」と「お味噌汁」
 ※これらを参加者は、自由にとって食べることができますので、パンだけ、玄米だけ、というチョイスもできます。


ある日の朝食は「玄米」「白米」「パン」と「果物」
その日の昼食は「玄米」と「炊き込みご飯」と「お味噌汁」

ある日の朝食は、なんとずらりと7品目すべてが穀物食だったことがあります。
「玄米」「玄米のお粥2種類」「白米」「ゆかりご飯」「パスタ」「パン」と「果物」

確かに動物性のものはでていませんが、これでは「菜食」ではなく「穀物食」です。

なんど、食堂に行って、心の中で「菜がなーい」「菜食だけど、菜がなーい!」と叫んだことか。


おそらく、他の参加者の方々は、普段、ご飯やパンを主食にしていらっしゃるので、この献立について、なんとも思われなかったと思います。でも、私は、普段の食生活は、野菜が主食。それも根菜よりも、地上で育つ野菜がたっぷりの。まさに「菜食」。

ここまで「菜」がないのは、かなりひさびさ、でした。


ここで、私は大発見!

エドガー・ケイシーの勧める食事は、肉や魚、卵も乳製品も食べますが、それでもなお、ケイシーの食事は「菜食」です。これを菜食と呼ばずなんと呼ぶ。なんせ、1日に食べる食事の8割が、野菜もしくは果物。
「菜」が中心なんですから。


瞑想中(いえ、妄想中)、私は「5月に行うハワイ島でのリトリートは、もう絶対にケイシー流の菜食だ~!」
と強く強く、決意をしていました。参加者の方が、人生で初めてといっていいくらいの菜食率を目指します(それも小食)!


余談ですが、朝と夕方、果物も毎回出されていました。内容は、リンゴ、バナナ、ミカン。

ケイシー流の食生活では、要注意とされるこの3つの果物。もちろん、他の方々はそんなことはご存じないわけで、ご飯のあとにミカンとリンゴとバナナという組み合わせは毎回。中には、左手にリンゴを持ち、右手にお箸を持ってご飯を食べている方もいて、私には目が点。

知っていることは、かえって不自由ですね。でも知っているとやっぱり食べられないです。食事のあとのミカンやリンゴ、というのは(皆さん健康体なので、全然問題ないです)。でも私は毎回チョイスしてました。今日の朝食は玄米でいくか、ミカンやリンゴでいくか・・・。


外でケイシー流を実践するには、やはりサプリなどを利用しつつ、事前の準備も必要ですね。

次回、瞑想合宿に参加するときには
ピュアシナジー、ヴァイタシナジー、ベリーベリープレミアムのほか、デトックス系のハーブティ、整腸剤、百毒下しも必ず持参です。

10日もずっと便秘気味だったので、今朝は、洗腸してスッキリ!です。
夕べはできなかったので、今晩は、ひまし油湿布もマストですね。

今朝は、ノーウォークジューサーでニンジン・セロリ・ロメインレタスジュースを作って飲みました。ケイシー流の菜食生活がスタートです。
by hiroshimapop | 2011-02-21 13:31 | 日記 | Comments(6)
帰ってきました。瞑想三昧の世界から。
今朝9時前に無事、全12日間のヴィパッサナー瞑想の行程が終了。
うち10日間は朝4時起床で4時半から夜9時まで、約12時間の瞑想三昧の日々。瞑想してるか寝てるか、食事をしているかの単純な日々。でも、普段の生活では味わえない特別な日々でした。

今朝4時に目覚ましが鳴ったとき「あ~、今日が最後の4時起きだ~!」と気合いを入れて起きました。明日7時過ぎまで寝ていられる、と思うだけで幸せな私はどこまで寝ぼすけなのでしょう!

この12日間のこと、記憶が新しいうちに書き残しておかなければなりませんね。
なんせ、メモも禁止だったし、まるまる10日間、同じスケジュールで過ごしていましたから、すぐに記憶が団子状態になってしまいます。

まず、参加者は約50名。完全に男性、女性は分けられ生活するので、約25名ずつの参加者。2月という季節柄かなのか、大学生くらいにしか見えない若い人も多く、だいたい20代から30代半ばの方々が中心だと思います(とはいえ、最終日にお互い自己紹介してみたら、10代だと思っていた女の子たちが26才だったりしたのですが・・・)。

受付で携帯や持っている本などを預け、軽食を食べたあとはすぐに聖なる沈黙に入ってしまったので、参加者の名前、素性などは全く分からず。ずっと隣で寝ていた人の名前さえ、最終日にようやく判明したくらいです。

私は宿泊棟に泊まることができましたが、数名はテント生活でした。今回は冷たい雨が多かったし、雪も降ったので、テントの方はかなり過酷な日々だったと思います。私は廻りの方が起き始めるので、それにあわせ一緒に起きることができましたが、たった一人で寒いテントでしかも4時起きなんて、とても私にはできる芸当ではありませぬ。

宿泊棟といっても雑魚寝です。布団1枚分と荷物を置く場所が一人に与えられたスペース。誰とも口をきかず、目もあわさず、名前さえ知らず、しかも、横にはすぐに寝ている人がいる、というギッチギチ状態で寝ていたわけですから、いま思い出すと、あれは不思議な異空間でした。

トイレとシャワーは別の棟にあり、雨や雪の日は傘をさして長靴を履いてぬかるんだ土の上を歩いて行く必要があります。シャワーを出たらすぐに外で、2月の寒風吹き込む中でシャワーを浴びていたんですから、よくあれで誰一人風邪を引かずに過ごすことができました。やはり、異空間のなせるワザですかね。

瞑想は瞑想専用のホールが用意されてあり、1日12時間をそこで過ごします。

朝4時半~6時半の2時間
朝食後、8時~11時の3時間
昼食後、1時~5時の4時間
フルーツの軽食のあと6時~9時の3時間。
講話を入れて、トータル12時間。


日頃、あらゆるところから否応なく耳に入ってくる音楽、話し声、ラジオやテレビの音はない。携帯も電話もなく、本もメールも読まず、目にする文字は掲示板のお知らせだけ。

普段は外からもたらされてくる情報や刺激に反応して、それに応えることに終始している脳みそ。その肝心の情報がぱったり遮断されてしまうと、もう、どうしていいか分からないんでしょうかね。

私の脳はこんなにお喋りだったのか!と思うくらい、朝から晩まで、ずっと頭の中では絶え間ないお喋りが繰り広げられておりました。

もちろん、残念ながら、瞑想の時間中も。


最終日に他の参加者の方に言って爆笑されたんですが、最初の3日間、私の頭の中には10人の黒柳徹子さんがおりました。しかもテンでバラバラ、支離滅裂、脈略なく、そして「私にも話させろ」と自分のお喋りの優勢さを競いあいながら話し続ける黒柳徹子さんが10人。


頭の中で繰り広げられていたお喋りの内容は、次の4つに分類できると思います。

1)過去に実際あった出来事、思い出。それに派生して、あの人は今シリーズ。
2)過去に実際にはなかった「もし、あのとき、ああだったら」という過去の願望、妄想シリーズ。
3)近い未来、現実になりそうなこと、またなってほしいこと。それに派生して、明日からの仕事の段取りシリーズ。
4)未来はこうだったらいいな、こうしたいな、という未来の願望、妄想シリーズ。


この4つが、脈略もなく未来に行ったり過去に行ったり、あっちいきこっちいき。しかも、3秒前に何を考えていたかさえ言えないほど泡のように浮かんでは消えていく、どうでもいいような一人相撲喋り。

でも、途中で気がついたんですが、未来や過去に縦横無尽に変わるトピックに、そのお喋りの本体である私にはさっぱり脈略ないように思えても、お喋りしている脳みそにはちゃんと脈略があるようなのです。

というのも・・・

ふと、「今日は冷たい雨だなぁ・・・・」と頭が思ったが否や、間髪入れずに私の脳みその中では荒井由実の「冷たい雨」がスタート。ハイファイセットの山本潤子さんバージョンの歌声で。そして冷たい雨の歌とともに、別のシーンを思い出し、そのシーンの先に別の友人が頭に浮かぶ・・・。

「この頭のお喋り、どうにも止まらないなぁ」と思ったときなんて、間髪いれず、山本リンダの「どうにも止まらない」がスタート。しかも頭の中の映像では「8時だよ、全員集合」に出演中の山本リンダさんが唄っている。


なんか1つ思い出すと、その記憶のフックには、別の記憶や別の思いが繋がっていて、それが数珠つなぎになっているんでしょうかね。

ともかくも、そんな感じでスタートから3日間は、自分の頭の中の止むことのないお喋りにいささかあきれ果て、自分の頭の中ながら、うんざりしておりました。


ところが、その絶え間ない頭の中のお喋りも、ふと気がつくと4日目の午後にはトーンが落ち、お喋りとお喋りの間に隙間ができはじめている・・・。

それとともに、瞑想中、強い痛みを引き起こしていた首や肩のコリも少なくなり、ようやく4日目にして瞑想できる時間も長くなっていきました。

もし最初の3日間で終わっていたら、私は頭の中のお喋りと身体の痛みだけしか体験できなかったでしょうね。

もちろん雑念は相変わらず沸きましたが、ただうるさく脈略なく繰り広げられていた単なる脳みそのお喋りの内容が、意味のある建設的なものに変わり始め、お喋りの主体が「頭の中の黒柳徹子さん」から「わたし」になってきたように思います。「**について考える」というテーマを持ち始め、たとえ雑念であっても、終わったあとには思考した感と「こうしよう」という思いが残るようになりました。


昨日から参加者同士のお喋りが解禁されたので、いろいろ体験をシェアしあったんですが、お話した方全員が「また参加したい」「また近いうちに戻ってきたい」と言っていました。

私はスタート時点で、あまりに瞑想中の身体が痛く、また雑念ばかりだったので、すでに2日目から「20日までは、まだまだあるなぁ」と暗澹たる気分で帰る日を指折り数えている状態でした。

が、終わってみると、なんとも言えない爽快感。そして意識の高い他の参加者とのつかの間の交流。

少なくとも1年に1度、強制的にでもこの10日間を過ごすことは自分にとって非常に有益じゃないかなと思っています。最後にお話した方々は、この3年間で5回、6回と参加されていました。

しかも5回、6回は、まだまだ初心者クラス。その上には何十回も参加されている強者も・・・。社会人でありながら、この10日間をどうやって捻出されているのか興味はつきませんが、ここに参加しないと、自分一人では、なかなか1日12時間も瞑想に集中できないですからね。

ちなみに参加費は無料。京都と千葉にある施設の運営は、すべて他の参加者の寄付、施しによって運営されています。


そこで体験してきた瞑想については、書くと長くなってしまうので、またあらためて。
by hiroshimapop | 2011-02-20 18:59 | 日記 | Comments(1)
ヴィバッサナー瞑想に参加してきます
9日~20日(日)まで、留守にします。
しかも、この間、まるまる10日間、パソコンなし、携帯なし、メールなし。会社との連絡も絶つことになります。

別に海外に行くわけではなく、千葉にいるんですが、ヴィバッサナー瞑想という初期仏教の瞑想法を体験しに行ってきます。ブッダが行っていた瞑想法とも言われています。

10日間の瞑想合宿中は、参加者と外界との接触は全くなくなるようです。読書やテレビが禁止、というだけではなく、参加者同士であろうと、他人とのお喋りや、アイコンタクト、ジェスチャーも禁止。完全に自分と向き合うことになります。


瞑想の案内にはこう書かれています。
コースの開始から、九日目(あるいは十日目)の午前十時までは、聖なる沈黙を守らなければなりません。聖なる沈黙とは、身体・言語・精神の沈黙を指します。身体によるジェスチャー、書くこと、合図などのいかなるコミュニケーションも禁じられています。


たった10日間とはいえ、完全なる沈黙が果たして続くのかと心配です。毎朝4時起きで、夜9時までの瞑想三昧なんて、生まれてこのかた体験したこともないし・・・。

過去に何度かこの瞑想合宿のことはネットで読んだことはあったものの、10日も会社と連絡とれないなんて、10日もメールが使えないなんて、ありえなーい!と、最初から、ここは無理!絶対無理!って思っていましたが、無理と思っている限りずっと無理。

なので、ここでエイヤと覚悟を決めて、どんな感じか体験してきます。

1度だけでは、なにがどう変わるというわけでもないのかもしれませんが、長い人生、こんな10日間があってもいいでしょう。


それにしても、別に意図したわけではないんですが、お正月の座禅断食から始まって、砂糖断ちにヴィバッサナー瞑想。今年、私の人生には、この流れが来ているようですね。

明日からの参加のために、これからスーツケースのパッキング。
シーツもタオルも10日間分の下着も全部持参する必要があるらしいので、いつもよりは大荷物になりそうです。

では20日まで、しばしの沈黙に入ってきます。
by hiroshimapop | 2011-02-09 00:16 | 日記 | Comments(0)
お菓子への渇望感
せっかくお正月に断食をしたんだから、ここでお菓子を食べてはもったいないという、ある意味、ケチケチ根性でスタートしたお砂糖断ち。

意外や意外。これが全然辛くない。

固い決意もなく、ゆるゆるな感じで始めたのが良かったのか、お菓子や甘いモノに対する渇望感やストレスが全くない。

スタッフたちは午後3時頃に休憩時間をとって、みんなでおやつを食べながら少しくつろぐ、という時間を持っているんだけど、最初の頃はスタッフが何か食べていると「美味しそうだなぁ」という気持ちになったけど、今はそれすらなくなった。

私は子どもの頃から肉が食べられないので、どんなに人が肉料理に舌鼓をうちながら「美味しい~!」と叫ぼうと、全然羨ましくもなかったし、食べたいとも思わなかったけど、ちょうどそんな感じ。

だから、甘いモノに思わず手が出て、ハッと気づいて手を引っ込める、ということもない。甘いモノの存在そのものを、身体が忘れてしまった感さえする。

なんでだろう? 

一応、小腹が空いたとき用に、砂糖の入ってない塩味の南部せんべいを買ってあるんだけど、全然減らない。ときどき朝食がわりにつまむことはあっても1枚で十分。

日曜日につぶつぶカフェのセミナーに出たら、イトコの大輔君もいて、彼は甘いモノ大好き人間だから、帰りに「あ~、たまらなく甘いものが食べたい~!」って叫んでたけど、その「たまらなさ」がどういう感覚なのかさえ、もはや共感できなくなった。


数年前に亡くなった父は、母が入院して一人暮らしになったあと、誰も父の飲酒を止める人がいなくなったために朝からお酒を飲み始め、それが原因で脳梗塞になったようなものだと思うんだけど、脳梗塞になって倒れてみると、ほとんどアルコール中毒とも言っていいほど飲んでいた「お酒」を全く飲まなくなった。

お酒、焼酎、ビール、その他、アルコールに関するボキャブラリーを脳が無くしてしまったのか、「お酒が飲みたい」とも言わなくなった。

しかも、ある日を境に、朝から浴びるように飲んでいたお酒を1滴も飲まなくなったのに、アルコール中毒者のような禁断症状もなかった。いったい、あれほどまでに、アルコールを飲みたがっていたのは、心だったのか、身体だったのか、脳だったのか?


つぶつぶカフェに置いてあったチラシに、お菓子が止められないのは「ゴハンをちゃんと食べてないから、ブドウ糖が足りなくてお菓子が食べたくなるのです」と書いてあった。

でも、私はゴハンをほとんど食べないので、「ゴハンを食べないとお菓子が食べたくなる」という方程式は私には当てはまらない。

反対に私は「ゴハンを食べてしまうから、身体がそのブドウ糖という快楽を欲しがって、甘いモノに手が出るのでは?」とさえ思っている。


ここまできたら、仙人道を突き進むか・・・・。

太れないのが悩みの種なんだけど・・・。
by hiroshimapop | 2011-02-08 05:55 | 食事が身体をつくる | Comments(0)
ビジュアライゼーション(視覚化)
先週のメルマガで、ご主人の癌の治療について、セカンドオピニオンを受けるために、アリゾナのグラディス・マクギャレイ医学博士の診察を受けられた、という方の体験談をご紹介した。

その中で、グラディス博士はビジュアライズする重要性について、こういうエピソードとともにお話下さったそうだ。

(以下、体験談の抜粋)
・・・ビジュアライズ(映像化する)ということを説明した際、マクギャリー医師は自分の友人のアーティストに起こった話をしてくれました。

それは事故により首の頸椎を粉砕し、目以外の体の機能が動かなくなったそうです。

医師は、今後体を動かすどころか、起き上がったり、首を動かすことは不可能だろうと告げられたそうです。

しかし彼女は体が動かない間、天井を見ながら町を一つ一つの家から築き上げる映像の遊びをしたそうです。

それも、もともとあった家などを全て壊し、更地にしてから立て直すという作業をイメージしたのだそうです。

それをするようになってから、彼女は町を築き上げるその素晴らしさに興奮し、感動し、楽しく時間を過ごしたそうです。

その作業の過程でなんと、首の粉砕して戻らないと言われていた骨が、己から骨を築き上げたそうです。

そして、その事故から僅か2、3ヵ月後には首が動くようになり、半年後には体が動くまでになったそうです。

今では何の支障をきたすこともなく体を動かし生活しているそうです。
これは非常にイメージしやすい例で私達もわかりやすく、勇気が出ました。


今日、昔の友人が事故に遭い、半身不随となっていることを知った。

私にいま、できることはあまりない。

せめてもと、このエピソードとともに、山元加津子さんの同僚のお話、ALS(筋萎縮側索硬化症-ホーキング博士が罹っていることでも有名)のために寝たきりになってしまった状態から見事に復活し、1人で歩いて旅行にまで行けるようになったデビッド・アトキンソン氏のお話のDVDを送った。

これまで何年も1人で頑張って生きてきた人。離婚後、息子さんのために仕送りを続けることが生き甲斐だった、私よりもまだまだ若いお父さん。

この人が、こんなに回復できたなら、彼にも希望がある。
彼の回復を心から祈っています。
by hiroshimapop | 2011-02-07 21:22 | ホリスティック・ボディケア | Comments(0)
相撲は御神事
大相撲の八百長問題で、春場所が中止になってしまうとか。
大きなお金が動けば動くほど、そこには人の欲がからんでしまう・・・。

Youtubeでこんな映像を見つけました。古代イスラエルと日本の深い繋がりは、昔から言われています。相撲も実は古代イスラエル発祥の御神事だった、相撲という言葉「スモウ」がすでにヘブライ語、相撲で使われる「ハッケヨイ」という言葉もヘブライ語なのだ、という指摘は、とても興味深いですね。

古代イスラエルの話を持ち出さなくても、日本でも相撲はかつて神社で執り行われる御神事でした。

相撲関係者の皆さんが、自分たちが関わっている「相撲」は、スポーツでもゲームでもなく、実は神ごとなのだ、という意識を持つことができれば、神の御前に恥ずかしくない潔い心でないと土俵には乗ることさえできないのではないでしょうかね。


by hiroshimapop | 2011-02-06 09:41 | 日記 | Comments(3)
本の紹介「体からのシグナル」
ほぼ20年来の友人で、飯田橋でオステオパシーの治療院を開院している石原さんのサイトに行ったら、フランスのオステオパシードクターが書かれた本が紹介されていました。

体からのシグナル

少し値段が高いのがネックなのですが、ふわふわ系ヒーラーが書いたのではなく、この本の著者でオステオパシードクターのバラル先生は、雑誌タイムがかつて「新しい時代の代替療法界のトップ100人」に指名したほど実力の持ち主です。

まだ私もパラパラ読みしかしていないのですが、なかなか面白いです。


失業のショックで胃痛と鬱状態に陥った人が、胃をケアすることで、鬱状態も軽減される仕組みについて、シンプルに、こう説明されていました。

例えば、職を失って胃痛を患う人がいたとする。脳は負のメッセ-ジを受け取ると、それを胃に転移して追い払う。これが身体化(心理的、感情的なストレスが体に症状として出ること)して痛みやけいれんが起こる。すると引き換えに脳は2つのメッセージを同時に受け取り、次のような処理をすることになる。

1)職場を解雇された。 ということは、私はダメな人間だ
2)胃が痛む。 ということは、私だ病気だ

以上の2つの情報は脳の中のある部分で繋ぎ合わさり、からみあって抑鬱症状を引き起こす。まず(内臓マニュピュレ-ションのようなセラピーで)胃を治せば、器官のなかで進行中の葛藤を取り除くことができる。

すると脳はプラスの変化を認識するので、痛みの消えた人によっては失業問題の解決によい機会が得られることになる。



身体の器官は、ある特定の感情と結びついている、ということで、肺人間、心臓人間、と、それぞれの臓器をどうケアするか--精神的にも物理的にも--が解説されています。

特に、脾臓やすい臓は、重要な器官の割にこの手の情報が少ないので、脾臓やすい臓にトラブルがある方には、参考になるのでは?と思います。
by hiroshimapop | 2011-02-04 19:29 | おススメBOOKS | Comments(0)