毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

カテゴリ:おススメBOOKS( 105 )
人生を導く5つの目的
この本は、別の本を読んでいるとき『連続殺人犯に自宅に押し入られた女性が、この本のある章を犯人に読み聴かせたことで犯人が回心し、投降をした』と紹介されていたことで興味を持ち、読み始めたもの。

一言でいうとこの本は『キリスト教徒としての正しい生き方指南本』。

キリスト教系の本に時折みられる「クリスチャンかそうでない人か、同じ教会に属している人かそうでない人か」といった排除的な印象を受ける箇所があり、また、聖書の引用が、あれ?そうだっけ?我田引水すぎない? と思ってしまうところもあったのですが、それは置いておいても、ケイシーの説く『神を自分の人生の中心に置く生き方』のガイドブックとしての良書になりそうです。

私は、神社巡り好き。でもお盆の時期は仏教徒になり、個人的に馴染みがあるのはイエス・キリストという典型的なケイシー好きの日本人(笑)なので、この本の著者が想定している読者やクリスチャンとは遙かに離れていますが、私と同じ感じであれば、それなりに聖書にも馴染みがあるでしょうから、きっと途中は飛ばしながらも「ケイシーの説く霊的成長の副読本」として活用していただけるのではないでしょうか。


人生はあなたが中心ではありません。(中略)

自分がなぜ存在しているのか知りたければ、まず神から始めなければなりません。

あなたは神の目的に従って、神の目的のために生まれたのです。「人生の目的」というテーマは、何千年もわたって人々の悩みの種となってきました。その理由は多くの場合、私たちが間違った出発点、すなわち「私」から出発してしまうことによっています。私は何になりたいのか、私は何をなすべきか、私の目標は、私の願いは、私の夢は等々、質問の中心にはいつも「私」が居座っているのです。(中略) 

しかし、自分に焦点をあわせていても、人生の目的は決して見えてきません。(中略)

あなたが今、こうして存在しているのは、神がそう願われたからなのです。あなたは神によって神のために造られました。このことが理解できるまで、人生は決して意味を持ちません。神にあってのみ、私たちは自分の起源、アイデンティティー、存在意義、目的、重要性、行き先を見いだすことができるのです。(中略)

私はこれまでに、人生の目的を発見する方法を説いた本を何冊も読んできました。「自己啓発書」に分類されるこれらの本はみな、「私」中心の視点で書かれています。自己啓発書というのは、それがクリスチャンによって書かれたものであっても、どれも似たステップを紹介しているのが常です。たとえば、夢を掘り下げる、価値観を明確にする、目標を設定する、得意分野を見つける、大きな目標を持つ、とにかくやってみる、自己鍛錬をする、実現できると信じる、人の協力を仰ぐ、決してあきらめない、などです。(中略)

本書は、自己啓発を勧める本ではありません。(中略) どうしたら現在の過密スケジュールにもっと多くの活動を組み込めるのかを教えようというのでもありません。むしろ、どうしたら活動を減らすことができるかをお伝えしたいと思っています。それは最も重要な事柄に焦点を合わせることによって可能となるのです。神に意図しておられる自分になること、それが本書のテーマです。(中略)

神は、あなたの人生の出発点というだけでなく、あなたの人生の根源です。人生の目的を知るためには、この世の知恵ではなく、神のことばに耳を傾けなければなりません。大衆心理学や成功哲学や寓話ではなく、永遠の真理を人生の土台に据えなければならないのです。(第1章 すべては神から始まる)


by hiroshimapop | 2017-06-12 16:36 | おススメBOOKS | Comments(0)
マンガ『霊験修法曼荼羅』
修験道に関する本を注文したら、こんな本も・・・とAmazonに出てきて、思わずポチッとしてしまった1冊。でも、面白くて、あっという間に5巻読破。

しばらくは、私の友人やテンプルスタッフの間をこのマンガが行き来することでしょう・・・。

本の表紙にはこう書かれています。
『仏教界において秘儀・秘術を駆使し、特殊な事例を専門に請け負う一門がある。その一門に属する実在の僧侶、秋月慈童が明かす秘話を描く驚異と神秘のノンフィクションコミック!! 表には出てくることのないエピソードの数々と、人智をはるかに超える密教のパワーに驚愕すること、必至!』

こんな文章を目にすれば、読んでしまいたくなること必至!
脚色はされているかと思いますが、きっと描かれていることは事実なんだと思います。

私は視えたり聴こえたり・・・ということは全くないフツーの五感人間なんですが、周りに霊的な感覚が研ぎ澄まされている人が多いので、過去何度か体験したり見聞きしたことと重なる内容もあり、非常に興味深く読みました。

ここ数年特に感じていることですが、日本という国は、様々な神様、仏様のご神気に溢れ、そのご神気の厚い霧の中にいるような国。都会のアスファルトとコンクリートの中で日々をバタバタと暮らしていると、すっかりそんなことは感じなくなっちゃいますが、その空気感は薄くても、やはり其処ココに神社があり、どこもちゃんと掃き清められています。さらに、昨日ご紹介した蛇の倉七尾山のようなところは、それが霧ではなく深海となった中に浸っているような場所。

そんな日本で、神仏を忘れ、祈りも感謝も忘れ、我欲、物質的な欲求を満たすために邁進してしまっている私たち・・・。このマンガを読みながら、あらためて「日本ってこういう国なんだよなー。そんな日本に私たちは生きているんだよなー」と思ってました。

さて本の巻末に作者が描いてる裏エピソード。
第1話が聖天様のエピソードだったので、聖天様にお願いしたら・・・と描いてありますが、それはどこの神社仏閣でも同じことなので、その内容についてご紹介。

以下、僧侶、慈童さんのお話しです。
慈童さん
「ただ願いが叶ったら必ずお礼参りをして、願ほどきをして下さい」
「基本的に護摩木に書いた願い事が叶ったら、護摩木にお礼を書いて納めれば体にかかっている修法はとけます」
「お布施をつつんでご祈祷を頼んで願いが叶えば、そのお布施と同額以上のお布施を持ってお礼をし、願ほどきをすれば、聖天様はまず問題おきません」
「一番困るのは、大金をお布施につつんで強い祈祷を頼んで・・・。願いが叶っても、願ほどきにいらっしゃらない方。感謝ができればいいんですけど・・・」

作者
「ちなみに神社も同じです。お願いだけしてお礼参りをしないとおかしなことになります」

私もアチコチ神社巡りをしてますから、あー、これはまずいって思いました。
蛇の倉で修験の行をしている山口さんは、やはり神様を身近に感じられていることもあり、お礼参りはやはりちゃんとされています。

以前、忙しいスケジュールの合間をぬって東京から伊勢神宮日帰り参拝(しかも車で!)されたので、なんでそんな強行スケジュールを?と思ったら、知り合いの手術成功を祈ったので、その手術成功と健康回復のお礼に、その本人を連れて伊勢に行ってきたとのこと。

こういう1つ1つの願いとその後の御礼のループが、神様との関係をさらに深めているんでしょうね。

私が神社参拝しているときに願っていることは、参拝している神社の発展と神様のご活躍、そして日本が美しく善い国となりますように、ということ。そして、日本がより美しい国になるための仕事を私や会社にさせて下さい、ということ。

この願いが叶っているかどうかはおいといて、今度、神社にお参りに行ったら、神恩感謝てんこ盛りです!



by hiroshimapop | 2017-06-03 12:14 | おススメBOOKS | Comments(0)
書籍『遺伝子は変えられる』
私たちの遺伝子は、私たちの日常、食生活によって大きく影響を受けている。言い換えれば、どのような毎日を送るかで遺伝子は変わっていく、という本です。

遺伝子について分かりやすく書かれた興味深い本ではあるのですが、医学用語も多いので、ビタミンについて書かれていた部分をご紹介。特にビタミンE(αトコフェロール)についての記述は個人的にビックリでした。αトコフェロールはお馴染みの名前でしたので・・・。


129ページ
ツチブタからシマウマまで、ぼくら人間のいとこの哺乳類のほとんどは、ビタミンCを体内で作り出すことのできる遺伝子の作業用コピーを持っている。でも人間(と、驚くことにモルモットも)は、代謝に先天的な遺伝子のエラーがあるのだ。この突然変異が、他の哺乳類と同じことをできないようにしているため、人間は、ビタミンCを完全に食物から摂取しなければならないのである。(中略)

遺伝的に受け継いだものにおける差異の1部、例えば、ビタミンCの代謝に関連するもう1つの遺伝子、SLC23A2は、自然早産の3倍近いリスク増加と関連していることが判明しつつある。これは、赤ちゃんを体内に宿すために必要な引張強度を母体に与えるコラーゲン生成におけるビタミンCの役割と関連があるのではないかと示唆されており、こと栄養に関しては遺伝によって受け継いだものの影響を真剣に考慮すべきであるという事実を、ここでも浮き彫りにしている。(中略)

自分にはどれだけの柑橘系の摂取が適切なのか。自分にとって正しい食習慣とは何なのか?自分はどんな食物を避けるべきなのか。これらの質問の答えはひとりひとり異なるものになる。なぜなら、親から受け継いだ遺伝子が異なっているだけでなく、もっと重要なことに、あなたが何を食べるかによって、遺伝子のふるまいが完全に変わってしまう場合があるからだ。

ビタミンCサプリは、オレンジの代わりになる?(167ページ)
・・・(中略) なんと言っても、あの商品(ビタミンC製品)を販売しているメーカーは、ビタミンCのラベルにオレンジや他の柑橘類の果実の画像を使うことがよくある。まるで、フロリダのオレンジ畑で今朝目を覚ました同社の従業員が、丸々としてジューシーなオレンジを樹からもぎとって振ったら、何かの魔法が働いてオレンジが縮み、食べられるテディベアの型になりましたとさ、とでもいうように。

しかし、ほんとうのところは、今朝あなたや子供たちが摂ったかもしれないビタミンは、処方薬に非常によく似た製造過程を経て作られたものだ。(中略)

しかし、これは食品に含まれるビタミンを摂取することとは違う。なぜなら、オレンジを食べるとき、ぼくらは、ビタミンCだけでできた果実を食べているわけではないからだ。オレンジには、繊維、糖分、カルシウム、コリン、チアミン、そしてたった1種類のビタミンに限定されない何千という植物性化学物質が含まれている。(中略) 

サプリメントに欠けているのは、すべての栄養素からなる交響曲だ。本物のオレンジに含まれている他の植物性化学物質をすべて含めたもの。そうした化学物質の作用はまだ完全には理解されていない。

195ページより
ビタミンEはさまざまな食品に含まれている。葉物野菜もそのひとつだ。そして、そうビタミンEは、酸化という科学的な襲撃から細胞膜を守るものとして知られている。(中略) 

だが、ビタミンEの作用は、それだけにとどまらない。ある種の遺伝子の発現を大幅に変えてしまうことがわかっている。そうした遺伝子は、命を支えるために毎日何百万回も生じている細胞分裂にかかわるものも含まれているのだ。サプリメントに含まれているビタミンEはどこから来ているかご存じだろうか? 

実はそれは、今日市販されているほかの多くのサプリメントと同じように、化学工場で人工的に作られる。ビタミンEには立体異性体として8つの型がある。そのうちサプリメントによく含まれる型はαトコフェロールだ。

天然の植物に含まれるビタミンEの型はひとつしかなく、それはガンマトコフェロールと呼ばれる。実は何十年も前から、αトコフェロールの大量摂取はガンマトコフェロールのレベルを引き下げてしまうことが知られてきた。言い換えれば、カプセルに入った人工的なビタミンEは、もうひとつの天然ビタミンEの型の作用を弱めてしまうのだ。

ついでに、化学合成されていないビタミンサプリ、テンプルにはありますよ。

ピュアシナジーでお馴染みのシナジー製品がそれです。世の中に出回っているサプリは自然由来、植物由来と書いてあるかもしれませんが、それはトウモロコシなどを化学的に分解させ作られたものの可能性が高いです・・・。

ベリーベリープレミアム(カプセル)
カムカム、アセロラ、ビルベリー、ザクロなどビタミンC豊富な果実や果皮が17種類、そのままパウダーになってブレンドされているサプリ。しかも17のうち、16種類はQAI認定のオーガニック原材料、1種類は野生種となっています。天然のビタミンCだけではなく、アントシアニン、エラグ酸、キナ酸など、健康や美容に有用な植物栄養素が豊富に含まれています。

ヴァイタシナジー(女性用)
ヴァイタシナジーは自然界にある植物を発酵させ、そのままギュッとタブレットにしたサプリです。推奨されている1日4粒のタブレットを飲むと、1日に必要なビタミンEの約4倍を摂ることができます。




by hiroshimapop | 2017-05-30 18:21 | おススメBOOKS | Comments(0)
うわさの人物(神霊と生きる人々)
ひさびさに加門七海さんの本を読みました。加門さんの本は、このブログを覗きに来られる方には、どの本を手にとられても、きっと面白いと思います。

今回手に取ったのは『うわさの人物』。神霊の世界でプロとして生きている9名の方にインタビューした文庫です。

9名のインタビュー、どれも興味深いものでしたが、某有名神社で神職をされている三木さん(仮名)のお話しが、私にはなんとも凄みがありました。ご本人にはリアルで現実感のあるエピソードのようで、サラリとお話しされているんですが、私には想像もできないビックリ話に、「え?!」って2度読み、3度読みしてしまった箇所が数か所。

お父さんがさらにすごい方だったようですが、普通に生きていたら全然遭遇しないような霊的な出来事が、日本のどこかで、今も起こっているんですねー。

…凄みがある部分は、私がフォローできないので、最近、体験したことを絡めて、下記の部分を書き出してみました。
260ページ
加門:すごく由緒のあるお社でも、人がまったくお参りしなくなってしまったら、どうなるんですか?

三木:御成敗式目の中に「神は人の敬によってその威を増し、人は神の徳によってその運を添ふ」という言葉があります。神様は拝めば拝むほど光り輝くし、その光り輝いた力によってさまざまな良き事を拝む人たちに与える、と。だから、逆にいいお社でも参拝者が行かなくなったら、その光はなくなってしまう。

加門:もぬけの殻になっちゃうんですか。

三木:いや、本物だったら、そうはならないでしょう。

加門:本物と贋物との差というのは?

三木:贋物は、祀っていても拝まないでいると、家へ帰っちゃうんです。

加門:稲荷だったら、本家の伏見とかに戻ってしまうということですか?

三木:ええ。御札はあっても中に御霊がない。僕はわかりませんが、親父がよくそんな話をしています。本物の神様だと、社がなくなって更地になってもいるんだそうです。

最近、あるお宅に友人といく機会がありました。一緒にいった友人は、いわゆる「視える」人。

私は全く視えず聞こえずの人間なので、そういう人と一緒にいると、この地球(あるいは宇宙)は、人の目に見える世界と重なるように、見えない世界が存在しており、おそらくは、その見えない世界も、幾重にも層となって(いくつもの次元で)存在しているんだなーと思うことが多いんですが、その訪ねていったお宅の神棚、いくつもの神社の御札が納められていたんですが、友人が驚くには「神様が、全然いない。御札がこれだけ並んでいるのに一体もいらっしゃらない」。

聞くと、ちゃんとお祀りされていれば、家におかれた神棚には神様の御霊がちゃんといらっしゃるんだそうです。神棚がなくても、ご先祖様の霊がいたり、ご先祖様の霊がいなくても、何かの霊が、どの家にも必ずいる。だから、何の霊もいない家というのは普通ないんだそうです。でも、その方の家には、なんの霊的気配もなかったそうで、それにビックリしておりました。

・・・ということは、目には見えなくても、どのお宅にも、もれなくどなたかが一緒に住んでいるっていうことになります・・・!(驚)

友人と訪ねていったそのお宅の神様、きっと、いったんは御札で神棚に納められたんでしょうが、そのうち、元に帰ってしまってしまわれたんですね。そのお宅の場合、ご家庭の事情が複雑なので、あとでうかがって「そうなのかー」と納得した理由があったのですが、私たちの家の神棚、アチコチの神社に行って御札を求めても、ちゃんと神棚の廻りをキレイにして、御札のお世話をしてないと、元の神社に帰られてしまっていることがあるかもしれませんー。

これまでうかがったお宅でも、ものすごーく掃除がされてないお部屋の神棚とか、キッチンの換気扇の近くにあってオイルでベタベタしてた御札とか、モノがグチャグチャに溢れかえっている棚に置いてあった御札とか、いろいろありました。

神社からいただいてきた御札にはちゃんと御霊がいらっしゃることを念頭にして、お世話しないとですねー。

実は、数年前まで私は神社に行って、神楽をあげるのが唯一の贅沢だったんですが、あとでいただく立派な御札のお世話がちゃんと出来ないことに気づき、今は、その贅沢は封印中。

神社に行くと、社務所で御札は簡単に授けていただけますが、その後、ちゃんと毎日お世話ができるかどうか、実はとっても覚悟がいります。イヌや猫を飼うときも一生面倒を見る覚悟で飼い始めますが、そんな感じ。

その代わり、毎日祝詞をあげるなり、定期的に榊やお供えを変えるなりしていたら、三木さんが話されているように『神様は拝めば拝むほど光り輝くし、その光り輝いた力によってさまざまな良き事を拝む人たちに与える』ことになるんでしょうね。

神様や神社とのつきあい方については、和田裕美さんが書かれた2冊が参考になりますよー。ずいぶん前に書かれた本ですが、こちらもオススメ。





by hiroshimapop | 2017-04-14 19:48 | おススメBOOKS | Comments(0)
Life in the Desert 砂漠に棲む
アラブの砂漠に生きる猫やイヌやガゼルやラクダや時々ゴハンだけ食べにくるたわし君たちが日替わりで登場するはなももさんのツイッターは私の心のオアシス。
少なく数えても、おそらく1日5回はアクセスしてるはず・・・。

200匹もの動物たちとアラブで暮らすはなももさんと、共に暮らす動物たちの生活が写真集になりましたー! 

こんな本です。
季節により、あるいは時間帯によってもさまざまに表情を変える「砂漠」の幻想的な美しさと、アラブ首長国連邦(UAE)の砂漠に暮らす日本人女性の暮らしを美しい写真で伝えるエキゾティックなネイチャーライフ写真集。
著者は「はなもも」の名前でTwitter やブログに多くのフォロワーを持つ美奈子アルケトビさん。
砂漠の雄大さや美しさ、また200匹の動物たちとのあったかライフを余すところなく伝えます。

はなももさんのツイッター、なんせ、猫だけで、今60匹くらいいるそうなので、飽きることがありませぬ。

名前を呼ばれたびに、何故かドテって転がってしまうばーちゃんとか、猫づきあいが下手でいつも1人遊びしている、時々我が身を見ているような気になるちょびさんとか、瀕死の時からずっとその成長を見守ってきたので、遠くにいても自分家の猫のように思えてしまうシャーロットさんとか、頻繁に登場する猫、ときどき登場する猫と様々ですが、それぞれの猫に個性があり「猫」って1つにくくれない面白さです。

猫だけでもワクワクなのに、それにガゼルやラクダや、もう死んじゃったけど気の強さで動物たちに君臨していた鳩のグズブなど、ななももさんご夫妻と暮らす動物たちの命の輝きがこの写真集には溢れております。

ガゼルの凛とした美しさなんて神を感じますよ。そしてなにより、砂漠がこんなに美しいなんて!


  ガゼルがこんなふうに抱かせてくれるのは、生後1日だけなんだとか・・・!
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先週届いたこの写真集、いまはテンプルスタッフの間を廻っています。このブログ書くのに、少しの間、拝借してましたが、やはり、どのページもいいですわぁ。



by hiroshimapop | 2017-04-12 12:43 | おススメBOOKS | Comments(0)
『感じるままに生きなさい』
メルマガでもご紹介した羽黒山の山伏、星野先達の『感じるままに生きなさい』。
星野先達は、日本各地で講演もされているので、いま、日本で一番有名な山伏かもしれませんねぇ。

その星野先達の本でご紹介したいのは、「うけたもう」という精神。
修行の場では一切しゃべらない。俺のやり方は「自然から学びなさい」だから。修験道というのは人から聞くものじゃない。ぜんぶ自然から学びなさいと。だから山の宗教なんだ。修験道はどこも根底は同じだよ。
羽黒修験でよそにないのは、これ。「うけたもう」
羽黒修験だけにある言葉だ。すべてを受け入れる。そこには信頼ということがあるんだろうね。われわれは何をいわれても、まずは「うけたもう」なんだよ。修験道の象徴的な言葉なんだ。(56ページ)

ふだん、マニュアルとかスケジュールに基づいてやることに慣れすぎている人が多いけど、そんなもの、ないほうがおもしろいということがわかるんだよ。
予定も何もなし。みんなどこに行くのか知らない。ただ「うけたもう」という答えでいいの。般若心経をうけたもう。何をいわれても「うけたもう」と。
俺は徹底してそれをやっている。そうしてやっていると、気づきがちがうし、腑に落ちるんだよ。(78ページ)

私はいま、会社では電話はほとんど取らないので、お客さまと直接電話でお話するのは滅多にないんですが(受注や商品説明はスタッフのほうがよっぽど上手です)、ちょうどこの本を読んでいる前後、ランチタイムでスタッフが社内にあまり残っていなかったこともあり、あるお問合せ電話を受けました。

ひまし油の湿布セットが手元に届いたばかり、というご年配の男性が電話のお相手。湿布のやり方そのものは、すでにセットにおつけしているDVDや小冊子でご確認済みだったのですが、それでもまだいまいち不安らしく、事細かいご質問をいただきました。

私がケイシー療法を始めた頃は、ほとんど情報はなく、すでにその時翻訳されていたケイシー療法の本2冊に書かれていることを頼りに、手探りで湿布もオイルマッサージもやってましたが、いまは、情報はたくさんあっても、まだ足りないようで・・・。失敗しながら、オイルでタオルやシーツを汚しながら、少しずつ工夫して上手になっていったり、自分なりの小さな発見をしたりするもの楽しいと思うんですけどねー。

テンプルで開催するセミナーにも、以前「そのセミナーに参加したら私の役に立ちますか?」という質問をいただいて驚いたことがありますが、事前に色んな情報を確認しないと動けない人も増えているようなんですよね・・・。

普段の日常だと、次に何が起こるか、何があるのかはだいたい予測がつき、昨日の延長で今日を生きていけますが、それにちょっとした非日常が入ってくると(たとえそれがひまし油湿布や新しい学びであっても)、それだけで不安で心配になってしまう。

次に何が起こるか分からなくても、ともかく、うけたまわってしまう。

その方が面白いと思うのは少数派なんでしょうかね?



by hiroshimapop | 2017-04-03 15:02 | おススメBOOKS | Comments(0)
糸井重里さんの『抱きしめられたい。』
糸井重里さん主宰のほぼ日刊イトイ新聞に糸井さんが毎日綴られているエッセイをまとめた最新刊。

さすが、糸井さん。珠玉の言葉がたくさん。どのページをひらいても、胸にぐっとくる一言があります。

糸井さんの親友で2015年夏に亡くなられた岩田さん(任天堂代表取締役)のことを書かれたエッセイはどれも涙なくしてよめないです。その一文を読むだけでもこの本は買う価値ありです。

以下に紹介するのは、いつだったかフェイスブックで紹介したら「いいね」がたくさんついたもの
「やりたい」ことを思いつくだけでも幸せだ。
それを、苦労しようが失敗しようが始められるのは、
ものすごく恵まれたチャンスだと思う。
「やりたくない」ことや、
「やらなきゃならない」ことをやっていても
ちゃんと時間は過ぎていく。
そればかりやっていて一生が終わることだってあるだろう。

「やりたい」と思えるようなことを、
「やりたくない」ことや、
「やらなきゃならない」ことだらけの荒野のまん中に、
しぶとい雑草のように植えつけてやるんだ。

そいつが広がっていくうちに、鳥もくるだろう、
どうぶつも飼えるようになるし、
屋根のある家も建てられるかもしれない。
水を溜めたり、さらに作物を育てたりしていくうちに、
なにより素敵なことに、人だって集まってくるんだ。
笑顔やら、たのしい話やらをみやげにしてね。

しつこく言うよ、同じことを。
「やりたい」ことを思いつくだけでも幸せなんだ。
それを、じぶんたちの手で始められるのは、
ものすごく恵まれたチャンスだよ。


この1冊を持って、旅に出るのもいいと思う。どこか知らない風景のなかでぼんやりしながら読みたい気がします。


by hiroshimapop | 2016-12-26 14:40 | おススメBOOKS | Comments(0)
『あなたの体は9割が細菌』
メルマガでも2回にわたってご紹介したこの本、どのページも面白いー。
メルマガで紹介したのは、太りやすくなる腸内微生物や抗生物質との関係でしたが、ここでは出産時に赤ちゃんが母親から受け取る微生物について書かれた部分をご紹介。

子が必要な微生物を母が抜かりなく渡すその自然の仕組みは感動ものです。

~229ページから~
コアラの子どもは生後6ヶ月になると母親の腹袋から顔を出すようになる。そして母乳だけに頼る食生活からユーカリの葉を食べる食生活への移行が始まる。(中略) ただし、生まれたばかりのコアラの腸にはユーカリの葉を分解する微生物がいない。その腸に微生物の苗を植えるのは母親の仕事だ。そのときが来ると、母コアラは「パップ」という糞便に似た離乳食を出す。消化しやすく分解されたユーカリの葉と腸内細菌の混合であるパップは、生まれたばかりのコアラの腸に微生物を届けると同時に、その微生物が群生するのに必要な微生物の餌を与える。

母が子にマイクロバイオータ(微生物)を授けることはほ乳類以外の動物もやっている。母ゴキブリは自分のマイクロバイオータを「菌細胞」という特別な細胞に保存しておき、産卵直前に菌細胞の中身を体内で放出する。(中略) 一方、カメムシはコアラと似ていて、産卵後の卵の表面に微生物入りの糞を塗りつけておく。卵から孵ったカメムシはすぐさま母の糞を食べる。別の種であるマルカメムシは微生物なしで卵から孵ったあと、卵のそばに母が置いていった、微生物のつまったカプセルの中身を吸う。このカプセルが不在だと、マルカメムシはカプセルを求めて付近を歩きまわる。(中略)

細胞の数だけで言うなら、(人間の)赤ん坊はこの世に生まれて最初の数時間で「大半がヒト」の状態から「大半が微生物」の状態に切り替わる。子宮内部の羊水につかっているとき、胎児は外界の微生物からも母親の微生物からも守られている。だが、破水と同時に微生物の入植がはじまる。赤ん坊は産道を通るとき、微生物のシャワーを浴びる。ほぼ無菌状態だった赤ん坊を、膣の微生物が覆っていく。

産道から顔を出すとき、赤ん坊は膣の微生物とはまた別のタイプの微生物を受けとる。そう、誕生直後に母親の糞便を摂取するのはコアラだけではないのだ。子宮収縮ホルモンの作用と降りてくる胎児の圧力を受けて、陣痛中や出産時にほとんどの女性は排便をする。赤ん坊は顔を母親のお尻の側に向けて頭から先に出てくる。そして母親がつぎの陣痛に備えて体を休めているあいだ、赤ん坊の頭と口はうってつけの位置に出てくる。あなたは本能的に顔をしかめるかもしれないが、これは幸先のいいスタートだ。母から子への最初の贈り物、糞便と膣の微生物が無事に届けられることになるのだから。 (中略)

微生物とその遺伝子ー母のゲノムとうまく調和して働いていた遺伝子--を受け取った赤ん坊は、希望に満ちた人生のスタートを切る。


出産で力むとき、排便をしないよう浣腸をしたり、排便をしてしまうことを恥ずかしく思う女性が多いと思いますが(例えばこのサイト)、それは赤ちゃんにとって必要な微生物を渡す自然の摂理だということを知っていれば(あるいは産院がそう教えてくれていれば)、不要な羞恥心を感じなくて済みますよねぇ。


そして、赤ちゃんが母親の膣から受け取る微生物はいわゆる乳酸菌。以前は膣に乳酸菌がいるのは、乳酸菌が膣を感染症から守っているからだと信じられていたのですが、膣に乳酸菌が存在している本当の役割は、赤ちゃんが生まれたあと、すぐにミルクが消化できるよう、産道を通る赤ちゃんに乳酸菌を渡すため。

普段は、それほど必要とされない乳酸菌が女性の膣内にずっと存在し続けているというのは、地球に生きる生き物にとって、種を次の世代に次ぐことが何よりも優先されているということなのでしょうか。そして、赤ちゃんが健やかに成長するための必要な体内微生物を抜かりなく受け渡す仕組みが母体にも赤ちゃんにも備わっている、というのは本当に美しく、素晴らしい!

乳酸菌は膣にずっといるから膣のための細菌だと思いがちだが、赤ん坊のための細菌であり、出産のときが来るまでそこで待機しているのだ。現代の先進国でこそ女性の出産回数は減ってしまったが、本来なら膣の乳酸菌の出番はもっと多かった。膣は出発ゲートとして、赤ん坊を最適な状態で人生航路に送りだせるよう進化してきたのだろう。


母乳についても興味深い研究がなされています。

不思議なことに、出産方式によって母乳に含まれる微生物が変わる。陣痛がはじまる前に計画的な帝王切開で出産した女性の初乳に含まれる微生物は、経膣出産した女性のそれとかなり違う。その違いは少なくとも6ヶ月は続く。しかし陣痛が来たあと緊急の帝王切開を受けた女性では、経膣出産した女性と初乳の微生物が似ている。(中略) おそらく陣痛中に強力なホルモンがたくさん出て、微生物を腸から乳房に移動させているのだろう。計画的な帝王切開は赤ん坊にとって二重の不利益となる。産道で必要な微生物を得られないうえに、母乳による追加の微生物も得られない。


体内微生物を主体に考えると、出産に対する考え方や姿勢も変わってきます。これ以外にも、妊婦さんが抗生物質を使うこと、麻酔を打って出産することなど、さまざまな課題も出てきます。産婦人科の先生や助産婦さんにもぜひ読んでいただきたい1冊です。


by hiroshimapop | 2016-12-15 08:03 | おススメBOOKS | Comments(2)
宮本常一さんの民俗学の本が面白い
五木寛之さんの本で何度か宮本常一さんの本が引用されていたので、興味が湧いて、今は宮本常一さんの民俗学の本を読んでいます。

私達の祖父母にあたる年代の宮本さんが、そのまた祖父母の世代の人に聴き取りをして書かれた「かつての日本人の暮らしぶり」の本です。

いやー、面白い!

『忘れられた日本人』の解説にこう書かれています。
昭和14年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した著者(1907‐81)が、文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを、古老たち自身の語るライフヒストリーをまじえて生き生きと描く。辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台にうかびあがらせた宮本民俗学の代表作。


意外にも100年前の村の女性は、(影の)家長として確固とした地位を家の中で築き、同じ村の女性たちと強いネットワークを築いていたとか、夜、独身の男性が独身の女性の部屋に通う「夜這い」はどこの地域でも当たり前のように行われていて、男性も女性も複数の相手がいることが多かったとか、へぇーと思う暮らしぶりが詳細に記されています。

もちろん、貧しさから生まれた子供を間引きしたり、娘を売らねければならなかったという時代もありましたが、人々は、しぶとく、そして黙々淡々と日々の暮らしを続けていたんですねぇ。

「忘れられた日本人」では、宮本常一さんが自分の祖父について書いています。
市五郎はいつも朝4時にはおきた。それから山へ行って一仕事をしてかえって来て朝飯をたべる。朝飯といってもお粥である。それから田畑の仕事に出かける。昼まではみっちり働いて、昼飯がすむと、夏ならば3時まで昼寝をし、コビルマをたべてまた田畑に出かける。そしてくらくなるまで働く。

雨の日は藁仕事をし、夜もまたしばらくは夜なべをした。祭の日も午前中は働いた。その上時間があれば日雇稼に出た。明治の初には1日働いて8銭しかもうからなかったという。

仕事をおえると神様、仏様を拝んでねた。とにかくよくつづくものだと思われるほど働いたのである。

しかしそういう生活にも不平を持たず疑問を持たず、1日1日を無事にすごされることを感謝していた。市五郎のたのしみは仕事をしているときに歌をうたうことであった。(中略) 

旅人はまた誰でもとめた。(中略) 宿といってもお金一文をもらうわけではない。家族の者と同じものをたべ、あくる日は一言お礼を言って出ていくのである。生活はいつまでたってもよくならなかった。

子供の頃、日曜日の朝、いつまでも起きず、ダラダラと布団のなかで過ごしていると、母親によくこう怒られました。「周りの農家さんは日が昇る前に起きて田んぼや畑で働いているというのに、あなたは何もせず、いつまで寝ているの!」

機械化が進んだあとでも、近所の農家の皆さんは早朝から田畑に出ていらっしゃいましたが、1つ1つに手間と時間のかかった100年前の日本人の暮らしぶりと勤勉さは、きっと今の私には想像もできないでしょうねぇ。

そしてかつての日本人は、目にみえない存在、動物、昆虫、みみずでさえも自分たちと同じいのちのあるものとして大事にしていました。
ある日、日がくれかけて、谷をへだてた向こうの畑を見ると、キラキラ光るものがある。何だろうと祖父にきくと「マメダが提灯をとぼしているのだ」といった。マメダというのは豆狸のことである。マメダは愛嬌のあるもので、わるいいたずらはしないし、人間が山でさびしがっていると出て来て友だちになってくれるものだとおしえてくれた。(中略) 

さて、マメダがキラキラする提灯をとぼしてくれることが、夕ぐれのひとときの大きななぐさめになった。それから後、山の奥で木をきる斧の音がしても、山の彼方で石をわるタガネの音がしても、みんなマメダのしわざではないかと思うようになったが、そう思うことで山の奥、山の彼方へ心ひかれるようになっていった。

「どこにおっても、何をしておっても、自分がわるい事をしておらねば、みんながたすけてくれるもんじゃ。日ぐれに一人で山道をもどってくると、たいていは山の神さまがまもってついて来てくれるものじゃ。ホイッホイッというような声をたててな」 

小さい時からきかされた祖父のこの言葉はそのまま信じられて、その後どんな夜更けの山道をあるいていても苦にならなかったのである。


いいなぁ。

私達日本人が失くしてしまった1つが、こういう心で暮らすことなのかもしれません。そして私が取り戻したいと願っている1つでもあります。




by hiroshimapop | 2016-11-12 12:27 | おススメBOOKS | Comments(0)
願いもとめる祈り
先ほど、メルマガ616号で、『神の探求(下巻)』の2日間集中講座の告知を配信しました。朝から夕方までひたすら、びっちり『神の探求』を学ぶ2日間。

ケイシーリーディングを通じて自らの霊性を高めたいと望まれている方のための講座です。魂の震える2日間になると思いますよ。
12月17日(土)、18日(日)の2日間、万事お繰り合わせて、ぜひお申込下さいませー(申込フォームはこちらから)。


さて、そのメルマガを書くために、私はこの1週間、『神の探求』と共に、祈りについて書かれた本『何を、どう祈ればいいか』も読んでいました。その本を読みながら、私は祈っているようで、全然祈っていなかった、自分は何が欲しいのか知っているようで知っていなかったことに思い至りました。


祈りにはいくつもの形がありますが、以下は願い求める祈りについて書かれた箇所です。
イエスも繰り返しそれを強調された。つまり根気強く祈ることである。何かを祈り求めるなら、1度だけでは足りないと言われた。繰り返し、たえまなく、うむことなく祈る。父が聞き届けて下さるまで祈るのである。イエスが挙げられた根気強く祈る人の例を読むことにしよう。

「あなたがたのうちのだれかに友だちがいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを3つ貸して下さい。旅行中の友だちが私のところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです』 すると、その人は家のなかから答えるにちがいない。『めんどうをかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちは私のそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません』 しかし、言っておく。その人は、友だちだからということでは起きて何かを与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きてきて必要なものを何でも与えるであろう。そこで私は言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる」(ルカ11・5~11)

いいえとの答えを受け入れない姿が描かれている。恥も外聞もなく、根気強く求める心がある。イエスはこの人のように祈れと強い口調で命じられた。

要するにイエスはこう言われたのである。「たとえ神があなたの祈りに耳を貸そうとされないかのように思えても、くじけてはいけない。あきらめず、かつずうずうしく求めなさい。根気強く祈りなさい。扉をたたき続けなさい。神を押して押して、押しまくりなさい」

ルカ18章の例を見よう。「イエスは気を落とさずにたえず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。『ある町に神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところがその町に一人のやもめがいて裁判官のところに来ては、相手を裁いて私を守って下さいと言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめはうるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやってきて、私をさんざんな目にあわすに違いない』

それから主は言われた。『この不正の裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあるだろうか』(ルカ18・1~7)

(中略)

私たちが祈り求めることを自分のものにできないのは、しばらくは祈るが、まだ手に入れてないのに、祈りに飽いてしまうからだ。イエスがお与えになった教訓をしかと受けとめねばならない。彼は言われる。「このうるさくてかなわない未亡人、その根気強さで裁判官をうんざりさせた未亡人になりなさい」

(中略)

神に少ししか願わないなら、少しだけしかかなえられない。少しだけ神を必要としているから、神はその程度にこたえられる。この少ししか求めないとは、何を意味しているか。私は、充足した、安全な、よく守られた、凡庸な生活を送っていることを、はからずも告白しているのである。自分の身に危険が迫るような生き方はしていない。これでは福音を宣教する者にイエスが求められる生き方からは、はるかに遠い。

少ししか祈らない人は、福音が促す挑戦的な生き方、危険をわが身に引き受ける生き方へ少ししか歩み寄らない。生活のなかで少ししか挑戦しない人は、少ししか祈らない。


神は私のことは何でもご存じだから、わざわざそれを神に知らせることはない、という人がいます。神に祈る言葉は世界平和や感謝だけにすべきである、と云われることもあります。でも、自分の願いを神に伝えられない、ということは、つまりは、自分が何をしたいのか、どういう願いを持っているのか、実は曖昧ではっきりしていない、知らないのかもしれません。祈る言葉は世界平和や感謝だけにすべきなら、いったい私達は、一人ひとりが幸せを求める気持ち、願う気持ちをどこに向けたらいいのでしょうか。

流れ星が流れている間に3回願いごとを言うと叶えられる、というのは、そんなとっさの時にすぐに3回重ねて言えるほど願いが具体的ではっきりしているとも云えます。そこまでクリアであれば、その願いが叶う日は近いでしょうね。

自分は何をしたいのか、どちらに向かって行きたいのか、何が欲しいのか、まずは明らかにする。そして神が根負けするほどしつこく願い祈る。そしてそれが叶ったかのように生きる。

ケイシーのリーディングにこのような一節があります。
『すべての祈りは聞き届けられる。神に、その答え方を指示してはならない。 望んでいることを神に知らせよ。そして、それらは叶えられた思って生きよ。 なぜなら、主はこのように言われた。 「汝らが私の名において信じて求めるものは、天の父が汝に与えて下さるだろう」と』 4028-1


幼子のように・・・というフレーズが聖書にはありますが、確かに幼子はしつこいです! デパートで地団駄踏んでる子供、時々見かけます。私には5歳離れた妹がいますが、妹は小さい頃(10代の頃も確かそうだったような)、欲しいものがあると手をかえ、品をかえ、両親が呆れ、根負けするまでしつこく訴え続けてました。

私は幼少の頃から諦めが早く、幼子のしつこさを持つことすら人生の早い段階で諦めてしまってました。確かに、考えてみれば、私は人生において少ししか挑戦していないですね。

祈りについて書かれた本ですが、書かれていることは刺激的です。





by hiroshimapop | 2016-10-21 18:56 | おススメBOOKS | Comments(0)