毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

カテゴリ:日記( 526 )
神武天皇と近所のバス停
広島に住んでいる、しかも歴史好きじゃないと興味ない話題だと思います。すみません、メモを兼ねて書かせて下さい・・・。

先日、広島の福山に行く用事があり、そういえばあのあたりは神功皇后の云われのある場所があったハズ。そこに寄ってみよう・・・とネット検索していたら、なんと、福山でも、神功皇后でもなく、中学、高校時代、朝夕、毎日通り過ぎていた我が故郷の近所の神社の名前がネットの画面に登場・・・!?

私は広島市内から北に約40キロほど入った吉田町という町で生まれ育ったんですが、中学時代に可愛(えの)という地域に引越。毎日、宮之城(みやのじょう)というバス停からバスに乗って学校に通うようになりました。当時は神社にも神様にも全く興味なく、単に毎朝目にするだけの神社だったんですが、その片田舎の小さな神社、神武天皇がしばらく滞在されたといういわれのある神社でした。

神武天皇は伝説上の人物だとされ、実在していなかったとも云われていますが、各地に伝承、伝説が残っていることを考えると、それ相当の方は実在していたはず。あのあたりでいったい何をされていたのでしょう?

ついでに、高校の裏手には清神社(すがじんじゃ)という神社があるんですが、そのあたりはスサノオが八岐大蛇を退治した場所という伝承もあり、その神社から山の中に少しあがると、毛利元就の墓所もあります。

鹿児島にある可愛(えの)山稜はニニギノミコトの御陵だと云われていますが、可愛という地名にも何か共通の云われがあるんでしょうか?

今でも何もない田舎の町ですが、さらに何にもない可愛の宮之城に神武天皇は何故、居を構えられたのか、その理由、興味あります・・・


神武天皇の広島での動き
高田郡吉田町宮之城・・・内陸部に入り、宮之城の丘陵にある埃宮神社にしばらく滞在。

埃宮周辺の巡幸が終わり、一帯の豪族たちの協力が得られたので、いよいよ北部地方を目指して巡幸をすることになった。太田川を可部まで進み、壁から現在の国道54号線に沿って梶の谷川を遡り、江の川水系に入った。川を下り宮之城に宮を造った。埃宮神社の地が宮跡である。伝承では三年ここに滞在したことになっている。この周辺はその昔スサノオ命が滞在した処で、スサノオ信仰が特に強い

神武天皇の広島での動きその2
『古事記』の多理の宮は広島県安芸郡府中町にあったとされる。
いっぽう、『日本書紀』の記す埃の宮は、昔の安芸の国高田郡可愛(え)村の、吉田、山手の付近とされる。「可愛」の地名は、日向の邇邇芸の命の可愛の山陵や、『日本書紀』の一書に、須佐の男の命が安芸の国の可愛の川上に天降ったとする伝承などに現れ、これらの伝承と関係があるのかもしれない。

2-7.高田郡吉田町宮之城

山手村可愛宮の儀は人皇第一代神武天皇三年御在城、御軍勝利の地なり。是によって神武天皇を祭る。 「可愛宮の記」より


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by hiroshimapop | 2017-03-21 12:08 | 日記 | Comments(0)
水師営会見所
昨日聞いたファミリーヒストリー、その2

日露戦争終結時、ロシア側のステッセル将軍と乃木大将との会見が中国、旅順で行われました。その会見の様子は、日本の唱歌(もしくは軍歌)にもなっているそうで、70歳台の方はもしかしたら、覚えているかもしれません。

こんな歌です。



さて、この会見が行われた建物、いま残っているのは再建されたものらしいのですが、この歴史的な会見場所と私のファミリーヒストリーがどう重なるのか・・・。

いやぁ、まさか曾祖父と乃木大将がこんな形で繋がるとは思ってもいませんでしたよー。

母方の曾祖父は書が大変によく出来た人で、アチコチに曾祖父の筆となる碑や掛け軸が残っているそうなのですが(このDNAも私は引き継がず(涙))、たまたま曾祖父が旅順に滞在中にこの会見が開かれることとなり、この建物に『水師営会見所』という表札を書くために曾祖父が呼ばれ、書かせていただいたらしいのです。

この曾祖父が書いた『水師営会見所』の書。その後、文鎮になったそうで、こんなの取っている人いるかなぁと検索してみたら、ちゃんと出てました。

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水師営会見のことはネット検索するとたくさん出てきます。
たとえばこちら

ちなみに、この要輔お祖父さん、いま話題の教育勅語を1000枚、筆で書いて廻りの人に配ったそうで、叔母も何枚か受け取り、うち1枚は正絹に朱で書いてあったそう。

こういうファミリーヒストリーのあれこれ、母はたくさん知っており、私もたくさん聞いてきたのに、今はすっかり忘却の彼方。叔母たちの記憶がまだしっかりしているうちに聞いてメモしておかないと、永遠に消えてしまいますねー。


by hiroshimapop | 2017-03-08 07:19 | 日記 | Comments(0)
窪田幸左衛門さん
広島の世羅郡という少々辺鄙なところにあった光田家のお墓。あまりに遠すぎて、私が1年に1回お墓参りに行くのがやっとという状況が続いていたこともあり、いよいよそのお墓を横浜に移転することとなりました。

今日は、その新しくできたそのお墓の納骨の日でした。

久しぶりに一同に介した親戚の面々。叔父や叔母から私たちが生まれる前の家族の歴史や逸話が聴けるのも楽しい時間です。

そこで「これまで知らなかったファミリーヒストリー」がいくつか登場。私が忘れる前に、覚え書きを兼ねてブログに書いときます。完全に私用のブログです、スミマセン。


母から、母方の曾祖母の実家は、山梨に大きなお屋敷を持っていたのに、戦後の農地改革でそのほとんどを失った、と聞いたことがあるのですが、そのお屋敷と同じ家なのかどうか、母方の先祖の1人が本日判明。

叔母たちが「山梨の郷土資料館や郷土史に載っている人よ。窪田という名字で、大きな水路を山梨にたくさん作った人。大きなお屋敷に住んでたんだけど、誰も住まなくなったから、今は市の資料館になっているはず」とゴニョゴニョ話すのを聴きながら、ネットで検索したら、出てきましたー。

窪田幸左衛門さん。

このサイトにはこう書かれています。
山梨県歴史上最高の土木技術者 明野村浅尾新田 窪田幸左衛門

窪田幸左衛門のかかわった山梨県下の諸堰
資料(『明野村誌』資料編 第十四編 明野村内の各種用水堰)一部加筆

明野村内における窪田幸左衛門の事跡とその業跡は、各種堰史の中に縷々述べてあるので、その資料の重複をさけるが、この項には特に明野村以外の水利事業に貢献した足跡を若干紹介してみたい。
窪田幸文家に残される資料だけからみても、それは驚くべき広域にわたっている。

たとえば
隣村江草村の嘉納堰(文政七年 一八二四)
塩川筋比志村の定式用水路(文政九年 一八二六)
穴平村の遠照寺堰(天保二年 一八三一)
神戸村の用水堰(天保三年 一八三二)
都留郡平栗村用水路(天保四年 一八三三)
一宮村宮堰の再修(天保五年 一八三四)
柳平・上今井・長久保三力村の八ヶ岳谷水の引水願い(天保十二年一八四一)
甲府上府中町々の飲用水(天保十四年 一八四三)
等、編纂資料のごとくである。
そのはか幸左衛門が普請のため見分に歩いたことを証明する添書、添触、御用書付、荷物添触等によってみると、谷村辺用水路、上野原宿用水路、遠くは駿州安倍川通りにまで及んでいる。
~以下、たくさん書かれています~


おー、すごいじゃないですか! 残念ながら、私はこのDNAを受け継いでおりませぬが、明野町は町の名前のとおり、明るくとても良いところでした。そっかー、あそこに先祖が住んでいたんですねー。そして、窪田辛左衛門さん、高齢になってもずっと現役で活躍されたらしく『不世出の遺業を成し遂げた傑物』とまで書かれています。嬉しいかぎり。

八十歳過ぎの高齢でありながら、新倉掘技工事には遠路遥々茅ケ岳山麓から出張を繰り返しており、船津村村民を説得したり、新倉村村民の協力を求めて、まさに東奔西走の毎日を送って、この事業の完遂を図っているのである。
このように窪田辛左衛門の一生は、まさに明野村一村の水利に貢献した人というよりも、近代の夜明け前に、不世出の遺業を成し遂げた傑物といってよいだろう。

住んでいたお屋敷は資料館になっていたと叔母たちは云っていましたが、検索では探しきれませんでした。山梨県にお住まいの方でご存じの方がいらしたら、教えて下さい。是非一度、訪れたいと思います。


       こんな方です。ひーひーおじいちゃんくらいでしょうか
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by hiroshimapop | 2017-03-07 17:07 | 日記 | Comments(0)
羽を無くしたインコのRheaちゃん
フェイスブックで紹介されるたびに、何度もクリックしてしまう羽を無くしたインコのRheaちゃんの動画。

生まれたばかりの頃、ウイルスに感染して羽が生えなくなってしまったこの鳥。人間だったら、きっと気に病んでしまう状況でしょうが、Rheaちゃんは自分のこと、可哀相な鳥だとは絶対に思ってないはず。この幸せそうな様子!

自分の容姿や生まれた境遇をクヨクヨ悩んでしまうのは人間だけ・・・?
Rheaちゃんの幸せそうな歌声聴きながら、置かれた場所で咲かなきゃなぁと人間の私は反省したり・・・


フェイスブックページはこちら
飼い主さんのインスタグラムはこちら


by hiroshimapop | 2017-03-06 12:08 | 日記 | Comments(0)
ホームにて
昨日、中島みゆきさんの歌を様々な歌手の方が歌うリスペクトライブに行ってきました。2階席の隅っこの席で遠すぎて歌手の顔は見えず・・・。さらに前の座席の方が前のめりで聴かれるので、その人の頭が死角となって私はステージを見るために身体をずっと傾けていた・・・というなんとも哀しい状況でしたが(泣)、コンサートはハートフルで素敵な時間となりました。

歌手の方にも中島みゆきさんの歌に思い出あり、そして聴く人それぞれにもやはり思い出があり・・・

私が高校の頃は、中島みゆきさんのオールナイトニッポンが毎週1回ラジオから流れており、私は真夜中に頑張って聴いてました。当時つきあってた幼なじみとは遠距離恋愛だったこともあり、毎週のその2時間が唯一「同じ音を共有できる」時。だから、中島みゆきさんの歌はよく聴いてました。

いやぁ、甘酸っぱく懐かしい。

そして、昨日歌われた1曲が「ホームにて」。こんな歌です(1分頃からスタート)



その歌を聴きながら私の心に浮かんできていたのは、夜のホーム、夜の寝台特急電車。
田舎の夜のホームって独特なんですよねぇ。

小学校の頃までは新幹線がまだ広島に通ってない時代。夏休みや冬休みになると、東京や横浜に住んでいる親戚に会いに、家族で乗るのは東京までの寝台特急。夜9時頃広島駅を出ると朝、東京に到着します。

狭い寝台車のベッドの中で窓に顔をつけ、ガタンゴトン走る電車の音、時々きしむレールの音、踏切の音、そんな音を聴きながら、通り過ぎていく家々の灯りや景色を見るのが好きでした。たぶん一生会うこともすれ違うこともない人たちの暮らしの灯りや、歩くこともないだろう道を電車の窓から見ているっていうのがなんだか不思議で・・・。飽きることなくずっと見てました。

寝台車、大人になって1回だけ出雲に行くときに乗りましたが、今は寝台車で旅をする方が時間もお金も贅沢。でも電車に揺られながら寝るのって、これがまたいいんだなぁ。
あー、また寝台車に乗ってどこかに行きたい・・・。

by hiroshimapop | 2017-02-20 11:56 | 日記 | Comments(0)
たのしめ!
ほぼ日刊イトイ新聞の昨日のエッセイ。あとできっと読み返したくなると思ったので、自分のブログに貼り付けてしまいます。糸井さん、無断借用ごめんなさい。

・人のことばで、とても助けられるということがある。
 いかにも見事な名言もいいのだけれど、
 もっと、すっとこころに届くようなことばがありがたい。
 ぼくは、いま矢沢永吉のことばに助けられている最中だ。

 なかなかのハードワークを目の前にして、
 周囲の人だとか、経験者だとかが、
 それがどれほどつらいことなのかを教えてくれて、
 「がんばってください」とリハビリ担当者のように言う。
 そうか、そんなに恐ろしいことなのかと、ぼくも思う。
 どうしてもむつかしいようなら、
 多少の予定を変更してもいいのではないか、
 というような提案さえもあった。
 こどものころの、「きもだめし」のようではある。
 だんだんそうやって言われているうちに、
 これまでもよく、じぶんに言い聞かせてきた
 おまじないのようなことばを思い出したわけだ。
 「たのしめ!」である。

 これは、矢沢永吉がじぶん自身に言うことばだそうだ。
 うねって波打つような大観衆を前にして、
 たったひとりでステージに出て行くときには、
 矢沢でも特別な緊張感に襲われるのだという。
 そのとき、「いいぞ、矢沢、たのしめ!」と、
 もうひとりのじぶんから声をかけるのだという。
 
 そんなおまじないのようなことばが効くのかと言えば、
 まちがいない、「たしかに効く」のである。
 緊張や恐怖から逃げようとすると、ますます怖くなる。
 それよりは、緊張も恐怖も「よく来たな」と迎え入れる。
 それが「たのしめ!」なのだと思う。
 たった4文字で、これほどありがたい呪文はないよ。
 
 いまの時期、受験生なんかもそうだろうけれど、
 逃げ出したくなるような状況を前にしている人は、
 たくさんいると思う。
 そういう人たち、「たのしめ!」だよ。
 それで結果もうまく行くのかと問われれば、
 「それはわからない」としか答えられないのだけれど、
 つらくて逃げ出そうとしているじぶんよりも、
 「たのしむ」じぶんに会えるほうが、いいと思わない?

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
あと、「こっちから先に好きになる」ってのも、いいねー。

by hiroshimapop | 2017-02-18 00:38 | 日記 | Comments(0)
ぎっくり腰顛末
昨年末から私の廻りでも風邪やインフルエンザが流行っているので、ひさびさに会った人とはひとしきり、今回の風邪ひき体験談に盛り上がってます。

いやー。私も今回の風邪は、人生のなかで一番ひどい風邪でした。

なんと!咳をしすぎてぎっくり腰になりました(苦笑)。 ご高齢の方は咳をして肋骨が折れることもある、と聞いたことがありますが、まさか、ぎっくり腰になるとは。

はじめてぎっくり腰を体験したのは、約25年くらい前。ある朝、ワープロ(パソコンではなく)を持ち上げたとたん、グキっと音がしてそのまま腰砕け。あまりの痛さに立ち上がることができなくなり、ベッドとトイレの移動は、ほふく前進。

トイレに到着しても、トイレの便器を下から見上げて「あの便座にどうやって座ろうか」と途方に暮れるほど身体が起こせない。ようやく便座によじ登って用は済ませられたものの、洗面台は頭上遙かに高く、手は届かず・・・!この日はウエットテッシュが大活躍してました。

こんなぎっくり腰でも、ひまし油湿布を腰にしながら2日寝ていたら、翌日の夕方には立ち上がれるようになったので、近所の整体にヨロヨロと行き、3日めには会社に出社した記憶があります。


・・・この25年前のぎっくり腰より、遙かに今回の症状は軽かったのに、咳をするたびに腰と背中に痛みが走る。なんせ、脂肪も筋肉もついてない身の上ゆえ、腰痛が少し緩和したと思ったら咳で痛みがぶり返す。年末から風邪をひいたという友人数名に話を聞いたら、3週間、1ヶ月と咳が止まらなかったと聞いて、この咳が止まらないかぎり腰痛も軽減しないのかと暗澹たる思いでしたが、実際、咳→腰痛→休んでいるうちに痛みが少し緩和→咳→腰痛復活・・・の悪循環でありました。

ぎっくり腰になった10日後も相変わらず家の中や近所をヨロヨロ歩ける程度。椅子に座ると痛いので、ほぼ横になったまま。さらに大きな咳をしてしまうと、しばらく激痛で起き上がることも出来ず、マイケルが羽田に到着した時にも、ベッドの上でウンウン唸っておりました。


・・・そしてマイケルのイベントスタート。

会場設営にはどっちもしても役に立たないので、電車で座って会場に行けるよう時間をずらしてもらい、昼頃会場に到着。笑っても喋っても腰が痛いので、なんとも悲惨な状態でしたが、マイケル、もとは有能なるカイロプラクティックドクター。日に日に痛みが緩和し、何度マイケルに「私のために来日してくれてありがとう!」と云ったことか。

そして咳が止まらないと腰痛が治まらないと思っていたら、なんと、腰痛が軽くなったら咳も止まった! こんなことならタクシーに乗ってでも早めに整体に行っておけば良かったです。


・・・今回の風邪騒動。
私だけではなく、大峰山蛇の倉メンバーも年始からバタバタと風邪やインフルエンザで倒れたり、湿疹がでたりとかなり1月は体調を崩した人が多く、立春に向けてのデトックスだと云われてました。

友人知人の中でも私が一番症状が重かったんですが、修験道行者の友人いわく「今年の1月の浄化は激しかったけど、特にナオコさんは年末に370本の護摩木を持っていったでしょう。370本分の浄化が一度にあなたにかかってきたんでしょうねぇ」とのこと。

マジですか!

蛇の倉で先祖供養の大護摩があるときにはまたテンプル経由でお願いしたい、というリクエストが多いんですが、はてさて、その時、私の身にはどんなことが起こるのでしょうか? その時にまたぶっ倒れないよう、しばし身体も魂も鍛えておかなければ!


by hiroshimapop | 2017-02-14 18:40 | 日記 | Comments(0)
今年の冬至は富士山でスタート
毎年、秋くらいになると、今年の冬至はどこで日の出を見ようかしらとなんとなーく思いつつ過ごしています。2年前の冬至の日は、サンプラザ中野くんや友人たちと、「ミニ三種の神器巡り」と称して、明け方皇居で集合。そのまま車で名古屋の熱田神宮にお参りに行ったことも。さすがに伊勢までは廻る時間がなかったので、2/3種の神器巡りになってしまいましたが、イベント考えるの好きなんで、けっこう暦で遊んでます。

で、今年は富士山が見たい!ということで、前日の夜から山中湖に。

前の週の週間天気予報だと、この日はあいにく雨模様の予報。でもまぁ富士山のふもとにいるだけでもいいかなーとそのまま計画続行。

雨か曇天も覚悟して行ったら、これがなんと雲ひとつない晴天の朝。前日、厚い雲に覆われていた富士山の頂上も美しく晴れ渡ってました!

あな嬉し!

これぞ、The 日本の風景!ですね。

        赤富士とまでは行きませんでしたが、うっすら色づいて美しい!
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                    山中湖にあがる太陽
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             裾野の町は毎日富士山三昧ですねー。いいなぁー
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by hiroshimapop | 2016-12-27 21:11 | 日記 | Comments(0)
満月のときの私は狼ではなくコアラです
ネットやSNSでスーパームーンの話題が続いていたここ数日。あいにく横浜は雨の一日で、せっかくの満月の夜も、夕べは肉眼でその大きさを確認できませんでしたが、今夜は晴れそう。

…と、気持ちは満月を楽しみにしているものの、ここんとこ、満月のたびに、私は戦力外ニンゲンとなっております。

満月の前日から「あれ? 風邪をひいた? 微熱ある?」という体調となり、満月当日は身体が重く、腕の上げ下げすら重く感じるほどで、いつもはなんてことないことでも行動には意志力が必要。昨日は会社に行って仕事をしてましたが、思考も行動もスローでダルダル。

毎月通っている整体の先生からは「いつも忙しくしているから、身体が満月のエネルギーを利用して強制的にブレーカーを落としているのかもしれませんねー」と云われてしまいましたが、たしかに前日まで元気だったのに、翌朝目が醒めたら身体が動かないんですから、ブレーカーが落ちる、という表現がピッタリかも。


以前から同じようなことはあったものの、満月のたびに起こり始めたのはごく最近で、満月ほどではないものの、新月のときもやはり変調があるので、28日のうち、実に4~5日間、私の頭と身体はスローペースってことになります(困ったもんだ)。

生理があった時には、生理の間と排卵日が戦力外でしたから、いずれにしても、28日周期で波のように体調が移り変わる。。。

28日ごとに「風邪をひいた感じ+身体が怠くて重い」状態になってしまうの、なんとかならんかとネットで検索したら、同じような症状で悩んでいる方、多いようで、できる対策はどうやら「ゆっくり休む」「静かにすごす」。


フンコロガシ
は天の川をたよりにフンを転がし、友人は太陽と時間で東西南北が感覚的に分かるというのに、私が宇宙と自分の心や体が密接に関連しているのを体感するのが「満月のときに寝込む」というのはちょっと哀しい気がしますが、いずれにしても、これからは満月、新月のときには重要な予定は入れない。仕事が終わったらさっさと家に帰るを心がけたいと思います。

満月、新月のとき、私はコアラのようになっていますが、どうかご容赦を。


質問)男性も同じように月の満ち欠けで体調の波が起こりますかー?
by hiroshimapop | 2016-11-15 13:21 | 日記 | Comments(0)
『あゆみ観音堂』と『犬と猫と人間と』
ほぼ日刊イトイ新聞にアップされてた糸井重里さんの昨日のエッセイの一部です。
糸井さんの冒頭のエッセイ「今日のダーリン」はバックナンバーがなくて、新聞のようにそのまま流れてしまうので、自分のためにもコピペさせていただきます(無断コピペでスミマセン)。


・陸前高田のあるおばあちゃんが、観音堂を再建した。
 津波で観音さまごと流されてしまったお堂を、
 こんどは流されない高台に建てようと、思いたった。
 海の見える見晴らしのいい土地を買って、
 お堂を建てるための費用は、じぶんで用意した。
 小さくはないお金だけれど、個人で出せる範囲だった。
 その意気に感じた材木屋さんや、建築屋やさんや
 大工さんや、庭師さんやらが集まって、
 おばあちゃん個人の予算のままで、
 思いっきりしっかりしたお堂をつくろうとがんばった。
 奈良から復興支援で派遣されていた市の職員の方が、
 仏師さんに話をしてくれて、ご本尊が彫られていった。
 幼子のような表情の観音さまが、
 いま歩き出すという瞬間をとらえたご本尊は、
 「あゆみ観音」と名付けられた。
 個人が覚悟してやると決めたことが、
 新しいネットワークをつくってしまった。
 
 そういえば『犬と猫と人間と』という映画も、
 企画した稲葉恵子さんというおばあちゃんが、
 飯田基晴監督に声をかけ個人の資産で制作されたものだ。
 『あゆみ観音堂』と、『犬と猫と人間と』は、
 なんだか、とてもよく似ているなぁと思った。
 おばあちゃんのお金の使い道が、何かを変えてしまった。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ひとりからはじまることって、想像以上につよいんだよね。

近鉄が経営不振で球団をオリックスと合併させるべく動いていたとき、球団買収や新球団設立に名乗りをあげたのが当時のライブドア。その時の堀江さんの会見に、お金があるということは、球団を買うという発想ができるのかと私はビックリしたものでした。

そして『犬と猫と人間と』を映画館に見にいったとき、この映画が、たった一人の女性の思いと資金提供で作られたことを知りました。限りある自分の時間やお金をどういう意識で何に使うか・・・。こういう使い方もあるんだなぁと自分の枠が少しだけ大きくなった気がします。


by hiroshimapop | 2016-09-11 07:06 | 日記 | Comments(0)