石原学さん
2008年 06月 22日
たま出版が、韮沢潤一郎さんを団長に、エドガー・ケイシーの様々なリーディングを学ぶために、バージニアビーチへのツアーを敢行して下さり、それに応募して集まった50人のうちの一人。
以来、つかず離れず、ずっとご縁が続いてます。
その後、私は、このツアーに参加していた人たちと日本エドガー・ケイシーセンターの設立に関わったんだけど、石原さんは、それ以前にご縁のあったケイシー関連の人たちの人間関係のドロドロに巻き込まれ(いろいろあるのよ)、ちょっとケイシーから離れていた時期もあり・・・。
でも1996年にテンプルを始めたときに、当時、高円寺にあったテンプルのオフィスに、石原さんの仕事のお休みの日にオステオパシーの治療に来てもらうようになったりして、ご縁が復活。
その後、老人福祉施設のなかで治療をしつつ、自費でアメリカにオステオパシーの勉強に行ったり、障害児治療の神様といわれるようなアメリカの先生のところで研鑽したりと、腕と魂を磨きながら、ケイシー療法についても、またまた勉強をはじめて、今年、宇都宮に念願の治療院を開院。
ご家族は東京に住んでいるので、いまは単身赴任中。奥様は小学校の先生ということもあって、一緒に宇都宮に引っ越すことができず、奥様も石原さんも、今は大変な時期みたいだけど、きっと、今は石原さんが自分の天命にコミットできるようになるための「越えなければいけない試金石のような時期」なんだと思う。
今の大変な時期は、きっと、将来に生きてくると思う。
さて、その石原さん。
昔から、障害児治療に力を注いでいて、東京で仕事をしているときにも、その子どもたちの治療のために、お休みの日には、車で各家庭を廻っていた。
子どもたちのご家庭が石原さんの近所だったらいいんだけど、そういうことは当然ない。だから、1日の間に、離ればなれの遠くのご家庭を何家族も廻ることにもなり、そうなると、車での往復のガソリン代とか、所要時間とかを考えると、治療費はたくさんいただかないと割に合わないって感じなんだけど、障害児の治療には、時間もかかるし、各ご家庭の経済的な負担も考えると「そうもいかないんだよ~」ってことで、ホントに、わずかな治療費だけで、せっかくの、自分のお休みの日に子どもたちの治療を行っていた。
これって、本気の使命感がないとできないことだと思う。
いまは、治療院も開院できたので、患者さんに通っていただく体制になってますが、さまざまな障害を持った子どもさん(なかには、もう成人の方もいらっしゃいますが・・・)も何人か治療に通われているようで、また、テンプルでも、東京くらいまでだったら、宇都宮にギリギリ治療に行けるので、石原先生を紹介したりしています。
そんでもって、今日、ひさびさに石原さんのブログを読んでいたら、石原さんのところに通ってきている発達障害(広汎性発達障害)の子どもさんの治療のことが紹介されてました。
そのお母さんご自身も、2005年から子どもさんについてのブログを書いていらっしゃっるんだけど、オステオパシーの治療への反応が、少しずつあらわれていて、なかなかいい感じ。また、お母さんが、子どもさんに対し、ものすごく熱心にいろんなことをチャレンジされているご様子で、本当に素晴らしい。子どもさんの可能性に対し、最大限、なにかをしてあげようとする姿に、心から感心してしまう。
1992年のときに会ったときには、私はフツーのOL。そして、石原さんも、将来は障害児治療をやりたいんだって言っているだけの治療師さんだったけど、こうやって、着実に夢を形にしている人が身近にいるっていうのは、とっても励みになります。
ケイシーも、障害児の子どもさんの治療について、いくつかリーディングを残しているので、石原さんには、ますます、ケイシーのことも勉強してもらって、日本一の障害児治療のスペシャリストになってもらえたらなと思っています。
がんばれ、石原。
ついしん
友人の石原さんは、2008年の8月11日をもって宇都宮の治療院を退職し、東京で仕事をはじめられることになりました。東京での活躍を期待しましょう!