毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

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謎のフランス人ジュリアン君(南仏の旅報告―4)
今回の南仏の旅には、謎のフランス人(と呼んでいる)ジュリアン君も参加してました。

初めて会ったのは12年前。その時彼はまだ23歳。たしかソルボンヌ大学の大学院に入学するためにパリに引っ越してきたばかりの頃。まだパリのことをよく知らないというし、それだったら、ジュリアンと一緒でなければ絶対に行けない、ソルボンヌ大学の図書館に連れていってー!とお願いして、まだ休暇中で人の少ない大学構内をアチコチ案内してもらった記憶が(結局図書館は見つからなかった気がする・・・)。

それから12年。
最近はフェイスブック経由でお互いの近況はよく知ってますが、物理的に会ったのは、今回でまだ4回目。パリ→台湾→東京→ルルドで再会と、会う場所は、ワールドワイドですねー。


ジュリアンのことは、テンプルでも語り草になっていることが1つ。

1度、彼が東京に遊びに来るというので、では滞在中のお小遣い位にはなるかなーと『謎のフランス人来日』という、ワケの分からないお話会を開いたことがあるんですが、無名の、単に私の知り合い、というだけの若いフランス人男性の話を聞きに、なんと、80名ほどのお申込みが! 

20人くらい参加してもらえるといいなぁという主催者の予想を遥かに超えておりました。ジュリアンも80名という大勢の人の前では緊張する、というので、結局、2回に分けてお話会を開くことに・・・。

たしかに不思議系、スピ系の彼ではありますが、全く無名のジュリアンの話を聞きに、何故あんなに人が集まったのか、不思議・・・。


と、ずっっと思っていたんですが、今回、初めて判明したことが・・・!

彼は、宇宙人、というか、宇宙意識から、ときどきメッセージを受け取っている人なんですが、あの東京来日のとき、その宇宙人から「ナオコに東京に行くことをメールしなさい」という再三の命令があったんだとか。

その時彼は大学の試験勉強中で、とても日本語でメールを打てる状況ではなかったので、今は無理って、無視していたら、翌日も、その翌日も「ナオコにメールを!」という命令がきたんだってー!

ということは、あのお話会は、私の意志ではなく、大いなる意識の働きかけがあって、することになったものだったのかもー。だから80人も人が集まったのかしら??

よく分かりませんが、彼のその後の宇宙人話やUFO話も含め、いつかまた『謎のフランス人』のお話会、どこかでするかもです〜。

独学で獲得したジュリアンの日本語は、とても丁寧。今の日本人が忘れてしまった丁寧さです。
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by hiroshimapop | 2016-04-26 06:48 | ただいま海外で体験中! | Comments(0)
晩年のマグダラのマリア(南仏の旅報告―3)
フランス滞在3日は飛ばして、4日目はマグダラのマリアに浸る一日!

南仏の旅4日目の訪問地は、マグダラのマリアの(ものだと云われている)聖遺骨が祀られている教会。マグダラのマリアは、迫害を逃れ、船で南仏に到着し、亡くなるまで南仏にいた、という伝説がこの地にはあるんだとか。

…伝説と書きましたが、ここの教会(バジリカ)は、ローマ法王に認められているので、ローマ法王も、マグダラのマリアが南仏に移り住み、この地で亡くなったことを認めているのではないかなと思います。

教会の地下にはマグダラのマリアの頭蓋骨と発掘をしたときに剥がれ落ちた皮膚の一部がガラスケースで展示されています。実は、写メで撮影もしたんですが、2000年前の肉体とはいえ、女性として、頭蓋骨を晒されているのは辛いだろうなと思うので、ブログでは、美しいマリアの石膏像の方をアップさせていただきます。

             ずっと曇天続きでしたが、雲一つない青空!
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                聖マグダラのマリアのバジリカ
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            マグダラのマリアの聖遺骨の前にあった石膏像
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           天使に導かれて天に召されているマグダラのマリアの像
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 たまたま訪れた日は中世祭りが教会周辺で催されてまして、こんな方がいっぱい!     
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                    本物の狼なんだってー
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午後に訪れたのは、マグダラのマリアが人生最後の30年余りを祈りと瞑想で過ごしたと云われている洞窟。下から見上げたときには「登るの無理!」って思いましたが、ふーふー云いながらも、一歩一歩進んでいけば、いずれは到着しますねー。登る甲斐ある素晴らしい場所でした。

ここで暮らしていたマグダラのマリア、衣服はそのうち無くなり、長い髪の毛を衣服がわりに身体に巻き、食事は、時々天使が訪れてマリアに与えたんだとか。ちょうどモーゼと共に約束の地を目指して40年間歩き続けたユダヤの民に、神がマナを与えたような感じだったのかもしれません。

ケイシーのリーディングを受けたなかに、前世でマグダラのマリアだった、という女性がいたそうです。自己肯定感が低く、罪悪感に悩んでいたのですが、「主がとっくに許されていることを、なぜあなたは悔いているのか」とリーディングで云われたんだとか(帰国したら、ちゃんと調べます!)。


マグダラのマリアとイエスは恋人同志だったのでは?とか、イエスの子供をマリアは産んでいた、と言っているサイキックの方がいたり、そのようなメッセージを受けたという本も出ていますが、私が信頼しているある方に神様が伝えてきた内容では、マリアとイエスは純粋に師弟関係だった、というものだったそうです。その方によると、マグダラのマリアは子どもを産んでいたそうですが、それはイエスの子ではなく、聖書にも名前が出てくる方でした。マリアがイエスに出会う前、彼はマグダラのマリアの顧客であり、そして、マリアのことが好きだったらしい…(云われてみると、そうだったとしても不思議はないなーと思う人でありました)。

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by hiroshimapop | 2016-04-25 14:51 | ただいま海外で体験中! | Comments(0)
ビュガラッシュ村とレンヌ・ル・シャトー(南仏の旅報告ー2)
南仏の旅、到着2日目の目的地は、ビュカラッシュ村。
2012年12月、世界が滅んでもココは残ると云われたため、村民200人のこの村にニューエイジ系の人々が大挙して引越してきたんだとか。

このビュガラッシュ山は、UFO の目撃情報もあったり、地質学的に山の上部の地層の方が古いという、ちょっと不思議な山です。私は時々、何かのエネルギーに反応すると頭痛がしてくるんですが、バスがこの村に近づくにつれ、頭痛が始まりました。今回は麓から仰ぎ見ただけですが、登ってみたら何やら面白い体験が出来そうな感じです・・・。

…しかし、ルルドから半日かけて、わざわざここまで来た日本人は、そうはいないはず。とにかく、その噂以外、なーんにもない村なんですから。ここに来るのをリクエストしたのは私ではありますが、こんな旅を許してくれる小林さんも、相当懐ろ深いですー。

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この山からほど遠くない場所にあるのは、第二の目的地、レンヌ・ル・シャトー。

ダン・ブラウンのダビンチコードを読んだことのある人は知っている、不思議な歴史を持つ教会です。高台の景色のいい場所にはありますが、車もない時代、毎週ここの教会に通うにはかなり不便だっただろうな思います。教会内部の装飾は、かなり趣味の悪く、とても美しいとは云えない小さな教会ですが、ダビンチ・コードを読んだ時から、ここ、ずっと来たかったのですよ〜。この趣味の悪さで何かをカモフラージュしている感じもしないではありません…。ビュカラッシュの山と何か関連があるのでしょうか?


団体旅行なのに、何時間もかけて、こんな摩訶不思議な場所にお連れしてしまい、念願叶って私は満足ですが、とことんワガママな私仕様の南仏の旅に付き合って下さり、皆さん、ありがとうございます。
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トム・ハンクスには申し訳ないですが、ダビンチ・コードは、小説の方が断然面白いです。読みだしたら止まらない1冊!

by hiroshimapop | 2016-04-24 05:14 | ただいま海外で体験中! | Comments(0)
ルルドの1日(南仏の旅報告ー1)
2016年4月20日朝8時半成田空港集合で始まった今年の小林ツアー。主に南仏の聖地をぐるりと廻ってきます。

パリで乗り換え、前夜遅くにルルドのホテルに到着。謎のフランス人、ジュリアンくんも今回の旅の前半は合流で、7年ぶりにジュリアンにも再会!ぜんぜん変わってないのは何故だー!?


さて、旅の2日目はまる一日をルルドで過ごします。

午前中、旅のメンバーは、ルルド近くのベタラン洞窟へ。でも私は、『聖母マリアの秘密』を書かれた菊谷さんから依頼を受け、あるミッション決行のため、1人ルルドに。今日の天気は降水確率100%。雨の一日か~!と思っていたら、曇天ではあるものの雨にはなってない…。

ホテルを出ると、多くの人が同じ方向へと歩いて行ってます。きっとそっちがルルドの教会なんだろうなと、巡礼の皆さんに混じって、お土産屋さんやホテルの間の道を歩いて、ルルドの教会に無事到着。

      聖母がご出現され、水が湧きだした岩の上に建てられた大聖堂
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              王冠をかぶった聖母マリア像
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  朝から何度も行わているミサ。前方は車いすの方々のためにスペースが開けられています     
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      ミサがされていない時間は、湧き出ている水のそばまで行くことができます。ただいま私は菊谷さんミッション敢行中。聖母マリアに『聖母マリアの秘密』が出版されたことを報告中!
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               聖母像と一緒に記念写真!
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                 私も一緒にパチリ!
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・・・無事、朝のうちにミッション完了で、ペットボトルにルルドのお水も詰め、いったんホテルに戻ったあたりでルルドは大粒の雨。ぎりぎりセーフで本を濡らすことなくミッション遂行!

ランチで旅のメンバーと合流。私は今回は行けませんでしたが、洞窟もエンターテイメントの演出もあり、とても良かったそうです。

今度はガイドさんとともにベルナデッタが生まれた家、住んでいた家などを巡り、再び、ルルドの教会に。午後はずっとあいにくの雨でしたが、ガイドさんの解説があると、やはり一人では見過ごしてしまう所や、歴史的背景、見どころなどが分かっていいですねー。一人で廻ったときも良かったですが、案内つきのルルドも良かったです。

そしてルルドに来たなら、やはりルルドのお水に浸かって帰りましょうと、旅のメンバーとともにルルドの沐浴に。ここのことはあらためてご報告しますが、ルルドに来ることがあったらやはりおススメです。順番を待っている間もずっと祈りの言葉が唱えられ、聖歌が歌われ、そして水に浸かり・・・で、誰にとっても聖なる時間になるのではないでしょうか?

そしてルルドでの夜・・・。

夜は、1人ひとりがキャンドルを灯して聖歌を歌いながら教会を練り歩くキャンドルサービスに参加したいと思いつつ、朝から断続的に降り続く雨。いったん夕方に上がったと思ったのに、また夕食前あたりから本降りに。
夕食を食べている時点では、今夜は中止かも、という状態で8割方あきらめていたんですが、夕食が終わり外に出た頃には空はすっかり晴れ渡り、しかも、雲ひとつない青空(夜の8時半でまだ青空)!

その青い空が美しい夕焼け、星もきらめく夜空へと刻々と空が変化するなか、教会まで歩くという、なんとも幻想的な時間。

そしてキャンドルを灯して、聖歌を歌っていると目の前のお城の横から上がったのはまんまる満月!今日は満月だったんですねー。神様もなかなか憎い演出をなさる。

なんという旅の始まりー!

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               ルルドで歌われる聖歌「あめのきさき」

by hiroshimapop | 2016-04-22 13:02 | ただいま海外で体験中! | Comments(0)
イスラエル報告2 (イエスとマリアの関係生)
イスラエル旅行直後にひいた風邪、結局5日間熱が下がらず、仕事に復帰できるまでに1週間かかってしまいました。あまりに熱が下がらないので不思議のいなくんに相談したら、旅行中、複数の人の念を受けてしまって風邪を悪化させているというのが1つ、イスラエル滞在中に高次元のエネルギーを受けすぎて、身体がハレーションを起こしてしまっているのが2つめの原因という、なんとも、フツーじゃない風邪ひきだったようです。

やはり3大宗教を生んだ土地。紛争の中心地ですが、聖地の中心地でもありました。

さて、
イスラエルの旅先で聴いた赤塚さんとバラさんの聖書講義を聴きながら、「やっぱりそうだよなー」と独りごちてたのが、前回に引き続き、聖書の『カナの結婚式』のこの場面。

3日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、イエスの母がそこにいた。 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。 ぶどう酒が切れたので、母はイエスに、「ぶどう酒がなくりました」と言った。 イエスは母に言われた、「婦人よ、それがわたしとあなたに何の関わりがあるのですか。わたしの時はまだ来ていません」。 母は召使いたちに言った、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」


イエスが母マリアに「婦人よ」と言った、その呼びかけ。古いユダヤでは母親をこのように呼ぶ風習があったのかどうか分かりませんが、一般的に読むと、息子が母親を「婦人よ」というのはかなり違和感があります。母マリアがそれに対し、召し使いに「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言っているのも唐突です。

しかし、イエスが救世主になるべく生まれ、そのため幼少からいわば英才教育を受け、母マリアもイエスを自分の息子としてではなく、救世主となるべき人物として接していたなら、この会話は全く違和感がありません。マリアがイエスに対し、尊敬と畏敬の念を持って接していたことも想像にかたくありません。

実際、エドガー・ケイシーによれば、ですが、イエスもマリアも、そのように生まれ育ったと述べています。それについては何度かメルマガで紹介したことがありますが、該当部分をメルマガ340号から抜粋すると・・・
心なクリスチャンの方でも、イエスの処女降誕はおとぎ話であり、イエスは普通の子供として生まれ育ち、教育も受けられず、そして、伝道を始めるまでは、ユダヤの単なる大工だった、と言われる方がいらっしゃいます。

ですが、ケイシーはそうは述べていません。

それどころか、イエス・キリストをこの世に迎え入れるために、人間サイドは何百年もの間、自らの肉体と精神と魂とを浄め、救世主を受け入れる準備をしたとケイシーは述べています。

ユダヤの原始キリスト教のグループ、エッセネ派のメンバーは、何百年もの間、いつの日にか自分たちのグループから「イエス・キリスト」となるべき人物が生まれることを信じ、それに値する聖なる場を作るために、一生を尽くして自分の肉体の浄化と霊的向上を目指していました。

そのためにイエスを誕生させることができる経路(母胎)になれるほどの清らさを持った女性を、まず育てようとします。

ケイシーリーディングによれば、後に聖母マリアと呼ばれるようになった女性が、その母親の候補となったのはまだ4才のとき。そして他の少女とともに特別な養育を受け、さらにイエスの母なるべく選ばれたときには、まだ12~13才だったそうです。

※ちなみにイエスご自身も、救世主となるべく、幼少の頃から専門の養育係がつき、霊的な学びのために、遠く、ペルシャ、エジプト、インドに留学して最高の教育を受けたとケイシーは述べています。

ですから聖母マリアもイエスも、エッセネ派の人たちに守られ、幼少の頃から自分の役割を認識しつつ、大切に大切に育てられた人だったのです。


普通の子供として育ったイエスが30歳になったとき、突然、神の啓示を受け伝道を始めた、というストーリーよりは、人間サイドが何世代にもわたって神の子を受け入れる準備をし、ようやくその場が地球に整えられ彼は生まれた、という方が私は美しく好きです。

神の側と人間の側が力をあわせイエスを地球に送り出した・・・。イエスの魂も、それまで何度も地球に転生することによって地球上で肉体を持って生きる価値や意味、人間の弱さ、強さを経験してきた。その結実としてのイエスが2000年前、イスラエルに誕生してきた。

その恩恵を2000年経っても私達はまだ受け続けている・・・。


このカナの結婚式の情景については、ケイシーが詳しく述べている1つ。とても美しい情景で、その時の様子が目に浮かびそうなくらい詳細のものなので、いつかメルマガで紹介できたらなと思っています。

ちなみに、最後の晩餐の情景はこちら

ケイシー流の聖書解釈に興味を持った方は音声だけですが、創世記から黙示録まで全33回の聖書講座のパッケージがあります。

間近では、今月31日の黙示録講座はオススメです。過去3回開催して、なお聴きたい黙示録講座ですから。。。
by hiroshimapop | 2015-05-16 17:05 | ただいま海外で体験中! | Comments(0)
イスラエル報告その1 (カナ&シロアムの奇跡編)
9日間のイスラエル旅行から無事帰国しました。予想通り、イスラエルではほとんどパソコンを開けず。早朝から真夜中まで濃い時間を過ごしていました・・・。

そして帰国したとたんの風邪でまる3日寝込む羽目に。仕事復帰は来週になりそうです(今日も涙と鼻水とクシャミで悲惨な顔をしています・・・)。


今回で3度目のイスラエル。以前訪れた場所もあり、初めてのところもあり・・・。

海外旅行は、ここはもう行ったから、今度は違う場所に行こう、というふうになりがちですが、同じ国、同じ街を何度も訪れるのっていいですねー。すでに見知っている景色のなか、ささやかですが、自分の中での気づきや自分なりの発見があり、「あ、そうか」と何かが腹に落ちる瞬間が旅の途中、何度かありました。それはずっと考えてきたことや悩んでいたこととは関係なく、自分の中にあった何かと何かが瞬間的に結びついて起きた化学変化のようなもので、それを感じられたのが、今回の旅の収穫だったかもしれません。

毎回、赤塚さん団長のイスラエルツアーは、団長赤塚高仁さん、牧師の資格を持つガイドのバラさんの聖書講義が旅の先々であり、聖書の舞台となっているかの地で、その場所の風を感じながら聞く聖書の話は、単に本に記された遠い昔の物語ではなく、自分の身近に起きた、自分にも関係する出来事のように心に迫ってきます。

個人的には感情的になったり感傷的になった場所はありませんでしたが、場所によっては、何故か涙があふれて止まらない、何故か嬉しさがあふれてくる、など、自分では制御不能な状態に陥った参加者も何名かいました。もしかしたら、前世で聖書の時代に生きていた人達が集められていたのかもしれませんね・・・。


さて、
今回の旅では、過去2回のイスラエル旅行ではスキップしたナザレを訪れることができました。ここはアラブ人居住区にあって道が狭く、普段はひどい渋滞が続き、到着、出発が読めなくなってしまうのだとか(たまたま私たちが行った日はユダヤの安息日にあたりユダヤ系の人達の移動が少なく、比較的道が空いていました。それでも時々渋滞でバスが動かなくなっていましたが・・・)。

ナザレといえば、カナの結婚式。イエスが最初の奇跡を行った所だと言われています(*カナはナザレ近郊にある町の名前)。

このカナの結婚式の奇跡については、2003年のメルマガ(なんと、第26号!)で紹介しています。以下、そのメルマガの該当部分をコピペすると・・・。
ヨハネ福音書によると、カナで行われた結婚式にイエスは母マリアと一緒に出席していましたが、披露宴の途中でワインがすっかり無くなってしまいました。

するとイエスは、空の石の瓶に水を満たすように召使いに言います。召使いたちが石の瓶に水を入れると、イエスはその水を宴会長に持っていくように言います。すると、その水は、すでにぶどう酒となっており、宴会長は、そのぶどう酒が大変美味しいと喜びました。そして結婚披露宴は、つつがなく進んでいったというわけです。

この出来事は、ケイシーによると実際に起こったことで、イエスが起こした奇跡の1つとして数えられています。

ケイシーはリーディングのなかで、この出来事について、こう述べています。
「水が主を求めたとたん、水は赤く染まり、ぶどう酒になったのだ! 覚えておくがよい。水は注がれることによってぶどう酒になったのだ。水がじっとしていたなら、いかなるぶどう酒も、この実体の友人にすら訪れようとしていた困惑を解消することはできなかっただろう」(3361-1)

つまり、瓶に一杯に入っていた水が、キリストが言葉を発したことでワインになったのではなく、「水をくむ」という動きがあったことで水はワインになることができたわけです。ケイシーによると、じっとしている水では、イエスでさえワインに変えることができなかった、と述べています。

(中略)

つまり、私たちもただ「幸せになりたーい」とか「いい出会いがほしい」と思っていても、そこに行動がないと、イエスでさえ奇跡を起こしてくれることができないんじゃないかと思うんです。私たちの守護天使だって、背中で「行動してくれないと、手が出せない」とぼやいていることでしょう。


変化を起こすには行動が必要・・・。カナの奇跡には、そんなメッセージが含まれています。


次の奇跡は、生まれつきの盲人の目が見えるようになったというヨハネの福音書9章に記されているもの。

長いので該当部分のみをコピペすると・・・。
イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。
弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。
イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。
わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる。
わたしは、この世にいる間は、世の光である」。
イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた、
「シロアムの池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った

このお話は、シロアムの池に行く手前で赤塚さんが解説して下さったもの。特にこの部分は、カナの奇跡と通ずるところがあり、なるほどなーと思ったのでご紹介します。

さて、
生まれつきの盲人に奇跡を起こすにあたり、イエスはまず唾で泥を作り、その泥を盲人の目に塗ります。そして彼に「シロアムの池に行って目を洗いない」と伝えます。

死んで数日経ったラザロを生き返らせたり、足萎えの人に「立って歩きなさい」というだけで歩かせることができたイエスであれば、おそらく「目よ開きなさい」というだけでこの盲人の目を見えるようにするのは簡単だったでしょう。しかしイエスはそうしなかった。泥を作って彼の目に塗り、そして盲人自らの足でシロアムの池まで歩き、目を洗うという4つの段階を踏んで奇跡を起こしています。

何故でしょう?

その人の目覚めや信仰の度合いによって、その人の癒しが起きる方法をイエスは取っているということが1つ。そしてここでは、盲人が自らの足でシロアムの地に歩いて行き、目を洗うという行為が癒しを起こす必要条件だった、ということが推測できます。

イエスという人が自分の目に泥を塗ってくれた。そして「シロアムの池まで行って洗いなさい」と言った。

盲人も後で「生れつき盲であった者の目をあけた人があるということは、世界が始まって以来、聞いたことがありません」と言っているように、周りの人も自分も、生まれつき目の見えない人が見えるようになるとは想像もしていません。

それまでの常識で考えたら、もともと自分の目が見えるようになるとは思っていない、泥を塗ってくれたときにすぐに目が見えるようにもなっていない、目が見えるようになるとも言われていない。

でも、それでも彼はイエスの言葉に従ってシロアムの池まで自らの足で歩いていき、そして目を洗った。
そして彼の目は見えるようになった。

ここに彼に奇跡が起きた大きな秘密がある気がします。

つまり、それまでの常識、思い込みを取り払って、イエスの言葉をそのまま受け取り、何が起きるか分からないままに、目が見えないまま足元の悪い凸凹の石畳を歩き、池まで歩いた。

赤塚さん曰く、目の見えない人、足萎えの人は、ダビデの時代から呪われた人たちだと言われていたそうです(旧約聖書参照)。その盲人や足萎えの人達をダビデの家系であるイエスが癒したところにまた意味があるのですが、生まれつきのその境遇を受け入れて生きていた人が、よもや自分に奇跡が起きると信じることは普通の人が奇跡を受けるよりもはるかにハードルが高いでしょう。でも彼はその言葉に素直に従った。

これって、出来るようでなかなかできないことです。

えてして、私たちは(特に私は、ですが)、こうすれば人生が好転するよ、とか、うまく行くよ、と言われることを山のように聴き、山のように教えてもらってもなかなか実行しません…。

そうなればいいなと思っているのに、そうなるよう努力をしない。そして、しない自分を正当化する理由を山のように考えて、いつまでも変わらない現実を嘆いている・・・。

何が起きるか分からないけれど、シロアムの池まで行きなさいと言われ、何も疑うことなく歩いていった盲人のような素直さ。

その素直さが自分には足りないと思ったヨハネの第9章でありました。


カナの結婚式も、このシロアムの奇跡のエピソードも、別の視点によってはいろんな解説が可能なので、それは追ってまた。


下記はイスラエルでの写真(ほとんど写真を写さずに帰ってきたので、他の方々の写真をお借りしています。無断借用でごめんなさい)

                岩のドーム前(photo by 今野先生)
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   ちょっと振り向いてみただけの異邦人~(ベツレヘム photo by ローラさん)
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  歳の差20歳の異色のカップル誕生か!と誰も誤解してくれないのが残念(photo by 原さん)
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by hiroshimapop | 2015-05-09 22:44 | ただいま海外で体験中! | Comments(0)
オークニー島のストーンサークル
今回のスコットランドツアーのハイライトはオークニー島のストーンサークルを訪ねること。

オークニー島はスコットランドの北に位置する小さな島。日本でいうと、北海道よりさらに北のカムチャッカ半島あたり。北の果ての街と聞くと、寒風吹きすさぶ貧しい漁村をイメージしてしまってましたが、オークニーは港の近くも街中も、これがなかなか美しい。どの家も大きく立派で、町自体が豊かである印象を受けました。
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こんな北の果てに来る人はそうはいないと思っていたら、ストーンサークルの他にも、一般公開しているスコッチウイスキーの蒸留所があり、意外にも観光客が多く、何台もの大型バスとすれ違いました。いまは観光シーズンでもありますし・・・。

さて、昼食を食べた後、レストランからほど遠くない場所にあるストーンサークルにバスで向かったのに、何故か行けども行けども着かない。どうやらドライバーさんが道に迷ってしまい、バスはグルグルぐるぐる道を行ったりきたり。みんなウトウトとバスの中で寝入ってしまった頃ようやく到着。

道に迷ってしまってゴメンナサイとガイドさんに謝られたんですが、迷ったおかげで他の観光客はすっかり帰ってしまい、我々一行がこの場所をしばし独占することに。

参加者の一人で、生れついての巫女Kさん曰く
『神様は人払いをして下さいました。道に迷ったのは神様のプログラムです。石たちは私たちの到着をずっと待っていました』『石たちは何千年もの間、人の願いごとを一方的に聞かさ続け、苦しんでいます』

…ということで、到着後、私たちはエハンさんと巫女Kさんの誘導により、ストーンサークルの真ん中で石たちへの感謝と浄化の儀式を執り行うことに…。

エハンさんは、午前中に訪れたウイスキーの蒸留所で、このストーンサークルで必要になるのではと、スピリッツを購入されていたのでした。スコットランドのスピリット(お酒)で、スコットランドのスピリット(精霊)たちに感謝と浄化をなんて・・・!

Kさん曰く、お清めには塩やお水よりお酒が一番良いのだそう。そしてそのスピリッツを持って旅の団長小林さんとKさんがグルリとストーンサークルを一周。なかに2つほど、とてもとても苦しい思いをしていた岩があったそうで、その前でKさんがゴホゴホと苦しそうに咳をされてました。

超古代の人々は、石を今のCDやDVDのように情報蓄積に使っていたそう。神社でも磐座でも、願いごとをしたなら、あとで必ずお礼に行くこと。お礼詣りに行けないのなら、ご挨拶だけにしてくださいと言われていました。あとでKさんと話をしたら『石たちは本当に苦しそうだった。みんな観光にきて、写真を撮ってそれで帰るだけ。それがずっと続いていて誰も石たちのこと、考えてない』と言われてました。


公には、ここは5000年前に人が丸太と人力で石を運び、そして人力によって立てられたことになっていますが、きっともっと古い時代のものだと私は推測しています。そして人力ではなく、想念の力で岩を浮かせて運び、想念の力で立てられたものじゃないかなと。

ここオークニーにはこんな岩があちらこちらに立ってました。祭祀を行なったのか、あるいは情報伝達の基地にしたのか・・・。

イギリスのストーンサークルと違って、ここは間近に行って石に触れられます。スコットランドに旅するチャンスがあったら是非!

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 ストーンサークルにほど近い場所にあった住居跡。石を積み上げて住居にしています。
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by hiroshimapop | 2014-06-17 21:35 | ただいま海外で体験中! | Comments(0)
26年ぶりのフィンドホーン
今回のスコットランド旅行で参加者の皆さんが一番楽しみにしていたのがフィンドホーン訪問。私にとっては1988年6月以来ですから、なんと26年ぶり。

私の記憶では、ロンドンから電車で11時間かけてインバネスまで行き、そこのB&Bに一泊して翌朝タクシーでフィンドホーンに行ったはずなんですが、今回再訪してみれば、インバネスからフィンドホーンまでは車で約30分以上。今でも車で30分以上かかるところにタクシーで行くのは躊躇するのに、貧乏な一人旅中だった私がそんな長距離のタクシーに乗るはずもなく・・・。26年前、いったい私はどうやってフィンドホーンまで行ったんでしょう?

当時の面影を求めて歩き回ってみましたが、記憶に残っていたのはアイリーンやドロシーさんたちが最初に住まいにしていたキャラバンとキッチンあたり。私が滞在したコテージは見つかりませんでした。

フィンドホーンで、さすがと感動したのは、内部の見学ツアーに出るとき、荷物やコートなど重いものはここに置いていていいですよ、と現地スタッフさんに言われたこと。比較的安全な国だといわれる日本でも、不特定多数の人が出入りする場所では、少なくとも『貴重品は持っていて下さい、置いておかないでください』といわれます。まして海外では荷物から目を離したら1分後には無くなってますし、盗まれても、それは荷物から目を離した本人が悪いってことになりますから、海外でバッグをそのまま『1時間も置きっぱなしでいい』というのはありえないこと。フィンドホーンを訪れる人がどれほど信頼されているのかと感動してしまいました。

いまフィンドホーンはスピリチュアルコミュニティとして、エコビレッジとして世界的に有名になっており、様々なエコハウスが実験的な試みも兼ねて建てられています。

フィンドホーンの敷地内には、For saleと書かれた家が数軒ありました。ポリシーを理解し共感できる人が基本になりますがコミュニティ内に住んで、フィンドホーン外の会社に通勤している人もいるそうです。

50年前、荒涼とした何も生えないといわれた砂地がこれだけ緑豊かな土地になり、そして世界中から人々が集う場所になったわけですから、人と自然の精霊とが協力しあえることができたのなら、世界中の荒地もここに続くことができるってことですよねぇ。


アイリーンさんたちが住んでいたキャラバン。ここに大人3人と子供たちが住んでいました。
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     たしか、ここは26年前には建築中だった気がします・・・。
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               自然と一体化した家
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           古墳みたいですが、タイヤを積み上げて作った小屋の裏っかわ
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               タイヤハウスの壁面
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             屋根の上に草を植えると断熱効果があるらしい
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             お酒の樽を利用して建てた家
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by hiroshimapop | 2014-06-13 08:29 | ただいま海外で体験中! | Comments(0)
聖地アイオナ島
今回の旅の企画。どこに行きたい?行きたい場所をリストアップして、と小林さんに聞かれたとき、ここは絶対!とお願いしていたのが、今日訪れたアイオナ島。

キリスト教がアイルランドを経由してスコットランドに入ってくることになった要の島であり、ケルトといえばケルト十字と言われるほど有名になったあの独特の十字架もこのアイオナ島が発祥なのではないかと言われています。

そのアイオナ島に行くために私たちはオーバンという港町に2泊しているわけなんですが、8000人しか住んでいないと聞いているのに、経済的に潤っているのか、どの家も大きく港に向かって建てられた家々はどれも大きく立派で、美しい家並みが続いています。
エハンさんがこのホテルで働いている人はイギリス英語を話している、と言っていましたから、田舎が嫌でこの街を離れる人もいる反面、この街に住みたくてイギリスからわざわざ引っ越してくる人も多いんじゃないかと推測されてました。

アイオナ島は2つのフェリーを乗り継いでいきます。フェリーを乗り継ぐためにはマル島を横断しなくてはならず、フェリーで約1時間かけてマル島に渡り、今度は到着した港とは島の反対側にある別の港まで約1時間横断、そしてそこからまたフェリーで10分というちょっと面倒くさい行程が必要です。

古い小さな修道院を1つ見るために往復で1日かかる・・・ということもあり、ふつうのスコットランドツアーではほとんど旅のルートに入らない場所ではありますが、スコットランド旅行のチャンスがあったら、ここはやはり訪れておきたい隠れた聖地の1つです・・・。


アイオナ島についての解説はWikiにまかせるとして・・・
563年、郷里のアイルランドを逐われた聖コルンバは、12人の同士とともに修道院を創設した。彼らはここを拠点に、スコットランドやイングランド北部の異教徒をキリスト教に改宗していった。学びの場として、あるいはキリスト教布教の拠点としてアイオナの名声はヨーロッパ中に広がってゆき、主要な巡礼地となっていった。アイオナ島は、スコットランド、アイルランドあるいはノルウェーの王が埋葬される聖なる島となった。

(中略)

アイオナ修道院(現在はエキュメニカル(超宗派)教会)は、巡礼者にとっても観光客にとっても、歴史的・宗教的興味の尽きない場所である。ここは、スコットランドの西部島嶼に、最も丁寧に最高の保存状態で中世から遺された宗教建築である。修道院の正面には、イギリスの島で最も保存状態の良いケルト十字である、9世紀の聖マーティンの十字架と8世紀の聖ジョーンズの十字架のレプリカ(オリジナルの破片は修道院博物館に収められている)が立っている。


私がアイオナ島という島を知ったのはちょっとしたきっかけ。
ある時、オーストラリアブッシュのフラワーエッセンスを作っているイアン・ホワイト氏が、世界中の聖地のなかからアイオナ島を選び、そのアイオナ島のエネルギーから『水のエッセンス』を作ったと知ってアイオナ島について調べたことから・・・(エッセンスはシリーズになっており、単品でもちょっとお値段の高いエッセンスなので、気軽におすすめできませんが、興味があればネットで検索してみてください)。

その時点ではすでに「次の旅先はアイルランド、スコットランドよ!」とツアーの企画がスタートしていたこともあって、行程に無理がなければアイオナ島をツアーに入れたいなと。


で、アイオナ島はどんな島だったか。

アイオナ島単独ではなく、このオーバンの港町、フェリー、そしてバスで横断したマル島の行程も含め、とっっても良かったです。マル島は車窓を楽しんだだけですが、ロードオブザリングの映画のロケ地にしても良かったんじゃないかと思ったほど人も動物もいない緑の草原の丘陵地帯が延々と続き、それはそれは美しい。港に着いたとたんに地の果てといった風景に変わり、それもまた美しい。港を降り、修道院に続く道を歩いているときも、景色も空気感もそれはそれは静かで清らかで、なんとも心地よい。

何人かの人にアイオナ島、どうでした?って聞いたら、皆さん口をそろえて『良かった~』と言っていました。何か劇的な体験をするわけではないかもしれませんが、チャンスがあれば是非。海も緑も空も空気も何もかもが清浄で、道も家々もが優しく澄んでいる感じがしました・・・。

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(画像が横になっちゃっている原因が分からないので、日本に帰って修正トライしてみます)

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by hiroshimapop | 2014-06-11 14:01 | ただいま海外で体験中! | Comments(0)
スコットランドとユニコーン
スコットランド滞在2日目

スコットランドのお城を歩くと、至るところでユニコーン(一角獣)をみることになる。なぜなら、スコットランド王家の紋章がユニコーンなのだ。

なぜにユニコーンが王家の紋章に? 

ケイシーリーディングの視点からすると、ユニコーンが地球上に存在しても全く不思議ではない。地球に飛来してきた魂たちは、自分の想念の力によってどんな生き物であっても創造することができたので、頭に角を持つユニコーンが存在していた、ということは十分ありうる(馬に角を生やしたくらいだったら意外とツマラナイ気もするが・・・)。

しかし、なぜにそれがスコットランドの紋章になったのか・・・?ガイドさんに聞いてはみたものの、その歴史的な意味合いはよく分かっていないらしい。ケルト民族の民間伝承に登場するらしいんですが・・・。

そんなこんなで、ユニコーンのことをガイドさんと話していたら、ノアの箱舟の話には箱舟に乗せてもらえなかった動物としてユニコーンが出てくるよと旅の仲間の安藤さん情報…。そんな記述がノアの章にありましてっけ? 私には全く記憶がないものの、調べてみると、旧約聖書には、いくつもの章でユニコーン(一角獣)が記述されている…。

Wikiから転記すると…。
•神は彼らをエジプトから導き出された、その勇敢さは一角獣のようだ--『民数記』第23章第22節
•彼の威厳は初子の雄牛のようであり、その角は一角獣のようだ。それで彼は国中の民を突き刺し、その全てを地の果てにまで及ぶ--『申命記』第33章第17節
•一角獣はあなたに仕え、あなたの飼い葉桶のそばに留まるだろうか。あなたは一角獣に手綱をつけて、畝を作らせることができるだろうか、あるいはあ なたに従って谷を耕すだろうか。その力が強いからと言って、あなたはこれに頼むだろうか、またあなたのために働かせるのか。あなたはこれに頼って、あなた の穀物を打ち場に運び帰らせるだろうか--『ヨブ記』第39章第9 – 12節
•獅子の口から我が身を救いたまえ、一角獣の角から弱き我が身を護りたまえ--『詩篇』第21(22)章第22(21)節
•主のみ声は香柏を折り砕き、主はレバノンの香柏を折り砕かれる。主はレバノンを子牛のように躍らせ、シリオンを若い一角獣のように躍らせる--『詩篇』第28(29)章第5 – 6節
•しかし、あなたは私の角を一角獣の角のように高く上げ、新しい音を授けられました--『詩篇』第91(92)章第11(10)節
•主の剣は血で満ち、脂肪で肥え、子羊と山羊の血、雄羊の腎臓の脂肪で肥えている。主がボズラで犠牲の獣をほふり、エドムの地で大いに殺されたからである。一角獣は彼らと共にほふり場に下り、子牛は力ある雄牛と共に下る--『イザヤ書』第34章第6 – 7節


書き出してみると、とても想像上の動物だったとは思えないほどはっきりと書かれていることに、またまた驚いてしまいますが・・・。


さて、昨日今日とスコットランドで訪れた2つのお城。
当時の城の内部は、別に壁に壁紙が貼られているわけではなく、石がむき出しで寒々としていたらしい。それでその無味乾燥な石の感じを隠すために、大きなタペストリーを織って四方の石壁に飾ってんだとか。

今日行ったスターリング城でも大きなタペストリーが壁に飾ってあったんですが、なんとそのモチーフがユニコーン! しかも『ユニコーン捕獲物語』とでもタイトルをつけたくなるような一連の物語が読み取れるもの。

ここまでタペストリーが大きいと1枚を完成させるのに4年の歳月がかかるらしい。それなのに(と書きたい)、なんで人々に槍で体を突かれ血を流すユニコーンを織っちゃうの? 

日本人の私からすると、血を流し苦しんでいるユニコーンを織って壁に飾る神経が全く理解できない。獰猛で決して生きて捕獲できないと言われたユニコーンを捕獲し飼い馴らす、ということに比喩的な意味があるのか、はたまたスコットランドの誇りになるような神話があったのか・・・?

いずれにしても、これまでユニコーンにまつわる伝承について全く調べたことはありませんでしたが、これを書くにあたり、Wikiを読んでみると、ユニコーンについての面白い伝承がたくさんある。単に頭に角が生えてる馬じゃなかった。

ユニコーンについて何かご存じの人がいたらぜひ教えて下さい。興味しんしんです。


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by hiroshimapop | 2014-06-10 06:47 | ただいま海外で体験中! | Comments(2)