毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

5年だ~!
毎週書いているメルマガのバックナンバーを読みたいというご意見やご要望が、チラホラ届くようになったので、これまで書いたメルマガを全部整理し、メルマガのバックナンバーだけのサイトを作りました。

はじめて書いたのが、2003年5月。

最初は、こんなに長く書くなんて、自分でも思っていなかったので、1ヶのメルマガにアレモコレモと話題を詰め込んだり、饒舌になったものが多く、「次回はいつ書けるか分からない。書かないかもしれない」って感じで書いていたんだなぁって、5年前の自分の姿を思い返したりしています。


他にも、自分だけではなく、家族のことも書いているので、自分のメルマガを読みながら、両親のことを思い出したりもしています。

たとえば、
父の白内障の手術に付き添って、看護婦さんと大激論をしたときのこと。

その父が倒れたときのこと

癌の治療のために広島から上京し、私の小さな1DKのアパートで母と暮らし始めたときのこと

・・・たしか、このメルマガを書いた2003年5月頃は、3月の時点で余命2週間だと言われた母を、ケイシー療法を主軸に、なんとか東京の病院に転院できるまでに回復させ、母の症状も落ち着いてきた頃。大学病院で抗ガン治療が始まるまでの間、母の姉が泊まりにきて、母の面倒を見てくれていた頃だったかもしれません。

8畳の部屋と6畳のDKという間取りだったにもかかわらず、ここには毎日のように、母のもう1人の姉や弟が、様子を見に来ていたので、いつも大人たちでギューギュー。

18才から家を離れて1人暮らしをしていたので、母と暮らすのは、20数年ぶり。でも、料理好きの二人が、毎晩、仕事から帰ってくる私の時間にあわせて晩ご飯を作ってくれて、毎晩、母と叔母と3人でいろんなお喋りをして、たくさん笑って、つかの間の平安の時期だったのかも。

で、その母が亡くなったのが、2年後の8月

父が亡くなってバタバタしているときに書いた190号は、このサイトには載っけてないんですが、189号と191号の間に、父が亡くなったのでした・・・・。


そして、ちょうど、1年くらい前には体調を壊したり、落ち込んだり、大スランプでメルマガが書けなくなったり・・・

船井メディアさんのインタビューを受けたのも、1年前でした。

2006年に行ったイスラエル旅行の思い出も書いています。イスラエルは、私にとってはとても複雑な感情や葛藤を呼び起こす国。不特定多数が読まれる、しかもパレスチナの悲劇を知らない人ばかりが読まれるこのメルマガには、ほとんど何も書けなかったけど、心の奥底にある葛藤は、きっと一生続くんだろうなあ。


メルマガ1つ1つ全てに、思い出があり、1つ1つ、読み返していくと、そのときの自分のことや、廻りの景色、スタッフやお客様との会話なんかが、メルマガを通して、思い出されてきますね。

お客様のために書きはじめたメルマガでしたが、これを書くことによって、一番得をしたのは、私自身なのかも。だって、書くことによって、私自身が学び、私自身が成長できましたから。
by hiroshimapop | 2008-05-22 03:36 | テンプル最新情報 | Comments(2)
Commented by れい子 at 2008-05-27 01:23 x
今日は過去のメルマガをあっちこっちと楽しみました。そのなかで私自身も感じていたことなのですが、確かに朝食を(フルーツと、味噌汁付の納豆ご飯かバタートーストと紅茶)とったほうがお腹が減るのがはやいです。7時前にとっても、10時過ぎにはグーッと鳴ります。忙しくて昼食をとらなかった時のほうが、お腹がすきません。朝昼取らなかったときのほうがてきぱきと動き回れましたねぇ。それと夕食を(普通の家庭料理で白米か玄米か日により違いますが、野菜とたんぱく質)とった後は、眠くてたまりません。うたた寝をしてドッと畳の上に倒れ込んだ時はさすがに恐怖におののきましたが…父がそうだったものですから、年をとったのかなと思っていました。今日、その原因がやっとわかりました。夜に生野菜はよくないのですか?野菜不足をなんとかしようとして、20cm位のお皿にいっぱい食べるようにしていたのですが…
Commented by アマージ  at 2011-05-30 13:33 x
これは、ポイントの近くに多くの住民は、限界に達するという考え方です避難所は、ストレスや恐怖を変更されたことを右されます。価値があるだろうストレスだけで家から離れて育った。環境とプライバシーカ月近くが確保できないことも想像を絶する痛みを伴うだろう。