毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

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祈りを身体に貯める
テンプルでときどきアップしているインタビューコーナー。
川口久美子さんのインタビューに引きつづき、山口弘美さんのインタビュー原稿も出来上がってきました。山口さんは、セラピストでもあり、奈良の大峰山、蛇の倉の行者でもあります。こちらもWEBの準備ができたら、UP予定です。

今日は山口さんのインタビューのごく一部をご紹介。行者はある意味、祈ることが仕事。そんな祈りについての部分です。

テンプル)
さて、ここからは神仏への祈りや先祖供養についてお話を伺いたいと思います。まず、そもそも「祈り」はなぜ必要なんでしょうか?

山口:
私が山で教わったのは、「祈り」を行うのは万物万象の霊長であり、自然界の調整役を受け持っている人間の大切な役目であるということ。そして地球のみならず、宇宙の環境を整えるためにも重要であるということです。というのも、人間の体に沢山含まれている水分が祈りの言霊の響き=波動によって良い状態に整えられ、それによって周囲にもその波動が伝わっていきますから。まず一人が祈り、やがて100人、1000人……と連鎖していくと、その方々のいる場所は空気が綺麗になっていくんですね。そして木々や水、大気、土など全てが影響を及ぼし合って、みんな綺麗になっていくんですよ。

昔は女性の33歳の厄年、男性41歳の厄年までに35万巻のお祈りをするというのが、万物霊長の役割であり約束事だったそうです。人間は『いただきます』と言って食事をいただきますが、それはいろいろな生き物の命をいただいているということ。その命に対する感謝とともに、万物万象の育みとなる祈りを捧げて、自然にお返しをしていくんですね。

テンプル:
なるほど。利他や感謝の気持ちで祈りをするのが大切だということですね。祈りというと、どうしても自分のお願い事をしてしまうという人は多いと思いますが。

山口:
もちろん、ご自身のためのお祈りはどんどんしていただいていいんです。それが祈るきっかけにもなりますから。ただ、祈りを深めていくと、利他のためにやっているようでもまず祈りをしている自分自身が言霊の良い波動を吸収しますから、結局は自分のためになっているんです。私自身は修行に入った頃、自分の丹田や細胞の隅々にまで祈りの言霊が行き渡り、それによって精神力が強くなったり気持ちが安定して穏やかになったり、ということをまず実感しました。

とくに今この東京や都会で暮らす人には、自分の身を守るためにも必要なのではないかなと思います。実際に私のセラピーを学ばれた生徒さんの中には般若心経を熱心にあげられる方がいらっしゃって、もともと体が弱かったのですが今はすっかり丈夫になってしまいました。経済的にも羨ましいくらいにどんどん豊かになってきているんですよ(笑)。ほかにもそういう実例をあげたら数えきれないほど。ですから私の経験上、自分を守って豊かにし、幸せにするということに一番手っ取り早いのも「祈り」であると言えますね。

テンプル:
行者さんの場合には、祈りの意味合いが一般とは少し違うような気がします。以前、山口さんが『行者は1万巻、2万巻の祈りを自分に溜めて、それを法力に変えて人を癒したり霊を祓ったりする』と仰っていましたよね。祈りを人のために使うとはどういうことですか?

山口:
行者は法印を切り、呪文を唱えることで様々な御祈願を成就に導くような修行をしています。それには魂の力や念力を強くすることが必要なのですが、そういった力を強くするものが「祈り」なのです。ですから行者は修行中、いかに祈りをあげられるかということに日夜、専念しています。というのは、祈りが自分の魂に織り込まれていないと、何万巻の経文を唱えたとしても、その祈りは神仏に届く前にほとんど自分の中に吸収されてしまうだけですから。

蛇の倉では通常、般若心経を祈りの経文として唱えていますが、たとえば7巻のうち、1巻だけが神様のところにようやく届き、残りは自分の細胞に入ってしまう。そうイメージしていただけると分かりやすいでしょうか。誰か病人の方のために『1万巻の般若心経をあげるので、その祈りの力で病人を助けて下さい』と神仏に祈ることがありますが、その場合にも、まずは自分の細胞の中に十分な祈りの力を貯金しておくことが必要なんです。そうしてその1万巻の祈りを神仏に受け取っていただく代わりに、病人を助けていただく、ということをするわけです。

ですから、祈れば祈るほど、祈りの回数を重ねれば重ねるほど祈りの力は自分の中に溜まり、神仏を動かす念力となります。それが自分の細胞の隅々にまで届いたときに初めて、ようやくその祈りによって強くなった念力や法力を人のために使えるようになるんですね。誰かのための御祈願や滝行、護摩焚き。これらはすべて、この念力が強くないと出来ません。たとえ知識として九字の切り方を知っていたとしても、ただ経文を口に出すだけ、印を結んだだけでは現実に影響を及ぼすほどの力を発揮することは不可能です。また、霊を鎮めたり、災いや邪気から身を守ったりするのにもそれなりの念力が必要です。行者はその念力を高めるために、何万巻も祈りをしていくわけです。

行者になったワケ、先祖供養の大切さ、などたくさんお話しを伺っています。
インタビューのUPをお楽しみに!


by hiroshimapop | 2017-03-03 16:33 | 世界は不思議に満ちている | Comments(0)