『無我と無私』オイゲン・ヘリゲル著
2018年 05月 22日
・・・その後、何週間も何ヶ月も成果の上がらぬ稽古が続いた、師範の射を見て、正しい離れとはどういうものかをこの目で観察し、何度も何度も真似をしてやってみたのだが、ただの1度も成功しなかった。(中略)(ここで著者は、どのようにすればうまく弓を手から離して射ることができるのか、師に尋ねる機会を得ます)「・・・正しい瞬間に正しく射るには、自分自身から離脱しなければいけないのです。あなたはうまくいくと思って弓を引いているのではなく、失敗するのではないかと初めから身構えています。そんな状態であるなら、自分自身を忘れて射ることができるように鍛錬するしか方法はないのです。そして鍛錬している間は、子どもが手のひらを開くように自然に開くことはできないでしょう。熟した果物の皮がはじけるようにはいかないのです」(中略)「正しく射るには無為自然でなければなりませんぞ!的に当てるために正しい矢の離れを修得しようと躍起になればなるほど、ますます離れはうまくいかず、当たらなくなるでしょう。あなたのあまりにも強い執着が邪魔をしているのです。作為的に狙わないかぎり当たらないとでも思っているのですね」(中略)「では私はどうすればいいのでしょう?」と私は思いあぐねて尋ねた。「正しく待つことを覚えなければなりません」「ではどのようにしたらそれができるようになるのでしょうか」「あなた自身から離脱し、あなたやあなたのもの一切を捨て去れば、そこに残るのは引き絞った弓だけになります」
ある日私は師範に尋ねた。「『私』が矢を射ないのなら、いったいどのようにして矢を射ることができるのですか」「『それ』が射るのです」と師範は答えた。「(中略)『私』がそこに存在していないのなら、いったいどのようにして自分を忘れて離れを待つことができるのでしょうか」「いっぱいに引き絞られた所で『それ』が待っているのです」「では『それ』とはいったい誰ですか? いや何ですか?」「ひとたびそのことがわかったら、あなたはもはや私を必要しなくなるでしょう。あなたが経験を通してわかるようになるのを待たずに、私があなたに手がかりを与えようとするなら、私は最悪の教師となり、解雇に値するでしょう。(略)」