毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

カテゴリ:私が出会ったすごい人( 62 )
ピース・ピルグリム(平和の巡礼者)
昨日見た「地球巡礼者/アース・ピルグリム」の映画に、ピース・ピルグリム(平和の巡礼者)という女性の映像が出てきました。

私が彼女を知ったのは1995年の8月に発行された日本エドガー・ケイシーセンターの会報9号の記事から。

彼女はある時、自らの名前を「ピース・ピルグリム」と変え、何も所有せず、歯ブラシと着替えと若干の身の回りのもの以外は何も持たず、平和に生きることを説きながらアメリカ国内を歩くことを始めます。車や電車などの手段も使わず、ひたすら歩き続けるのです。

彼女は自分の巡礼前、こう神に誓います。
「私は巡礼者であり、さまよい人である。私は、人類が平和の道を学ぶまでさまよい続けるだろう。そして一夜を過ごす場所が与えられるまで歩みを止めず、食事が与えられるまで食べ物を口にしないだろう」

それは朝鮮戦争中から米ソの冷戦、ベトナム戦争を経て、実に28年間にわたる旅でした。

ちょうど手元にその9号の会報があったので、彼女が残した言葉をいくつか紹介してみたいと思います。

【内なる平和について】
「内なる平和を見いだすということは、自己中心の生活から、命あるものすべての幸福に焦点を当てた生活に入るということなのです。一方で、より深い内的平和を得るために努力することが、世界平和に貢献する方法の1つになります。なぜなら、世界平和を安定させるには、それに見合うくらい、たくさんの人たちが内なる平和に目覚めなければならないからです」


【人生の目的、理想について】
「私の願いは、完全に向かって努力すること。もちろん今はまだ完全ではありませんが、それでも日々成長しています。もしも私が完全であれば、何でも分かり、何でもできるでしょう。神のようにね。でも天から命じられる事はすべてやることができますし、神のご計画の中で私が与えられた役割を果たすために知る必要があることは全て知っています。そして神の御心と調和しながら生きていくことの喜びを切に感じているのです」


【どんな人の心にも「善なる部分」があり、人の役に立ちたいと思っている、ということについて】
「・・・・巡礼中のある夕暮れ。立派な家の前の裕福そうな夫婦に呼び止められました。彼らは私のことを何かで読んで知っていたのです。そして町はずれにあるいかがわしい場所を私に教えることがクリスチャンとしての義務だと感じたのでしょう。境界の南と呼ばれる場所には決して近寄らないようにと教えてくれました。

でも食事と宿は提供してくれなかったので、私はさらに数時間歩き続けました。星の光りさえない真っ暗な夜でした。突然大粒の雨が降り始め、返事を書かなければならない手紙の束を持っていた私は雨宿りをする場所を探しました。

するとガソリンスタンド、レストラン、モーテルが一緒になった建物が見つかったので、その屋根の下までいき、手紙がぬれないように上着の下に入れていました。

そこへガソリンスタンドから一人の男性が走り出てきて、『こんな雨の中で大変でしょう。レストランの中へお入り下さい』と言ってくれました。レストランに入ると『あなたのことはよく知っていますよ。是非食事をしていって下さい。他に何か必要なものがあれば遠慮なくおっしゃって下さい』と言うのです。その時には私はそこがどこか何処なのか分かっていました。その場所こそ、境界の南と言われる場所だったのです。やがてモーテルの宿の主人も出てきて、その夜の宿と翌朝の朝食を提供してくれたのです。

おそらく他の場所ではギャンブルが行われていました。物音が聞こえていましたから。

でも、ここには決して近寄らないようにと言ったあのクリスチャンの夫婦よりも、彼らのほうが遙かにクリスチャンらしい態度で接してくれました。この出来事は、どんな人の中にも善があるという私の信念をはっきりと証明してくれました」


【平和になる方法について】
「世界が平和になるには、人々はもっと穏やかにならなければなりません。成熟した人々の間では、戦争が問題になることはないでしょう。それどころか、戦争などあり得ないでしょう。それに対して、未熟な人たちは戦争を引き起こすと同時に、平和も欲します。

しかしながら、人は成熟することができるのです。そうです。私たちの社会的制度や指導者は、私たちの未熟さの反映です。私たちが成熟するに従い、より優れた指導者を選び、より良い社会制度を築くようになるでしょう。

そのためには、ほとんどの人が避けたいと思っていることに立ち返る必要があります。・・・・それは自分自身を改善し、向上させるよう努力するということです。

平和の聖域は私たちの内にあります。まずそれを探し出しなさい。そうすれば、全てのことはそれに付随して与えられるでしょう。一人でも多くの人が内なる平和を見つけることにより、私たちの社会制度により良き影響を与えられるような時機に、私たちはどんどん近づいているのです」
by hiroshimapop | 2009-07-04 15:40 | 私が出会ったすごい人 | Comments(0)
入江富美子監督 第3作目!
「1/4の奇跡」を世に送りだした入江富美子監督の第3作目がとうとう撮影に入ります!
うれしいな~。

映画のサポーターも募集しています。
以下、入江監督のブログそそのまま貼り付けます。(行数を短くするために、文字を詰めています)
サポート可能な方は、ぜひ下記のブログ内に貼り付けてあるメーリングリストのアドレスまでご連絡下さい。

***********************************

今日は、3作目の映画に入るに向けての意思の確認の日でした。
今度の主人公の南正文(みなみまさはる)先生のところで 会談です。
先生の親しくされているご友人が名古屋から来られていました。

なんだか、「怒られる!?」 みたいな気持ちになりながら、私の映画を撮りたいっていう気持ちがどんなものなのか、 質問してこられました。

そのおかげで私がどんな思いで向かってるかを熱く語ることができました。

先生のお仲間も私の映画を作る思いを聞いて 「うれしい、、、」と泣いてくださっていました。

みなさん、南先生が大事だから、心配だったのです。
なにか、お涙頂戴の映画にされるのではないか、、、と。

私は、この映画、なにか、怖くて毎日四天王寺さんにお参りに行ってました。
何が怖いか昨日わかったのです。
私が、自分をあきらめたり、先生にこびをうること、失礼なことをしてしまうことでした。
尊敬する人を描くから余計に、「この方の言ってることを優先したい」 と思います。でもそれでは、私という監督はいらないのです。

だから先生に言いました
「この映画で私が怖かったのは、私が自分をあきらめて、先生の意見を正しいものとして、なにもいえなくなってしまうことでした。

私は未熟者で、先生からしたら、幼稚園児みたいなものです。
でも幼稚園児なりに描きたいものを精一杯みなさんの力をお借りしながら作ります。
だから、映画作るときは、私は「監督」として対等に先生に 思いっきりぶつけていきますのでよろしくおねがいします」 と伝えることができました。

これまで、「自分のできる範囲で、お金も全て自分のできる範囲で」
そう思っていて、それがかっこよくて、責任をとってるって思っていました。

でもこの映画のことを真剣に考えるうちに
「違う!「人に迷惑をかけてでも」描きたいものがある!
人に迷惑かけてでも、人にお願いしてでも妥協せず表現したいことがある!
だから、「できる範囲」ではなく、自分がやりたい「最高のもの」 でやる!」」
って思いました。 人に迷惑かけてでもやりたいね~~~ん!

これ、、前回の2作も同じでした^^

今回も私の代表作になる、、そんな気持ちでやります。

「人に迷惑をかけてでもやる! そして最後には、迷惑をかけないっていうのが、最高~~~♪
だって、いつも主人公の人と親友以上仲良くなれるもの~~~

今日、一緒にきてくれた、梅澤さんは、 もう、映画のメッセージを聞いて「それは、やるしかないやろ~~~!」と すごい協力者に、、、

国連をコーディネートしてくださった0さん
いつもかげで支えてくださる影のプロデューサーの0さんも 「こりゃ、ほっとけん!」と立ち上がってくださって、、、。

東京はまちゃんや、エハンのうれしい支援の声に「平和の風が吹く映画」になる!と確信が、、、
やっとみなさんに公表できるくらい強い私が出てきました。
今の私のことは、自分で信頼できます。

ぜったいやる!

いや、この映画が未来にまたあるのが確信できました。
「無敵の一滴」が全身にみなぎっています。
今回の主人公の南正文(まさはる)さんは本当にすばらしい方です。
この内容、、是非読んでください!

この映画を応援してくださる方、サポーターの方のメーリングリストの準備ができそうです^^
メーリングリストを作ってくださる方が現れました。
どんどんそれで撮影状況などを発信していきたいと思います。

この映画に参加したい!なにかやりたい!手伝うよ^^ って思ってくださる方、、
是非メーリングリストにご登録くださいませ
応援メッセージを送り続けるよ~~
なんてサポートなど どんなものでもお待ちしていま~す。

ありがとうございました。

*************************************

おまけですが、今年中に、もしかしたら、アメリカのバージニアビーチのエドガー・ケイシー財団、AREのコンファレンスルームで、入江監督の第1作目、「1/4の奇跡」の上映会が開催されるかもしれません。
バージニアビーチやお隣の町、ノーフォークには、日本企業があり、日本人がけっこう住んでいるんです。
いま、ビーチに住んでいる友人が着々と準備中です。正式に決まりましたら、またご報告します!
by hiroshimapop | 2009-06-24 15:18 | 私が出会ったすごい人 | Comments(0)
やはり入江富美子はすごい!
夕べ、テンプル主催で入江富美子さんの小さなお話の会がありました。
あまりに急に決まった企画ゆえ、私はすでに別の予定が入っており、企画から準備までをスタッフの水津が担当した彼女の初プロデュースのお話会でした。

私は用事が終わったあと、懇親会のみ参加したのですが、いや~、今回もすんばらしい場になったようで、水津曰く、2/3の参加者が涙を流し、あまりに感動して、お話の会終了後、アンケートが書けないから後日送ります~と言われた方、多数だったとか。

さっき、それでも、ご参加の方からお寄せいただいた感想文を読んでいたのですが、もう熱い、熱い!

入江富美子さん。あなたは何人の人を泣かせ、何人の人生を変えてきたのですか~とつっこみを入れてしまいたくなりました。

そして懇親会・・・。
他の懇親会と違って、今回は中年男性の参加率が高いなぁと思ってましたが、いただいた名刺を見ると、中小企業の社長さん、副社長さんが何人も!
私は初めてお会いする方ばかりだったのですが、こういう、普段は養護学校の生徒さんのことや、ドキュメンタリー映画とは、はるか離れたところに興味があったり、仕事をされているであろう社長さんがたを自分の味方、応援団にしてしまう入江さんパワーに、あらためて脱帽してしまいました。

いったい、あの「1/4の奇跡」の映画には、どんなパワーが秘められているんでしょう・・・?
私はまだまだあの映画の本当の凄み、本当の潜在力をまだ知らないのかもしれません・・・・。

来年には、アメリカのコロンビア大学での上映会の予定が進行中とか・・・・
この映画は、ご覧になった方々の愛の力をエネルギーを画面に加えながら、日々成長している、世にも稀な映画なのかも。

6/1からは、下北沢のトリウッドさんで、岩崎靖子さんが監督された「宇宙の約束」も含め、3本のロードショーが始まっています。

お時間がある方は、ぜひその愛のパワーを感じに行ってみてくださいね。


それから余談ですが、昨日のお話の会を担当した水津が、入江さん、お会いするたびにキレイになっていかれますね~。映画を撮影している頃とは全然違いますって言ってました。

懇親会に参加していたオステオパシーの石原先生が、グラビアを飾ったりして、って言ってましたが、雑誌のグラビアに入江さんが登場する日も近いかもしれませんよ~。
by hiroshimapop | 2009-05-30 13:33 | 私が出会ったすごい人 | Comments(0)
自宅で眠っている本があったら送って下さい!
4月2日、私は山田バウさんのご案内で、群馬県の大泉町まで行ってきました。

目的は大泉町で日系ブラジル人の支援をされている高野祥子さんや、祥子さんの娘さんで日系ブラジル人の子ども達のための学校やフットサル競技場を運営されているエリカさんにお会いするため。
そして、大泉町のブラジル人の方々がどんな状況にあるのかを肌で知るためでした。

                  左がバウさん、右が高野祥子さん
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昨年末から日本のアチコチで企業の派遣切りが始まり、多くの失業者を出しました。お金も住むところもない多くの若者が町にあふれ、デモがあったり、政府の支援があったりと年末年始はなんだか騒然とした雰囲気に日本中が覆われていたように思います。

そんななか、はるばるブラジルから日本の企業に出稼ぎに来ていた日系ブラジル人も職を失い始めました。

特に群馬県の大泉町は製造業の町。町民の15%が出稼ぎに来ている日系ブラジル人という日系ブラジル人の多い町。そして彼らのほとんどが正社員ではなく派遣で雇われていました。

今年の2月、町が行ったアンケートによるとその日系ブラジル人の方々の4割が失業中。しかも職を持っている人のほとんどが派遣で正社員は8%のみ。非常に不安定な雇用形態でした。

そんななか、真っ先に日本の企業から首を切られたのが彼ら、出稼ぎの日系ブラジル人の方々でした。経済状況が悪くて日本に来たのに、その日本でもまた、貧困にあえぐことになってしまったのです。

しかも彼らは日本語が話せない。再就職したくても、働ける工場がありません。コンビニやスーパーも言葉が通じないのですぐには働けません。

さらに失業した家族の中には母子家庭もいます。赤ちゃんや乳幼児を抱えてすぐには動けないお母さんもいます。病人を抱えた家族もいます。

彼らは日本の行政からも、ブラジルからも支援もなく、アパートのガス代や水道も払えず、中には餓死寸前の家族もいたそうです。

そんな窮状を知って、山田バウさんは昨年末から、何度も何度も群馬県の大泉町に通われたそうです。
バウさんは、神戸の震災のあと8年間もボランティア活動のために神戸に留まり、震災にあわれた多くの方に食料や住居を与え続けた方です。そのノウハウや人のネットワークを活かして、何か彼らのために出来ることはないかと、町を歩き続けたそうです。

そんなバウさんが大泉町で出逢ったのが、高野祥子さんご夫婦。
ご自身、日系ブラジル人一世としてブラジルに渡り、ブラジルで長く暮らしていました。結婚後子どもの教育資金を作るために日本に戻り、工場で働いていた経験もあります。

その高野さんとの出逢いから、食べるものもなく過ごしていた失業中の方々に食事を与えるプロジェクトを行ったり、支援物資を送るということも始まっています。

私はそんなバウさんの活動を、バウさんのサイトで知り、3月のある日、バウさんにこんなメールを送りました。

「私は本をたくさん読むので、自宅には本がたくさんあります。これまでは、もう読まなくなった本は人にあげたり、妹にあげたりしてました。でも、この本を売れば日系ブラジル人の方の多少なりとも生活費の足しになるかもしれません。また友人で本好きの人にも声をかけることもできます。私の本が、生活費の足しになるようだったら教えて下さい」と。

これは、ホントにささやかな申し出でした。本を送れば何かの足しになるかな?程度のことだったんですが、バウさんから「それだったら、大泉に行って実情を見てみませんか?」とお誘いいただき、大泉町まで行ってきたという次第です。
そして、日系ブラジル人の方々の窮状を知るにつけ、そして高野さんやエリカさんの温かいハートを知るにつけ、私の本棚にある本では足りないことがよ~く理解できました。


そこでお願いです。

皆さんの本棚で眠っている本を大泉町の日系ブラジル人の方々に寄付していただけませんか?

これは読むためではなく、生活費のために、中古本として売るための本ですから、古くていらない本ではなく、まだキレイで書き込みがない本、売れる本を求めています。


私たちの本棚に眠っていた本が、日系ブラジル人の赤ちゃんのミルク代、来月の電気代になります。
生きたお金として役立ててもらうことができます。

日本人だってたくさんの人が失業しているんだから・・・・!って思われるかもしれません。
そして嫌だったらブラジルに帰ればいいって思われるかもしれません。

でも、日本人が日本で失業しているのと、遙か遠いブラジルからやってきて、日本で失業しているのでは、置かれている状況がかなり違っています。言葉が話せない。日本の行政からの生活費の保護もない。もちろんブラジル政府からの援助もありません。

ブラジルでの生活が苦しくて日本に来たのに、日本でもまた失業。苦しい状況に置かれてしまいました。
しかも、彼らは、ブラジルでは日本人だと差別を受け、日本に来たら、今度はブラジル人だと差別を受けていました。せっかく魂のルーツである日本に来たのに、日本が嫌いになって帰ってしまっては哀しいではないですか。

そして、親が失業した家族の子どもたちの多くが学校に行けず、家に閉じこもっているとも聞きました。日本語が話せないから日本の学校にも行けないし、ブラジル人学校も学費が払えなくて行けない子ども達がたくさんいます。


ネスポというフットサルの競技場や日系ブラジル人学校を、私財をなげうって、全部私費で作られ運営されている高野さんご夫妻や戸澤エリカさんたちは、いま、日中のご自身のお仕事が終わったあとに、その失業中の日系ブラジル人の家族のために、いろいろ仕事をされています。

たとえば、バウさんの働きで、フードバンクから企業に余っている食料が時々届きます。それを失業中の家族に分けたり(これってかなりの重労働です!)、各家々を廻って、生活の様子を見に行かれたりもされています。

その献身的な姿を見ていると、何か私にもできることはないかと思ってしまいます。

もっといろいろ書くことはあるのですが、取り急ぎ、いま私ができること。
それは本好きな方に本のご寄付を呼びかけることです。

きっとどなたの家でも、眠っている本があると思います。
そんなもう読まないけど置いてあるっていう本があったら、下記の住所あて、何冊でもいいので、送っていただけないでしょうか?

何度も書きますが、ホコリをかぶった不要な本ではなく、まだ売れるキレイな本を送ってください。amazonとか、古本屋さんとか、様々なルートを使って本を売ってもらうので、売れないと、重いゴミになってしまいます。

送り先は、下記の日系ブラジル人の学校と、ネスポというフットサルの競技場がある住所あてに。

ここに送っていただくと、学費が払えないけど学校で勉強したいっていう子ども達が、私たちが送った本を売ることで、自分の学費を稼ぐこともできます。もちろん、赤ちゃんのミルク代にもなります。
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送り先
〒370-0615 群馬県邑楽郡邑楽町篠塚3272
ネスポ 戸澤様あて
Tel: 0276-89-1822
http://www.nespo.jp/
*すでにこの活動支援は終了しています。ご協力ありがとうございました。
by hiroshimapop | 2009-04-25 23:18 | 私が出会ったすごい人 | Comments(8)
原爆の消えずの火
山田バウさんにお誘いいただいて、ソーシャルブリッジの湯川さん(通称シンジョン)と3人で群馬県の大泉町まで行ってきました。
大泉町のことはバウさんのブログに書かれていますし、あらためて別のトピックで書きたいと思いますが、今日は、その群馬に行く道すがら聞いた、とっておきのお話をご紹介したいと思います。


広島では毎年8月6日の原爆記念日の夜に灯籠流しが行われます。
これは毎年ニュースでも放映されるので、広島に住んでいる人にとっては毎年の行事なのですが、あの川に流された灯籠、下流ではどうなっているのかしら?ってちょっと思っていました。
その回答が今日解決しました。 

海まで出たものは市の係りの方々が船で待機していて回収されているそうなのですが、途中、川岸に引っ掛かったり沈みかけたりして、市の方々が回収できないものは、なーんと、カヌーイストでもあるバウさんが毎年カヌーに乗って川の流れに戻したり大事に拾われていたそうなんです(日本にカヌーを普及したのも、実はバウさん)。え~!? バウさん、そんなことまでされてたんですか~?ってまずビックリ。

そして21世紀からは世代交代。その役回りはバウさんから湯川さんにバトンタッチ。今年の8月6日も湯川さんがはるばる東京から広島に行き、元安川にカヌーを浮かべるそうです。

広島のあの行事と、同じ車に乗っているお二人が繋がるなんて~!!って、広島県人の私は心の底から驚いてしまいました。

そしてそして、あの灯籠流しで使われる火は、驚くことに、あの1945年8月6日のあの日の火なのだとか。

福岡の山本さんという方が、原爆投下で亡くなられた叔父さんを偲んで、叔父さんが経営されていた書店でくすぶっていた原爆の火を自宅に持ち帰り、夏も炭火を起こすなどして、近所の方々にも内緒にして(昔は「原爆」にあった方々というのは差別されていたこともあり)、ご家族だけで、すっとずっと大切に守ってこられたそうなのです。そのストーリーはこちらに詳しく書いてありますが、その火をぜひ灯籠流しに使おうじゃないかとバウさんが提案して、今世紀になってあの原爆の火が、8月6日には分火されて、灯籠の火として使われるようになったのです。

バウさん、やる~!

それまでも長いストーリーがあって、その長いストーリーをかいつまんで説明すると・・・

まず神戸の震災の5年後。まだバウさんが神戸元気村の代表をされている頃。
そろそろ震災後のボランティア活動も一段落した頃、バウさんはある日、ある夜、天に向かって「何か自分に新しい仕事を与えろ~」と叫んだそうなんです。

そのとき、何故か急に「ヒロシマ」という言葉が頭に浮かび、何かヒロシマに関係する仕事をするのだろうか?と、とりあえずは広島に短期でワンルームを借り、広島でバウさん自身がすべき役割を探し始めたそうなのです。

何をしたらいいのか分からずいたバウさんに、ある日、翌日、最初にかかってきた電話にその答えがある、という直感がします。

果たして、翌日、1本目の電話は谷崎テトラさんからの電話でした。
そして彼はこう言ったのです。「長野県の松本にヒロシマに落ちた原爆の火が分灯されてあるよ」って。

それだ~!ってことで、その原爆の火を全国に分灯するために、すぐさまバウさんは長野に行き、その火を提灯に入れて歩き始めました。

歩き始めて2日目。ちょうど塩狩峠にさしかかった頃、バウさんの心に、提灯の火からの声が響きます。
「帰りたい」って。

え~。せっかくこの火を全国に分けようと歩き始めたのに2日目にして「もうこの火は松本に帰りたいと思っているのか~」って最初はガッカリしたらしいんですが、3日目に峠から降りて来た下諏訪神社で、「ヒロシマ」という言葉が出て来たのです。

提灯の火は、長野に帰りたいんではなく「広島に帰りたい」ってバウさんに訴えてきたのです。

調べてみると、信じられないことに、その火は福岡から長野には分けられていたのに、それまで1度として、広島に戻ったことがなかったそう。それでバウさんはその火を「広島に帰す」と決めて、ここがバウさんのロマンチストぶりが発揮されるんですが、20世紀の最後の満月の日、12月13日に灯籠流しをしてもらい、その火を無事、広島に帰すことができました。

いまでもその火は広島の行政には受け入れられなくて、民間の行事である灯籠流しでしか使えないらしいのですが、それでも今では8月6日の日。年に1回、広島に帰ってくることができるようになったのは、バウさんの「火を広島に帰してあげたい」というシンプルかつロマンチックな想いが結集してできたことだったんですね~。

バウさんは「ボクはアホやからできたんですよ~」っておっしゃっていましたが、原爆の火を夏の暑い日もずっとずっと大事大事に残されてきた山本さん、そしてその火を全国に分けたい、広島に帰してあげたいって思って活動されたバウさん、シンプルだけど、人間っていいな~っ、愛おしいな~って思います。

私は今日までこのお話を知りませんでしたが、広島生まれの人間として、このお二人や、これに関わって下さった全ての方々に、「火を守って下さって、大切に扱って下さって、ありがとう~!」って感謝の心でいっぱいになってしまいました。


バウさんのお話には、こんなエピソードが山盛りで、群馬までの道のりはあっという間でした。

私は、ホントに世間知らずで、こんな活動を世の中で地道にして下さっている方々がたくさんいることに全く気づくことなく生きていました。

心の窓をもっと開いて、一歩外に歩き出せば、すぐそばに素敵な人はたくさんいますね!


by hiroshimapop | 2009-04-02 23:19 | 私が出会ったすごい人 | Comments(1)
マインドマップセミナー&安藤先生
今日は朝から夕方6時まで、マインドマップセミナーに参加。
といっても、英語コーチのクリスが、公認のマインドマップインストラクターになるための卒業試験のようなセミナー。なので参加費はタダ。その代わり、セミナー自体は全部英語。

参加者は全部で7人。内訳は、6人が小さいながらも会社の経営者や自営業者、1人がサラリーマン。そもそも英語でマインドマップセミナーを受けようと思うような人なので、みなそれぞれがユニークな人ばかり。しかも1人を除いて、みーんな英語が上手!

私なんて、英語の語彙が少ないので、その少ない単語を駆使して喋らないといけないのに、皆さん、英語でスムーズに意思疎通ができている。あ~、羨ましい。

私はマインドマップ自体は、カリスママーケッターの神田昌典先生が日本に紹介した直後に学んだことあり。当時、フォトリーディングとマインドマップ、NLPは起業家の登竜門みたいな感じだったので、それ以降、マーケティングや経営セミナーに行くと、廻りの参加者がみーんな、マインドマップを描いている、みたいな世界が登場!

マインドマップを描いている人は、日本の人口からすると、まだまだ、とっても少ないんだけど、私の廻りの経営者仲間うちでは、それは「当然!」みたいな感じだったので、ひねくれ者の私は、「廻りのみんなが描いているなら私は断固として描かないぞ」という、変な意地をはっておりました。・・・・といっても、私はどんなセミナーや講演会に出ても、まるでノートは取らないので、どっちにしても何も書かないんですが・・・。

でも、今回は、英語コーチ、クリスからのお誘いだったので、そうはいっても、使いこなすと、こなさないとでは、これからの世界が変わってくるのかもと、参加してみました。

いや~。マインドマップも進化してます~。

私が学んだときには、単なるノートを取るテクニックの1つ、みたいな感じでしたが、これは「ノートの取り方の1つ」ではなく、脳や心をビジュアル化したものですね。

しかも、色とりどりでキレイだし、塗り絵もするので楽しい・・・。

8時間があっという間。英語で受けていることが気にならないくらい。自分の潜在意識からのメッセージを拾い上げ、自分の世界観を拡げ得るものなんだ~と、ようやく納得。

ベートーベンの直筆の楽譜や、ヴァン・ゴッホの下絵、ダーウインのメモにも、マインドマップのテクニックが見え隠れしていて、優れた業績を残した人は、知らず知らずのうちに、五感や言葉と絵とイメージを組合せて自分の内なる世界観を表現していったんだなぁと思います。

これからはスタッフミーティングでも、ジャンジャン使っていこうと思います。


セミナーのあとはみんなで新年会。
東中野で歯科医院を経営されている安藤先生も遅れて新年会にご参加。

安藤先生とは、実は1992年に山梨であったエドガー・ケイシーの合宿セミナーで知り合ったふるーいお知り合い。当時からユニークな歯科医で、気功を治療に取り入れたり、瞑想会をクリニックで行ったりと、スピリチュアルな話がバンバンできる歯科医でした。高円寺に住んでいるときには、何度か歯の治療をして頂きましたが、奥沢に引っ越してからはすっかりご無沙汰。
10年ぶりくらいの再会でした。

その後、安藤先生もすっかり進化していて、一般の歯科治療だけではなく、歯のかみ合わせや発音、滑舌のチェックのコースもあるとか。私もちょっと見て頂いたら、歯のかみ合わせが少しずれているそうで、それが原因で首の筋肉が凝ってそう。これは、もう、時間があるときに、通わなければ・・・・と思ってしまいました。

マインドマップといい、安藤先生といい、数年ブランクがあると、やはり全ては進化と変化をしていますね~。

私もこれから、いいふうに進化と変化を遂げて、安藤先生に負けないくらいの人にならなくっちゃ。
by hiroshimapop | 2009-01-17 23:58 | 私が出会ったすごい人 | Comments(0)
北川八郎先生
毎月1日は、熊本の小国町の北川八郎先生のところで勉強会があるということで、全国からいろんな方がみえている。北九州の美容室、バグジーの久保華図八さんをはじめとして会社の経営者が多いらしい。
以前は30名くらいだった参加者も、不況が叫ばれるようになってから一気に数が増え、ここ半年は、毎回100名くらいの方がいらっしゃるそう。私たちは道に迷いに迷い、7時の開始時間を少しオーバーして到着したら、もうすでに部屋はいっぱい。人の隙間、隙間に座らせていただき、ようやく5名全員が座れた、という感じでした。

皆さん、忙しい合間に、阿蘇の不便な北川先生の工房までよくいらっしゃるなぁと感心していたら、翌日偶然お会いした広島の社長さん(尾道で「いっとく」という居酒屋チェーンをされている山根さん)が、2~3ヶ月来なかったら、自分がだんだん脂ぎってくるような気がするので、自分のいらない欲をそぎ落とすためにも、できるだけ参加しているっておっしゃってました。

私は北川先生のお話を数回聞いただけですが、北川先生がおっしゃる「ちょっとだけ自分が損をする生き方」っていうのは、自分の肝に銘じなきゃって思っています。

勉強会の翌日、火曜日は、私たちは北川先生のご自宅に行き、先生の作品をいくつか見せていただきました。

私は陶芸は全く素人でなーんにも分かりませんが、北川先生は自分で自然灰の釉薬を作っていらっしゃるとか。

ちょうど、とある方にお贈りする予定というメロン灰のコーヒー茶碗を見せていただきましたが、この作品に使った釉薬だけでも、メロン100ヶくらいが必要だとか。それを灰にして何年もかけて熟成させてようやく釉薬になるので、あまりに手間がかかるため、人に教えても誰も自然灰の釉薬づくりをしようという人がいない、とおっしゃってました。

メロン灰を作ったときは、もう廃棄処分になる寸前のメロンをトラック1杯もらいうけ、それで作ることができたそう。でも、もうメロンをトラック1杯もらいうけるっていうチャンスは無いかもしれないから、メロン灰の釉薬の作品は、今後は作れないかも・・・という貴重な一品。
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特にこのコーヒー茶碗は、窯から出したとき、この作品は他を圧倒するほどの光りを放っていたそうで、先生にとってもお気にいりの値段をつけることができないほどの作品だとか。

それを直接見せてもらうことができたのは、ラッキーでした・・・・!

下記は私が買って帰った梅の釉薬の抹茶茶碗。さっそくお茶を点ててくださったんですが、このお茶碗は、我が家では、普段使いの食器に変身予定。ほかにも梅の釉薬のマグカップ、リンゴの釉薬の小皿を購入。これからは食器からも大自然のパワーをもらえます!
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by hiroshimapop | 2008-12-04 10:45 | 私が出会ったすごい人 | Comments(0)
木村さんのリンゴ(その後)
まだまだ続く木村さんのリンゴ話・・・

木村さんの畑見学ツアーの参加者は木村さんのリンゴが3つだけ頂けました。
去年参加した税理士の浅野さん曰く「地面に落っこちてたリンゴももらえますよ」って言われてたんですが、私たちが行ったつい2日ほど前に、どこかの農業高校の生徒さんが大挙して見学にいらしたらしく、残念ながら、リンゴは一個も落ちておらず。。。。
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木村さんのリンゴは、ナチュラルハーモニーさんが専売されているようなのですが、果物の定期宅配を頼んでいる人に届くか、抽選で当たるか、ナチュラルハーモニーさんの店頭に並んだときに偶然、お店にいた人がラッキーにも買えるか(一人1ヶ)っていう感じらしいです。

ちなみに、税理士の浅野さんは、何度申し込んでも1度も抽選に当たったことはないそうですが・・・。

そんな大事、大事のリンゴをタオルに包んで、手荷物で持って帰りました。
ちょっと大ぶりのリンゴ。種類は北斗。

月曜日
1ヶのリンゴを半分こ。半分をテンプルのスタッフ6名で切り分けおやつに。
残り半分は、たまたま月曜日の午後にピュアシナジーを輸入しているシナジーカンパニージャパンの若松さんとのミーティングがあったので、シナジーの方々とプロアクティブの久保さんと合計6名にお裾分け。1ヶのリンゴを12等分。

火曜日
プロアクティブさん主催で、竹布の新製品、竹布の生理用ナプキンの勉強会。
竹布を作られている相田さんも木村さんと同じように竹布を製品化するのに苦労をされていた方。せっかくなので、相田さんやプロアクさんのスタッフにも木村さんのリンゴを味わって頂きたく、その勉強会にリンゴ1ヶを進呈。
勉強会の参加者は38名。スタッフを入れると合計42名。ということで、1ヶのリンゴを42等分。
「一杯のかけそば」より、口にできる分量は少ない・・・・(小さくても、おいしさは十分伝わったと思いますが・・・・)

そして今日と明日、残りの1ヶを半分ずつ分けて、スタッフと幸せを噛みしめながらおやつに・・・。

3ヶのリンゴを、こんなに大事、大事に、切り分けたのは、生まれてはじめて。
でも木村さんの苦労とお気持ちを知ると、とても独占して食べるっていう気持ちにはなりません。木村さんご自身も、1人でも多くの方に食べてもらいたくて、普通のリンゴとほとんど変わらないほど安く売られているし・・・・。(1ヶ350円くらい)


木村さんのリンゴを味わいたいという方に朗報が1つ。

木村さんのリンゴは入手困難だけど、木村さんのリンゴを使った冷製スープは比較的簡単に入手可能です。

木村さんが、無農薬&無肥料に取り組みはじめて8年間は1つもまともなリンゴができなくてリンゴ農家なのにリンゴからは収入はゼロ。子どもの鉛筆やノートさえ買えない、1kgのお米をお粥にして、畑の雑草を入れて家族で分け合って食べる日々。そしてなんとかリンゴが収穫ができるようになっても、どうやって売っていいか分からない。大阪に持っていって街頭でタダ同然で売ろうとしたけど、全然売れず。

そんな木村さんの苦労と苦境を知ったあるシェフの方が、有名なホテルの料理長だった職を辞し、自らレストランをオープンして、木村さんのリンゴを使ったメニューを出されるようになったそうです。木村さんからリンゴを仕入れることで、少しでも木村さんに現金収入があるようにって。

そんな男気のあるシェフ、山崎さんのレストランで出されているのが「木村秋則さんの自然農法栽培のリンゴの冷製スープ」。冷凍扱いで1ケ1050円で購入可能です。
冷凍便で宅配してもらえるので、自宅にいながらこのスープを楽しむことができます。

ツアー最終日にみんなで、このレストラン山崎で、このリンゴのスープをいただいてきました。
生クリームが入ってますが、爽やかで品のあるメチャ美味しいスープでした!
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「リンゴのかりんとう」もあります(1ヶ500円)

送料と代引き手数料は別途必要だと思いますが、この美味しいリンゴの冷製スープが飲みたい方は、下記に問い合わせてみてください。他にも取り寄せ可能なメニューはあります(リンゴのスープの値段は旧価格が表示されているようですが、今は1050円です)。

レストラン山崎 弘前市親方町41
TEL0172-38-5515 FAX0172-35-1236
by hiroshimapop | 2008-10-22 13:24 | 私が出会ったすごい人 | Comments(3)
木村秋則さんのリンゴ畑(その2)
手前の幹の太いリンゴの木と、その奥の少し幹の細いリンゴの木の樹齢は同じ。でも、こんなに太さが違う。

そして、手前の木は、自然栽培に成功し、無農薬を始めて6年目か7年目かに初めてリンゴの花が7つつき、秋には小さいけど、2つのリンゴが実った、木村さんにとっては記念すべきリンゴの木(書籍「奇跡のリンゴ」162ページ参照)。でも、奥の木は、同じ樹齢で、畑も同じ。ほんのちょっとしか離れておらず、同じように育てているのに、実がなり始めたのは、なんと5年前。それまで全くリンゴを実らせなかった不作のリンゴの木。

なんで、手前の木は、毎年たわわにリンゴを実らせ、幹も太いのに、奥の木は、30年近くリンゴを実らすことができなかったのか・・・?
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同じように育てているのに、たった1つ、違うこと。
それは、手前の木には、木村さん、毎日愛情込めて声をかけているのに、奥の木には一言も声をかけなかったこと。

リンゴを育てていると、自然にリンゴの木が可愛くなって、話しかけたり懇願したり「お願いだから実をつけてね」とか「実はつけなくてもいいから死なないでね」とか・・・、なんやかんやと、リンゴの木に向かってお話してたそう。それも、隣の農園の人に聞かれてしまうくらい大声で。

でも、木村さんとしては、木に話しかけているのを他の農家さんに見られたり、聞かれたりするのが恥ずかしくって、他の畑の境界線あたりにある木々には話しかけなかったそう。
そしたら、見事にリンゴの木が枯れてしまったことが・・・。しかも1本ずつ枯れるんじゃあなくて、境界線にあった木々が一列いっぺんに枯れ木に・・・・。

もしかして、とは思ったけど、木に話しかけなかったことと木が枯れたことの因果関係はよく分からないし、ホントに関係あるのかな?って思いもあって、あえて、それを実証する気持ちで、この木だけには声をかけず無視していたそう。

そしたら、枯れなかったけど、他の木々が次々とリンゴの実を付け始めたのに、この木だけは毎年、花も咲かず実もならせず・・・。

もうこうなったら、このリンゴの木と根比べだって感じだったらしいんですが、ようやく5年前から、リンゴの木のほうが降参したのか実をつけはじめたとか。
(今は、その木にもちゃんと話しかけているそうです)

種を植えるときにも「大きくなれよ」ってポンポンって土をたたくのが木村さんの習慣。そしてリンゴにも、もちろん、がんばれよ、大きくなれよ、ありがとうって毎日、話しかけているそう。

自然栽培って、種を植えたらそのままほったらかしで雑草も生やしっぱなしであとはその野菜や木が育つがままに任せているって印象だったけど、ほったらかしの自然農法と、木村さんの自然栽培は全く違って、木村さんの自然栽培は「どうやったら、その野菜や木々がよく育つかなとか、どうやったらリンゴの木が喜ぶのかな」って、その植物を良く観察して、人の心と愛情が一心に注がれている。

「リンゴは何にも言わないけれど、リンゴの気持ちはよく分かる」って、昔流行った歌にありましたが、人が心を込めて言葉に出して植物に語っていたら、植物はその気持ちに応えようと、一生懸命生きてくれるんだなって、この2本の木が証明してくれているよう。
そして、植物も関わってくれている人に「無視される」って心が傷ついているんだなって思います。
フツー、木や植物は人なんていなくてもお日様と水さえあれば、一人大きくなってちゃんと実をつけることができるのに、誰かに世話を受けている植物は、物理的な世話は受けても、そこに心がこもってないと、大きく成長したり実をつけることができないなんて・・・・。

だから人ともっと関わって生きているペットたちや人間は、「無視されたり、関心をもたれない」ってことが、どれほど心に大きな傷になっているか・・・。

植物には心がない、何も感じないって思いがちだけど、木村さんの畑を見てると、それは大きな誤りだって、ホントに思います。

リンゴがすごく喜んでいる、虫や雑草たちも嬉しくてたまんない。
木村さんの畑は、そんな生き物たちの喜びに溢れている畑なのかもしれません・・・・。
by hiroshimapop | 2008-10-21 00:23 | 私が出会ったすごい人 | Comments(1)
木村秋則さんのリンゴ畑
土曜日の午後、いよいよ、無農薬・無肥料でリンゴを栽培している木村さんの奇跡のリンゴ畑へ。普通の観光リンゴ農園の間の道をしばらく歩くと、突然、歩いている地面が生い茂る雑草のせいかフカフカ柔らかい。「木村さんの畑に到着しましたよ」って言われて、遠くに木村さんの姿が見えてきた。
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木村さんが私たちを出迎えてくださるその場所まで歩く、そのほんの短い間に、なんだかしらないけど、涙が溢れてきて止まらない。感動したとか、鳥肌が立つとか、そんなことは一切感じてないのに、ただ突然に涙だけが出てくる。木村さんの底抜けに明るい笑顔と、リンゴ畑のあったかい「WELCOME」の気持ちが、私の心の琴線に触れたよう。ふだん、クールを気取って、人前では泣かない私が、一番あたふたと驚いてしまい「なんで、泣いてんねん」と突如、大阪弁で自分つっこみをしてしまったくらい。

そんな温かさがそこにはありました。

木村秋則さんの軌道については、幻冬社の「奇跡のリンゴ」や「プロフェッショナル仕事の流儀」のDVD、絵本の「リンゴのおじさん」で紹介されてるので、ぜひぜひ入手して、見てほしいですが、畑で木村さんから伺ったお話は、内容は底抜けに悲惨。でも、それを話している木村さんは底抜けに明るいという、なんとも不思議な感覚になるものでした。

リンゴの葉っぱを食い荒らす虫の生態を知るため、木の下に寝ころんで10日間もずっと、葉っぱについている虫の卵を見続けたり。。。。(だってリンゴの実がならないから他にすることないしって・・・) 廻りの農家さんからは、家族が毎日の食にも困っているというのに仕事もせず、畑に日がな寝ころんで怠けているって思われたり「とうとう木村も狂ってしまった」って言われたそうですが、そうやって害虫1つ1つの生態を観察し、どうすればリンゴの葉っぱを食われなくなるのか研究したそう。

でも、リンゴの葉っぱを食い荒らす虫を観察しようと虫眼鏡で見たら、あまりに可愛い顔をしていたので、自分にとっては憎っくき害虫なのに「あんまり葉っぱ、食べるんじゃあないよ」って言い聞かせて、元の葉っぱに戻してしまったり・・・。

ファーブルは甘い! ボクのほうが虫の生態は詳しいよって仰ってましたが、だって、リンゴの命と家族の明日がかかっている虫の観察ですもの。気迫が違っていたと思います。

木村さん。
前歯は1本も無いし、身長も小柄な方で笑うと顔がくしゃくしゃになってしまう方でしたが、でも、メチャクチャかっこいい方でした。
木村さんは、無農薬で無肥料でのリンゴを実らせるというその1つのことを得るために、他の99のことは捨てた方。そして、想像を絶するような貧乏を重ね、苦労して、苦労して極めた極意を惜しげもなく、他の農家さんに教えてあげている。
その潔さが神々しく、圧倒される思いでした。
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きっと木村さんに会った方は、いっぺんに木村さんが大好きになってしまうと思います。私はすでに木村さんの大ファン。できたら追っかけしたいくらい。
「来年も木村さんの畑に行くぞ~!OH!」と決意をしている月曜日の夜でした・・・・。
by hiroshimapop | 2008-10-20 23:32 | 私が出会ったすごい人 | Comments(0)