毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

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カテゴリ:日本の聖地巡り( 53 )
人間万事塞翁が馬(塩竃神社編)
仙台セミナーの休憩中、参加者のお一人が、塩竃神社の塩をお土産に持ってきて下さいました。

み「今朝、塩竃神社さんに行こうと思ってたのに、行けなかったので、夕方終わってからお参りに行く予定なんですよー」
Sさん「あら、タイミングよく、今日の夜は塩竃神社の春の大祭ですよ。御神輿を担いで神社の階段をのぼるのが夜の8時半頃なので、それを見て帰られるといいですねー」

なんと、なんと! 運良く、日曜日は春の大祭。しかも、メインイベントは夜! そのSさん、塩竃神社のすぐ近くにお住まいで、車で仙台に来ているとのこと。

「うわー。それだったら、一緒に夜の大祭に行きませんか?」と、半ば強引にお誘いして、塩竃神社に車で連れていっていただきました!

塩竃神社は、四季折々の木々や草花が植えられた大きな公園のようななかにある神社で、ゆっくり散策するのも気持ち良さそう! 

あいにく日曜日は気温がグッと下がり、朝から寒い1日で、しかも私は夜遅くまで東北にいる予定なく身支度してしまったために、かなり肌寒い!Sさんも、同じく薄手の洋服だったので、ゆっくりブラブラ散策する気温でもなく、本殿にお参りしたあとは、お祭り本番までは近くで食事をすることに・・・。

聞けば、Sさん、週に何日かは朝、塩竃神社にお参りに。そして神官の皆様が祝詞をよまれるときには一緒に祝詞を唱えていらっしゃるとのこと。そして、私があまりの迫力で恐くて行けなかった吉福伸逸さんのワークに何度も参加されている方でありました。

塩竃神社にお参りに行きたーいと思っていたら、神様は、ドンぴしゃな方を私に導いて下さいました。

        塩竃神社の「塩」はこんな字です
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         表参道の約200段の階段
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お祭りの夜は、御輿が街を練り歩きます。ワッショイ、ワッショイというかけ声も、賑やかなお囃子もなく、静かに御輿は進みます
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神社の鳥居前に到着 一休み中
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御輿はこれから、この階段を上がられます
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いよいよ本番
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   静かに御輿があがっていきます
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       下の人の力も皆んな合わせて
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御輿が階段中程まであがったあたりから女性もかけ声で力をあわせて
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塩竃神社の春の大祭にご縁をいただけて、感謝、感謝! お祭りはその後もまだまだ続いたようですが、最後までいると1泊することになるので、御輿が階段の一番上まで上がったのを見届けて、すぐさま駅に向かいました。

自宅に辿り着ける最終電車のホームに着いたのは2分前! ギリギリセーフ!

朝起きたときとは全く違う予定になりましたが、予想を遙かに超えた良い1日になりました。

人間万事塞翁が馬。
電車の中では、新幹線の時間を勘違いしていたうかつさに自己嫌悪でしたが、終わってみれば、全てがマル。

こんなシナリオ、私には書けません・・・。


ちなみに、塩竃神社のお隣にある志波彦神社の神様は、なかなかのマッチョな神様らしいです。今回は夕方ですでに扉が閉まっていたのでご挨拶はできませんでしたが、塩竃神社に行かれた方は、志波彦神社さんにも是非!



by hiroshimapop | 2017-04-25 07:20 | 日本の聖地巡り | Comments(0)
熱海の興亜観音
ここには不思議なご縁でお参りすることになりました。

何故だか分かりませんが、昨年末からキッチンで食器を洗っているときなどにふと、殉国七士廟と広田弘毅さんのことが頭に浮かぶことがありました。

城山三郎さんが広田弘毅さんについて書いた『落日燃ゆ』。この本だけは読むが辛そうだからとずっと敬遠してたものの、いよいよ『落日燃ゆ』を読まないといけないのかもー、などとツラツラ思っていた1月のある日、電車の中で、やはり唐突に殉国七士廟と広田弘毅さんのことが頭をよぎる。

なぜに殉国七士廟が私の頭をよぎる? 

よく分からないけど、遠いから私は行けない。でも、この人なら興味あるかもと、ある友人に「お参りいかがですか?」とメール。その時チェックしたサイトに、A級戦犯だった7人の遺骨は、最初、熱海に祀られたと書かれてあったので、熱海のどこだろうとなんとなく思っていたところ・・・。

翌朝、大峰山蛇の倉の修験行者でもある山口弘美さんから「昨日伊豆に日帰りで行ったら、夕方、何故か車が故障して急遽伊豆に一泊。これから熱海の興亜観音にお参りに行きます。ここはA級戦犯が最初に祀られた観音堂です」とメールが。

前日、どこにあるんだろう?と思っていた場所に翌日友人がお参りに行くというシンクロ。しかも後から話を聞くと、車の故障は修理工場で点検してもらっても原因が分からず、仕方なく軽自動車を代車で借りることに。その軽自動車で東京に帰る途中、そういえば、熱海に蛇の倉の行者さんたちが慰霊のために何度も奈良からお参りに来ていた興亜観音があったなぁと思い出して寄ることにしたのだそう。

行ってみれば、そこは軽自動車しか上がれないような急な坂道をあがったところ。

これは、もう何かに導かれたとしか思えない状況だったのでした。

じゃあ『落日燃ゆ』を読み終わったら、私もお参りに連れていって下さい-、などとメールのやりとりをしていたところ、「車の修理が終わり、明日、伊豆に軽自動車を返しに行くことになったので、明日だったら興亜観音連れていってあげられる」と別の友人からメールが。

そしてその日は、私が唯一動ける日。

というわけで、頭で考えてもワケは分かりませんが、急遽、興亜観音にお参りに行ってきました。

興亜観音は、もともと志那事変(昭和12年~)で亡くなった兵士の方々を敵味方の区別なく慰霊するために建てられたものなのだそう。この観音堂を建立した松井石根大将自身はA級戦犯として処刑されてしまうのですが、松井大将の遺志をついで観音堂をずっと大切に護られている方の献身で、熱海を一望できる伊豆山の清浄な空気のなか、それはそれは気持ちのよい場所となっていました。

観音堂を護られている方ともお会いできたのですが、下界の垢にまみれていないというか、これほどまでに純粋な魂の方がまだいらっしゃったのかと思うほどのピュアな方。興亜観音にお参りしたあと何度も友人たちと「あの方とお会いできたのがとにかく素晴らしかった」と言い合ってました。

もし、熱海に行かれることがあれば、ぜひお参り下さい(アクセスなどはこちらをチェック)。坂道を上がるので、歩きやすい靴は必須です。ただし、ここは慰霊のための観音堂なので、その心づもりを・・・。

近くにある伊豆山神社は開運神社としてとても有名な神社です。

余談ですが、山口弘美先生によると、先日、知り合いの先祖供養を頼まれてしていたところ、そのお宅の先祖より、いま地球には争いのエネルギーが溜まりつつあると忠告を受けたそう。また、ある戦没者の慰霊に行ったところ、そこに眠る英霊が「こんな欲にまみれた日本にするために自分たちは命を捧げたわけではない」と嘆いていた、とも聞いたことがあります。

蛇の倉を修験の場として開かれた先生も、英霊の慰霊がまだまだ足りていない、と何度もこの興亜観音を訪れられたのだそう。

アメリカの大統領がトランプとなったいま、特に、心して、一人ひとりが先の戦争で亡くなられた方々の慰霊をするとともに、日本と世界の平安を祈る必要があるのかもしれません。

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ちなみに、殉国七士廟は愛知県西尾市東幡豆町にあります。

『落日燃ゆ』は、広田弘毅さんの最期を知っているだけに、読み進めるのはかなり辛かったです。和平のために地道に根気強く交渉を重ねていく端から、その努力をぶち壊し、無に返すだけではなく、最悪の状況を作ってしまう軍部の愚かさ
広田弘毅さんがどのような人だったのか、何故A級戦犯として亡くなったのか、そのいったんを知る意味でも、ぜひこの機会にお読み下さい。当時の日本軍の状況は『永遠の0』にも詳しく書かれています。






by hiroshimapop | 2017-02-17 18:23 | 日本の聖地巡り
富士吉田市の不二阿祖山太神宮
富士山繋がりで昨年末にお参りした不二阿祖山太神宮のご紹介を・・・。

昨年の冬至、なんだか富士山が見たくなり山中湖に。夜、山中湖在住の友人と晩ご飯をしていると「明日、不二阿祖山太神宮にお参りに行きませんか?」とのお誘いが・・・。

実はこの神社、過去何度かスピ系の友人たちが話題にしていた神社だったので、ネットで調べてみたものの、情報が少なくよく分からない・・・。今は立派なHPが出来上がっていますが、去年までは知る人ぞ知る、の謎に満ちた神社でした。

ということで、喜んで神社にご案内いただいたことは云うまでもありませぬ・・・。

翌朝、運良くこの神社の案内をされている方が合流して下さり、1時間ほどこの神社の不思議をお聞きすることができました・・・。

この神社さん、地震や火山の噴火に深く関係しているそうで、「不二阿祖」太神宮ですから、富士山と阿蘇山との繋がりも深いのでしょうね。日本の大きな活断層の上には神社があり、かつては神社に人々が詣り祈ることで地震も抑えられていたが、祈る人が減り神社の力が落ちていくことで地震も活発化している、ということを云われている人もいるそうです。

詳しくはここに紹介されていますが、一部コピペさせていただくと・・・
古くから日本人は、自然の中に神様がいると考えてきました。
そして、洪水や火山の噴火は自然の中の神様が怒ることによって引き起こされると考えられておりました。富士山は日本列島が合掌した姿といわれていますが、この大きく美しい富士山も、神様が座す(おわす)、あるいは神様そのものとも思われていたのです。
富士山も度々噴火を繰り返しておりますが、それは神様が怒っているからだと考えられてきました。昔の人たちはその神様の怒りを鎮めるための守りとして、山の麓に神社を祀るようになりました。日本には、全国の山々、里、水辺まで至る所に神社や祠があり、神様をお祀りしておりますが、日本で最初に神様をお迎えしたところが、富士山の太神宮 = 不二阿祖山太神宮です。

不二阿祖山太神宮は、富士山の東北麓にある日本最古の神社で、富士山麓に栄えた超古代文明の富士王朝の中心を成した天皇家縁の太神宮です。 ここは、宇宙神といわれ、国祖の神ともいわれる富士山にお立ちの富士太神様、即ち国常立大神様の総本宮でございます。

《富士山の太神宮の神様》富士太神 別名:国常立大神(国祖の神)



この神社さん、現在はまだ再建中ということですが、お参りに行かれたら体感していただきたいところがいくつか・・・

階段の右側を上がるか左側を上がるか・・・。男女で登りやすいと感じる側が違うそうです。男性が登るとすいすい軽く上がれるのに女性が登ろうすると重く感じる・・・。 さて、どちらがどうなのか、行かれた方はぜひ試してみて下さい。

階段を上がったところに三つの鳥居があります。ちょうど鳥居の前にひな壇のようになっているところがありますので、そのひな壇の上でしばし立ち止まって下さい。そのあたりが一番エネルギーを強く感じられるそうです。

本殿は一般の人は上がれないそうで、私も本殿の階段のところでお参りさせていただきました。本殿前の広くなっているところに8の字がうっすら見えるかもしれません。その無限大のマークの上を8の字を描きながら歩くと、体調が少しずつよくなるのを体感される方も多いんだとか。
富士吉田市の中でもちょっと奥まったところにあります。なかなか気軽に行ける神社ではありませんが、昨日ご紹介した新屋山神社からそう遠くないので、山中湖エリアにドライブに行かれた方はぜひ。


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by hiroshimapop | 2017-02-02 07:39 | 日本の聖地巡り | Comments(0)
蛇の倉七尾山
蛇の倉のお正月は、おせち料理も美味しいし、空気は清らかで霊気に溢れおススメー!と、蛇の倉で行をし、先達もやっている友人に勧められて、年末年始を蛇の倉で過ごすことにしたものの、なんと、大みそかにまさかの大風邪。これも魂のお清めと云われつつ、3食たらふく食べて太って帰るはずが、奈良の山の中での寝正月とあいなってしまいました。

ここは行者さんたちが共同生活をしながら修行をする場でもあり、住んでいる人=行者さんという公式がほぼ当たっている場所です。現在は毎朝3時に起きて、洞窟で行をあげているという若い男性が一人…。彼はすでに600日間、早朝のその行を行っているそうですが、皆さん、3年、5年と期間を決めて、黙々と自分の行をされている姿にはホントに頭が下がります。

ほかの皆さんは朝5時起床でまずは宿舎で朝の拝神と先祖供養。そして本殿に移動して朝6時から拝神と先祖供養が行われています。私も滞在中はずっと朝5時起き。朝の拝神と先祖供養だけは参加させていただいています。

今回は元旦から3日連続で祈願の大護摩が焚かれ、私は元旦と2日の2日間参列させていただきました。テンプルのお客様からお預かりした合計370本の護摩木もありましたし…(毎年、どのような護摩が焚かれるかはその年、その年で違うそうです。今回、正月に3日連続で大護摩が焚かれるのは異例中の異例のことだったらしいです)。

護摩が焚かれた会場はこの陽明門のちょうど裏手。火が点火される前にすでにその場は結界が張られ、印が切られていますので、写真撮影は不可。なので護摩の写真はありません…。でも護摩を先導された先生いわく、ちゃんと不動明王様がご出現になられたそうで、護摩木に書かれたの願い事は無事、火と煙ともに神様に上がっていきました(その願いが受けられるかはまた別の課題ではありますが。。。)。


2016年は熊本に地震があった関係で、地脈で繋がっているここ蛇の倉の奥の院も2016年は開けられることがありませんでした。今年は奥の院が開かれるかどうかはまだ未定のようですが、奥の院が開かれても開かれなくても、この霊気に触れるだけでもこのあたりに来られる価値はありです。なんせ東京からは真夜中に車を飛ばして9時間かかるところですから、おいそれといける場所ではありませんし、観光地でもないので(天川神社は比較的近いですが)、行楽地に行くのとは全く違った意識で来ないと「何も行くところもすることもない」ということになってしまいますが、奈良に車で行くご縁があれば是非。場全体が「神域」ですから、しばらく本殿に座っているだけでも十分魂の浄化になると思います…。



本殿の陽明門
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根本道場!
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山深いところゆえ、初日の出スポットは遥か遠く、ようや元旦の太陽が顔を見せたのはお昼近くでありました…
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by hiroshimapop | 2017-01-15 23:11 | 日本の聖地巡り | Comments(1)
日本の神社
年末の奈良の旅のつづき・・・

平城京あたりをぐるりと散歩している途中にあった佐紀神社。小さな神社ながらも、近所の方々に大切にされている気持ちのいい神社さんでした。

私は日本の神様の関係性がいまいち、覚えられなくて、ご祭神を読んでもピンとこないことが多いんですが、こちらのご祭神は、天児屋根命、経津主命、六御県命。天児屋根命は、天照大神が天岩戸にお隠れになったとき祝詞を述べた神様ですから、その神様がどのような経緯でこちらに祭られるようになったのか、ちょっと興味あります。


こちらの風習なのでしょうか、鳥居のはるか低く正月飾りがしつらえてあり、また土饅頭と云うべきか、本殿まで続く参道に、小さな土盛りがしてありました。

人が必ず神社に入る前に頭を下げるよう正月飾りを下げ、そして、すぐに本殿に行くのではなく、ゆっくり地面を踏みしめながら本殿までを歩けるように土盛りがしてある、と推測したのですが、いかがでしょうか?

日本からだんだん正月らしさが消えつつあり、うちの近所でも、玄関に松飾りやしめ縄を飾っているお宅は本当に少数。

大手のチェーン店は元旦から開店したりしてほんとに残念。あの清らかで静寂な日本のお正月の雰囲気を私たちに返してほしいと、毎年思います・・・。

私が子供のころは、正月は車にもしめ縄が飾ってあり、どこにいってもお正月らしさを感じられました。こうやって神社にお正月ならではの飾りがしてあると(私は通りかかりの旅行者でしたが)、なんだか気持が引き締まって良いですねー。


                    佐紀神社(平城京のすぐ近くにある神社さんです)
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                      土盛りが本殿まで続いています
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旅のメンバーが、なんだか最近、広虫(和気清麻呂の姉で、日本で最初に孤児院を作った女性。女性天皇だった孝謙天皇に仕えた)が気になるということで、孝謙天皇(称徳天皇)が眠る高野陵にも参拝。私は数か所だけですが、日本各地の天皇陵に参拝しています。こうやって歴代の天皇陵が、(鹿児島には神武天皇以前の神代の時代の御陵までも)、きちんと整備されている日本という国も不思議な国です。

佐紀神社のご祭神天児屋根命もそうですが、神話を言葉としてあえて子孫に伝えようとしないのに、ここかしこ、アチコチに形として残っているんですから、意識すれば、日本中で神話に行き当たります。


                   高野陵((たかののみささぎ)、前方後円墳
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                 第48代称徳天皇(第46代孝謙天皇が重祚)の御陵です
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by hiroshimapop | 2017-01-13 14:22 | 日本の聖地巡り | Comments(0)
唐招提寺と平城京跡
年末年始は、かねてから予定していた奈良の修験の山、蛇の倉へ。

いつもは夜中近くに車で東京を出発。明け方、天理の石上神宮に自分たちの払いも兼ねてお参りして、それから蛇の倉に向かっているんですが、今回は平城京跡に寄りたいという希望があり、その前に唐招提寺に。

唐招提寺に来たのは初めてでしたが、なんとも空気の清らかな場所。すべてが美しく整えられており、志高く日本にいらした鑑真和尚の崇高な魂がそのまま息づいている感じでした。

                        奈良時代に建てられた金堂
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                     これはいつの世に作られた土塀でしょう?   
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    中に入ることは出来ませんでしたが、とてもエネルギーの高い場所でした
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                           苔も美しい
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                         苔と光のコントラスト
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                   雨雲もないのに、突然の小雨がふりしきり…
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そして夕暮れ迫る平城京跡へ。
以前、NHKの特集で、1300年前、東北から九州大宰府に整備、張り巡らされた巾15メートルほどの高速道路についての番組を見たことがあります。曲がることなく、とにかくどこまでもまっすぐ続くその道の終着点は平城京。平城京から地方に、そして地方から平城京に人や情報を速やかにいきわたらせるため、その道は整備されていたと記憶しています。当時の日本国民が450万人しかいなかったのに、少なく見積もって、のべ3000万人は動員されたはずだと云われていましたが、その道路を作ったのは果たして誰なのか?天智・天武天皇あたりではないかというのが有力だそうですが、それほどの大きな権力をあの二人が果たしてもっていのか? 謎の多い高速道路ではあります。

・・・そして、あの道がこの場所を拠点にしていたのかーと、ちょっと感慨深かい。夢でもいいので、タイムトラベルできたらと思うのは、こういうときですねー。

                          平城京あと
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                1300年前の夕暮れもこんな景色だったのでしょうか?
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by hiroshimapop | 2017-01-12 17:52 | 日本の聖地巡り | Comments(0)
田舎の神社もスゴイです
何だか色んなことがあり、何を書いていいのか分からない日々が続いてましたが、このまま書かない日が続くと、そのままズルズルとブログを更新しなくなりそう・・・。

ということで、11月初旬の旅の話題になりますが、友人たちと行った広島ー岡山でのエピソードを1つ書き残しておきたいと思います。


もともとこの広島ー岡山ツアーは、広島県の府中市で住職となった友人を訪ねる旅としてスタート。せっかく行くなら広島に近親者のお墓がある私と友人の墓参りも兼ねたものにしよう、それに付随して、いくつか聖地や神社を廻って帰ろう、ということになりました。旅のメンバーに修験の行者2名がいて、彼らは、とにかく先祖供養はしっかりしなさいと日ごろから言っていたこともあり、メインはお墓参りでしたが、神社、聖地も時間の許すかぎり廻る旅となりました。

府中の友人のお寺は、場所でいうと岡山との県境あたり。そして、テンプルでシルクの布ナプキンを仕入れさせていただいているあるでばらんさんのお店は、住所は岡山でも、友人のお寺から車でほんの40分ほどのところ。距離的にそれほど遠くないので、あるでばらんの中村ご夫妻とも会いたいねと、夜、ご自宅にうかがい、奥様の手料理をいただきながら、真夜中近くまでスピ系の話題で話が弾んだのでした。

さて、一緒にいった横浜の友人の1人は名字は「河野」。
瀬戸内海は村上水軍、河野水軍など、水軍が活躍していた土地柄で、彼女の先祖もかつては水軍にいたこともあるらしい・・・。そんな話から、中村ご夫妻が「それだったら、うちの近所に甲弩神社(コウヌジンジャ)というのがあるよ。正式にはコウヌと読むけど、こうの神社と云っているし、明朝、行ってみませんか?」という流れに。

・・・ということで、翌朝、待ち合わせをして、笠岡市の甲弩神社さんに参拝に行くことになりました。

甲弩神社は、田舎の神社ながら、手入れの行き届いた気持ちのよいところでした。

皆でパンパンと柏手をうち、参拝が終わったあたりで、弘美先生が、突如、くるりと我々の方に振り向き(本殿に背中を向ける形で)何故か突然、横綱の土俵入りのような動きや能のような舞をし始め・・・。

                     こういうの ↓
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私たちは目が点というか、いったいこれは何が起こったんだろう?と、しばしその舞が終わるのを待つしかなかったんですが、あとで聞いてみると、弘美先生、以前は神社などに行くと、そこのエネルギーなどに感応して、色んな動作や声、時には叫び声のようなものも出てたらしいです。でも、行者修行を本格的に開始した際、そのような能力があるとかえって修行の邪魔になるとその力が出ないようずっと封じられていたんだとか。だから身体が勝手に動き始めたのは久々だったそうですが、もしかしたらその封印が解け、その能力が少し戻ってきたんじゃないかしら? そんなことを云われてました。


それにしても、なんであの神社で横綱の土俵入りみたいな舞が始まったんだろう?と不思議に思っていたところ・・・

旅から戻ったあと、どうもあの動きが気になって笠岡市に問い合わせした人ひとり。彼女が教えてくれたところによると、あの動きはやはり力士の土俵入りでした。

というのも、あの神社には屋根を支えている木彫りの力士が配置されており、それは、秋田に多い建築様式で、建物の四隅に力士を配することで邪気を払うらしいのです。そんな力士像あったっけ?と私には全く記憶がなかったんですが、友人が抜かりなくちゃんと写真に撮影してました。

                   これです・・・↓
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                   拡大すると     
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この力士さん、ちゃんと神社を護って下さっているんですねー。


・・・そしてさらに、甲弩神社を参拝中、河野さんの頭に「おじゃった」という言葉が浮かんできたそうで、いったい「おじゃった」ってどういう意味だろう?とこれもまた調べてみたところ、「おじゃったもんせ」は南九州の方言で「ようこそいらっしゃいました」という意味だということが判明。

甲弩神社の御祭神である素盞嗚命(スサノオのみこと)は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)を伴って、南九州を侵攻、統一をはかった、ということが神話のなかに書かれているそうなので、そうなると、このお二人の神様、はるばる東京から出向いた私たちを横綱の土俵入りとともに「ようこそ」と歓迎して下さったのかもしれませんねー。


実は先日もまた同じメンバーで岡山に行ってきたばかりなんですが、少し時間があるからと寄ってもらった葦守八幡で、弘美先生を通じて「よくぞおいでなさいました」「(ここの神様が)**をお伝えしようと楽しみにお待ち申されております」とお言葉を賜ったばかり(おそらく、この言葉を伝えて下さったのは、この神社の眷属さんたちかと・・・)。

葦守八幡は由緒は古いながら、岡山市内からちょっと離れていることもあり、地元の方以外にはあまり知られていない神社のようでしたが、大きく有名な神社じゃなくても、宮司さんが常駐してないような田舎の小さな神社さん(失礼!)でも、ちゃんと神様は働いて下さっているんだなぁと、なんだかしみじみ感動です。


神社は人が参拝に行けばいくほどそこにいらっしゃる神様にも力がつき、格もあがるそうです。有名な大きな神社ばかりに目がいってしまいますが、地元の神社さん、ぜひ大切にして、こまめに参拝してあげて下さいませー。人があまり参拝に行かない分、張り切って応援して下さるかも・・・です。
by hiroshimapop | 2016-12-12 22:11 | 日本の聖地巡り | Comments(0)
比婆山御陵(広島県庄原市)
マーク祭りが一段落ついた木曜日の夜10時すぎ、車で東京を出発し、一路、広島へ。

途中、車の中で仮眠しつつ、第一の目的地である広島県府中市の常福寺さんに到着したのは、翌日夕方4時。

翌朝からは、尾道(艮神社)を皮切りに庄原市(比婆山御陵)→三原市(御調八幡宮)→甲弩神社(岡山県笠岡市)→総社神社→最上稲荷→三重県伊賀市→大峰山(奈良県)→東京と怒濤の4日間を過ごし、夕べ自宅に戻ったのは真夜中0時過ぎ。

ホント、よく動きました。

今回は、当初の目的地ではなく、その時、その場で思いついて、ついでに寄った神社や場所で意外な収穫があり、為されるがまま、流れるがままに動いた旅でした。

車で広島に行くなんて、人生初でしたが、高速代金、ガソリン代を友人たちと割り勘にしたら、ビックリするくらいの格安旅行となり、肉体的にハードにはなりますが、フットワーク軽く動けるのでこれからハマりそうです。


今回訪れた中から、2ヶ所をご紹介。

まずは比婆山御陵。

比婆山御陵の案内にはこう書かれています。
古事記には「かれその神避りし伊邪那美の神は、出雲の国と伯伎の国の堺、比婆の山に葬りき」と記されており、比婆山は国生みの神伊邪那美命の御陵のある山として、古来より信仰を集めています。麓には比婆山神社(比和町)、熊野神社(西城町)があります。
山頂のブナ純林の中に開けた円丘の中央には、樹齢千年を超える七本のイチイの老木に囲まれ、伊邪那美命の陵墓とされる苔むした巨石が横たわっています。また、御陵以外にも古事記にまつわる巨石や地名が数多く残っています。

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頂上のこのいわくらを守るように7本のイチイの木が植えられています。樹齢1000年ということですから、後から意図を持ってイチイの木を植えられたのでしょうが、「7本」という数字がなにやら意味深です。

ご案内下さった方は「ここは、イザナミの御陵となっているけど、さらに古い、宇宙的な存在に関連する場所なのでは?」ということでした。

この岩以外にも大きな岩がゴロゴロあり、巨石、イワクラ好きには興味がつきない場所だと思います。


今回の旅は、大峰山で修験道の修行をした行者でもある友人も一緒でしたが、彼が寄りたいとリクエストしてきたのが尾道市の艮神社。ここは巨木とイワクラが有名な神社のようで、私たちが滞在したほんの30分の間にも、途切れることなく参拝者がいらしてました。

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玄武かと思ったら、亀の甲羅をつけた虎のようでもあり・・。この酸っぱい顔は何故に?
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おまけ…
到着した時には、もう日が暮れてしまっていたのは三原市の御調八幡宮。こちらは和気広虫に関係のある神社だということで、去年も参拝に行かせていただきましたが、今回は、真っ暗闇で何も見えず…

でも、行者メンバーたちは「立っているだけでエネルギーに満たされた。すごくエネルギーの強い神社だった」と感動してました。

上記の3ヶ所は、広島の東側、岡山に近い備後エリアです。スピ旅行したくなったら是非!

by hiroshimapop | 2016-11-08 17:54 | 日本の聖地巡り | Comments(0)
映画『むすひ』ご支援のお願い
白鳥哲監督が撮影されている『リーディング』山元加津子さんの『銀河の雫』・・・と、応援したいドキュメンタリー映画監督が廻りに何故か増えていく・・・。

夜勤の看護師をして資金を作りながら、全国を飛び回って御神事を撮影し続けている佐伯悦子さんもその1人。ただいま、資金的に困難な状況のようで、支援金を募っていらっしゃいます。

悦子さんが、どんな思いで映画の撮影を始めたのか、そのメッセージをまずはお読み下さい。

映画「むすひ」への支援金のお願いを始めました。
故郷が東北大震災にあった後、今後、自分は何をしていくべきなのか問いただし始めたのが、映画「むすひ」の制作でした。

日本の文化と精神性を日本に、世界に伝えたいと思い、伊勢神宮の御神事に、4年間、密着撮影させていただきました。

また、青森県、岩手県、静岡県、三重県、滋賀県、石川県、島根県、熊本県、鹿児島県、長崎県など、皆様が見たことのない日本中の祭を一人で撮影させて頂きました。

映画資金も、撮影のない深夜に病院で勤務して、なんとか捻出してきましたが、4年間の撮影、撮影機材の購入などで底をついてしまいました。

あと、どうしても最後に撮影したいものがあります。
それは、東北大震災で一番被害が大きかった岩手県大槌町の祭。津波で氏子さんも祭の道具もほとんど流されてしまいましたが、皆さんの想いで、祭が復活しました。

大槌町には地域ごとに素晴らしい祭がたくさんあるのですが、今年の秋、それがすべて開催されます。しかし、来年からは津波の被害の整備などの諸事情でしばらくの間、拝見できなくなるそうです。

また、石垣島、奄美大島、竹富島の、日本のもっとも古いと思われる、人々の生活に密着したの祈り事、目に見えないものに感謝し続けて生活を営む美しい姿をどうしても最後に撮影したいと思っております。

南の島の孤島も過疎化がすすみ、今撮影してお伝えしないと、脈々と受け継がれてきたものが消えてしまうかもしれません。映像で伝えて、それを何とか食い止めたい。そして、世界中の人に、何が大切だったかもう一度思い出して欲しい。

日本が脈々と受け継いできた精神と文化を皆さんに知ってもらいたいと自分のわがままから始めた映画制作ですが、最後、皆様に御協力を募ることにしました。

支援金は1口500円からです。
5000円以上御寄付頂きました方は、映画のエンドロールに御名前を載せさせていただきたいと思います。
皆様、ご協力何卒よろしくお願い致します。

この国の事を心から愛してます。

映画「むすひ」 監督 佐伯悦子




そして新しいメッセージがフェイスブックに投稿されていました。こちらも貼り付けます。
皆様、映画「むすひ」の御支援、誠にありがとうございます。
交通費だけでも、レンタカー代金も含め、7万円弱かかってしまうので、迷っていた鹿児島の古い雨乞いの祭ですが、皆様の御協力のおかげで、行くことが可能になりました。皆様、誠にありがとうございます。

すべての生き物は、植物も動物も水がないと生きてはいけません。この祭は、その様相からするとポリネシアンの精霊や祭を連想させる不思議な祭ですが、命の源、水に対する祭です。

そして9月、奄美大島のノロたちが行っている豊作祈願のお祈りごと。その間に、石垣島の近くに位置する竹富島の五穀豊穣の祭(こちらもノロが中心になって行われている祭)を奄美大島と竹富島を何往復もしながら15日間撮影予定です。

奄美大島から竹富島へ移動するだけでも一日以上かかりそうですが、やるしかない!!!
そして、震災で最も被害の大きかった岩手県大槌町の祭が9月16日から始まりますので、9月15日に竹富島から一氣に岩手県へ飛びます!

竹富島から岩手へ、
一日で移動できるかどうか、わかりませんが、メラメラと燃える情熱で乗り越えます!!!

月末は出雲方面に位置する佐太神社さんの40年に一度の遷宮に参列予定です。かなりの強行突破スケジュールですが、日本の大切なものを伝えたいから、やりぬきます!

皆様、応援よろしくお願いいたします。


悦子さんの映画に心が動いた方、応援したいと思われた方は、ご寄付をよろしく願いします。
協力方法はこちら



by hiroshimapop | 2016-08-21 07:12 | 日本の聖地巡り | Comments(0)
瑞牆山再び…
森に入りたい・・・とつぶやいた後で、ちょうど友人から瑞牆山(北杜市)に登るけど、誰か一緒に行きたい人いませんか~と声かけあり。

瑞牆山にはちょうど2年前の夏に登ってました。柔らかい山の土を踏みしめて歩く山道あり、深い緑の中を歩く道あり、ゴツゴツの岩山あり、チェーンを上る行程ありと、様々に景色も起伏も変わり、登っていてとても面白い山です。さらに、前回はかなりきつい山登りだったのに、翌日筋肉痛が起きなかったという不思議もあり、機会があればまた登りたいと思ってました。なので、これ幸い! 

相変わらずの運動不足と筋肉も脂肪もない細身ではありますが、先日の山の日(8月11日)、早朝5時半集合、6時半登山スタートで男性3名、女性一人というメンバーで登ってきました。

私の体力にあわせ、10分登っては少し休み、10分登っては少し休み・・・というゆっくりペースで登ってもらったんですが、実は途中、貧血状態となったり腿が上がらない、もう無理~と弱気になったことが数回…。

でも身体の復元力はスゴイです。座って水を一口、二口飲んで休むと、あれほど重くて上がらなかった腿があがるようになり、重いと感じた脚が軽くなり、また上を目指して歩けるようになるんですよねー。

                   ここはまだ序の口のところですが、すでにグロッキー気味
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                    鎖をつたって登る箇所が数か所あります  
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                   頂上では、向こうに見える岩が眼下にきます
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                      11時すぎ、ようやく登頂!
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         途中で出会った山ガールの皆さんと
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          残念ながら富士山はみえず・・・
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当初は、ランチは山から降りてから~と甘い見込みで登ってましたが、途中で一度迷子となり(分岐を間違え、別の山に登りかけた)、結局、往復9時間という1日がかりの山登りに・・・。そのせいか、前回と違い、翌日はしっかり筋肉痛! でも瑞牆山は、山登りが趣味じゃない私にも登りたくなる面白い山です。

一人ではよじ登れないところもあるので、私一人では登れない山ではありますが、またチャンスがあれば是非。




by hiroshimapop | 2016-08-13 12:13 | 日本の聖地巡り | Comments(0)