毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

2016年 09月 15日 ( 1 )
五木寛之さんの対談本『霊の発見』
五木寛之さんが霊や宗教、日本に残るアニミズムについて語っている本がシリーズであることを知り、いま、その本を集中的に読んでいます。

『隠れ念仏と隠し念仏』は表には出てこない日本の深層部に存在するアニミズム的な信心に触れた思いがしました(お勧めの1冊!)し、宗教哲学者の鎌田東二さんとの対談本『霊の発見』も、日本人の霊性や宗教的な歴史や成り立ちについてお二人が熱く語っており、面白かったです。

『霊の発見』は、こんなトピックでお二人が語りあっています。
1.霊は実存するのか
2.霊視について
3.神霊との交信について
4.超能力について
5.怨霊と祟りについて
6.死後の世界について
7.神社と神道について
8.霊性の高みへ


第7章の神社と神道についてから少し抜粋すると・・・
鎌田:ぼくは民衆の中に生きている宗教感覚というか、霊的発見というのは、根本的にはそういう自然への畏怖・畏敬だと思うんですね。京セラの稲森さんではありませんが、たとえば、子どもが、おばあさんやおじいさんに手を引かれて、もしそういうところに行ったならば、生理的に何かを感じ取ると思うんです。それは知識ではありません。(中略)

五木:ええ。まずイメージとして、それが人の心の奥に、くっきりと刻みこまれる。

鎌田:理屈じゃないんですね。行為として、ざらざらというか、ぬめぬめするというか、たぶん、幼いころの生理的な感覚をともなうような行為というのは、大人になってからも、いつまでもすごく残ると思います。

五木:ええ。そういう不思議さというのは、理屈や知識じゃないんですね。畏怖とか畏敬とかの、つまり霊的な原体験をなす、そういう畏れ、怖れをとおして、つつしみのような感覚が生まれると思います。神道では「つつしみ、つつしみまをす」とか「かしこみ、かしこみまをす」と最後に言うでしょう。この、かしこむ、つつしむという観念に、神道の原形があるとしたら、それが、いまいちばん大事なものではないでしょうか。かしこむこと、つつしむこと、それが日本という国の、幼児体験ではないかと思うんですね。

(中略)

五木:それと闇ですね。神道の神事は、夜に行われることが多い。伊勢神宮も、出雲大社の新嘗祭も夜でしょう?

鎌田:なぜかといえば、霊との合一には、音の世界にはいることが重要だと思うんですね。光、視界の世界は、私たちの日常生活の多くをつくっていますけれど・・・。(中略)

耳を澄ますことによって、異界が開けてくるんです。神道では、まれびとは音とともに訪れると考えています。その音が、あちら側の世界を招き寄せたり、そちらの方へはいっていったりする回路となる。春日大社の御祭りの「おーおー」と先払いする神職たちの警蹕の声も、板を闇の中でバーンと叩くとか、音曲を奏でながら踊るという行為も、基本的には、目よりも深い感覚を呼び覚ます、という働きがあると思いますね。

五木:目よりも、耳のほうが深い。昼間でなく夜やるということの中に、想像力を刺激するという力も働く。

次は最終章から少し・・・。
毎日、神様と約束した何かを地道に、必ずやり続ける…。それが自分を高め、そして自分の中に確固たる芯を作り自分を強くしていくんですよね。

友人は母親が病気になったとき、母親のために何かしたくて毎日般若心経を毎日100巻あげ始めたそうです。母親に元気になってほしくて始めたことですが、ちょうど3か月くらい経ったとき、ふと、何が起こっても(母親がたとえ亡くなっても)それを受け入れられる、自分は大丈夫、という心境になったのだとか。そういった思いは誰かに云われて「そうだな」と思ったものではなく自分の中から湧きあがったことですから、何ものも盗むことは出来ず、変えられもせず、揺るぎもしない、確かなもの、ですよね。

鎌田:多くの霊能者は、その力を、良いほうに用いているとは思いますが、注意は必要です。

(中略)

五木:だからますます、一人ひとりが、それぞれ自分の直感を磨いたり、ある種の修行なんなりをして、それこそ神の依り代となるような生きかたが求められる。霊を磨くというか、魂を磨くというか、そういうことが、個人の人間性のなかで、重要なものになってくる。克己心としても。

(中略)

鎌田:ええ。そのためには、たとえば、教えを説いている教祖なりがいたとしたら、その人に気品があるかどうか、ほんとに信頼できるかどうか。あたたかさや、明るさや思いやりや、謙虚さや慈悲の心があるかどうか。人格的なこともふくめて、そこに高雅な品格があるか、人間的な信頼感が生まれるかどうか。横柄であったり、威張っていたり、権威的であったり、下品で卑しそうな人は、最初からおかしいと思うべきだ、と(*美輪明宏さんは)言っています。

五木:まさにサニワですね。神は美しいものに宿るという考え方ですか。

鎌田:ええ。そういう人間を見る洞察力が必要です。あるいは人間だけじゃなく、命あるもの魂あるものを見る基準の感覚を、一人ひとりが、みずからの内に、育てていかなければなりません。そういう芯ができないと、いろんな言説に左右され、騙され、また依存してしまうという構造が、くり返し、くり返し起こると思うんです。

(中略)

鎌田:そのために、ぼく自身が心がけていることは、南無阿弥陀仏でも、南無妙法蓮華経で、祝詞・真言でも、写経でもいいんですけれども、10年かけて、1つのものを、毎日毎日きちんと行うことです。それが大切な判断基準です。10年間ずっと、1つのことを、毎日毎日やっていったならば、何か基準になるものが、自分の中に育ちます。それだけ手間暇かけて育てていかないと、なかなか見えない。そういう気がします。

五木:(中略) たとえば朝、日の出に柏手を打って拝む。これだけを、自分の信条として、たった一人でどこまでつづくか、つづけられるか。

鎌田:毎日毎日、10年間つづけたら、人間は変わります。なにかが、自分の中に生まれるんですよ。

高校時代、「青春の門」を導入にして、当時出版されていた五木さんの小説はほぼ読破するくらい、五木寛之さんの小説は読み続けてました。小説を書かれなくなった頃から五木さんの本からは遠ざかってましたが、「青春の門」から約40年後、また五木寛之さんの本が私のバックに入っているのは感慨深いです。

それにしても、ずっと第一線でご活躍。その時代、その時代で話題となる本を書き続けられているのは本当に素晴らしい。相変わらず髪の毛もふさふさですし、五木さん。





by hiroshimapop | 2016-09-15 22:57 | おススメBOOKS | Comments(1)