毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

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神武天皇と近所のバス停
広島に住んでいる、しかも歴史好きじゃないと興味ない話題だと思います。すみません、メモを兼ねて書かせて下さい・・・。

先日、広島の福山に行く用事があり、そういえばあのあたりは神功皇后の云われのある場所があったハズ。そこに寄ってみよう・・・とネット検索していたら、なんと、福山でも、神功皇后でもなく、中学、高校時代、朝夕、毎日通り過ぎていた我が故郷の近所の神社の名前がネットの画面に登場・・・!?

私は広島市内から北に約40キロほど入った吉田町という町で生まれ育ったんですが、中学時代に可愛(えの)という地域に引越。毎日、宮之城(みやのじょう)というバス停からバスに乗って学校に通うようになりました。当時は神社にも神様にも全く興味なく、単に毎朝目にするだけの神社だったんですが、その片田舎の小さな神社、神武天皇がしばらく滞在されたといういわれのある神社でした。

神武天皇は伝説上の人物だとされ、実在していなかったとも云われていますが、各地に伝承、伝説が残っていることを考えると、それ相当の方は実在していたはず。あのあたりでいったい何をされていたのでしょう?

ついでに、高校の裏手には清神社(すがじんじゃ)という神社があるんですが、そのあたりはスサノオが八岐大蛇を退治した場所という伝承もあり、その神社から山の中に少しあがると、毛利元就の墓所もあります。

鹿児島にある可愛(えの)山稜はニニギノミコトの御陵だと云われていますが、可愛という地名にも何か共通の云われがあるんでしょうか?

今でも何もない田舎の町ですが、さらに何にもない可愛の宮之城に神武天皇は何故、居を構えられたのか、その理由、興味あります・・・


神武天皇の広島での動き
高田郡吉田町宮之城・・・内陸部に入り、宮之城の丘陵にある埃宮神社にしばらく滞在。

埃宮周辺の巡幸が終わり、一帯の豪族たちの協力が得られたので、いよいよ北部地方を目指して巡幸をすることになった。太田川を可部まで進み、壁から現在の国道54号線に沿って梶の谷川を遡り、江の川水系に入った。川を下り宮之城に宮を造った。埃宮神社の地が宮跡である。伝承では三年ここに滞在したことになっている。この周辺はその昔スサノオ命が滞在した処で、スサノオ信仰が特に強い

神武天皇の広島での動きその2
『古事記』の多理の宮は広島県安芸郡府中町にあったとされる。
いっぽう、『日本書紀』の記す埃の宮は、昔の安芸の国高田郡可愛(え)村の、吉田、山手の付近とされる。「可愛」の地名は、日向の邇邇芸の命の可愛の山陵や、『日本書紀』の一書に、須佐の男の命が安芸の国の可愛の川上に天降ったとする伝承などに現れ、これらの伝承と関係があるのかもしれない。

2-7.高田郡吉田町宮之城

山手村可愛宮の儀は人皇第一代神武天皇三年御在城、御軍勝利の地なり。是によって神武天皇を祭る。 「可愛宮の記」より


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by hiroshimapop | 2017-03-21 12:08 | 日記 | Comments(0)