毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

カテゴリ:日本の聖地巡り( 54 )
神社を護るということ
昨日は4時半起きで広島に帰省。
もうすぐ両親が住んでいた家を売却するので、その前の最終確認のため・・・。

自宅にあった山のような本は町の公民館にすでに寄付。また父の仕事関係の書類や、毎年税務署の人に褒めらるほどキチンと書いていた帳簿類や家計簿は、母が再入院する前に帰って全部消却処分したので、事務所のロッカーの中は空っぽ。

ただ両親や私たちが子どもの頃に着ていた洋服はタンスの中に入ったまま。そして家具や食器類もそのまんま。

でも、もうこれは東京に持ってくるわけにはいかないので、全部そのまま置いてきた。

母が、父と二人で長年築いてきた仕事の歴史や保管してきた仕事の書類、家計簿をどんな気持ちで全部焼いてたのか、それを思うと、切なくなりますが、それも人生。人は老い、そして代は次々とうつりかわっていくんですものね。

まだ本棚には、公民館の人が引き取らなかった30年~40年以上前の中国やソビエトの写真集や満蒙開拓青少年義勇軍やベトナム戦争などの本が残っていたので、それは友人が欲しいっていうので、差し上げた。
世界の美術館の写真集なんかも、まだ残っていたけど、これは、あまりに場所をとるので、誰も引き取り手が現れず・・・・・。キレイな全集だったんだけど、東京の家に置く場所はない!


さて、実家の整理のあとは、長年の懸案だった我が町の宇佐神社さがし。

宇佐とは、不思議なご縁があって、大分の宇佐八幡には時々お参りに行っているのに、私の産土神社だと判明した、生まれ故郷の宇佐神社は、在処わからず、ずっと行けないまま。


というのも、
何年か前、自分の産土神社を見つけるという山田雅晴さんのセミナーに参加したときのこと。

私は全く信心のない父親のもとで生まれ育ったおかげで、お宮参りも七五三もなく、子どもの頃は、家にも仏壇も神棚もなく、初詣さえほとんど行ったことがなかった人間なので、どこが産土神社かは全く知らず、また、気にもせず育っておりましたが、それでも、子どもの頃、庭のようにしてよく遊んでいた2つの神社が近くにあったので、きっとそこが産土神社だろうと・・・。

ところが、なんと、そのときには存在さえ知らなかった「宇佐神社」がそうだと言われ、ビックリ。

地図には載っているけど、それがどこにあるか、誰も知らない。
父をむりやり説得して、1度、探してみたものの、全く場所が分からず。そして、気にはなりつつ、そのまま10年近くの月日がが経ち・・・・。

でも、もう家を売ってしまうことだし、もう町に行くことは滅多になくなることから、ここでご挨拶しておかないと、もう一生、その神社に行くことはできないだろうと覚悟を決めて、今回は、友人を巻き込んでの神社探し・・・。

大変でした。

該当の住所付近に八幡宮が2カ所あったので、ここかな?って思ってみたものの近所の人に聞くと、それは別の神社。 宇佐神社は、もっと奥だからもっと山の奥に入って、そこで人を見つけたら、またその人に聞きなさい、と言われること数度。

人に道を聞くたびに「もっと山奥」と言われ、細い町道を車を走り山道を走っても、行けども行けども神社はない。そのうち、だんだん道を聞ける人もいなくなり、「どこだ~」って途方に暮れていたら、ようやく「あそこの杉林の奥が宇佐神社だよ」と教えてくれる人に出逢い、なんとか到達。

都会とちがい、目印になるような「角のたばこ屋」も「お店」もなく、畑のなかにポツリポツリと民家があるだけの道の間をくぐって行ったので、もう1回行こうとしても、もう2度と行けそうにないような場所に、その神社はありました。

なぜか車では行けないようになっている門扉をくぐり山道を歩くこと数分・・・・。
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ようやく到着した宇佐神社は、こんな神社。
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広い敷地に小さいけど、手入れの行き届いた拝殿と本殿・・・・。
そしてその前にあるのは、おそらく神楽殿。広島は神楽の盛んな場所で、うちの町にある神社には小さいけど必ず神楽を奉納する神楽殿があるのです。
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由来諸には、
祭神は品陀和気命 (※和気清麻呂のことかと思ったら応神天皇の別名だそう)
相殿に、経津主神(ふつぬしのかみ)
伊邪奈美命
猿田彦命
とありました。今の神社は、宝永元年1704年に再建されたもので、由緒はかなり古いもののよう。宇佐神社神儀舞が神事として町の無形文化財に指定されているそう。


今回の神社探しで、これまでお参りしたことの無かった神社も行きましたが、道を走っていて、こんもりとした森が見つかると、その森は必ず神社あり。

鳥居をくぐって長くて急な石段を登っていくと、そこにはやはり神楽殿、拝殿、本殿が。
人はいないものの、どこもキレイに掃き清められ、近所の人たちに大事に護られている様子が手に取るように感じられる。

街角、街角と至るところにあるコンビニエンスストアより、日本は神社の数のほうが多い。そしてどの神社も、そこの住民に大切に護られている。

日本人は宗教も信仰心ものない国民だというけど、こうやって神社がずっと町の人たちに護られているっていうのはスゴイことだよって、以前、ある人に言われたことがありましたが、我が町の神社も、どこも無人の小さな神社だったけど、キレイに手入れされていて、なんだか、とっても嬉しくなってしまいました。
by hiroshimapop | 2008-11-03 23:37 | 日本の聖地巡り | Comments(0)
宇佐八幡に初詣
昨日、5時前に起きて大分の宇佐八幡神宮に初詣。
節分の昨日、東京は大雪(といっても、たかだか3cm。3cmで大雪って表現されてしまう東京の、なんと脆弱なこと!)。節分に大雪が降るなんて、なんだか意味深だなあと思いつつ・・。
時間通りに飛行機は乗ったものの、飛行機に積もった雪の除雪待ちでなかなか出発できず、九州に着いたのは11時半頃。

お昼頃に宇佐に到着する予定だったのに、宇佐に到着できたのは、2時半。
宇佐神社で、のんびり過ごす予定が、夕方、友人との待ち合わせもあり、滞在時間はなんと30分でタクシーで駅にとんぼ返り。
朝6時すぎに自宅を出て、8時間半かかったのに、目的地の滞在時間が30分というのは、これいかに?という感じですが、まあ、仕方ないですね。宇佐は雨模様で寒かったし。

宇佐八幡は、もう10年以上前でしょうか。当時、ご縁があった霊能者の方々に続けざまに「宇佐八幡にお参りに行きなさい」とか「和気清麻呂について調べてみたほうがいいよ」と言われ、なにがなんだか、分からないままにお参りに来たのが最初。

その後、ホントに和気清麻呂とのご縁があったのかどうか、ある霊能者にちゃんと聞いてみたところ、彼の側近の一人で、隠密に使命を帯びて行動中に殺されてしまった過去があるらしいです。

その使命。何か天皇家か政治に関することで、文書にすることのできない非常に機密性の高いものだったらしい、と言われたのですが、運動神経ゼロ。足も遅く、とても機敏とは言えない自分を省みると、ホントか?と思う部分もありながら、まあ、証明もできないので「そういうこともあったのかも」というスタンスでいます。

でも、その後、面白かったことが2つ。

1つは、私の産土神社を調べてもらったところ、出た神社の名前が「宇佐神社」。近所にあって、よく遊びに行っていた2つの神社の名前ではなく。。。。
地図上では、確かに生まれた町には宇佐神社があるらしいので、1度はお参りに行きたいとは思いつつ遠いので、いまだに行けないまま「本部」にお参りに行ってしまっておりますが。

2つめは、和気清麻呂について、何冊か読んだあとくらいに、あるセミナーに参加したときのエピソード。
そのセミナーの休憩中。トイレに行こうとドアに向かっていたら、すれ違いざまに、ある女性が私に一言。「私さあ、前世で広虫の作った孤児院で育ったらしいのよ」

断言して言いますが、唐突にセミナールームのドアのところで「広虫だの孤児院だの」言われても、何のことか、すぐに分かったのって、私だけだと思います。セミナー会場だけではなく、日本広しといえども、話しの脈略もなく、突然、すれ違いざまに、そんな言葉を投げられて意味が通じた人って、ほとんどいないでしょう。

でも、私にはすぐに彼女が誰のことを言っていたのか、すぐに分かったんです。だって、広虫は、清麻呂の姉で、日本で最初に孤児院を作った人なんですもの・・・。ちなみに、その時の彼女、ちょっとした乞食ルックでした(皺加工をしたコットンのフレアスカートの重ね履きに、鍵編みのカーディガンに帽子)。


という経緯があり、その後、数年に1回ですが、宇佐神社にはお参りに来るようにしているんですが、先週、フト今年のスケジュール表を眺めていたら、なんと節分が日曜日。あ、これは宇佐にお参りに行くいい日程かも、と急遽、予定変更で九州に行くことにしたのでした。

ところが、ここで不思議なことが。
猫もいるし、ホントは日帰りで宇佐に行く予定が、JALのチケットを買おうと何度ネットでトライしても「取扱できません」の表示で買えない。

売り切れでもないのに、変だなあと思いつつ、数日後、再トライしようとしたら、なんと、すでに最終の東京行きのチケットが完売。あんまりだ~と思いつつも、次に、日曜日が空いているのは5月下旬。2/3を逃したら、今年はもう行けないってことになりそうだったので、
小倉に1泊することにして、ようやく購入。

でも、お金は余分にかかってしまいましたが、1泊への予定変更は正解でした。雪が降って、飛行機が遅れたし、夕方、友人ともゆっくり話しをする時間ができたし・・・。

そして、その友人も、長年、節分は、日本各地の神社に行ってご神事をしている人なのに、10数年ぶりに「今年は、何故か神様からのお呼びがかからなかったから~」と九州にいて、奇跡的に彼女に会えたのでした。

そんなこんなで、ちょっと用事があって、夜、東京の知り合いに電話をしたら、
さらに、驚くべきことが1つ、判明。

私が、宇佐にお参りにくることになった経緯を彼女に説明をしたところ・・・。

なーんと、彼女、以前、過去生退行中、見つけた自分の過去生の1つが和気清麻呂だったらしいんです。しかも、それまで、彼女は宇佐という地名も清麻呂の名前なんて、聞いたこともなく、あとで、歴史を調べて初めて彼の名前と史実を知ったらしいんですが。

これも、証明はできないことなので、ホンマか?ってところですが、まあ、そうであっても、そうじゃなくても、今は、そのほうが面白いので、そのノリで行きましょうかってところでしょうか?

偶然、知り合った彼女が清麻呂で、私は彼女の腹心。あとは道鏡と孝謙天皇、広虫が登場すれば、さらに面白い!
by hiroshimapop | 2008-02-04 14:42 | 日本の聖地巡り | Comments(1)
伊勢の月次祭(つきなみさい)
ようやく、話しは伊勢の月次祭へ。

五十鈴川で水行をしたあと、すぐさま、今度は正装(男性はスーツ姿、女性はそれに準ずる服)に着替えて集合。

夜の伊勢神宮に入れるなんて、それだけでワクワク。
一緒にいったイトコなんて、生まれて初めてのお伊勢参りが、月次祭なんて、なんとラッキーなヤツ。

内宮は、鳥居をくぐるとすぐに小さな太鼓橋がある。
その太鼓橋を渡っていると、ちょうど目の前は満天の星空。東京では見ることができないほど、たくさんの星々が輝いている。しかも正面に見えるのはオリオン座。
なんだかオリオン座に向かって歩いている錯覚を覚えながら、一行は内宮の奥へ。

1時間近く待ち、ようやく神官の方々が登場しはじめる。

皇居で行われる重要な神事は秘やかに行われるように、今回の神事も特に何がされているのか、事前の解説がないまま私たちは参加。なので、実際のところ、いま目の前でなされている神事が、どういう意味があり、どういったものなのかは全く分からない。
ただ、ひたすらに、神官の方々が厳かに神ごとをされているのを遠巻きに見学させていただく。

きっとこれも頭や知識、常識ではなく、心と身体と五感で感じなさいという配慮なのでしょう。

一般参加者は合計300人ということだったけど、いやあ、300人がマックスだと思う。
だって、静寂を保つために、沈黙のまま参列が義務づけられているのに、なにしろ誰かが喋っている。300人いれば、全員が沈黙っていうのは難しいわね。参加者同士、よく喋る。しかも、フツーの声で喋る。

出雲で毎年11月に行われている神在祭の神迎えの神事に、以前、参加したときも、お喋りと写真撮影は不可だと、事前に何度も念押しされたのにもかかわらず、始まったとたん、アチコチでカメラのフラッシュはたかれ、オバサン、オジサンは、騒ぎ出す。

観光化されてしまえば、観光気分の人が集まり始めるので、カメラのフラッシュと大騒ぎはもう止められないのかも。

そういう意味では、限定300人であれば、誰かお喋りな人がいたとしても、まだ許容範囲かも。

話し戻って、神官一行にたった一人、年輩の女性が混じっている。しかも先頭を歩いているということは、重要な働きを担っているらしい。聞けば、伊勢は皇室との深い繋がりがある神社なので、いまでも、大宮司は皇族から配されているし、今回の月次祭の祭主も昭和天皇第四皇女の池田厚子氏がされているとか。一人女性が混じっている、という霊的な意味に興味がわいたけど、きっと誰に聞いても、その意味は分からないんだろうなぁ。まあ、知ったからといって、だからどうなんだ、ということでもあるんですが・・・。

ご神事は、御正宮、荒祭宮を含む、4箇所で行われるので、神官が移動されれば私たちも移動。神事が始まればそこに留まって遠くから拝観(もしくは終わるまで待機)。
それを繰り返して、終わったのは夜の11時半。
タイムスリップして、平安絵巻を見ているような、不思議な感覚。

何が起こっているのか頭では分からないから、神官の方々が歩く玉砂利の音、柏手の音、正宮の重い木の扉が閉まる音、天井に輝く星の瞬き、その全てに神経を集中させる。
(伊勢の扉が閉まる音なんて、私ははじめて聞いたぞ!)

日々をコンクリートと鉄筋に囲まれて過ごしている私からすれば、こういう神事が2000年間変わることなく日本に残り、そして、これからも続くであろう、ということがすでに奇跡のように思う。

昔、友人に誘われてキリスト教の教会に行ったとき、午後にあった青年部の集まりのようなものにも参加させてもらったことがある。驚くことに、そこの教会の信者さん、誰もイエスの奇跡を信じていない。マリアの処女懐妊も、イエスが行った様々な奇跡も、寓話として受け取っている。
まして、いまもイエスが働いていることさえ、疑っている。

10人ほどいたメンバーのうち、唯一、聖書の言葉とイエスの奇跡を信じていたのは、キリスト教徒でもなく、教会にもクリスマスのイブのミサに2~3回行っただけの私だけだったのは、心の底から驚いたけど(ケイシーのおかげよ~!)、伊勢を守っている人たちは、きっと神の臨存、神のお働きを日々実感しているんでしょうね。

さもなければ、2000年も続かないですもの。

日本人は無神論者が多い、無宗教者が多いというけど、それにも関わらず、日本は神社仏閣だらけの国だ。私もどこかを旅行すると、神社に行き、お寺を歩いている。

徹底した無神論者だった父は、神社もお寺も、ポリシーとして足を踏み入れようとしなかったけど、日本広しといえども、きっと父ぐらいじゃないかしら? 絶対、神に手を合わせないって心に誓っていたのは。

伊勢神宮では、天皇家の繁栄、国家の繁栄、国民の幸せを祈ってくださっているとか。
修養団の方は、伊勢は日本人の故郷のようなところです、とおっしゃってましたが、私は、日本人でありながら、日本の神社の役割について、あんまり知らないことを実感。
これを機に、ちょっと勉強してみます。

写真は、伊勢神宮のフォトアルバムに1枚だけありました。
興味がある方はここをクリックして3ページ目を見てください。
by hiroshimapop | 2007-12-19 15:54 | 日本の聖地巡り | Comments(1)
五十鈴川に浸かる
日曜日の伊勢のお祭りの前、私たちは五十鈴川で水行を体験してきた。

折しも伊勢のあたりは日曜日から寒波到来。前日にはポカポカ天気だったのに、急に寒くなり、伊勢についた私たちを寒風が迎えてくれた。
ダウンコートを着ていても、なんだか寒いのに「これで夜に川に入るの??」と私は、すでにビビリ気味。コートを脱ぎ、セーター1枚になって洗面所に行くと、やっぱり寒い。
川に入るとき着ることができるのは、薄い木綿の白装束1枚。
「今日は寒いし、いま風邪を引いたらまずい、今日はパスしようかなぁ」なんて、かなり弱腰。
修養団の人も、入りたくなかったら入らなくていいよ、って言っていたし、入らないことにしようかなぁと、8対2の割合で、「入らない」に軍配をあげていた。

・・・ところが水行の入り方の講義のとき、
「今日、水に入らない人!」って修養団の人からの質問に、「ハイ!」と元気よく手をあげたのは、静岡の小林さん。小林さんは、もう20年前に入ったからもういいよ、と最初から入る気なし。

参加者の中には60代、70代の人も多いのに、小林さん以外、誰も「パス!」って言わない。
見るからに風邪ひきの人も入るって言っている。

うーん。たとえ70代の人でも、パス仲間がいたら私もパスしやすいのに、誰もパスしないっていうのは、かなりプレッシャー。

講義のあと、女性全員に白装束が配られる。
私はすっかり「もうどうにでもなれ」気分。これは覚悟をきめんといけんわ、と、ここでようやく私もギブアップ。

夏の暑い時期ではなく、今日この極寒の夜の川に、素直に入ることにします。

男性はフンドシ1枚。女性用は白装束。ところがこの白装束、ホントに薄い。2年ほど前に五十鈴川の水行をしたことがある友人は、水着を着たっていっていたけど、水着を着たら着替えが大変そうだし、どうせ夜だからと、素肌の上にそのまま着る。パンツは念のため履いておく。

修養団から五十鈴川までは装束の上に、洋服を着ていけたので、寒いのは川の近辺だけ。昼間、土産店がが並んでいる路地の一角に目隠しがされているので、そこで洋服とダウンコートを脱いで、川に入る準備を整える。

五十鈴川では、男性陣が川に向かって数列で並んでいる。全員フンドシ姿だけど、夜だし、私たちも寒いしで、誰が誰だか、若いのか年寄りなのか、それさえ分からない。
男性陣の背中を見ながら私たちも、その列の横に並ぶ。

並んだと思ったら、水行の前の体操が始まり、あっという間に川にジャブジャブ入り出した。
気合いを入れるため呪文のように「せいかんたんれん」と言いながら入って行ったんだけど、入る前は冷たいだろうな、と思っていた川の水。予想外に冷たくない。
これなら大丈夫そうって一安心。

ところが、水に入ったあとで、和歌を詠んだりしているうちに、川の水はどんどん冷たさを増す。
冷たいというより痛い。身体がどんどんしびれてくる。女性の誰かからも悲鳴のような声が聞こえ始めたとき、ようやく川から出る合図が出て、川岸に戻る。

男性陣は、女性陣が全員岸からいなくなるまで、川岸で体操をしているらしい。私たちは、とにかく冷えた身体を温めるために、一目山に、着替えの場所に戻る。
水に濡れたら木綿が身体に張りつくことを誰もが心配していたけど、人目を気にしている余裕も、人の身体を見ている余裕なんて全くない。

私は背が低いグループで、川岸に一番近い列にいたので、比較的早く脱衣所に戻れたけど、みんな、ひたすら身体が冷たく、着替えに急ぐ。

ようや着替え終わって、一安心。

修養団では、水行が終わると「おめでとう」と言い合うらしいけど、ホントにおめでとうの気分。
嫌なものは先に済ませるのがいいっていうけど、さっさと水行があって良かった。

赤塚さんは、五十鈴川の禊ぎだと言っていたけど、禊ぎにはなったかどうか。

四国のお遍路で、1日40km歩いた後は「○○町まで20km」なんて標識を見ると「この距離だったら楽に歩ける」って思ったもんですが、いまは「1月、2月以外の川だったら、いつでも浸かれる」という気分になっているのが自分でも可笑しい。
by hiroshimapop | 2007-12-18 22:33 | 日本の聖地巡り | Comments(3)