毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

カテゴリ:日記( 531 )
この6月は自宅もデトックス
約2週間、風水コンサルタントのマークとずっと一緒にいたことが刺激となって、マークが帰国後、猛然と家の中の片づけを始めました。

いつも彼が帰ったあとは、家の中の片づけがしばしのマイブームになるのですが(笑)、今回は、いつもやっている範囲を超え、家具の移動も。5年ほど同じ景色で暮らしてるので、家の中の景色と動線を変えてみようかなと。ちょうど6月末は夏越の大祓ですから、それまでにはなんとか終わらせたいと思ってます。

我が家に溢れている本も、本棚に入りきらなくなった冊数分は時々まとめて処分してますが、今回は本棚の移動もやるので、かなりごっそり冊数を減そうと思ってはいるものの、ずっと積ん読のままだった本も、やはり読みたいので、どうなることやら。

で、今回の大きな見直しは、クローゼットの中の整理と、3.11のあと準備した災害防災品。大きなコンテナ2つ分の防災グッズと10リットル入りの水の箱2つ。これらがクローゼットの容積の1/3ほどを占めているので、コンテナの中身を全部取り出して消費期限が過ぎているものは処分し、中身を精査しなければ・・・。

私は一軒家に住んでいるので、これから秋までは、すぐに成長してしまう雑草の草取りと植木の剪定もひと仕事。昨日も夕方4時過ぎに戻ってきて、日が暮れるまで前庭の草取りしてました。裏庭の草取りはエンドレスで終わらない。

7月はマイケルさんのソマティックのイベントがあるので、短期決戦。この6月、家にいる時間は片づけと草取りですねー。

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by hiroshimapop | 2017-06-05 12:38 | 日記 | Comments(0)
ようこそ、3匹の仔猫たち
1日何度もアクセスしてしまうはなももさん家の動物家族に、3匹のチビ猫誕生!
母猫は、その3週間前に何処からかやってきたので、ドコさんと呼ばれていた見ず知らずの猫さん。出産間近にやってきたのは母猫さんの作戦か・・・? ここにいれば、自分のゴハンの心配も、子供たちの成長にも心配は無くなりますからねー。
もう動物ネットワークで、困ったときは『はなももさん家へ』というのが知れ渡っているみたいです。

大きい猫も小さな猫も、大人猫も年取った猫も、みんなもれなく可愛いですが、しばらくは日に日に大きくなる、このチビ猫たちの成長に癒されそうですー。

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私のお気に入りは、仔猫のあくびシリーズ。いっちょまえにアクビしてます。
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写真は全て、はなももさんのツイッターからの無断借用です(スミマセン)。




by hiroshimapop | 2017-05-19 17:45 | 日記 | Comments(0)
食べて、祈って、労働して
昨年から、ちょくちょく行くようになった奈良の蛇の倉七尾山。この春はいつもより長めに滞在してきました。

蛇の倉までは、東京から車で約9時間。休憩、仮眠を取りながら行くと、片道約12時間の道のりです。奈良市内に住んでいる方から、大峰山は遠すぎて、奈良在住の人も滅多に行きませんとメールが来ていましたが、ここんとこ、ほぼ毎月行ってます。

今回は5月3日の戸開け(奥の院が開く日)にある大祭前の準備のお手伝いを兼ねて行ったのですが、約半年間閉ざされていた奥の院までの参道掃除、大祭日は、予約分ですでに120名の来客予定があったので、その準備にてんてこ舞い。

朝5時前に起きて5時20分から宿舎で拝神と供養の祈り。会場を移して6時からは本堂で同じく拝神と供養の祈り。7時から朝食。朝食後は食器や鍋を洗って片づけて、その後は夕方まで色々な仕事を申しつかりました。朝9時の段階ですでにひと働きした感じがあったことも。朝5時起きだと1日の活動時間は長いー!

スタッフに「社長は、猫の手にもならないかもー」と完全にアテにできない人員扱いでしたが、それなりに労働してきましたー。

行者の行場ですから、食べること、何か仕事をすること、全てが『行』です・・・。

そして大峰山系の山々から流れるお水の美味しいこと! だからゴハンも美味しい!こちらでは、白ゴハンをお代わりすることは滅多にないですが、ほぼ毎食お代わり。
祈って食べて、働いて食べて、動いて食べて・・・。

ちなみに奥の院そのものは、今年は開きませんでしたが、「孔雀門前」までは上がれます。かつて奥の院も含め、蛇の倉は一般の人には全く閉ざされた場所で、聖者や霊眼を持つ人が自身の霊感によって探し当てて来るような閉ざされた行場でしたが、それが今では奥の院にあがる参道も一般の人にも解放されています。

それによって問題も色々起こっているようなのですが(このことはまたあらためて書きます)、9月23日までは奥の院からの霊気が直に感じられる「孔雀門前」まではあがれますし、「孔雀門前」では行者さんが簡単な説明とともに、一緒に般若心経を唱えて下さいます。

遠方からだと、下市口駅まで電車で行き、そこから洞川温泉(どろかわ)までバスに乗ります(約70分)。洞川温泉から蛇の倉までは歩いて15分くらいでしょうか。
アクセスはこちらでご確認下さい。
観光案内はこちら

   蛇の倉は奈良市内より気温は数度低いそうで、まだ桜が満開でした
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      お風呂は薪で焚きます。お風呂場まで薪を運んでいるところ・・・
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             疲れたら、ここで一休み
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嫁ケ茶屋のメニューも書きました。
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あっという間に売れちゃいましたが、嫁ヶ茶屋の女将手作り
2日がかりで作る『食べるラー油』
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by hiroshimapop | 2017-05-08 19:21 | 日記 | Comments(2)
猫の回覧板
先月、ひさびさに会ったイトコ、以前から、捨て猫や野良猫を世話して、里親捜しをよくしていると聞いていたので、「いま、何匹いるんですか?」と聞いてみたら、その数に絶句。

27匹おりました。

10年近く前に会ったときの3倍くらいに増えてる。

はなももさん家ですか!と、思わず私しか知らないネタの突っ込みを入れたりして・・・。

しかも全匹、室内飼い。

外を自由に歩けない分、家の中では自由にさせてるって言ってましたから、イトコの家の中がどんな状況かだいたい察しがつきます。壁も家具も、すでに猫仕様になってますねー。

テンプルで仕事をしているスタッフの1人は、イトコのことをよく知っているんですが、彼女いわく、そのイトコは、ずいぶん前から、里親を探しても里親になってくれる人が見つからなかったような身体の弱い猫や、あまりカワイクない猫を引き取って飼っていたらしい。。。そしてあまりキレイじゃなかった猫たちが、彼のもとでキレイになって最後は死んでいくのよーと。

イトコは、いま、毎朝病院に猫を連れて行くのが日課になっているとも言っておりましたが、その病院に払う金額も半端ない。

イトコ曰く「朝、玄関開けたとき、自分から家の中に入ってくるような仔は病院に連れていっても、あまり長く生きられないのが多いんだよねー」。

昔は、飼い猫や飼い犬は、最期、独りで死ぬために残った力を振り絞って外に出ていくって言われてましたが、ずっと独りで暮らしてきた猫たちは、最期は温かい家の中や人の手のぬくもりの中で死ぬためにイトコの家を探してくるのかも。

「病気になったらアイツの家にかけこめ」って近所中の猫に、猫の回覧板が回っていたりして・・。

猫の恩返しはまだないらしいですが、イトコが死んだときには、天国から、ミャーミャー賑やかな声でのお迎えがくることでしょう。

これははなももさんのところの食事前の風景。イトコん家は、この室内バージョンです。
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by hiroshimapop | 2017-04-04 07:12 | 日記 | Comments(0)
大阪エリア、尼崎エリアにお住まいのマッサージセラピスト募集
先日、インタビューをアップさせていただきました山口弘美さん。
修験の行者でもありますが、普段はマッサージセラピストとして活躍中です。その山口さんはスポーツジムにマッサージセラピストを派遣する会社もお持ちで、いま、兵庫県の尼崎にあるスポーツジムで仕事ができるセラピストを募集中です。

実は、山口さんにはケイシー流のオイルマッサージ法を取り入れたり、テンプルの『大地と光』や『森と光』のマッサージオイルを使っていただけるよう交渉中で、その尼崎のスペースを関西でケイシー流のマッサージオイルを体験できる場所にできたらとも考えています。

募集は、尼崎に通える方で、オイルマッサージの施術ができる方が第一希望ですが、これからマッサージセラピストとして仕事をしたいと思われている熱意のある方であれば、指導もして下さるそうです(エステティックのマッサージです)。週に数日勤務も可能です。

希望の方は履歴書を山口さんのオフィスまでお送り下さい。
履歴書の宛先、お問合せは contact(あっと)maple-therapy.jp ←(あっと)を@に変更して下さい。雇用条件などは委細面談にて

山口弘美さんのインタビューページはこちら


by hiroshimapop | 2017-03-30 06:25 | 日記 | Comments(0)
神武天皇と近所のバス停
広島に住んでいる、しかも歴史好きじゃないと興味ない話題だと思います。すみません、メモを兼ねて書かせて下さい・・・。

先日、広島の福山に行く用事があり、そういえばあのあたりは神功皇后の云われのある場所があったハズ。そこに寄ってみよう・・・とネット検索していたら、なんと、福山でも、神功皇后でもなく、中学、高校時代、朝夕、毎日通り過ぎていた我が故郷の近所の神社の名前がネットの画面に登場・・・!?

私は広島市内から北に約40キロほど入った吉田町という町で生まれ育ったんですが、中学時代に可愛(えの)という地域に引越。毎日、宮之城(みやのじょう)というバス停からバスに乗って学校に通うようになりました。当時は神社にも神様にも全く興味なく、単に毎朝目にするだけの神社だったんですが、その片田舎の小さな神社、神武天皇がしばらく滞在されたといういわれのある神社でした。

神武天皇は伝説上の人物だとされ、実在していなかったとも云われていますが、各地に伝承、伝説が残っていることを考えると、それ相当の方は実在していたはず。あのあたりでいったい何をされていたのでしょう?

ついでに、高校の裏手には清神社(すがじんじゃ)という神社があるんですが、そのあたりはスサノオが八岐大蛇を退治した場所という伝承もあり、その神社から山の中に少しあがると、毛利元就の墓所もあります。

鹿児島にある可愛(えの)山稜はニニギノミコトの御陵だと云われていますが、可愛という地名にも何か共通の云われがあるんでしょうか?

今でも何もない田舎の町ですが、さらに何にもない可愛の宮之城に神武天皇は何故、居を構えられたのか、その理由、興味あります・・・


神武天皇の広島での動き
高田郡吉田町宮之城・・・内陸部に入り、宮之城の丘陵にある埃宮神社にしばらく滞在。

埃宮周辺の巡幸が終わり、一帯の豪族たちの協力が得られたので、いよいよ北部地方を目指して巡幸をすることになった。太田川を可部まで進み、壁から現在の国道54号線に沿って梶の谷川を遡り、江の川水系に入った。川を下り宮之城に宮を造った。埃宮神社の地が宮跡である。伝承では三年ここに滞在したことになっている。この周辺はその昔スサノオ命が滞在した処で、スサノオ信仰が特に強い

神武天皇の広島での動きその2
『古事記』の多理の宮は広島県安芸郡府中町にあったとされる。
いっぽう、『日本書紀』の記す埃の宮は、昔の安芸の国高田郡可愛(え)村の、吉田、山手の付近とされる。「可愛」の地名は、日向の邇邇芸の命の可愛の山陵や、『日本書紀』の一書に、須佐の男の命が安芸の国の可愛の川上に天降ったとする伝承などに現れ、これらの伝承と関係があるのかもしれない。

2-7.高田郡吉田町宮之城

山手村可愛宮の儀は人皇第一代神武天皇三年御在城、御軍勝利の地なり。是によって神武天皇を祭る。 「可愛宮の記」より


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by hiroshimapop | 2017-03-21 12:08 | 日記 | Comments(0)
水師営会見所
昨日聞いたファミリーヒストリー、その2

日露戦争終結時、ロシア側のステッセル将軍と乃木大将との会見が中国、旅順で行われました。その会見の様子は、日本の唱歌(もしくは軍歌)にもなっているそうで、70歳台の方はもしかしたら、覚えているかもしれません。

こんな歌です。



さて、この会見が行われた建物、いま残っているのは再建されたものらしいのですが、この歴史的な会見場所と私のファミリーヒストリーがどう重なるのか・・・。

いやぁ、まさか曾祖父と乃木大将がこんな形で繋がるとは思ってもいませんでしたよー。

母方の曾祖父は書が大変によく出来た人で、アチコチに曾祖父の筆となる碑や掛け軸が残っているそうなのですが(このDNAも私は引き継がず(涙))、たまたま曾祖父が旅順に滞在中にこの会見が開かれることとなり、この建物に『水師営会見所』という表札を書くために曾祖父が呼ばれ、書かせていただいたらしいのです。

この曾祖父が書いた『水師営会見所』の書。その後、文鎮になったそうで、こんなの取っている人いるかなぁと検索してみたら、ちゃんと出てました。

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水師営会見のことはネット検索するとたくさん出てきます。
たとえばこちら

ちなみに、この要輔お祖父さん、いま話題の教育勅語を1000枚、筆で書いて廻りの人に配ったそうで、叔母も何枚か受け取り、うち1枚は正絹に朱で書いてあったそう。

こういうファミリーヒストリーのあれこれ、母はたくさん知っており、私もたくさん聞いてきたのに、今はすっかり忘却の彼方。叔母たちの記憶がまだしっかりしているうちに聞いてメモしておかないと、永遠に消えてしまいますねー。


by hiroshimapop | 2017-03-08 07:19 | 日記 | Comments(0)
窪田幸左衛門さん
広島の世羅郡という少々辺鄙なところにあった光田家のお墓。あまりに遠すぎて、私が1年に1回お墓参りに行くのがやっとという状況が続いていたこともあり、いよいよそのお墓を横浜に移転することとなりました。

今日は、その新しくできたそのお墓の納骨の日でした。

久しぶりに一同に介した親戚の面々。叔父や叔母から私たちが生まれる前の家族の歴史や逸話が聴けるのも楽しい時間です。

そこで「これまで知らなかったファミリーヒストリー」がいくつか登場。私が忘れる前に、覚え書きを兼ねてブログに書いときます。完全に私用のブログです、スミマセン。


母から、母方の曾祖母の実家は、山梨に大きなお屋敷を持っていたのに、戦後の農地改革でそのほとんどを失った、と聞いたことがあるのですが、そのお屋敷と同じ家なのかどうか、母方の先祖の1人が本日判明。

叔母たちが「山梨の郷土資料館や郷土史に載っている人よ。窪田という名字で、大きな水路を山梨にたくさん作った人。大きなお屋敷に住んでたんだけど、誰も住まなくなったから、今は市の資料館になっているはず」とゴニョゴニョ話すのを聴きながら、ネットで検索したら、出てきましたー。

窪田幸左衛門さん。

このサイトにはこう書かれています。
山梨県歴史上最高の土木技術者 明野村浅尾新田 窪田幸左衛門

窪田幸左衛門のかかわった山梨県下の諸堰
資料(『明野村誌』資料編 第十四編 明野村内の各種用水堰)一部加筆

明野村内における窪田幸左衛門の事跡とその業跡は、各種堰史の中に縷々述べてあるので、その資料の重複をさけるが、この項には特に明野村以外の水利事業に貢献した足跡を若干紹介してみたい。
窪田幸文家に残される資料だけからみても、それは驚くべき広域にわたっている。

たとえば
隣村江草村の嘉納堰(文政七年 一八二四)
塩川筋比志村の定式用水路(文政九年 一八二六)
穴平村の遠照寺堰(天保二年 一八三一)
神戸村の用水堰(天保三年 一八三二)
都留郡平栗村用水路(天保四年 一八三三)
一宮村宮堰の再修(天保五年 一八三四)
柳平・上今井・長久保三力村の八ヶ岳谷水の引水願い(天保十二年一八四一)
甲府上府中町々の飲用水(天保十四年 一八四三)
等、編纂資料のごとくである。
そのはか幸左衛門が普請のため見分に歩いたことを証明する添書、添触、御用書付、荷物添触等によってみると、谷村辺用水路、上野原宿用水路、遠くは駿州安倍川通りにまで及んでいる。
~以下、たくさん書かれています~


おー、すごいじゃないですか! 残念ながら、私はこのDNAを受け継いでおりませぬが、明野町は町の名前のとおり、明るくとても良いところでした。そっかー、あそこに先祖が住んでいたんですねー。そして、窪田辛左衛門さん、高齢になってもずっと現役で活躍されたらしく『不世出の遺業を成し遂げた傑物』とまで書かれています。嬉しいかぎり。

八十歳過ぎの高齢でありながら、新倉掘技工事には遠路遥々茅ケ岳山麓から出張を繰り返しており、船津村村民を説得したり、新倉村村民の協力を求めて、まさに東奔西走の毎日を送って、この事業の完遂を図っているのである。
このように窪田辛左衛門の一生は、まさに明野村一村の水利に貢献した人というよりも、近代の夜明け前に、不世出の遺業を成し遂げた傑物といってよいだろう。

住んでいたお屋敷は資料館になっていたと叔母たちは云っていましたが、検索では探しきれませんでした。山梨県にお住まいの方でご存じの方がいらしたら、教えて下さい。是非一度、訪れたいと思います。


       こんな方です。ひーひーおじいちゃんくらいでしょうか
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by hiroshimapop | 2017-03-07 17:07 | 日記 | Comments(0)
羽を無くしたインコのRheaちゃん
フェイスブックで紹介されるたびに、何度もクリックしてしまう羽を無くしたインコのRheaちゃんの動画。

生まれたばかりの頃、ウイルスに感染して羽が生えなくなってしまったこの鳥。人間だったら、きっと気に病んでしまう状況でしょうが、Rheaちゃんは自分のこと、可哀相な鳥だとは絶対に思ってないはず。この幸せそうな様子!

自分の容姿や生まれた境遇をクヨクヨ悩んでしまうのは人間だけ・・・?
Rheaちゃんの幸せそうな歌声聴きながら、置かれた場所で咲かなきゃなぁと人間の私は反省したり・・・


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by hiroshimapop | 2017-03-06 12:08 | 日記 | Comments(0)
ホームにて
昨日、中島みゆきさんの歌を様々な歌手の方が歌うリスペクトライブに行ってきました。2階席の隅っこの席で遠すぎて歌手の顔は見えず・・・。さらに前の座席の方が前のめりで聴かれるので、その人の頭が死角となって私はステージを見るために身体をずっと傾けていた・・・というなんとも哀しい状況でしたが(泣)、コンサートはハートフルで素敵な時間となりました。

歌手の方にも中島みゆきさんの歌に思い出あり、そして聴く人それぞれにもやはり思い出があり・・・

私が高校の頃は、中島みゆきさんのオールナイトニッポンが毎週1回ラジオから流れており、私は真夜中に頑張って聴いてました。当時つきあってた幼なじみとは遠距離恋愛だったこともあり、毎週のその2時間が唯一「同じ音を共有できる」時。だから、中島みゆきさんの歌はよく聴いてました。

いやぁ、甘酸っぱく懐かしい。

そして、昨日歌われた1曲が「ホームにて」。こんな歌です(1分頃からスタート)



その歌を聴きながら私の心に浮かんできていたのは、夜のホーム、夜の寝台特急電車。
田舎の夜のホームって独特なんですよねぇ。

小学校の頃までは新幹線がまだ広島に通ってない時代。夏休みや冬休みになると、東京や横浜に住んでいる親戚に会いに、家族で乗るのは東京までの寝台特急。夜9時頃広島駅を出ると朝、東京に到着します。

狭い寝台車のベッドの中で窓に顔をつけ、ガタンゴトン走る電車の音、時々きしむレールの音、踏切の音、そんな音を聴きながら、通り過ぎていく家々の灯りや景色を見るのが好きでした。たぶん一生会うこともすれ違うこともない人たちの暮らしの灯りや、歩くこともないだろう道を電車の窓から見ているっていうのがなんだか不思議で・・・。飽きることなくずっと見てました。

寝台車、大人になって1回だけ出雲に行くときに乗りましたが、今は寝台車で旅をする方が時間もお金も贅沢。でも電車に揺られながら寝るのって、これがまたいいんだなぁ。
あー、また寝台車に乗ってどこかに行きたい・・・。

by hiroshimapop | 2017-02-20 11:56 | 日記 | Comments(0)